昨日の記事。政局への突っ込みが足りなかったとは書いた後、自覚していた。時間不足で生情報の極端な収集不足がある。
民主党内の小沢さんの政倫審出席を巡って、政局が生まれているようだ。
小沢さんの「政治とカネ」問題という既得権層が自己保全のために作った謀略を政権交代に託した多くの国民の願いを踏みにじった政治路線を選択した菅等政権担当者どもは自らが招いた窮地を脱し政権にしがみつくために持ち出してきている。
管等のこの様な小沢「政治とカネ」カード化は鳩山政権を引き継いだ時もやっていてマスコミの応援もあって其れなりに功を奏した。
しかし、今回は事情が大きく違ってきている。
菅政権、発足後の失政、未熟性はもはや国民の多くの共通認識となっており、政権は事実行為にによって国民から見放されている。
元々民主政権の組織的支持基盤は連合しかなく、その連合も組合員さえまとめ切れていない頂点の労働官僚支配が実態である。政治的浮動層の支持があっての民主政権安定という根本問題があった。
だから、発足当初から、民主政権はマスコミ攻撃に耐えられるほどの安定的組織層を持っておらず、支持者の多くは組織的共同性の枠を持たない個人が剥き出しでマスコミの系統的な民主政権攻撃に晒される特性を持っていた。
硬い民主支持層の中からもキビシイ批判がある。
小沢合流前のオリジナル民主の支持層の基本的階層存在形態は都市の労働貴族層(なお、労働貴族とは帝国主義の超過利潤で肥え太った労働層。マスコミに登場するコメンテーターも含まれる。組合ダラ幹は労働官僚)であり、この部分には確かにマスコミ検察の小沢攻撃への同調者、鈍感者がいる。また、所得的特徴から、自民党支持層と変わりはなく、後は見せかけの民主主義の解釈次第である。だから、マスコミの流布する政治とカネに違和感を覚えない。
しかし硬い民主支持層でこの部分は半数に満たない、特殊層。
だから、菅政権は堅い民主支持層を掴みきっておらず、文字どうり、浮遊状態である。
従って、もうこの政権下でどんな策を弄しても民主党支持層の溶解は止められない。
もちろん、世界経済状態の行き詰まり、その中での日本の財政危機、デフレ基調、東アジア偽冷戦体制などの選択肢の狭さもあり、これらは政権に大きな万力となって締めあげる。
民主政権という熟し切った果実が地上に落下するのをじっと待っている。誰も慌てて、まだ木にぶら下がっている果実に手を出そうとはしない。敢えて民主と一緒になって泥をかぶることはしない。今政権にある民主党が国民から見放されば、見放されるほど、来る自分たちの政権運営において、今度は野党側に回る民主の力を弱めておける事になる。
ある官僚の認識によれば「日本の政治はこの先2、3年は混乱する」らしい。ちょうどその程度のスパンで民主党を政権の座から完全に追放する画策を描いている様だ。
自民などの当面の小沢カードの切り方は来年度予算国会通過協力や連立参加などをチラつかせての、小沢切り要請になっているが、これ自体は自分たちの戦略としての独自の政権獲得を見据えた政局への対応する、あくまでも短期的戦術である。
党の分裂回避が最大支持母体、連合から要請されている。小沢さんは政倫審出席を断るつもりであると報じられている。自民党など次期政権を狙っているモノどもの上記した戦略戦術も加味すると、菅仙谷岡田のこの期に及んでの悪あがきは、小沢切りを進めても自民らが連立を受け入れる余地はない、当然党は分裂、また、分裂回避を着地点にしてもない党内外で窮地をさらに招く。
しょせん、日和見主義、政治センス、政治判断力の完全欠如が自ら連続的に信じられない政局を招いてきた。
水が高きから低きに流れるように自民党どもへ政権が渡る様に自ら仕組んできたかの様相を呈してきた政治的無能者どもであった。
我々としてはそれはそれで物事がハッキリしてよいのではないか。
国民が目を覚ますかどうかは別にして事態を足早に進行させる必要がある。
日本の特性として集団主義が台頭するだろう。
<歴史は教えている。国家や民族は滅びない、滅びるのは国民である>