反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

政治、経済。個々人の立ち位置によって見える世界は違ってきて当然。

 またまたくどくなるのを承知で、先の参院選。官総理の消費税10%発言を含む「強い経済、強い財政、強い社会保障」好循環、路線の提起には考えさせられた。
 民主党支持者として、民主に投票するにはこの路線を自分に納得させる必要がある。
 
 投票行動の選択肢は二つしかなかった。
1) 民主に入れる    2)投票所には出向くが無効票を投じる。
 
 長年の国政選挙に関する基本的立場は2)だった。独りよがりかもしれないが、20歳前に学生運動に身を投じた時から、労働運動をやっていた時も、運動を止めたら投票所に行って無効票を投じようと思っていた。
共産党は生まれてこの方一度も支持しなかった。社会党には何回か投票した。
 
 この前の衆院選。実は比例区社民党に入れた。民主圧勝の風向きは変わらい、とみたから自分の一票を生かすには是非とも当選してもらいたい社民党の候補を後押ししよう、と。
 
 彼の経歴を見ると身に詰まされる思いがした。彼の大学受験時、東大と東京教育大学の入学試験は学園紛争で中止になった。だから、同期には東大卒はいない。竹中平蔵一橋大学卒も東大入試がないからで、社民党候補の京大法現役入学という事は、事実上、東大現役入学に等しい。
 竹中なんかも大学入学後、次の年の東大入試を目指そうとしていたらしいが、断念した。
 自分の友人も、大学に行かずに、受験勉強をしていた。
 
 この同期は実に割の合わない。上の世代は団塊世代真っ盛りで物凄く、世代人口が多く、入試の倍率も高く、浪人生がたまっていた。
 60年代後半の学生を主力とした激動の時代の底流には団塊世代の量の膨らみが影響していたはずだ。
 ところが、この同期になると、同期は少なくなり、厳密にいえば、団塊世代とは言えない。
 
 そこで学生運動なんかでも、やりたくて慌てて現役で入学したモノの、60年代後半の街頭反乱の時代の勢いは下降線をたどっていた。東大安田講堂の攻防戦は1月で、高校生だった。
 
 社民党のその候補なんかも大学入学して活動に参加したら、上の世代の活動家の層が厚く、指導を受ける立場で、大学を中退して、中小企業に配置されて、労働運動を始める。真面目な彼は運動を継続しているのに戦線配置を決めた方は勝手にいなくなる。真面目な彼は会社倒産、再建の苦境を乗り越えて、運動を継続する一方、沖縄などの平和運動に携わる。
 
 彼に一票を入れないわけにいかない。自分も同じような体験がある。学生運動を懐かしむ事ができる方は上の世代。
 
 彼の同期は入学後、特定の党派を選択しなければ、戦いができない環境に置かれた。そして選択した党派の政治に翻弄される。真面目にやっていれば、とてもじゃないけど、懐かしむ程、いい思いではない。
 
 ああいう世界は、普通の世界とはかけ離れた別世界。それに耐えられる人間だけだ残っていく。後は脱落者という事になるが、其れは党派次元の基準。一人の人間として高校大学と培ってきた人生観、世界観の問題が最後に残る。ハイ、それまでよ!とはいかない人も多くいたということだ。
 
>最後の決め手はそういう次元の問題になる。彼は同期で特定の立場に立つモノとして、象徴の様な人生を送った。
 >人生観、世界観は特にないという方も実は持っている。世間の常識、マスコミ報道に同調する自分、仕事現場での関係、家族間のあり様、これらすべては無意識の世界観、人生観だ、と思う。
皆、多かれ、少なかれ、それを大切にして、物事の判断基準にしている。
 
>政治や経済の話題にしても実は、そういう、自分の日常の生活レベルの無意識な意見、感情でもいいが、大切に確認する事から始まる。
 
>で、問題はそこから先だと思う。立ち位置の確認を終えてから後、其れを大切にした論理展開がキチンとできれば、大袈裟にいえば体系だった世界観となる。しょせん身の丈ほどにはなるがそれでいいともう。
 
>先の参院選、無効票を投じられなかったのは、不覚だった。
国家の財政、税制、国家権力の問題、戦争平和の問題に関しては其々の立ち位置を大切にした意見がある、と考えている。イロイロ世間、マスコミで流通しているのは、あくまで一般論であって、もっと自分に引き付けて考えると、厳しい意見も出てくるはずだ。
 
>官直人のような路線は認められない。世界、日本経済の状況、からも実効性に大きな疑問もある。
>>ただし、仙石官房長官のネット上の発言によれば、増税路線というのは「貧乏人は麦を食え!」という先達の政治家の意見も踏まえて、提起されているところに、モノの見事にこの問題の本質が表れている。
 
> 政治家はここまで当然考えている。ただアカラサマにいわないだけだ。マスコミも報じない。財政再建原理主義者はここまで踏み込んで考え、自分の意見を貫徹させようとしている。
竹中平蔵市場原理主義自民党参院選のマニュフェストも日本社会の一部は助け、一部は棄民化するというドギツイ思想が根底にある。
こういう指向は上から分裂分断攻撃を率先して仕掛けているようなものである。もう支配者が戦後的な国内平和の条件をかなぐり捨てて、自分たちの都合のよい社会を生み出そうとしている。
 
参院選で無効票の立場を考えたのは、その後の政局に、もう足を踏み込まないと、いう立場の表明だった。小沢氏への批判もある自分としては、この立場が正しい選択だった。
 
 この立場を捨てて、民主に投票すれば、小沢氏が立候補すれば応援するのは当然になる。
小沢氏は負けると予想していたから、結果には納得する。支持者や小沢氏はよくやったと思う。マスコミ報道に抗するその戦いは今の日本の政治状況では希望をもたらすものである。
 しかし、無効票を投じない自分を反省させた。