財政政策は全く不勉強、また政局にも疎い私としては勉強や自己の見解を固める意味もあって、今日から記事に沿って批判的に検討していく。
もう一つの意図はこの筆者の基本見解は名古屋の河村市長らの見解に重なる部分があるとみており、私はそれを丁寧に批判していきたい。
かなり長文の記事に沿って、毎回検討していく。
今年度予算一般会計の総額は92兆円。
税収 41兆円。 赤字国債発行額 44兆円。
記事は借金が税収を上回ったことは事は過去に一度しかない、敗戦の翌年1946年度予算の時と指摘し、2011年度一般会計予算の異常ぶりを際立たせる。
昭和21年度に赤字国債発行額が税収を上回った真の原因を指摘するこの経済ジャーナリストの見解は異常である。
「敗戦直後は政府が国民の信頼を失ったから、赤字国債に依存せざる得なかった」
これが真相でその理由として
「戦争中も税収が赤字国債を上回っていた」
「政府に力があり、国民が政府を支えようとすれば、国民は増税を受け入れる」
自分の現在のイデオロギーを正当化するための歴史的事実の完全な捻じ曲げ以外の何物でもない。
昭和21年度予算で税収を赤字国債発行額が上回ったのは、敗戦で経済が混乱極めたから、当然徴税行為も滞ってくる。極々当たり前の事実である。
国民が政府を信頼するとかしないとかは二次的問題であり、それを原因に挙げるのは筆者の現時点のイデオロギーを歴史的事実を改ざんしてまで主張しているにすぎない。
ただし、税金の問題を階層別のイデオロギー違い、国民の国家への共同幻想の問題として提出しようという大胆な意図が筆者にはあると私は深読みする。もっといえば、この日本の主人公は誰なのか?実際にそこから最大限の利益を得るのは誰なのか。実際に運営して実行力を持っているのは誰なのか?問い根本問題を抜きにして税制の問題は語れない。
またこれからの国の形、国家戦略とも密接不可分である。 国民規模の思想哲学的な分野を含む問題を単純な数字や時ずらの様な皮相なな事象に置き換えるのが、財務省の手である。
後の記事を見てもこの人の問題式のレベルは結構高く単純で無い。
次の問題点。
戦時体制、戦時経済をどうして力のある政府を国民が信頼し支えようとした、事につなげるのか?
戦時体制、戦時経済の時代、政府の財政運営は経済が軌道に乗った戦後日本と環境がまるっきり違う。
詳しくは調べてないが、このような経済財政運営を今日的感覚で論評するのは間違いで、時代を区切って論じるべきだ。
こういう大間違いのイデオロギー操作を前後の文章の中にサラッとひそませている。
気をつけなければ、洗脳される。
これは一つのイデオロギーとして受け止める必要がある。
この筆者のその後の記述は手が込んでいる。
第1回目は解りやすい部分への批判である。
民主党代表選挙。
途中まで両者の主張を追っていたが、大体のアウトラインが解ったのでその後に興味を失った。
小沢さんもその事は十分承知しているはずで、政治的バランスに配慮してに立ち回るだろう。
地方に権限移譲といっても問題点が大ありだと解らない人ではない。
自民党の中でさえ「まともな」人はどこに問題点があるか解っている。
大雑把にいえば、中央集権的国家運営を地方分権に急速に置き換えた時の混乱、マイナス点である。
多くの国民は傍観者のまま、そのことによる果実を地方ボスによって奪われる。以前よりももっと、権利が奪われる。
住民の間に地方の利権癒着勢力に対抗できる団体、組織が未発達だからだ。民主主義、人権が下まで行きわたっていない、ともいえる。
こういう状況での権限移譲は市場原理主義の形を変えた再来である。
もっとこの論議を深めるためにも、今回から連載する。
小沢熱烈支持者のかなりの部分はこの辺が解ってないようだ。
余りにも勝手なイメージを膨らませ過ぎである。自分の立ち位置をしっかりせず、政局に引っ張られて、視野狭窄に陥っている。
政権交代に目先だけで熱狂した政治体質を引きずっている。
政権党になった民主党の現実政策への失望は特捜の暴圧への怒りで埋め合わされ、小沢幻想に昇華した人もいる。
私は記事更新しない間、イロイロ考えて、自分の基本的立場を見直した。