反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

平均年齢34、55は全員一致議決が欲しかった検察審査会の八百長である。

 検察審査会二度議決、ともに平均年齢34,55歳の決してあり得ない事態。
有権者の平均年齢より10歳も若い。審査会議員の半数は半年ごとに入れ替わることになっている。
結論から先に。
 審査員選定はインチキくじ引きソフトで特定の年齢層を選定できる。
 審査員は入れ替わっていない可能性がある。
 審査会開催時に常時数名の欠席者が出ている。
そのため、議決時も審査会のそれまでの議論に全く関与していない補助議員が評決に参加した。
 
 検察審査会の大ウソ実態については民主党森ゆうこ議員が丁寧に追及しておられる。国会議員として当たり前の仕事であるが、それが何か貴重な行為の様に映っていまう現状がある。
 今は国会議員全体が論理的じゃなくて国民感情におもねっている。その国民感情はマスコミが扇動している。
だから、閉じられた円環の劣化の悪循環に陥っている。
 
 この状況を理屈面で突破したいと願っているから、私自身も書いているうちに自分の引出しの中身がなくなって書けなくなっている。最近は記事作成に手間取っている。が、そんなことを言っていられる場合ではない!無知無能承知で強引に前に進む。 
 
 森ゆうこ議員の指摘で気になる点がある。
 
有権者名簿から無作為抽出のコンピューターくじ引きソフトのセキュリティー、ホール云々の個所。
 上品な言い回しをしなければならない議員だから事の真相があからさまになっていない。
 
くじ引きソフトにはあらかじめ八百長が仕組めるということです。
 
 競馬界は八百長ソフトを日常的に使っている。マスコミはこのあたりまえに事実を知っていて報じない。
中央競馬は1週間に2回しか開催しない関係上、出走枠を大きく上回る馬が登録する。
当然除外馬を作らなくてはならない。
この際にインチキソフトのお出ましだ。
 
 抽選をするとき、ファンの馬券購入を呼び起こすような馬が除外になっては売り上げが落ちる。
建前上公平な抽選をしていると称しているが、ファンの馬券購買欲を誘うような馬は必ず、抽選をかいくぐれる。
 
 また、高い売り上げの期待できるビッグレース。
16頭も出走するコースで枠順はレース内容に重要な影響を及ぼす。
 
 競馬界の最大目標は馬券売り上げを増やし、農水省特別会計に貢献することである。
そこで、競馬ファンの馬券購買意欲を掻き立てるような枠順選定が行われる。
 この時もインチキソフトのお出ましだ。
 
 昔、ビッグレースの枠順は公開抽選で商店街の福引スタイルのガラガラを回していた。
ところがコンピが発達したこと、競馬界への苦言を呈する大橋巨泉大川慶次郎などのうるさ型の評論家が去っていき、新聞、テレビのマスコミだけの監視下になると、突然、八百長ソフトで競馬根幹をいじくりまわすようになった。
 絶対に統計学上あり得ない事態が常態化しているのでマスコミはもちろん承知しているが、利益共同体として見て見ぬふりをしている。
 マスコミも含めて競馬サークルと自称しているぐらいだから。
 
こっぱ役人どもは、監視の手が緩んだら、堂々と八百長をする。法規にひっからなければいい、という性根である。
 
 検察審査会の審査員くじ引きソフト。
インチキ八百長の構図は全く同じとみる。
 
 まず、明確な政治目的がある。
全員一致で小沢さんを2度起訴相当にする。これが政治目的である。
11人のうち起訴相当に反対するモノがあってはならなかった。
 マスコミ論調もその事実に触れないわけにいかないだろう。国民世論の形成に重大な風穴が開く。
 
 であれば、どうすればいいのだ。
社会経験の比較的乏しいモノどもを作為的に選定するしかない。
社会経験がそれなりにあるものが混じっていると、土地取引の実態は経験上知っている。
小沢さんの様な市街化調整区域の地目変更の実態も指定弁護士がどう説明しようが、洗脳されない、納得しない人間が混じってくる可能性がある。
 
 ましてや「暴力団の親分が子分にカネを配るイメージで判断してほしい」なんてデタラメ解釈をすると、もしかして審査会の実態暴露をされ兼ねない。
 
 事実私が選ばれていたら、法的違反承知で実態を暴露する。マスコミは無視できないだろう。
 
 34、55歳平均年齢選定はインチキ審査会議決の根幹をなす政治工作だった、とみる。
国民のうち85%が小沢さんの「政治とカネ」に疑惑を持っているとマスコミいうが、そのうちの中身も違うだろうし、何より、残された15%が11人のうちに含まれている可能性も出現する。1人、2人の反対者が出現する可能性を検察審査会当局は極度に恐れた。
 強固な反論者が出てくれば手を焼き、場合によれば、たった一人の反乱が全体の画策の土台さえ揺るがしかねない。
 計画的知能犯は予め綻びを極度に警戒するものだ。
世間には弁護士、検察官なんて屁とも思ってない人はいくらでもいる。
 
 全員一致程は日本人の横並びの習俗に響く言葉はない。
多数同調の日本人の政治感性に響く言語はない。
 
 今後の小沢さん「裁判」の庶民的闘争目標に検察審査会のリアルな実態暴露は欠かせない。
敵は庶民の前にその素顔をさらけ出している。
 
  小沢さん裁判は国民にとって弁護士に任せておけない種類の裁判になる。
敏腕、弘中弁護士が何とかしてくれるだろう。
 それは認識が甘い。
 村木裁判は権力闘争の一部を形成する裁判、敵失もあるあったが、小沢裁判は権力闘争のど真ん中、権力闘争そのものの裁判である。
 こうした裁判にはこれまで国家暴力装置としての裁判所は支配層の利害を体現してきた。
この方向に立ち向かった裁判官はこれまで少数派だったし、長い年月で事件が風化したころやっと無罪を言い渡した。
純法的無罪を前提にしその高みから、議論するのは完全に間違った意見である。
 裁判と法廷外の戦いをつなげるようにしなければならない。
国民的議論ができるような、その方向に持っていくことが望まれる。