反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

強欲、金融資本投機によるバブル破たんから、出口なしの経済停滞中のアメリカ、EUなどの世界金融資本はイラク侵略に続き、経済制裁強化でイラン侵略を画策中。検察審査会起訴のJR西元社長に無罪判決。

 今日も早朝、筋トレ。今年の冬は筋トレ強化でいく。昨年はくそ寒い中、ウォーキングをしていたが、無理はよくない
よし!今日も気合入れていこう。
 
 昨日の記事のポイントは、第五検察審査会事務局が使っているおみくじソフトは、6000万円もしたらしいが、そこらに出回っているモノと、何ら変わりはないという処である。実体は手動の作業ソフトにおみくじが付随している様なモノと理解してよい。
 
 類似のソフトはグーグルを検索すれば、載っている。
そこから検察審査会のソフトを考えると、あの人たちが、どういうカラクリで若過ぎる平均年齢のモノを選んだか、リアルに想定できる。
 
 森ゆう子議員の追及スタイルは物的証拠と発言の齟齬をキチンと押さえていく、国会議員としての公平な立場にたっているから、手間がかかっている。従って聴いているモノに解り辛い。込み入った専門分野の国会審議を聴いている様な側面がある。
 
 岩上安見さんの森議員との面談の動画で概要を掴んだが、記事を書いてみて想ったのは、岩上さんが既存のおみくじソフトの内容を頭に入れてくれていたら、動画を視聴しているモノにもっと解り易い、説明を森議員から引き出せたな、と想う。
 
 
 >>さて、自らのしでかした金融バブルとその必然的崩壊、先進国経済の出口なき慢性的停滞を内外への排外的負担押し付けよって乗り切ろうとする、国際金融資本は、イラクに続き、核開発を口実に本格的なイラン侵略に乗りだそうとしている。
 
 一昨年の正月。
 非常に興味深い本をじっくりと読んだ。オーストラリアのフリーの記者がパキスタンアフガニスタン、イラン、イラクの庶民生活の中に分け入って、じっくりと観察した記録である。
 
 著者の趣味はこの地方全体の特産品である高級絨毯、タペストリーの集収であり、この集収のためバザールに分け入っていく。
 そこで綾なす人間模様、庶民の実生活の視点から、この地方の経済政治を語っている。
 
 こういう余裕ある観察眼はなかなか日本人には乏しい処である。自然体の国際感覚があり、地に足がついた視点がある。
 大上段に振りかぶった、状況分析も大切だが、その足元には、こういう裏付けもいる。
 
 >どうして、パキスタンアフガニスタンにもめ事が多いのか、アメリカをはじめとする強国が介入できるのか、リアルに解る。
 庶民の地の生活実態が良くも悪くも、混とんとしている。
それは昔なら、よかった。が、今の時代は他国の介入を呼ぶ。残念ながら。
 
 >著者はアフガニスタン国境から、イランに入国してペルシャ絨毯を求めて各地をさまよう。
 
 この地への著者の率直な感想。
イランはパキスタンアフガニスタンと比べて、遥かに近代的合理的庶民生活が営まれている。社会資本も遥かに充実した近代国家である。
革命防衛隊が庶民生活に介入している事実。インフレなどの経済混乱もある。
 
 >エマニュエル、トッドさんは「帝国以後」の中でイラン革命イスラム原理主義など中東の激動を近代化の途上として肯定的にとらえている。
 自分も、欧米化への収れんには異論があるが、同じ立場である。生みの苦しみはある。
 
 >著者がイランからイラクに入っていくと、今までの牧歌的記述は消えて、イラク侵略戦争前の経済制裁に苦しむイラクの庶民生活の実態が描き出されている。
 
 病院のベットに寝ている重病の子供たちに薬がない。生活物資の行き渡らないから、庶民の生活はあらゆる面で不便を長期に強いられている。経済制裁は戦争的事態の共生である。
 
 その後のアメリカなどのイラク侵攻、国民同士が血で血を洗う騒乱状態に陥った事実を知っているだけに、これら強度の経済制裁の意味がリアルに解る。
 
 イラク侵攻作戦の予備行動だったのだ。
経済制裁によって、国中を疲弊させ、政治経済を混乱させ、大量破壊兵器があると、口実をつけて、予定の侵攻作戦を開始した。
 
 国連決議に基づかぬアメリカの単独行動であった。
フランス、ドイツは参戦を拒否したが、多くの国はアメリカと行動を共にした。
 
 日本の小泉は多大な戦費を拠出すると同時に自衛隊を派遣した。
 
 国と国との国際紛争に正義などない。
 
これら紛争は支配層が自分たちの都合、利益を目指して、しでかすモノである。
 
しかし、国民は兵士として、現地で血を流さなければならないし、日本の様に多大な戦争費用を工面しなければならない。
こんなモノは事実上戦争に参加して、殺し合いを演じているのとなんら変わりはない。
 
 戦後日本は、平和と戦争に対する想像力が真っ当でないから、侵略者に巨額のカネを工面したり、腰ぎんちゃくになって行動することが、当たり前だと勘違いしている。
 
 >いづれにしても、これからの歴史のすう勢として、先進諸国の経済的プレゼンスは低下し、民主主義は金融寡頭制強化に置き換わる傾向にある。
 逆に、後発国の経済プレゼンスは拡大し、こちらの方は民主主義的要素が拡大する。
従って、この世界的不均衡が世界の軍事的政治的経済的軋轢の真の源だ。
 
 
>>究極の処、小沢一郎裁判もこうした歴史的趨勢の日本的現象である。
 
日本支配層は内外危機に対して、またしても、硬直した政治体制で臨もうとしている。
ただ今度は違う。アメリカのいいなりになる大戦略を支配層は決断している様だ。
その為には、小沢氏らが、いては邪魔なのである。
 
 現代史の教える処ではそういう、余裕のない国、と国民は結果として苦難を強いられている。
国民は気がついいたら、日米支配層にがんじがらめにされて、徹底的にむしり取られる立場に陥っている。
 
>>小沢関連捜査及び裁判は徹底した政治弾圧であり、政治裁判である。
第五検察審査会。あんなインチキどもにどうして強制起訴されねばならないだ。
裁判に名を借りた政治犯罪行為が目の前で進行中だ。
 
>>JR西元日本社長は尼崎脱線事故の多数死傷者の自己責任を検察審査会に認定され、強制起訴されたが、無罪判決が下っている。
私は脱線事故現場も訪れた。JR西には一杯問題があることも承知している。
事故はむごい、理不尽に尽きる。
 
が、それとJR西元社長の刑事責任を問える事とは別の次元の事である。
法には法の論理がキチンと確立している必要がある。自分たちの都合、利益で拡大解釈するのが支配者どもの常とう手段だ。
 
 この裁判を経緯を観察してきた訳ではないが、元社長有罪を立証する指定弁護士の告発は、垣間見ただけでも、幼稚極まりない。
拘束した関係者の次元の低い証言をそのまま、立証に使っている。
ある時、元社長が新幹線の中で部下に安全無視の発言をしたとかしないとかの、云った云わない次元が法廷に持ち出されている。
 
 この裁判は一体何をやっているのか、コレが果たして裁判なのか、と想った。
 
案の定、無罪判決だった。
法的に妥当な判断だろう。
 
 >被害者にはむごい事を云うようだが、裁判に訴える事は自由はあっても、その前によく考える必要がある。
勿論、検察審査会も選ばれた以上、情緒ばかりで判断するのを戒めて、ちょっとは法的専門知識の観点を勉強しなければならぬ。
重要案件では特にそうだ。
 
 元社長を訴えても、所詮、現行法の範囲では執行猶予付き微罪。
 
裁判に訴える事も行動だが、別の方法もある。
幹部の処にデモをかけてもいい。その他イロイロナやり方があるのじゃないか。
こちらの生身の行動の方がよっぽどシンドイ。妨害も出てくる。他人(弁護士)任せじゃない。所詮、弁護士はその範疇の人間。意思を持続する大変さも解る。
 
 >この件と直接関係がないが、まずもって、自分たちの力で身を削って問題を解決しようとしないで、何でもかんでも裁判で成否を争うという事は、結局、長い目で見たら、自分で自分の首を絞めている様なモノ。
支配層の主導する現秩序体制を協力に後押していると同じだ。