風がふくふく~ やけに吹きゃがると
風に向かって 進みたくなるのサ
>>昨日の記事を書く前、考えました。
今日の小沢さんの秘書たち3名の裁判について書く事が常道だろうと。
しかし書けなかった。
秘書さんたちは逮捕され、裁判を闘っている。
その人たちに向かって私の見解は余りにも無粋であろうと。戦っている者に対して不作法、失礼である。
自分のこの裁判に対する基本見解を書けば、身も蓋もない。
すでにその一端は当該3名の裁判において、裁判官によって検察調書の多くが不採用になった時点で記した。
楽観論はダメで、気を引き締めるべきだ、それが裁判を闘うモノの普通の姿だ、と指摘した。
反動的判決を出す露払い、バランスをとり、自己保身、の手口の様な気がしてならなかった。
誰でも考え付くつく手口である。
彼らはここぞと云う時に、支配層の利害をむき出しにした法匪の本性を現して、国家機構の力を背景に開き直る。
その本性が繰り返されてきたのに、これまたここぞと云う時に、マスコミは国家権力の側に立ちきる。
そのことを痛いほど、知っているつもりだから、裁判所やマスコミはずっと以前から信用しない。
ただ、当時の記事でそこまで書く意味はないと考えた。
そんな予想は戦っている人たちを阻害しかねない。
原理原則は以下の通り。おカネのこと=税金問題と国家権力の問題に妥協はない。段階論も現状分析もない。原理原則があるだけだ。
裁判所は所詮、国家暴力装置の構成要素だ。
かつて、60年代後半、時の首相佐藤栄作は吹きすさぶ街頭反乱に際して
警察、自衛隊、国家行政機構、裁判所がしっかりしていれば、何も問題はないと云った。
云い得て妙だと想った。
裁判所は支配層の利害が激しく問われるときには無慈悲な暴虐判決を繰り返してきた。
物的証拠など無視して重罪判決を下してきた。一部の人たちに国家暴力装置の本質が露呈しても、開き直ってきた。国家はで顔も個性もなく無機質で、冷たいシステムである。組織暴力を背景とした機構である。
国家の国民に対する政治的共同幻想性については詳しく具体的論理的に論じる必要がある。
それをやらないと、私の様な殺伐とした政治暴力に絞った実体論だけになるが、深入りして書いていく能力がない。
露骨にいえば、昨日の記事にコメントした人士の様な法治国家観の持ち主が増えれば増えるほど、統治者にとって、やり易いことはない。
現実の世の中にある強者と弱者、統治するものとされるモノの生の現実、実態に即していない悪い意味での抽象論である。
そういう単純な理屈を振り回す環境が整っているのは、先進国では日本「国民一般」とアメリカの宗教主義だけだろう。国民に潜在する普遍不満の解消は宗教になるしかない。
そもそも、何処かで聞いた様な事を書いているだけだと考える。
法律用語の使用も完全に間違っている。
実際のところ、巷ではそういう人が実に多い。
故に、こうした日本国民とマスコミを前提に歴史的曲がり角において、小沢さんへの政治弾圧、とんでもない反動判決がまかり通るのである。
彼らは本当の意味で支配層の支配に手を突っ込んで具体的に変えていこうしとしてこなかった。
支配層の支配を前提に割振られた役割を演じてきただけだ。
党派としての前提に問題があるから、結果的にそういうことにしかならない。
だから小沢さんや諸々の保守のヒトたが突出して支配機構の変成に立ち上り、政権交代が実現した。
その後の事態の進展にショックが多きい人もいるようだが、これまた前提が間違っている。大きな政治過程の進行は真っすぐでなく、複雑。
出発点からそういう保守的政治環境で政権は船出した。
鳩山小沢政治資金疑惑、普天間問題を官僚、検察、マスコミが一方向の政治目的で煽れば、結果は自ずから解っている。冷めた見方が根底になければ、目の前の事態に大騒ぎしているだけに終わる。
このように偉そうなことを書いている私自身が処世術として政治的言語の通じない相手とはその方面の話を一切しないことにしてきた。少数派に甘んじてきたと云われても仕方がない。
だが、これは政治ではない。
小沢さんたちの様に自分の強固な原理原則がを持ち、なおかつ多数派をこの日本社会のただなかで何が何でも目指さなければ、本当の意味で政治をやっている事にならない。
その他のプロの政治家に対しても、自分の限界をわきまえて、決して馬鹿にしない。
責任を持って政治家をやっていくのは我々の想像を超えるに大変なことである。
特に小沢さんのように自分で一党一派を長く率いて、方針を出し、結果を出してきた政治家の労苦は並大抵でない。
今回の判決。
日本は一番大切な曲がり角に達しており、大震災原発事故によって、その歩は早められている。
内外で政治の出番が求められている時に、法匪がのさばってきていると云う国民にとって悪いパターンの一大墓標となろう。
官僚どもは粛々と高級事務屋的に仕事をしておればよいのであって、余計なことはしなくてよい。
この裁判官の判決は典型的な法匪の突出である。
これからの難局を迎え、良い悪いは別として国家が目いっぱい問われる局面が多くなる。政治は混乱するだろう
しかし、官僚が支配層利益擁護の法匪になっては、国民は沈む。
多分、清朝時代のことわざじゃないか。最後は日本を含めた列強の餌食になった。
しかし、現在の日本の国、経済規模は巨大。決して滅ぶことはない。
が、日本支配層が国民多数をアメリカを筆頭とするグローバル資本の餌食に供する。
それでは日本国民があまりにも浮かばれない。差別排外の意味で云っているのではなく、日本の歴史伝統文化、国民の流した血と汗に則って、そう想っている。
日本の支配層は空疎な日本を煽ることで、自分たちの本心と本当に描いている絵を隠ぺいしている。
一時、外務省や経産省がネットで公表していた記事を見ると、彼らは国内資本の中小企業まで含めて海外流失を画策している。当然国内はどうなるか明白。税金をどうやって彼らからキチンと徴収するのか教えて欲しいモノだ。資本、法匪栄えて国民滅ぶ。
震災、原発事故で愛国騒ぎで現をぬかしている、間にそういう底流が進行している。
こうして社会を閉塞状態に追いやっているから、いつまでたっても、経済停滞から脱しられない。
翻って、韓国経済は問題はあるが成長している。
何なとかしたかったら、支配層が率先して国民の力を発揮させるためにも、国内に充満するの閉塞感を解き放たなければならない。
処がやっている事は真逆そのものである。
力で上から抑え込み、マスコミ洗脳によって、みんなまとまって何とかなるほど、今の日本、世界は単純にできていない。
日本経済が右肩上がりの時代、国民はカオスの中にいた。まとめようとする者もいなかったし、まとまるつもりもなかった、結果的にこの個別から発せられるエネルギーの総和が絶大な力になった。
窮屈な世の中を作っていたら、有能な若者は国を出ていく。当たり前のことである。
支配層の多くはもう自分の利益達成しか眼中にない、と云う処が本当だ。から文句は吐くが、後は野となれ山となれ。
原発村の論理である。