行政書士と云う資格にどういう特権が付与されているのか、そういう資格で現実に生活が成り立っていくのかどうかさっぱりわからないが、その程度の中途半端なキャリアのモノが支配層の巷の使用人として、率先して、内外の危機に遭遇している国家の立場から、その膝もとへの国民の帰依を煽り続けてきたことは国民国家成立以降の古今東西の歴史がリアルに証明している。
ここで彼が一々挙げた職業を列記しないが、要するに先の行政書士とかいう人の様な、巷の民衆とはキャリアでほんの少し区別された、まったく支配層に属さない小市民が、内外において危機に陥った国家を主導する支配層の政治方向に一体化し、その使用人として、その方向に巷で宣伝扇動、行動を激発させていく。
戦前と戦後、この政治構造に変わりはない。
差別排外と空疎なニッポン、チャチャチチャをメダルの裏表とした架空の平等性へのしがみ付に解消する盲目的衝動を持つ現在的社会病理現象的存在であろう。
例え、東日本大震災、福島原発事故と云う激甚災害が発生していない、と仮定しても、市場原理主義による日本社会経済アングロサクソン、ユダヤ化による、あらゆる分野での格差拡大の基調が継続する限り、上記の如き輩の蠢動は激化していた。
が、タイトルにある様な時代基調は継続している。
さらにもっと、強化する。
先進国支配層はそういう方向で生き延びる道を選択し、巷では多くの追随者が続出している。
日本の場合、政権交代が支配層のその様な政治方向への跳躍台になりかねない現状であった。
民主党政権の対応への拒否感も当然高まってきた。
支配層としては一貫した市場原理主義政策とその裏面であるくそな愛国心を煽ることでの進展している事態の隠ぺいの大方針を継続しているところに、さらに、大震災、原発事故を己の大方針をさらに広く深く急速に推し進める、絶好のステップ、ボードにさえしようとしている。
大震災、原発事故と云う歴史的緊急事態を自らの政治的経済的欲望を急速に実現する絶好期とみなしている。
市場原理主義とグローバル資本制と云う大枠を自分の足元を踏み固め、内外で徐々に変えていかない限り、先進国、先進地域の経済力の相対的後退と云う現実が、諸国中間層の没落となって現象する。
今、先進諸国で発生している国内政治現象を一言でまとめ上げると、拡大しない国内のパイの分配を巡って支配層と国民多数派が争闘している。
その争闘戦の中で云った維持運の立ち位置はどこになるのか?
歴史、文化、民族、国家、地域、職業、あらゆる方面からの思考を総合して自己の立場を明らかにする時代だと想う。
余計なイデオロギー的粉飾を排除して見極めたい。
一行政書士とやらや、内容空疎な日本を煽るモノどもが、支配層なわけがなかろう。
この日本の支配層の一員とは全く無関係な社会的立場のモノが、そうであるかのように振舞い、そういうモノいいをするほど、滑稽なモノはない。