反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

バブル経済を日常化し、恒常化し、制度化し、その中でしか生きられなくしている市場原理主義社会=格差社会、グローバル世界資本制の支配層とその使用人どもが煽るの国家主義。

 山本太郎さんを検察に告発したのは27歳の京都在住の行政書士とか。
行政書士と云う資格にどういう特権が付与されているのか、そういう資格で現実に生活が成り立っていくのかどうかさっぱりわからないが、その程度の中途半端なキャリアのモノが支配層の巷の使用人として、率先して、内外の危機に遭遇している国家の立場から、その膝もとへの国民の帰依を煽り続けてきたことは国民国家成立以降の古今東西の歴史がリアルに証明している。
 
 丸山真男の戦前ファシズム論には戦前の軍国主義を推進する支配層に呼応して、巷でそれを率先して煽り続けた個々の実体の職業まで指折りが数えるように、列記している。
そこには戦前の軍国主義の時代、治安維持法で拘束され、東大助教授になってから、軍隊の幹部候補となる道を自ら拒否し、陸軍二等兵として徴用された先のヒロシマ被爆した彼の怨念がこもっている様な気がする。
 
 ここで彼が一々挙げた職業を列記しないが、要するに先の行政書士とかいう人の様な、巷の民衆とはキャリアでほんの少し区別された、まったく支配層に属さない小市民が、内外において危機に陥った国家を主導する支配層の政治方向に一体化し、その使用人として、その方向に巷で宣伝扇動、行動を激発させていく。
戦前と戦後、この政治構造に変わりはない。
 
 ネットウヨは上記の職業的に区別された小市民層ではなく、格差社会において己の立ち位置さえ喪失した不安感を、
差別排外と空疎なニッポン、チャチャチチャをメダルの裏表とした架空の平等性へのしがみ付に解消する盲目的衝動を持つ現在的社会病理現象的存在であろう。
 
 例え、東日本大震災福島原発事故と云う激甚災害が発生していない、と仮定しても、市場原理主義による日本社会経済アングロサクソンユダヤ化による、あらゆる分野での格差拡大の基調が継続する限り、上記の如き輩の蠢動は激化していた。
 
 そうした時代基調の必然としてアメリカ、バブル経済の破たん、先進国は同時恐慌が発生した。
 
アメリカのオバマ民主党、黒人大統領選出、日本政治史上初の有権者多数が選択した政権交代は、両国国民多数の生活保守の立場からの政治選択だった。
 
 が、タイトルにある様な時代基調は継続している。
バブル経済を日常化し、恒常化し、制度化し、その中でしか生きられなくしている市場原理主義社会経済を主導する支配層」の主導性をあらゆる手段で、至る所から、後退させない限り、時代基調は継続する。
さらにもっと、強化する。
 
 先進国支配層はそういう方向で生き延びる道を選択し、巷では多くの追随者が続出している。
 
 日本の場合、政権交代が支配層のその様な政治方向への跳躍台になりかねない現状であった。
政権交代を選択した多数の国民が、その意味を日本政治の歴史的流れの中にキチンと位置付け、その積極的意義を確認し合わない限り、政治的アパシーが蔓延し、それが、支配層とその追随者の政治方向にとりこまれる。
 
 大震災、原発事故は政権交代を選択した多数国民の政治的分解の中で発生した。
民主党政権の対応への拒否感も当然高まってきた。
 
支配層としては一貫した市場原理主義政策とその裏面であるくそな愛国心を煽ることでの進展している事態の隠ぺいの大方針を継続しているところに、さらに、大震災、原発事故を己の大方針をさらに広く深く急速に推し進める、絶好のステップ、ボードにさえしようとしている。
大震災、原発事故と云う歴史的緊急事態を自らの政治的経済的欲望を急速に実現する絶好期とみなしている。
 
 市場原理主義とグローバル資本制と云う大枠を自分の足元を踏み固め、内外で徐々に変えていかない限り、先進国、先進地域の経済力の相対的後退と云う現実が、諸国中間層の没落となって現象する。
今、先進諸国で発生している国内政治現象を一言でまとめ上げると、拡大しない国内のパイの分配を巡って支配層と国民多数派が争闘している。
 
 その争闘戦の中で云った維持運の立ち位置はどこになるのか?
歴史、文化、民族、国家、地域、職業、あらゆる方面からの思考を総合して自己の立場を明らかにする時代だと想う。
余計なイデオロギー的粉飾を排除して見極めたい。
行政書士とやらや、内容空疎な日本を煽るモノどもが、支配層なわけがなかろう。
この日本の支配層の一員とは全く無関係な社会的立場のモノが、そうであるかのように振舞い、そういうモノいいをするほど、滑稽なモノはない。