反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

ウィスコンシン州マディソンの議事堂住民占拠の動画から。日本は民主主義国?

 昔から、反米なんて一回もやったことがない。近年書いているモノにその匂いがしてきているのは勉強不足、表現不足やら、エマニュエル、トッドの「帝国以後」の影響がある。
 世界に対するアメリカには反対するがアメリカ国民とは連帯する。
 中国共産党には反対するが中国国民とは手を結ぶ。
そうしなければ日本人はやっていけない事実がある。
 
 動画をアップされている熊木和枝さんには感謝する。
彼女の様な人があちこちに沢山いたら、日本も住みやすくなるのだが。
私から見たら普通の人に見えるが、世間的には違って見えるところが残念だ。
生活を楽しみながら、考え、発言し、気軽に高江ヘリッパット反対、アメリカ館デモにも参加される。
 偉そうなことを言ってはいけないが、彼女のような存在こそが市民の政治的成熟というのではなかろうか。
 
 高校時代、中西部から入れ替わりで数人の教師が来て、アメリカ英語を教えていたが、彼らの政治的立場のアウトラインは何となく理解できた。
 
 アメリカの中でニューヨークなどの東部、カリフォルニアの西海岸は例外地域。
本当のアメリカは中西部、南部にある、と何となくわかっていた。その方面の文学が好きだった。
中西部から来た教師の基本政治傾向は内政での対立点はあっても、外交分野では政府のやっていることを支持する、とハッキリと解りやすく主張する教師もいた。
 
 今回、州都議事堂を占拠している動画を見て、内政での対立と外交レベルでの一致という一般のアメリカ人の基本傾向は頭に置いておいた方がいいと思った。
 
 ウィスコンシン州ミシガン湖の西部に位置し、日本の約半分の面積の典型的な中西部の州。
有名な都市はミルウォーキー
 
 白人の総人口に占める%が多く、ドイツ系移民の血をひく人が今でも半分を占める。
ミルウォキーがビールで有名なのはうなづける。ここを本拠地にする大リーグ球団はその名もブリュワーズ。昔はそこそこ強かったが今は低迷している。
 グリーンベイという小都市ヲフランチャイズにするフットボール、チーム、パッカーズ、昔は強豪だった。
 
 ハーレー、ダビッドソンの本社もある。
ミルク生産量がカリフォルニアに最近抜かれるまでは、全米1位だった、という。
 
工業から、酪農、農業、文化スポーツ。アメリカが一通りそろっている、典型的な中西部の州である。
 
 興味深いのは、州出身の有名人の中にローラ、インガルス、ワイルダーの名があること。
 
そうなのか!NHKが昔、ずっと放映し続けていた「大草原の小さな家」の舞台はウィスコンシンだったのかと。
 (今書きあげて、「小さな草原の家」の舞台が同州との確信が揺らいできている。調べると解るがそのままにしておく。多分一家はもっと西の未開地に定住する。物語の舞台はそこだった?)
 
 あの物語は開拓時代のアメリカの素朴な農民一家の生活を描きながら、アメリカの民主主義、勇気、自立、自治の原点を歌い上げている所が毎回の物語の底流になっていた。
 ある意味でアメリカン、イデオロギーの原点を意識的に確認していくようなところがあった。
 
 が、今回調べてみると面白い発見をした。
 
ローラ、インガルス、ワイルダーウィスコンシンの開拓生活の物語りはドイツ系アメリカ人の人たちが主流をなす地域の精神風土によって生み出されたのだ、と。
 あの勤勉、几帳面、生真面目、コツコツ努力型の一家の生活態度は改めて再評価される。
あれはドイツ人移民の物語だった。
 
 そういう特殊性をワイルダーアメリカの原点として意識しつつ書きあげ、ベストセラーになった。
 
その原作をベトナム戦争敗北後のアメリカの動揺の中で、テレビ局がアメリカン、イデオロギーを再確認するという非常にイデオロギー的作業を狙って脚色した。
 
 ローラ、インガルス、ワイルダーの思想そのものは副島隆行さんがいうところの中西部のポピュリズムそのものである、様な気がする。彼女の娘は自立した知識人に成長し、作家になるが私なんからみても独特の保守思想を展開している。
副島さんは日本のいわゆるポピュリズム観は通俗すぎる、本当を理解していないと主張しているが、正解である。
 
 「大草原の小さな家」の様なところから発せられる東部エスタブリッシュメントとは異質な原点を持つ保守思想が本当のポピュリズムだと思う。
 
 今回の州都マディソン議事堂占拠には消防士、警察官も知事の組合つぶしの政策に反対して立ち上がっているという。
 そこには日本人の普通の政治感覚では理解できないアメリカがある。
 
以前からの主張。
 
 格差社会を日本でやるのだったら、それに見合った諸制度の民主化、個々人の人権、自由の保障をキチンとしろ!と。
 
 これをやらずに格差を拡大する政策を実行すれば、どうなるか?結果は余りにも明々白々だ。
それはムード的な事柄ではなく、具体的な一歩一歩の改革の問題である。
 
日本には本当のポピュリズムの原点が残念ながらない。自由民権運動はつぶされた。
 
 野心的政治家が上からポピュリズムを装って国民や住民を簡単に騙している。仲間割れを起こさせるような傾向の政治である。
 
 国民や住民の生活に根差した日々の中から出てきたもの、具体的な抵抗の中から生まれたモノとは言い難い。
 
 国民や住民の素朴な現政治アンチテーゼの噴出が野心のために利用されている。
もっと自分の足元を見て、ゆっくり全体の構造を見渡して結論を出してからの政治選択をしないと最後に敗北するのは国民となってしまう。