反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

わかちゃいるけどやめられない。ケセラセラ、なるようにしかならないが、シューシュポス的不条理葛藤の中で戦闘宣言。

ゆく河に流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
流れに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と住処と、またかくのごとし。
 
 朝に死に、夕に生まれるる、ならい、ただ水の泡に似たりける。
 
生まれ、死ぬる人、いず方より来たりて、いず方へか去る、を知らず。
また、仮の宿り、誰が為にか、心を悩まし、何によりてか、目を喜ばしむる、を知らず。
 
 
 祇園精舎の鐘の声  諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色   盛者必衰の理をあらはす
 おごれる人も久しからず  ただ春の夜の夢のごとし
 たけき者もつひには滅びぬ  ひとへに風の前の塵に同じ
 
 
 
  遊びせむと生まれけむ 戯れせむ生まれけり 
 
 
>今回の大震災。関西在住のモノとしてもイロイロ考えさせられる契機になった。
考えるだけに終わってはならない、とも思って実行しているつもりだ。
だから、ブログ更新が滞ってきた。
今後も時間不足のため、更新はたまにしかやらないつもりだ。
 
>いつもブログ記事を書くとき念頭に置いてきた事がある。
 
 現在は過去の集積、将来は現在の中にある。
だから、イロイロ講釈めいた話題にそれていくのが、当ブログの特徴だった。
具体性があまりない。抽象論が多すぎる。
おまけに誤字脱字だらけでもソノママにしておく。
 
 そういうことがあまり気にならない便利な性格だが、一貫して書いてきたテーマは「日本国民の敗北」。
これが結論だった。
確かに修飾めいたところはあったが、どう考えても、そこにしか行きつかなかった。
その場合、そこに到達する思考回路は記事には表現できなかったが、非常に具体的だった。
 
 
日本はいままで余りにも上手くいきすぎていた。
時代と環境に恵まれてきた。
これが一番の要因である。
 その中で大きな勘違いがあったが、勘違いがあったからこそ、ここまで来たということができる。
残念である。
 
敢えて踏み込んで書けば、今回の大人災も大きな間違いの集積といえよう。
 
 ウラン原子爆弾プルトニウム原子爆弾アメリカによって中核都市の真上に落とされ、余りにも多くの犠牲者を出した人類史上、最大とも云える体験をした国。
地球の地殻的変転の余りにもハッキリした境界線上に位置し、その影響をモロに受けてきた歴史のある国が、全国54か所に核爆弾もどきの原子力発電所を設置している。
 
 余りにも大きなパラドックスだ。
日本は世界中の心ある人々の前に醜態をさらけ出した。
何とかアニマルとの過去の蔑称の集大成が今、眼前にある。
 想像力、と本当の良心が欠けていた。
オポユニストの典型で上手く立ち回ってきたが、これからの混沌の時代。支配層の軽薄性が自分たちが生き延びるために多数派国民をグローバル資本に売り飛ばすことになろう。
 
が、修正は効かない。
 
歴史的な規模で生みだされたモノは、それ自身の生命力を持って暴走する。
 
 がんばれ、日本?
 
 嘘八百はやめてほしい。
また勘違いを国民にばら撒き、大間違いの出発点にさえしようとしている。
 
 天皇、皇后の都内に設けられる避難民のへの訪問が決定されているという。
悪いがあの人たちはこの際関係がないのに、また多数派国民を情に流そうと、
懲りていない。
 
 原発を全国54か所にも作ってくれと頼んだ覚えは一切なかった。
奴らがこんな恥ずかしいことに躍起になってきた。
一切の責任は奴らにある。
 
 大きな方向性の集積が今回の大人災を生みだしてきた、との方向からの反省はできない仕組みになってしまっている。
 
私の予測ではこの大震災を多くの日本人は政治的に自分の首を締めあげるような契機にしかできないであろう
悲しい性である。
 
各々にはよって立つ場所がある。
そこを大事にすれば、何とかなると思うが、個々人の意思を全体化することはできなかった。
だから、小さい単位に帰るしなかった。
 
それでいいではないか。 
 
 不条理の中の葛藤。
共同幻想的分母じゃない分子の部分を研ぎ澄ます。
個々人が具体的事実として戦っていくしかない。