反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

原発大災害。情報ゴマカシ、隠し、小出しの当局の責任がまず第一だが、情報の受け手の側の国民も初歩的知識不足との謙虚さが必要。

 当方、日常生活で新聞テレビから、情報を得る習慣がない。ネットから情報を得るということになるが、ネットはこちらから操作しなければ、情報を得られないため、どうしても自分好みの偏った情報を蓄積しがちになる。
この点を気をつけているが、どうしても独りよがりの勘違いを発信していると後で気づくことがよくある。
 
 やはり、トータルとして必ず、広範囲のイデオロギー誘導の明確なマスコミ情報ではあっても、そこから多様な事実を自分で再構成することはできる。
 私の場合、そういうマスコミ情報の自分なりの再構成の過程を面倒くさがっているし、アウトドア人間なのでテレビなどをじっくり見る時間がないということもあって、自然とマスコミを遠ざける結果となっている。
 
 ネット上の情報は気をつけなければ偏った情報しか自分の中に蓄積し続けることになりかねない。
現状の日本のネット情報はまだ情報の発信者の側に量と質が不足しているようだ。
 
 それならそれで、英語を読み取ることができるとその問題点は解消できるが、私なんかは込み入った英語情報を読み取る教養がない。
  だからこんな人間にとって語の真の意味でインターネットではなく、ジャパニーズネットに限定されているわけだ。
 自動翻訳なんかもPCを始めたころ使ってみて余りのデタラメぶりにあきれてしまった。ニューヨーク、タイムスのスポーツ欄の野球情報を自動翻訳にかけてみたところ、全く意味の通じない訳文が出てきてあきれた。
 いくら野球記事が専門用語にあふれているといっても、余りの直訳を羅列されると文章の意味さえわからなくなっている。なんだよ!これはとなる。
 その他の自動翻訳も野球記事よりましだが、いい加減なモノで読んでいて嫌になるからつい使わなくなる。
 
 前置きが非常に長くなっている。
 
私も間違ったことを書いていることが非常に多いとの自覚は指摘されなくても常に頭の片隅に置いている。
 
 謙虚さは絶えず、いる。
 論理的な批判には、キチンと答えるつもりはある。間違っていれば考え直す。当たり前のことである。
 
例えば、こういうことがつい最近あった。
 
 「きっこさん」の記事に「頭が悪い東電」の停電作戦の代替えに各利用者側のブレーカの容量をもっと下げてたら、停電しなくてもいい、という提案が載っていた。
 
 ブレーカの役割は突発的に過電流が流れた時(例えば電気のショート)や配線や各機器に負担をかける使用量オーバーの時、瞬間的に配電を止めて危険を避けることだ。
 
 「きっこさん」はオモシロイ方だから、その提案がどこまで本気で書いているのか判断しかねる。一種の彼女なりのパフォーマンスと私は受け止めるが、普段の記事で大真面目で理屈を連ねている「日々坦々」さんの様な
知識あふれる方が「きっこさん」の提案を真に受けてはいけない。
 
 普段書いていることの信憑性が薄れてきますよ、ということだ。
なんだよ!その程度の常識もないのか、となる。
 
 停電作戦の代替えに各利用者のブレーカ容量を低く再調整するということは、各利用者のブレーカを新しく付け替えるということ。この作業は資格のあるモノしかできない。
 また現状の各ブレーカの設置状態は集合住宅でも昔の木造アパートの様な単純なものでない。 
多分、東電区域の各ブレーカ付け替え工事が終わったころには、東電が安定供給できる体制を整えているのじゃないか。それ程手間のかかる膨大な作業。
 それから、容量オーバーで突然、電気が止まることと、何はともあれ、東電側が予告して停電することの様々なリスクを比較すると前者はマズイと当然なる。利用者側には様々な事情が想定されるわけで、突然の停電はまずい。
 
 要するにネット情報と云うのも発信する側の知識が偏在する可能性を常に秘めている、ということ。
ある面については詳しいが、別の面では常識的知識さえ持っていない個人がトータルな情報を発信している。この現状を踏まえなければ、偏った知識を頭に集積してしまうことになる。
 
 ネット右翼などこの際足るモノだ。ああいう方面に暴走した情報に取り囲まれていると、一種の妄想の類を現実に当てはめることになる。本人たちに日常生活において社会性が欠如していれば、目を覆いたくなるような偏見を是正する機会がなくなる。仮想現実に取り囲まれたモノは絶えず暴走する危険性を孕んでいる。
 
 敢えて言えば、「きっこさん」なども記事から察するにネットウヨとは全く違った次元だが、暴走的側面があるようだ。
 人間は十人十色。しかし、何も今回の事態に井戸水を軽トラに乗って汲みに行かなくてはならないようなところまで東京から避難する必要はないと思うが。
 
 小さな子供、乳児、妊娠している方も逃げたいのに逃げる場所がないという事情を抱えているだろう。
そんな方がまず、避難すべきで中年以上のモノは今すぐ東京から脱出する必要は認められないと思うが。
 
 確かに現状のママの延長線上では原発から200キロの東京でも今後、状況は悪くなる可能性が大きい。
しかしこの予測もあくまでも自分たちの少ない知識に立っての予測。悪く言えば、憶測の類、競馬予想をしている様なモノなんじゃないかな。
 
 自分の知識を信頼する半面、その欠陥も知って、人の話を聞く立場も確保する必要はある。
 
競馬予想なんてめったに当たらないよ。もっともらしく理屈づけられても、当日、ゲートが開いてからの展開は生身のモノ。騎手も調教師もそこまでは想定通りいかない、と知っている。
 まして馬券を買う側にとって憶測の範囲を出ない。たまに的中して儲かるのは運が良かった、と云うことだ。それが謙虚と云うか実際のところだ。
 
 今回の福島原発事故を競馬にたとえることの無理を承知でいえば、事故に対処している当事者たちにも先のことはある程度、想定できても、本当のところは解らない。
 何しろ人類史上未曽有の事態が発生している。
目の前の余りのも巨大な事態の進行にアタフタしているというのが本音だろう。
どうしても現場の状況の進展に引きづられている。
 
 太平洋戦争の転換点から負け戦が続いていった時と同じような対応をしている、と思えてならない。
事故対処している側も国民側にもその傾向がある。
 
 国民側が情報を開示せよ、と迫っても、開示する側にも先のことが本当のところ、現状把握さえできていない、勿論先のことも闇の部分が余りにも大きすぎる。
 
 国民側にも情報を受け取る用意がどれほどあるのか、と云う問題がある。
一旦、混乱に火がつけば、とめどがなくなるという危険性も抱えている。
「きっこさん」のブレーカの話を真に受けている知識ある方の様子をみると、そんな危惧をしてしまう。
 
 ホント!何でもかんでも知ったかぶりすることはよくない。そういう罠にネット利用者が陥りやすい。
また逆に一方的な誹謗中傷もマイナス要因になっても前に進めることにならない。
 
 みんなが強くなるということは自分の欠点も自覚した時だ。
 
>>こんな時は可能な方は普段通り生活することが大切。経済が回っていかなくては災害復旧もできない。何しろ日本は資本主義をやっているので、資本活動を保証できなければ、世の中が当面は回っていかない仕組みになっている。内乱内戦をやるつもりなら別の観点があるが、そうでなければ、日本経済の再生産過程を大災害時も維持することが肝心。そのためには、できる人は普段通りの生活をすることだ。
 
 先頃、プロ野球セリーグの先行開幕問題で揺れていたようだが、私の意見では開幕日をづらしたのは間違っている。やれる事はきちんとやる。これが大切だからだ。構えの問題だ。
開幕して、入場収入を義援金に回した方が良かった。
開幕をづらしたりするのは日本人の悪いところなんじゃないかな。みんなひと塊りになり過ぎる。
それでうまくいくときといかない時がある。
個々人の勇気、創意工夫が集まって全体の力になる時代に突入している。
 
 腹いせみたいに誰かを批判して、ことがよくなるはずもない。 
現状の日本の政治では誰がどの党が政権担当していても、今の政権と対応能力は大して変わらなかったという冷めた認識に立って、事を見ていく必要がまず、求められる。
システムの欠陥が激甚災害の傷口を広めた。
 勿論、責任の所在は明確にしなければならないが、システム自体をまず大一番に問題視すれば、単なる目先の政権批判だけにとどまらないはずだ。
本当のワルイ奴はその後ろに隠れている。
 
 日本に原発を一貫して呼び込み、積極的に推進してきたのは誰だ。それで最大限の利益を得てきたのは誰だ。
こいつらが本物のワルイ奴だ。
 そんな奴の正体を隠すために、動いている奴もいる。