福島原発事故作業現場の状況を一口でいえば、Aという事態の対処にはBという難問が避けられない。付随してCという難問も発生する。全部が出口のない円環構造になっている。唯一の出口は多大な犠牲を伴う。
今現在、マスコミが一時ほど仰々しく報じないから、小康状態を保っているように見えるが、これは水素爆発時より安定しているにすぎない。安定の意味はどうしようもない状態で安定しているの安定である。
日本のマスコミを通じた景色は小康状態だが、外国から見ると、事態は一向に好転していない、となる。
1号機の建屋内の汚染空気除去のため排気ダクトを設置し徐々に汚染清浄化がなされているような報道があれば、事情を知らない人は、作業の前進と気分的に受け止めがちだが、あの程度の作業は簡単で、ロボットで大方の作業ができる。
むしろ今頃まだこんなことをやらなきゃならないほど、現場はすさマジい、破壊と汚染があるのだと改めて感心する次第である。
>>想定として
NHKのテレビカメラを現場に入れて、長時間、編集なしで現場作業の1~4号機の進捗状況を事細かな解説付きでリアルに報じさせたら、国民は頭を殴られたような衝撃を受けるのではないか?
昨日、阿修羅サイトを見ていたら、3号機は核爆発ではないのか?などという今更ながらの、寝ぼけた記事が載っていた。
この程度のことは私でさえとっくの昔に記事で細かく取り上げている。
うるさ型が揃っている阿修羅でさえこの程度の遅れた認識である。
>>記事を書く前にイロイロと調べる。
そこから翻って、原発事故を引き起こしている東電の決算報告、株価、配当にたどり着いた。
>>其々、具体的数値をあげることは、この記事の目的ではないが、独占資本とは、大変楽な商売である、事は間違いない。濡れ手に粟と例えのごとし、だ。
単純な利潤率計算の分野で測れない、状況があるから、濡れ手に粟なのだ。
こういう濡れ手に粟の様な経営環境の会社は、条件がそろえば、とんでもない間違いを引き起こす必然性がある。経営者がどうのこうのだけではなく、それを取り巻く、政治、制度、社会環境が加味されて、条件、タイミングが合致すれば、大事故を引き起こす。
云うまでもなく、ここが儲けも大きいが、一番安全に配慮しなければならない、危険営業個所だった。
そこで悪条件がそろって大事故を引き起こしている。
こういう普段の企業活動で濡れ手に粟状態の会社は、それなりの社風がある。
>>社外環境が余程厳しく取り締まって行かなければ、独特の社風に流される。
全部だめだったから、原発事故は発生している。
初動対応に明らかな問題点があって、事故を大きくした側面が強い。
>今月中旬には事故調査委員会が発足するらしいが、専門技術屋は常識では考えられない様な嘘を貫き通せる感性を持っている、という点は一般に知られていないようだ。
生ぬるい対応にはシラを切りとおすことができる。
シロウトには解りっこない、という気持ちが底にある。
東電技術幹部も、同様だろう。現場作業員が誠実なわけでない。
もう一つは営業のように人間関係がよって立つ場でない。よって立つ場は技術であり、狭い範囲である。
従って、文字通り、一生(一所)懸命という気持ちになり、ウソをついても自分の狭い技術的立場は守り通そう、とする。これも本能に近い。
縦横の彼ら全部に特殊深層心理が働いている。だから原発村なんだ。
おまけに、東電の初動対応の決定的拙さには官邸や官僚の指導力のなさが絡んでいるから、政権側が事態の隠ぺいに回る可能性もある。
すでにその兆候は明らかである。
しかし、事故対策中であるにもかかわらず、東電や官邸、官僚のリアルな問題点を明らかにし、責任の所在をはっきりしなければならない。
ここを曖昧にしたら、多数派国民が東電救済=需要者側への負担やドサクサに紛れた増税策動に導かれれしまう。
現状では取り調べる側にも共犯者がいるような状態だが、なんとしても責任の所在はリアルに明らかにさせなければならない。
曖昧な漠とした不安感や一時の怒りは日本人の特質としてやがて沈静化してしまう。
対象を限定し、具体的な誤りを白日の下に晒す必要がある。
>その後。節電対策や増税問題まで調べたが、記事を読んでいる最中は、なるほど、と納得するが、よ~く、別の方角から、その意見を照射すると、一つの意見として承っておきましょ!程度の意見だと解る。
>しょせん、問題が大きくなればなるほど、今の日本には決定的な解決策はない。
>で、どうなるかと云えば、付けを多数派国民に背負わせることで自分たちの権益は守る、ということだ。
そのためにマスコミの洗脳力が必要で、
それに反抗するモノには力の強制とという古くて新しい手段が用いられる。
これらは日本資本主義の中核、安定企業である。
政権は日本資本主義を守る政権であり、政治員会に過ぎず、これらの資本蓄積構造に手を突っ込む事はできない。
>ということは、東電の後始末に国民の血税が注ぎ込まれる必然性があるということだ。
原発事故を引き起こし国民の生活と経済に打撃を与えた東電を被害者国民が必死で働いて助けなければならない。
>教条型の理屈は好きでないが、資本主義には原理原則がある。
>日本人は闇雲に働いて、自分の生活と経済に覆いかぶさってくる巨大資本という、それ自身が増殖作用を法則化した阻害物を育ててきたのだ。
>が、日本と世界にその環境はなかった。
世界は新帝国主義の時代に突入している。