反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

只今現在の現場の視点に立ち、白井聡「21世紀の<欲望>として再生するレーニンのユートピア」アントニオ、ネグリ「レーニンを超えるレーニン~解説。とジョン、ダワー「敗北を抱きしめて」~第二次大戦後の日本人~を読み解く。

引用 白井聡 21世紀世界の欲望として再生するレーニン

「重要なのはアレコレの特定の組織形態そのものではなく、創出された組織形態がその時々の「階級構成」が欲するものとか見合うものであるか否か、ということなのである。

 かくして適切に「組織化」された手段は、特定の「階級構成」を必然的なものとした階級闘争へと介入する。

階級闘争が資本主義社会の社会構成に先立つものであるとすればいついかなる時でも~~それがどれほど下火であるように見える時でさえも~~階級闘争は常に存在するのであり、その意味でそれは「自然発生的」である。

したがって組織化の任務は、いわば特定の「階級構成」からその源泉である闘争へと遡る(W。原文は遡行~そこう~)ことを可能にする。~W。「階級構成」の中身の大事な一コマ、一コマが現場闘争<現闘>ってこと。言い換えると<現闘>やらない組織拡大や選挙への横流しは組織と諸個人を空洞化、小理屈化,脆弱化させる

この<遡り>~思考回路の下向?上向?~は労働者階級が自らの「階級構成」を理解する(W。体感する身体化する)という意味でその自己理解を可能にするものであると同時に、

その<階級構成の破壊>~< >はW。形成や固定ではなく<破壊>しなければ解放はない~へと向かうこと、

すなわち筆者が2冊のレーニン論(未完のレーニン<物質>の蜂起を目指して)で強調したように

現存する社会の<外部>との出会いを可能にするものである。

 自然発生性的に常に存在する「搾取に抗する戦いは、ここにおいて発展を目指す戦い、すなわち搾取からの解放の諸条件の構築を目指す戦いにもなるのです。」←ネグリ引用~Wこのネグリ講義は1970年代。今と経っては短絡思考~

 つまり戦いは<外部>を志向するものとなる。

かくして「階級にとってプロレタリアート総体にとって外部的な意識こそが、労働者の意識となるのです。

 ひとことでいえば、労働者は労働者でありながら、労働者であるがゆえに、その意識において労働者でないものになる。←W。キーポイント!徹底的に外部に出て総覧し内部にかえる。Wは自分の意識を現場のたこつぼ状態に閉じ込め外部に出ていなかった。自分の限界を超えるのは経験を積んだ修養や聖者の領域(実際にその種の説明がされている)に接近することではな徹底して外部に出る思考回路の獲得しかない。!

このような逆説的な状況を現実化せしめることが、レーニン的組織の普遍的な任務に他ならない。

 ~してみれば、「組織化」を巡ってわれわれが課題とすべきことは、~~

創発することであり、レーニンの残したこの普遍的な教えを今日適切な形で具体的な意味において「組織化」する可能性は、我々の想像力に委ねられる。

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 白井引用は時間不足でここまでとする。

ジョンダワー「敗北を抱きしめて」上下~第二次大戦後の日本人~書名だけは知っていたが、大したものではないとやり過ごしてきたが、図書館で借りてきたまま放置して返却期限がとっくに過ぎたので返そうと思い、ぱらぱらとめくってみると内容の濃さとW好みの文化歴史論に重点が置かれているのでびっくりした。

なぜこんな深くて適切な日本研究ができるのだろうか?日本のアメリカ研究はここまで達していない、と唖然とする。

坂口安吾太宰治の項を最初にめくって驚愕した。日本の文芸評論家よりも適切だ。しかし、太宰治のような文学や存在をダワーは理解しかねているように思える。

 引用 ジョンダワー上P197

「太宰は、マルクス主義にも、アメリカ流の過激な変革にも背を向けていたから。「斜陽」で太宰が提出した「革命的」未来像なるものが非常に独特になったのは当然でありそれがいかにも太宰らしい点であった。~W。ダワーは講座派的日本半封建論<太宰の左翼時代はコレに基づく戦いだった>を熟知していないので太宰の愛と革命の立場が分からない政治革命への全面的失望は家族革命(一種の社会革命の契機になり得る)に向かう契機となり得る、とダワーは理解していない結局、日本の家族は先進国ではあった70年代80年代を通じた家族革命がなしえず、少子高齢化を急進展させた。アベのコロナウイルス対策の小中高校一斉休校は片親家庭に負担をかけるのは火を見るよりも明らかだがそのまま強行される。敗戦後の「斜陽」のかず子が私生児を生む決意をしたのは今では何も突飛なことではない。欧米では70年代、80年代の家族革命によって婚外子の割合が圧倒的に増えた。日本より先に少子高齢化社会を迎えた政府は片親家庭を制度的に支援したが日本は逆に専業主婦を社会保障や税制で優遇し低賃金過剰労働人口のプールに入れ以降固定した。

引用に戻る

「斜陽」の主人公かず子はけっきょく革命とは、「古い道徳」を破壊する反抗的な愛にほかならず~W。反俗日記、「姨捨太宰治記事参照。ダワーはここまで読み込んでいない!広い意味での日本思想史的作家太宰治の視点はない。~

革命は理解を超えた情熱であり、そうした情熱から来る悲しみでさえあると、取り留めもない言葉で語る。~W。太宰なりのヴ、ナロード。自分勝手なものであるにしても~革命と愛とは同じものである~W。ロシア、ナロードニキとの違いは彼ら流の革命への徹底性(反俗日記、一連の人民の意志党関連記事参照)は恋愛とは両立しない。~

かず子の場合、評判のよくない初老の恋人との私生児を身ごもり育てることを意味した。

 小説の締めくくりの手紙の中で、それが「私の道徳革命の完成」なのです、とかず子はかたっている。

 ~太宰の目的は政治ではなく感情を表現すること

それも被害者意識に浸ることが目的であった。

~~実際この小説はぞっとするような文章で終わる。それはかず子から無気力な愛人にあてた手紙であり、そこでは、革命を犠牲と同一視し、さらには犠牲を美と同一視していた。~W。ナロードニキの根幹は自己犠牲だった。ダワーはアメリカ的合理主義。革命に犠牲は必要でない。~

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私生児と、その母

けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きていくつもりで す。

どうかあなたも、あなたの戦いを続けてくださいまし。

>革命は、まだ、ちっとも、何も、行われていないんです。もっともっと尊い犠牲が必要のようでございます。

今の世の中で一番美しいのは犠牲者です。

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この一説は奇妙に感傷的であるだけでなく、自己を超える偉大なもののために犠牲になることの美しさを賛美した、かの戦時中のレトリックを思わせるものがある。

太宰の有名な作品の非常に多くがそうであるようにここには、「古い」日本と「新しい」日本の間をつなぐもの、すなわち苦悩に歪み、ねじれた連続性が顔を出していた。

~W。革命に挫折した太宰は旧来日本の家族を破壊し、個人の主体を確立しようと衝動したから、当時の日本の読者の一部に熱烈な共感を得た。個人の自律性がなかったがゆえに体制に翼賛しあるいは熱烈支持した。もっとも国民の側に情報不足があったが。ダワーは研究不足である。~

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参考資料。その1。実物は後で検索する。

現在の台湾には100以上のテレビ放送局がある(情報選択の自由の幅が大きい)、という情報を掲載したかったが、探す時間がないので割愛する。要は現在のキー局準キー局体制の中でしか選択肢がない状況では庶民は様々な意見を持つことは不可能になっている、という事実。コロナウイルス騒動を煽情的に煽っているが明らかに過剰反応が発生しているし、政府をそれを先導している。

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参考資料2。ダワー太宰「斜陽」引用。日本的立場で言えば含蓄のある文章である。

「革命をあこがれたこともなかったし、恋さえ知らなかった。今まで世間の大人たちは、この革命と恋の二つを、もっとも愚かしく、忌まわしいものと私たちに教え、戦争の前も、戦争中も、わたしたちはその通りに思い込んでいたのだが、敗戦後、わたしたちは世間の大人を信頼しなくなって、なんでもあの人たちの云うことの反対のほうに本当に生きる道があるような気がしてきて革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしんことで、あまりにもいいことだから、大人の人たちは意地悪くわたしたちに青い葡萄だと嘘をついて教えていたに違いがないと思うようになったのだ。

 私は確信したい。

人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。

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参考資料3.白井聡 21世紀世界の<欲望>として再生するレーニンユートピア

 

 レーニンと現代 この項は白井が2011年、チュニジアとエジプトからの革命のほうを聞きつつ、記したとしているが、およそ10年後のトランプアメリカの状況やその亜流形態でしかない今日のアベ政治のリアルな在り様を予言するものである。トランプを予想外の大統領に押し上げたのは没落した元中産階級、或いは没落の危機にある現中産階級である。アンビバレント、二律背反的な政治選択ではある。

ネグリが補論の中で取り上げているのは、革命後の代表的なテクストの一つである『共産主義における左翼小児病』である。我々の置かれている時代状況とこのテクストが執筆された状況は似ても似つかないからである。

>われわれ先進資本主義国の住民は、まごうことなき反革命の時代に生きており、<左翼小児病>患者に出会うこともない。

それにもかかわらず、次に見るレーニンの言葉は、我々の時代における困難の所在を正確に射抜いている。

 彼はプロレタリアの党の規律を強調し、プチブルジョア的な無軌道性、より一般的にはコミュニズムの実現にとって最大の障害となるであろうプチブルジョア的なもの一般との長期にわたる、したがって粘り強く続けなければならない戦いの必要性を強調して次のように述べている。

  レーニン

「階級を廃絶するとは、地主と資本家を追い出すこと、-我々は、これを比較的たやすくやり遂げたーだけを意味するものではなく、小商品生産者を廃絶することも意味しているが、彼らを追い出すことはできない。かれらをおしつぶすことはできない。

彼らと仲良く暮らしていかなければならない。非常に長期にわたる、斬新的な、慎重な組織活動に行って初めて、彼らを作り替え、再教育することができる(またそうすべきである)

~集中した大ブルジョアジーに打ち勝つことは何百万もの小経営主に打ち勝つよりも千倍も容易である。小経営主は、日常的な、日ごとの、目に見えない、とらえどころのない腐敗作用によってブルジョアジーに必要な結果、ブルジョアジーの復活を支える結果そのものを実現している。いくらかでもプロレタリアートの党の鉄の規律を弱めようとする(特にプロレタリアートの独裁の時期に)者は、事実上プロレタリアートに背いてブルジョアジーを助けるものである。」

 この件は本当に古臭いであろうか?

否である。ネグリは「レーニンのこのくだりは本当に素晴らしい」という感想を表明しているが、筆者はそれに賛同する。レーニンの定式は決して古びていない。

>今引用した一節の<小商品生産者>や<小経営者>といった言葉をフォーディズムによって黄金時代を迎え、今日急速に減少、没落しつつある<中産階級>に置き換えてみるならば、レーニンの云っている今日的なアクチュアリティーが浮かび上がるはずだ。

 先進資本主義諸国において、フォーディズム的蓄積体制の下で分厚く形成された中産階級は、賛美の対象であり続けた。それは政治的には「民主主義の健全な基盤」であり、経済的には「市場の堅調な成長の原動力」であるとされてきた(今もされている)。

 だが、この階級が没落をはじめ、そこへの参入できる人々の数が次第に減少しつつある中で、本当の問いが発生ざる得なくなっている。

すなわち、「民主主義」とはだれのための民主主義であり、「市場」とはだれのための市場なのか、と。

カジノ資本主義によって距離をむさぼる者たちや、規制緩和や民営化にハイエナのごとく群がって暴利を得る者たち、といった新自由主義のもはや見慣れた光景における登場人物たちの同義的失墜は、2008年の危機以来、だれの目にもすでに明らかになっている。その絶対数がたいして多いわけではないコレらの手合いを絶滅させることは、「比較的たやすくやり遂げ」られるのだ(もちろんまだやり遂げられていないが)。

>しかしながらそれをやり遂げたところでどのような光景が出現するのだろうか。

おそらくそのときには、次第にそれへの参入障壁が高くなるが、しかしそれでもなおかなりの程度マジョリティーであり続ける中産階級の集団とそこからはじき出された、あるいはその祖も参入できなかった、ますますその数を増大させる貧者の群れが表れであろう。

前者は、階級的な転落可能性に脅かされつつ自己防衛のために攻撃的になる。その攻撃性は、心理的正当化を苦意識に意図したイデオロギー的自己目的化として現れるだろう。「この船にはもうこれ以上の客は乗れないのだ!あなたにはこの船に乗る資格がないが私にはある!」~これが彼らの合言葉である。ブルジョアイデオロギー改良主義のある部分がほめそやしてきた「民主主義」と「市場」はこれらの人々のためにあるのであり、彼らは大ブルジョアジーイデオロギー(すなわち今日では新自由主義)に容易に同一化する。

 没落する中産階級の攻撃性この階級によって支えられてきた「民主主義」と「市場」の正当性を掘り崩し、それらを事実上排除のための機構でしかないことを白日の下にさらけ出す日は、さして遠くないであろう。

だが問題は、それでもなお有効であり続けるであろう、レーニンの指摘した「日常的な日ごとの、目に見えない、とらえどころない腐敗作用」にいかにして対処するのか、というところにある。

より具体的に言えば、中産階級に参入できないにもかかわらず、そのイデオロギーと同一化する群衆が必ず生じる(小泉郵政解散総選挙が示したのはその典型である)という問題である。

 中産階級の今日のイデオロギー新自由主義のそれである以上、中産階級イデオロギーと同一化する中産階級の群衆もまた新自由主義イデオロギーを奉じることとなる。そうなれば、新自由主義は少数の大ブルジョアジーにしか直接的な階級基盤を持たないイデオロギーであるにもかかわらず、それは社会全体のイデオロギーとなる。

「途を見つけ出す手がかりのために、ネグリのいう<自律アウトノミアW注>という言葉を挙げておきたい。

運動によって実践された様々な試みと相まって、この概念の含意は多様な者であろうが、今述べた現代のイデオロギーのアリーナの情勢にかんがみて強調すべきと思われるのは「自律」には「欲望の自律」も含まれているに違いないであろうことだ。

われわれがどのような生き方をする社会をどのように欲するのかということ、コレが筆者のイメージする「欲望の自律」である。

自律した欲望を持たない限り我々の欲望は中産階級のそれを漠然となぞるものである他ないであろう。

新自由主義の攻勢をはっきりと視野に入れた晩年のフーコーが唐突に古代ギリシアやローマへの言及を通じて「快楽の活用」や「自己への配慮」を語りだした理由も、おそらくはこのような文脈に位置づけられる。

 それは、<欲望の自律>がますます困難になる世界の中で<自律的に欲望する作法>~を今一度見出そうとする先駆的な試みであったように思われる。

 してみれば、やはり問題は欲望なのだ。

縮小する(おそらく日本では間もなく現在よりもいっそう劇的に)中産階級を羨望(せんぼう)、

とにもかくにもそこに入れてもらうことを望み、運よくそれがかなったならばあとは脱落しないことだけをひたすら追求するという生き方をするのか、

それとも、自らの、自分自身の<欲望の作法>を探し求め身に着けるのか。

どちらの選択がこの世界を変えることに結びつきうるのかは言うまでもないだろう

そうであるならば、われわれは「何をなすべきか」に刻まれたレーニンの文句に少々手を加えてこう言わねばならない。

「我々に正しく欲望する術を与えよ、しからば全世界を覆すであろう」

鍛え上げられた欲望が集団的に渦巻くとき、それはそのままわれらの党の基礎となるだろう。」

W注

引用

「フランスでも日本でもアメリカでもそうだったのだが、イタリアの学生運動が頂点で火を噴いたのは1968年である。翌年、トリノフィアットの自動車工場で大争議がおこって労働者も大きく動き、これが連鎖してヴェネチアのそばのマルゲラ化学工場のペトロシミコ運動などとなって、大衆的な反乱状況を現出させた。

共産党キリスト教民主党が手を組んだのである

ここがユニークなのだが、"反スタ・反カト"ではセクトに堕していくと判断し、「ポテーレ・オペラティオ」は1975年には自発的に組織(セクト)を解体し、労働者の自発性を重視する大衆的運動体をめざすようになったのである。ネグリはつねに新左翼セクトの党派性を求めるタイプではなかったのだ。これが「アウトノミア」(労働者自治)の運動の出発である。

アウトノミア運動のコンセプトはただひとつ、自治である。運動は一挙に高揚し、拡張していった。硬直体制化してしまった共産党の外部に多彩な活動を展開した。フランスでもそうだったのだが、イタリアでも自由ラジオを駆使し、工場や住宅を占拠し、まさにカルチャー路線から武断派までが入り乱れたネグリはすぐさまアウトノミアの理論的指導者ともくされて、『支配とサボタージュ』などの一連の政治文書を書きまくる。

そこへ1978年、「赤い旅団」による元イタリア首相モロの誘拐暗殺事件が勃発した。ネグリは「赤い旅団」の"最高幹部"として暗殺事件にかかわったとみなされ、4月に逮捕される。さらにモロ殺害容疑、国家に対する武装蜂起容疑、国家転覆罪容疑で起訴された。けれどもネグリは悠然としていた。1979年の再逮捕まで、パドヴァ大学政治学研究所所長として「国家論」を講義し、のみならずフランスのパリ第七大学やエコール・ノルマルなどでの講義も続けてみせた。このときの講義が『マルクスを超えるマルクス』になる。超難解だといわれた大著だ。
 逮捕されてからは、4年半にわたって裁判が開かれぬまま最重要警備獄舎に"幽閉"された。予防拘禁である。そのあいだ、ネグリスピノザ論として『野生のアノマリー』を著作したかとおもえば、1985年には突如として獄中から国会議員に立候補して、当選をはたしてしまった。これで議員特権による釈放を勝ちえたので、世間はその法を抜ける手法に喝采をおくったのだが、敵もさるもの、3カ月後にはすかさず議員特権を剥奪した。しかしその逮捕のために官憲が来る直前に(数時間前らしい)、ネグリはスクーターでまんまと逃走、さらに船に乗り換えて行方をくらました。あとでコルシカ島に潜伏してパリに亡命していたことが判明したのだが、本国イタリアでは欠席裁判のまま結局、国家転覆罪で30年の実刑になった。
 この間、亡命中のパリではとくにドゥルーズガタリとの親交を深め、パリ第八大学で講義をするほか、ガタリとともに「緑の党」の設立にかかわった。比喩的にいうのなら、ここで「赤」と「緑」が統合されたわけである。「ブールの大行進」もおこなった。ブールとはアラブ系移民第二世代のことをいう。2002年4月からは獄中を離れて指定住居に居住する"選択的拘留"の身になった。このときネグリは69歳だ。それから1年後、どうやらやっと自由の身になったらしい。モロ暗殺容疑は晴れたということなのだろうか。意外なことも判明した。そもそも「赤い旅団」はむしろネグリ暗殺を謀った連中だったのである‥‥。」

W.以下今のところ理解できないので省略する。ネグリ本で理解できたのは白井聡の解説だけだったが白井もネグリをあまり相手にしてなくて本人の持論を展開したのではないか。本文を読み込むのは時間の無駄。グラムシの政治思想への評論を寝る前にこたつに入って読んでいたが、良い睡眠導入剤になった。さっぱり理解できなかった。ネグリの論調に通じるものがある。イタリアの思想ってそういうところがあるのではないか。その他のものも今読んでみると一種の呪文に近いものがある。多分大きな課題の設定の仕方が間違っている。解っているのは本人と身近のものだけ。