近所の認知症見守りケアの基本方針を大転換した。
事情はやや複雑。
ヘルパーさんが入ったあとの時間帯に生活動作に通常を逸した行動が2度もあった。
Wとの関係は普通にやれていたのにどうしてこんなことが起こるのか。本人の逸脱した行動には理由があるとしてきたWは考えを巡らせた。
ヘルパーさんが入る日の朝、Wは朝食後の服薬をしっかりと確認した。
直後、ヘルパーさんが入った。この時、同室でヘルパーさんとかち合った。何の挨拶もしないし乱暴な態度がきになった。(女のヒステリー?)
ヘルパーさんが帰った後、かなり時間が過ぎて、訪れたとき、本人はベッドで睡眠中だったが、朝食後の薬が②包分なくなっていた。ゴミ箱に飲んでしまった証拠物があった。
3包誤飲!7錠×3=21錠!今まで一度もなかった異例の事態であった。身体のダメージを与える。
そして今週、別の日のヘルパーさん(これまでヘルパーは週2回掃除に来るだけ)と部屋でかち合った。Wを無視する雰囲気を感じた。
このヘルパーさんがヘルパー中にWが邪魔すると報告している本人である。一生けん命、利用者とコンタクトを取ってくれている人である。聞けば母親が認知症で、父親が介護している姿を目撃していたらしい。
この日、Wのいない間に生活費がなくなったという大騒ぎがあった。
帰宅後知ってびっくりした。近所の古い知り合いの奥さんが対処してくれた。今までになかった複雑なところにカネをしまっていた。
Wは後日この奥さんと話し合って、よくやってくれたと思ったが、このひとには相当な心理的負担感があったのか、カネはあったのかなかったのかの結論を聞く前の事情聴取に時間がかかった。(こういう事態が度重なってきたWの心情も当事者になればわかってくれると思うが、この人にも50万円云々の妄想被害が過去にあったらしい。ご主人から初めて聴いたが、カネにまつわる問題は症状出現の初期からあったのか。いずれにしても通常の場合よりも根深いものがある)
やはり、この日の混乱もヘルパーさんと部屋でかち合ったWが絡む光景も同じ。
本人とWとの関係でもめ事はなかった。思い当たる節がないが、何となく、Wへの悪感情を煽るようなヘルパーの言動に起因している、とおもった。
そして、昨日、この人のご主人と話していた時、本人の過去の言動をきいて全容がつかめた。人のうわさを気にする人は、本人がそういう話題を振りまく人である、とおもった。
要するに本人がヘルパーさんにWへの不平不満を相談事のようにしゃべる、それは全く構わない人間的所作なのだが、問題はそれを受け取る側。
その内容を、咀嚼しないでそのまま、Wへの悪感情に増幅させ、その結果、生活基本動作での異常行動につながった、とみる。
もともと、不安定なWとの絆を断ち切るような言動がヘルパー側から発せられたという推察が成り立つ。だから、2回分余計にクスリを飲みすぎたり、生活費を見つからないところに隠したりした。
対処法を考えた。
結論的に言えば、Wは身を引き、介護事業所に任すしかないと決断した。
もしかすると、介護事業所の判断では症状のこの段階ではWの手におえない。
なので自分たちが対応すると気をまわしてくれているという深読みもできないことはない!
確かにそういう段階にきていることも自覚する。だから、過去に見知っていた完全な服薬管理だけのヘルパーを頼んだこともあった。そういう制度はないと断られた。
ルーティンワークとしていたWからの朝夕の訪問を糸口とした、生活全般のサポートを停止し、毎朝夕、身体介護1(月と木は生活援助も含む)で入ってもらっている介護事業所に任せる。
Wのほうから、訪問しない、緊急事態や本人が訪れるときは対応する。
本人の状態は朝夕の身体介護1ヘルパーが30分入るようなものではない。
こうした介護プランを作成した経過も会談中のWとの売り言葉、買い言葉的やり取りの結果であり、熟考したものとは思えないが、とりあえず将来に備えて枠を確保したことは評価する。(今やれることは自分でやるという基本理念に反している。プライドの否定でもあるが)
洗濯、買い物はできる(IADL)、薬も失敗はあるが今はまだ自分で飲めるのに、服薬管理目的のためだけにヘルパーが毎日、朝夕出入りする。
Wのかったクスリカレンダーに一日の曜日一列に貼ることさえしないで、ヘルパーが引き出しに入れて飲ませている。服薬管理の仕事をしているという証がいるのだ。コレって事業者本位そのものではないか。
就眠が早く起床が早いので少なくとも7時30分には朝食を終える人が、9時過ぎに薬を飲ませるためにだけ来るヘルパーに合わせて服薬しなくてはならない。Wは気遣って今まで通り、すったリンゴをヘルパーが来る前に食べてもらっていたが、コレも中止せざる得ない。事業所がどうするつもりなのかわからない。
夕食後の薬は逆に早く飲ませすぎだ。
本人食事中、ひどい時には食事前に入ってきて薬を飲んでくださいと、なるらしい。こんな状態を聴くと、くすりは食卓の上に置いといて食後に飲むからといえば、とアドバイスする。
なんだか、事業所のスケジュール優先しすぎるし、こんなことを1年じゅうやって体は持つのかと気になる。
Wの経験ではヘルパーの煩雑な出入りが近所でも目立つ時期になると、その遅くとも1年半後には本人が居宅から姿を消す。
ヘルパーさんが入っているから在宅期間が延びる、ではないのだ、その逆の現象が起きる!
結果的に在宅を長く維持するよりも施設や病院に追い込むことにカネをかけているようなものだ。私宅に煩雑に他人が出入りすれば、気持ちが落ち着かなくなる。コレは人間の道理だ!その点、本人はよく頑張っている。ほんとうに尊敬に値する、と心から思う。
>いづれにしても利用者個々の持てる能力、個性と周囲の資源をリアルに発揮できる方法があるのに、やれないやらない。生活の質の向上を目指すという理念はどこに行った!
>そのためには手間と苦労が必要で、カネにはならない!
>意識的にやっているかどうかというよりも、そういう方法が常態化している。結果的に制度がうまく回っていなない。制度への寄りかかりが無意識にある。
業界の上意下達のたこつぼとたこつぼが互いに連携なしにことをなしてきて、それが皮膚感覚として訪問ヘルパー末端まで浸透している。
このような状況でWは邪魔な存在となる。
地域と制度の連携の理念はどこかに飛んで行ってしまった。やろうとすればできる。ただ手間と苦労、カネにならない時間も必要。
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>こういう既存の制度、組織体制の硬直化。原理原則、理念の骨抜きの縮図が人と人との本源的なところで凝縮され続けてきたのだが、それが弱者層という片隅での表れゆえに世間全般に見過ごされてきたが
>今回の新コロナ感染の政府当局のやり方に当然にもぴったりと一致した。
>介護福祉の分野での利用者第一主義の理念、原理原則がいつの間にやら事業所の都合第一、利用者の都合第二、に完全に転倒されている現状が、そっくりそのまま、この非常事態において国民全体の利益よりも既得権ヒエラルキーの都合擁護に転換された。
>まず弱い層から、<翼を広げた>既得権ヒエラルキーの都合優先が始まり、(露になり)国民全般に及ぶ。それは平常時はあまり露にならないが、ここというときにはっきりする。
>今から断言できるが、日本では欧米流の医療崩壊は起こらない、その付けは患者に回される。
理由ははっきりしている。この日本方式が守るのはこの非常時においても既得権益であり、その一部に病院が入っている。欧米の民主政は検査数拡大で病院を守らなかった。
>この辺の価値観に大きな隔たりがあるような気がしてならない。宗教も絡んでいるだろうが。
しかし究極的に病院とはそんなに至上のモノなのか?人間は死んでしまう存在である。しかも死ぬときは一人だ。
死者の数で感染症をカウントするのは歴史の役割ではあっても生身の只今現在の人間の所業としては最低の見地である。最悪のトリアージである。
死とは無になることだ。無常とは人が人であり得なかった中世の人間主義以前の生活原理だ。
>東日本大震災、福島原発事故は、適切ではないが日本、全体の事案ではなかった。
>2007年リーマンショックにしても、金融方面の危機にとどまった。
>がしかし、今回の新コロナ危機は日本全体の政治経済の支配秩序があらわになるときだ。
>さらに、日本が判例に取る欧米もガタガタになっている。
>となれば、またまた、精神論の登場だ。
日本は特殊な国論に頼るしかない。
新コロナ対策、日本方式!
市中の蔓延する感染者の検査へのハードルを高くして放置する基本方針を採用すれば、
(意識的に採用したというよりも時系列を丹念に抑えると成り行き任せ、なのだ)当然、コロナ感染による死者の総数は小さくカウントされる。死者の数は少ない=市中感染者、少ない、ではない。
なぜならば、市中感染者をあらかじめ放置し、医療崩壊なるものの阻止、言い換えると少なくカウントされた感染者の下で重篤感染者治療に限定された医療資源を投入する「戦略」を採用すれば、数字の上では死者は少なくなる。
民主政の本能は真実を知ろうとする。
欧米諸国がこれだ。結果、病院機能が混乱し感染者と死者が拡大した。
日本は日和見、成り行き任せに実態に目をふさぐ道を選んだ。結果、病院の混乱は目立たなかった。
二つの道の結果的可否はこの感染症の本質にかかわるところ、免疫細胞の記憶力獲得がどの程度、国民間に浸透するのかで、はっきりする。
>大規模に国民間に記憶力の獲得があるまで感染は低下傾向にならないとすれば、回り道をした日本方式は感染増加傾向が長引く、という結論に達する。
そういう風に仮定し中国のような強権方式ができないとなれば、
>日本国民の自粛力を頼みするしかないが、
>物流は止めるわけにはいかないので神頼みは所詮架空のものとなるだろう。
>それとも日本国民全体が巣ごもりするのか。しかしどこにどうやって?
というように考えると、
市中には自粛する感染者が多数放置され、菌がばらまかれ、感染拡大傾向はとまらずず、死者は増えていく。
こういう状況ではまず命を救うなどという言い訳、大義名分が今のところ成り立たない訳ではない。
>しかし感染拡大がずっと続き、それにつれて死者が増えるのだから、コロナ対策日本方式の全貌が分かり易くなり、その理屈の立つ瀬はなくなってくる。
本質的に人命軽視、民主政無し、成り行き任せ、既得権擁護、神頼みなのだ。
市中感染者は放置され、自粛の呼びかけを主とする対応、言い換えると国民に耐えることを要請され続けるのだから、そうした頑張りは、新コロナ感染の継続的右肩上がりの状態を、欧米諸国よりも長く続けることを意味する。
山中教授によればコロナが日本にだけ優しくするはずがない、とのこと。コロナとその対策の本質をついた名言である。(この文言は後にカットされているらしい。クルーズ船内の状況を明らかにした神戸大学の岩田教授と同じパターンだ。本質をついているから怖くなって削除した!カミユ「シューシュポスの神話」によればガリレオガリレイの地動説は死をかけるほどの価値のない科学的真理だった、ということだ。両名の議論は風圧に引っ込めるほどのモノだった。がしかし、地動説である事実はは普遍だ。)抜本的対策は先伸ばしにされ続けると、解決は長引くと考えるのが常識だ。
早めに戦って負けた軍隊は学ぶことができる。
>明治維新の前哨戦は長州薩摩の攘夷思想による黒船との先陣をきった戦いと敗北の結果にあった。
>戦わない軍隊は学ぶことができず巨大な敵と対峙し続け瓦解する。徳川幕府のやり方がこれだ。
自宅自粛する患者が増え続ける民主主義国ってあるのか?近代以前の社会ではないのか。
今の政府の主眼は道徳的自粛だが、
>やがて大多数の感染者国民放置に帰着する最悪の道と予測される。
>ということで
様々な意匠を取り払った今と将来の日本の素顔は、まさにホッブス的状況以外の何物でもない。
ジョンロックの国家権力の逸脱者に対する罰則規定や逆に抵抗権、革命権、あるいは合衆国憲法修正条項に記された、人民の武装権、権力行使の際の制約が完全スルーされているのだから、今とこれからの新コロナ情勢のリアルな姿はホッブス的状況というほかない。
ところが徹底的に自主防衛せざる得ない、と突き詰めたものが万人の万人に対する戦争の領域に至らないところがまた日本的なのだ。
>そういった最中でも非常事態の庶民の所作として
突き詰めていくと二つの道筋がある。
①政府に政策変更の圧力を加える。
②①の戦いの方向とひとまず縁を切って自衛「武装」の戦いの道を行く。
*バラバラの時代に両方を兼ねるのはリアリズムとして困難である。
>戦時は徹底しなければならない、身体的物的時間的余裕がないからだ。
>しかし、別々の道を歩んだ①と②は利害として融合している。結果的にそうなる!
>それぞれ得意な道を選択すればよいが、②の道のほうが個々のパワーが凝縮され発揮される。有史以前から受け継いだ厳しいサバイバル感覚がよみがえる。
*先日偶然に知り合いの人と話し合ったら、こういう時だからこそなのかその人はWが今まで知らなかった、政治信条を語ってくれた。
平時なら、自民党みたいな政治でもなんとか世の中が回っていくが、非常事態になると、自民党は国民全体の政治をやらない、といった。
今思うと第二次世界大戦の時がその典型だった。最前線の情報操作してだましていたのだ。
>日本の政治経済機構は長期デフレの中で動脈硬化をますます悪化させた。今必要なフレキシブル性が全くない。
欧米方式の対処か中国方式かと極論すると
日本方式というのは確かに今ここある。感染の実態ではないが出現過程は成り行き任せと居直りであるにしても防御方策なので無視することはできない。
その結果は予測できる。
>感染状況増加傾向は先伸ばしにされ長引く。その途中で必ず強制力のある法律が必要となってくるだろうが伝染病の法令の解釈でやることもある。
1か月後の6月、初夏が目安になる(温度上昇によって対外排出菌の生存時間は短縮されるかのうせいもある~金属。プラスチックの表面3日間、~)ただし、窓無しエアコンなので厳しい。緊急事態法の期限である連休明けなどヒトモノが動いて感染している状況の抜本的規制はなし、すでに市中感染が蔓延しているのだから止めようがなく論外。
重症で病院のベットに長くいると回復に手間取る。一番保守的な方法をとった国が一番ダメージを受ける。感染以前の経済状態も良くなかった。
他国がケインズ的財政金融出動をやっている時期に、消極的方策に留まれば、他国のとの関係でバランスを失し、経済の過剰な疲弊が生れる。
戦前、1920年代から緊縮財政から高橋是清財政出動までの道程(満州国など東アジア侵略軍需、前提)は当時は伸びゆく日本という歴史条件があったが、今は新興勢力台頭に悩み経済力低下する日本という縮小局面の状況という巨大な違いがある、
財政状況を直視するとここ一番の出動に躊躇するジレンマ。長年の政策失敗の付けがこういう世界的異常事態の中で爆発的に出てきた。
プラザ合意受諾後の日本を振り返ってみるとツキにも完全に見放されている感がする。
まさに狙い撃ちにされていえる感がするが自民党長期政権の選んだ道だったことも事実だ。W流に言えば戦前戦後を通じた歴史的後退なのだ。日本の恵まれた条件はなくなった。東日本大震災、福島原発事故止まりにしておけばよかった。オリンピックにコロナパンデミックが重なるとは何たる不運!しかしオリンピック東京開催は未必の故意でもある。