北海道日本ハムファイターズ、新庄剛志新監督就任以降、ネット方面では関連のニュースが出回っている。Wも何かそこに斬新なものを求めて、一杯記事を読んだ。
過去の記事で日ハム札幌ドーム運営権問題を取り上げ、その際には、サッカーコンサドーレ札幌との本拠地共有問題について、野球グランド⇔サッカーグランドへの転用時の大掛かりな、グランド<移動>整備問題を具体的に検証した。確かにあのような大掛かりな転用をこのままズット続けるわけにはいかない。野球選手のコンデション維持にも影響してくる。運営権の問題は何か日ハム側の虫が良すぎる感がした。骨のある自治体は断る。札幌ドームは大阪ドームや横浜スタジアムとは事情が違った。
以上を勘案して折り合いがつかなかったら日ハム側が出ていくしかないと、結論付けていたら、かなり離れた郊外に開閉式のドーム建設中としって、大したものだと感心した。ただしコレは経済的リスクを伴うことも確か。この記事を仕上げてから編集している言っ時点の感想を言えば、新ドーム建設決定、着工のころより、日本ハムファイターズの球団運営、チーム事情がそれ以前と違う段階に至り、球団経営側に力みが生れ、それがヒトの要素満杯の現場の事情にない成す要因として働き続けた、と考える。
注目のドラ1高校生指名は素人ながら無謀に思えた。素材が悪すぎ育てようがない。
反面、今年の大海さんは大当たりだった。言行一致の魅せる素晴らしい投手だが、その活躍を予測できたことに感心する。
おそらく、日本プロ野球2リーグ分裂以降、大毎(大映永田オーナー)が東京球場を荒川区南千住に新築したことに端を発し、ダイエーが福岡ドームや周辺の整備して以来の巨大設備投資である。
前者の東京球場は球場込みの引き取り手がなく、廃墟放置から解体更地になった(兵どもの夢のあと!)系譜から言えばファイターズの前身のはず。
後者はソフトバンクが引きついだ。ダイエーの中内さんは高度経済成長時代の消費革命の寵児だったが、孫さんはグローバル資本制の日本における先駆け的存在だった。ダイエー的不安定要素もあるが。
>今回の日ハムの巨大な設備投資の行方がどうなるのか?
>2005年以降のMLB的フロントシステム導入の成果と限界のなかで発生した中田翔暴行事件の顛末をMLBの暴行事件への対処を横にらみに、先進的なMLB方式を踏まえた日本的なフロントシステムや現場マネージメントはどうあるべきか、を最終結論として考えていきたい。
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W。収集した参考資料多数を列記する。
1 https://javelinmitsu.com/yoshimurahiroshi/
日ハムの前進を生み出してきたフロントの経歴
W.注目点をピックアップする
1999年から3年間デトロイトタイガースのGM補佐などを3年間務める。
>Wの記憶では当時のデトロイトタイガースは阪神タイガースと業務提携していたはずだ。
↓ ↓
で、経験と知識をもって帰国すれば、こういうことになる。
2002年から阪神タイガースの総務部に3年間在籍
このヒトは元々スポーツ紙の記者。阪神タイガースに取っ掛かりを掴み業務提携先のデトロイトに行った、とみなすことができる。当然、帰国後は阪神タイガースのフロントに努めるが、肝心なことは
>このころの阪神がどういう状況にあったかだ!
1984年 安藤統夫 4位
1985年 吉田義男 1位
1986年 吉田義男 3位
1987年 吉田義男 6位
1992年 中村勝広 2位 準優勝なる用語を編み出した。新庄剛志、亀山つとむ。ヤクルト僅差優勝。
1998年 吉田義男 6位
1999年 野村克也 6位⇒W。この時にY氏はデトロイトへ留学。GM補佐などを経験。ポット出にできるわけがない。阪神は野村を選んだことによって自ら変わろうとしていた。
2000年代
2000年 野村克也 6位
2001年 野村克也 6位
2002年 星野仙一 4位⇒W。Y氏帰国。今の阪神ファンの中核はこの強い阪神時代に形成された。阪神の球団経営戦略がそれまでの巨人戦依存のスタイルから元々あった関西マスコミ地域密着型+甲子園と球団史をプラスした全国性をさらに目的意識的に追及し、あっと言う間に成功した。
Y氏の日ハム北海道球団経営戦略は阪神時代に体験した事を形振り構わず徹底したもので、人気のないデトロイトタイガースの必至のやり方にまねたものと思われ。。
2003年 星野仙一 1位 たった一度の準優勝以外15年間見事にAクラス維持。
2004年 岡田彰布 4位
2005年 岡田彰布 1位
2006年 岡田彰布 2位
2007年 岡田彰布 3位
2008年 岡田彰布 2位
2,
日本ハム日本一の陰に吉村GM有り 共闘3人が語る - 野球 : 日刊スポーツ
3 このヒトは食肉業界、日ハムに就職した人で日ハムが主導するセレッソ大阪社長経験者。ここで抑えておくべきことは、楽天もJリーグ所有。パ・リーグ経営資本は経営体力があるということ。
4 この記事のコメント欄を読み込んでいた途中で今回の連載記事の着想を得た。
新庄ビッグボスはどう思う? 日本ハムが西川、大田、秋吉を自由契約選手に 来季の契約提示せず(東スポWeb)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
5,暴力事件現場や試合前円陣差別事件のYou Tube映像や具体的な内容を記した記事は「反俗日記」に載せないことにした。
他人の心を傷つけたりスキャンダラスな方向に流れるのは反俗日記の趣旨に反する。人はみんな死ぬ、失敗する。偉そうなことは云えない。
>ただし、大きな疑問点がある!
>あの円陣はいじめを含むどうしようもない内容であったが、動画にアップしたのは日本ハム、広報の公式サイトに端を発するのもであり、これを見た視聴者が「あまりにもひどい差別問題」だと指摘しだした経過がある。
@日ハム広報はこの円陣動画が差別を含むどうしようもない内容だと認識し、告発をするつもりでアップしたのか、それともコレが日ハム普通の試合前の円陣くらいにしか認識していなくてアップたのか!
@結果的にこの円陣で声出しをする新人選手に牢名主のような態度をとった含む数名は移籍、契約時のバイアウト措置になったが、同調者を処分すれば野手の主力がいなくなるのではないか。お山の大将には追従者がいる。立て直すには星野仙一的劇薬がいる。現場の新庄やヘッド山田さんフロントの稲葉さんでは無理なんじゃないかと思う。本部長は成功体験の柵から抜け出せない過去の人だと思う。会社プロパーの人でないので新球場を横にらみに成績不振が続けば、進退を掛けた責任問題が発生する。
天才みたいに云うヒトがいるが、この事態を積極的にしか型のであれば、本当の意味での策士。ま、MLB流+阪神地域密着型を北海道で実践した稀に見る人物にしか見えない。ヒトモノカネに力のあるパリーグ球団の中で勝ち抜いていくというのも厳しい。
6,一理はある。日本的な手続き、禊、の問題を提出している。
中田翔 巨人移籍で日ハムに言いたい!中畑清のモヤモヤが爆発【キヨシの超本音解説】 - YouTube
7,MLB一流選手=良いヒトではない。人によって基準は違う。単なるスポーツエンタメ職能人(監督でさえ)。野球を離れたボランテァ活動など側面を評価する賞を特別に設置している。職能性と人間性を分離する大人の考えがある。
>プロスポーツで大金を稼ぐ人なんて人間性が普通でなくなるのは当たり前だろう!
なお、アメリカは銃規制の緩い、暴力的風土の国家。文化習俗(アメリカ個人主義変な考え方の人いっぱいいるよ~、日本は集団主義。MLB選手同士も個人主義的関係、上下関係は薄い。監督と選手関係も日本とは異なる)の違いも大きすぎる。
だから、MLBの対処がNPBに受け入れられるかといえば違う。日ハムの対処は、日本野球特有の上下関係の中で発生するいじめ的問題に対して日米の段差をドライに消去しようとした側面もある。吉村GMの限界ちがうかな?(謹慎⇒巨人即トレード。ただし日ハムでは中田は無理な状況。日ハムは今後、暴行事件はなくてもまた同次元の問題は起こる。球団経営方針がアメリカ流儀だ。気やの大地にMLB流の球団がある。
中田翔の暴行騒動はMLBだったらどうなった? ボンズやラミレスらの“有名事件”を例に考える | THE DIGEST
引用
「2019年9月にはパイレーツでこんな事件が起きた。クラブハウスでかける音楽をめぐって、クローザーのフェリペ・バスケスと中継ぎのカイル・クリックが殴り合いの喧嘩に発展。結局、後者が右手人差し指を骨折し、残りシーズンを欠場する羽目になった。⇒W。パイレーツはナ・リーグ中地区底辺を続けている。
言うまでもなく「みっともない」の一言に尽きる一件だ。だが、いずれも球団から特に処分は受けなかった(というより、直後にバスケスが児童性的虐待で逮捕されたため、それどころではなくなった)。
この手の事件はMLBにおいては、かなりの頻度で起きている。そのため、しばらく経てば忘れ去られてしまう。だが、なかには今も多くのファンの記憶に残っているものもある。
その代表格が、2002年に起きたバリー・ボンズとジェフ・ケント(W。新庄選手SFジャイアンツ在籍時、リーグ優勝。ケントは白人至上主義者。)という2人のスーパースターによる試合中の大喧嘩だ。
ともにMVP受賞者で、ジャイアンツでは3、4番コンビを組んでいたボンズとケント(W。殿堂入りを狙う大選手。2塁手のHR記録保持者)は、犬猿の仲でも有名だった。派手なプレースタイルで"オレ様"ぶり全開のボンズと、自他ともに認めるオールドスクールのケントはまさに水と油の関係だったのだ。
事件が起きたのは6月25日。試合中に守備でミスを犯したチームメイトをケントがダグアウトで叱責しているところに、ボンズが割って入り、激しい口論に発展。小突き合う2人の姿はテレビカメラにもしっかり収められた。
当然、メディアでも大きく取り上げられたが、当時のダスティ・ベイカー監督は「こういうことは大抵、強いチームで起きる。弱いチームはいつも馴れ合いだからね」と涼しい顔。2人に何の処罰も下さなかった。⇒W。パイレーツのケースとは次元が違う。
ベイカー監督の言葉通り(?)、チームはこの年、サンフランシスコ移転後44年目にして初のリーグ優勝を達成。試合中に公衆の面前で揉み合ったのは、大人げないとしても、その後の対応は大人そのものという不思議な一件だった。
ボンズとケントの事件から遡ること10年前には、シンシナティで監督とクローザーがクラブハウスで大乱闘を繰り広げた。
当時、シンシナティ・レッズのクローザーを務めていたロブ・ディブルは、100マイルに迫る剛速球を武器としていたが、コントロールも性格も大荒れで、何度となく乱闘事件を起こしていた"札付き"。一方のルー・ピネラ監督も瞬間湯沸かしとして有名だった。
ある試合でディブルを起用しなかった理由を報道陣に聞かれたピネラ監督は、「肩が痛いと言っていたから」と回答。その直後、ディブルが「そんなことは言っていない」と反論。面子を潰された指揮官は激怒し、報道陣の面前でディブルに襲いかかったのである。周りにいた選手たちに引き離されるまで、ピネラ監督とディブルはプロレスの場外乱闘さながらの揉み合いを続けた。
翌日、2人はオーナーのマージ・ショット女史に直接謝罪(このショット女史も、ヒトラーを称賛する発言をはじめ数々の放言で知られた人物だった)。特に処罰は下されなかったが、ピネラ監督はその年限りで辞任した。
ディブルとピネラ監督の一件は、トラブルとはいってもどこか笑える要素がある。だが、レッドソックスの主砲として活躍し、ユニークなキャラクターでも人気を博したマニー・ラミレスが起こした事件は趣が違う。
08年6月にクラブハウス職員に関係者用チケットの手配を頼んでいたラミレスだが、手に入らないと伝えられて激怒。チームの古株で、当時64歳になっていた職員を突き飛ばした。
ラミレスはすぐに謝罪し、球団からも特に処分は下されなかった。ただ、気まぐれだがどこか憎めないキャラクターだったラミレスの"ダークサイド"に多くのファンがショックを受けた。騒動の1か月後、ラミレスはロサンゼルス・ドジャースへトレードされるのだが、この一件が遠因になったと言われている。」
W。現職大統領のアジ演説で鼓舞された大集団が開催中の国会議事堂に突入する国柄。
W。野球界で適者生存の仕方を徹底した野球観や方式を日本でストレートに導入すれば、他球団の先を行けることは確か。しかし、そこで問題が発生する。過去の実例では外国人監督導入は半分ぐらいは短期間で実績を得ている。
8
W.MLB。韓国、台湾、海外野球の(独立リーグも含めて)経験値は新庄の比ではない。
高津臣吾「二軍監督の仕事 育てるためなら負けてもいい」感想 | まぶたはともだち
高津臣吾 2020ヤクルト 高津流スワローズ改革! 第4回「二軍監督を経験した強みは 一軍指揮にどのようなプラスをもたらすか」 | ビジネス | アルファポリス - 電網浮遊都市 -
池山隆寛二軍監督との連携
引用
「高津 さっきも言ったように、会社員でもプロ野球選手でも、どんな仕事でも「働きやすい職場、やりやすい環境」が本当に大切だと思っています。それは、一軍もファームも一緒です。僕自身もやりやすい環境が必要だし、選手たちにもそういう環境を与えたい。それはファームの選手に対しても一緒です。そのためには、池山二軍監督とは密に情報を共有しています。とは言え、現実的にはさまざまな難しさがありますけど。」
「
――実際に、高津さんが二軍監督時代にはブルペン捕手を急遽、支配下登録するなど選手不足に苦しんだこともありました。
高津 僕がファームの監督だったときに選手不足に苦しんだことは確かにありました。それでも、二軍監督としては「わかりました、大丈夫です」と言うしかない。今度は自分が一軍監督となって、池山さんにそういう思いはしてほしくない。その思いは強いです。これは、自分が二軍監督を経験したからこそ、強く感じていることだと思います。
――では、「環境を整える」ために、一軍監督としては何をしたらいいのでしょう?
高津 常にフルメンバーで戦えるようにすることです。スワローズの場合、支配下、育成選手が潤沢にいるわけではないので、選手が一人欠け、二人欠けると、そのダメージは他のチームの何倍にもなるんです。現実には不測の事態による避けられないケガ人も出るわけだから、ただの理想論なのかもしれないけど、できるだけ全員がグラウンドでプレーできるようにしなければならない。
――そうなると、選手のコンディショニングがとても重要になってきますよね。
高津 そうです。たとえば、練習量を減らすことで防げるケガもあると思うんです。これまでの経験から言っても、実際に「練習量を落としていれば……」とか、「どこかで休養を与えていれば……」と思うような故障もあるんです。疲れがたまっているときに無理やり練習することは必ずしも正解ではない。それは肝に銘じています。担当コーチにも、トレーナーにも、しつこく言っていますし、選手のコンディションについては、僕自身も常に目を光らせています。
――ペナントレースでも、ベテランの青木宣親選手、坂口智隆選手に休養を与えつつ、若手選手をスタメン起用する試合が何度もありますね。
高津 選手によっては、休憩、休養が必要な選手は絶対にいます。ケガ人が減るためならば練習量は減らすし、離脱者が減るのならば休みを作るのは全然アリだと思います。ただ、現状では想定外の故障者が出ているのも現実なんですけれど……。
9
引用
「1969年3月27日 - )は、秋田県北秋田郡鷹巣町脇神(現北秋田市)出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。オリックス・バファローズの監督。
1987年(昭和62年)に阪急ブレーブスへ入団してから、西武ライオンズ・横浜ベイスターズ・北海道日本ハムファイターズでプレー。日本ハム時代の2007年から2015年まではバッテリーコーチを兼務していた。(W。2003年~2015年日ハム現役選手。その間にコーチ兼務。ヘッドハンティングされてオリックスに帰った。日ハムの球団運営、現場マネージメントはハイクオリティーだった!!)
2015年に現役選手としての一軍実働年数が29年に到達し、工藤公康と並ぶNPB最長記録を達成」
現役引退後
>引用
「2016年、日本ハムのチーム統括本部としてゼネラルマネジャー特別補佐に就任し、日本ハムの業務提携球団に当たるMLBのサンディエゴ・パドレスに派遣[12]。アメリカへの滞在中には、コーチとしてマイナーリーグの傘下球団を巡回する一方で、外国人選手のスカウティングにも携わっていた[13]。
2018年、日本ハムの一軍バッテリー兼作戦コーチとして3年ぶりに現場へ復帰した[14]が、シーズン終了後の10月19日に退団。
2019年、オリックス・バファローズの二軍監督に就任[15]。ブルーウェーブの捕手時代にバッテリーを組んでいた小林宏二軍投手コーチと共に、榊原翼やK-鈴木などの投手を一軍に定着させた。
2020年、二軍監督を務めていたが、一軍監督の西村徳文が8月20日の対西武戦(京セラドーム大阪)終了後に辞任したことを受けて、翌21日から一軍監督代行に就任。この異動に伴って、二軍投手コーチの小林が二軍監督代行を務めている。シーズン終了後の11月12日、一軍監督に就任。
正式な監督就任初年度となる2021年にオリックスの25年ぶりのリーグ優勝を果たす。阪急・オリックスの球団史上、チームで選手としてプレー経験のある監督がリーグ優勝を達成するのは中嶋が初となる。」
引用終わり
予想
新庄監督はいばらの道。
長いブランク、外から野球を見た経験も足りない。現場の勘が鈍っているのではないか。セリーグなら何とかなるがパは相手チームが強い。
投打に選手が足りない。長打力不足。打では若い野村。外国打者で余程優秀な人材を見つけなければ下位低迷。投では伊藤大海。アマチュア時代から動画をアップしており、探求心旺盛。進学先に駒澤大学ではビジョンが描けなくて中退、浪人し地元の大学への球歴も一過言アリを証明している。よく1位指名したものだ。キレのある変化球を投げ球威制球力もある。2021年五輪出場。最後まで故障なく投げ切った。宮城投手と新人王争い。いずれにしてもチーム成績は期待できない。
スイングは日本向き。バットに乗せて運ぶ感じ。メジャーAランクの速さに達していないとみる。打者としては筒香の最盛期の方が迫力があった。メジャーの外野なら打つ方では普通の選手。しかし、選手不足のMLBでは需要があるが、コロナ渦で経営体力をなくした球団も多い。金満球団の評価次第で契約金は決まる。
ヤクルトが1つ2つ勝てれば御の字。
ヤクルトは先発投手陣が手薄。奥川は未知数(奥川こけたら皆こけたになる可能性大)だが、2番手の左の若手程度のストレート程度では、パ打者は苦にしない。CSではスライダーのコントロールはイマイチ。ということで狙い球を絞られて撃ち込まれる。それ以外の先発投手は平凡で勝ち星が計算できない。
打撃陣も塩見以外はCSでは調子が良くなかった。外国人打者もシーズン中の元気がない。
オリは投打とも柱が何本もあり実力派ぞろい。もともと最下位を続けてきたころより、セに来れば常時CS争いをする総合力があったが、投打に数人若手の急成長があった今年は序盤から一気に首位争いに加わり走りぬいた。
両チームに力の開きが相当ある。