葛西善蔵に拘る。
いわゆる私小説の評判はガタ落ちになって今に至っているが、再評価の動きもある。私小説を日本文芸の悪しき傾向のように批判したのは、戦後の近代文学派に代表される戦前の統制下、不遇を囲って敗戦とともに一気に世に出た非共産党系の人たちであり、その徹底的な批判(正論も多し)に菊池寛などが中心に形成された文壇(結局、出版大手資本+有名作家による権威付け各賞受賞システム~個人の才覚を旨とする文芸社あるまじき縦社会!)が小説など読み物を大量に提供する手前、最大限に同調したことで、私小説はその中身や日本的特性を検討することなく文字通りスルーされるようになった。
もっとも、戦前型の私小説は作者自体が実体験の裏打ちのある(フィクション、アドリブは本体の物語の展開と作者の信用を損なわない程度にタガは目)貧困、鬱屈、孤独、悲惨の日常を小説の上で提供し、同じような境遇に落ちる可能性のある読者の共感を呼ぶ必要に迫られているわけだから、最低の物的生活が底上げされた高度経済成長以降は、その存立基盤そのものが否定されたのか?
>この時代基調の変節に対する読みが大事だ!格差拡大の指摘はあるが他方で、まだ日本の社会風潮と心根は日本バブル崩壊後、冷戦体制崩壊時点に留まっている(正確に言えば2000年ぐらい)。長期にわたる社会風潮と心根の空白期間中に世界はエポックメーキングな時代に変節した~~~東アジア諸国の急速な経済発展は日本の汎用品生産を完全に凌駕する一方、日本の生産的資本は世界市場における相対的地位を低下させたが、付加価値力のある生産品は自動車産業だけのまま、金融寡頭制社会に完全移行しその経済社会の停滞性を露にした~。日本の社会風潮の目は外を気にしすぎるほどだが、心根は完全な内向きになった。コレは心の分裂症状で自画像を間違って描くケースだ。日本は今後、自国は素晴らしい国、と国民全般が言いつのって時節が永遠縁に経過する国に堕するだろう。
時間不足で前後の脈略を省略して言えば、世界の先発国の人々に最も身近な時代基調は格差拡大だ。アカデミー賞受賞韓国映画「パラサイト半地下」は格差問題をエンタメ的に主題にした作品だ。(あんな機械的なコンセプトと演出の駄作がアカデミー賞を取るなんて、よほどこの問題は興行化できない主題なんだろう)
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W。参考資料 ナルホド参考資料だ。なぜ半地下物件に低所得者層がすんでいるのか。
1968年、北朝鮮の朝鮮人民軍のゲリラ部隊が当時の朴正煕韓国大統領の暗殺を計画し、潜入した青瓦台襲撃未遂事件が発生。大統領官邸が襲撃された。以降も武装した北朝鮮工作員が韓国に侵入するテロ事件が相次いだ。そのため、1970年の建築基準法改定では新築の低層住宅には国家非常事態のための防空壕として地下室を設置することが義務づけられた。当初は貸し出すことは禁止されていたが、1980年代にソウルを中心に住宅不足危機になると貸与が解禁された[1]。
今日に至っても、特に家賃急騰が続くソウルでは20代の平均月収が約200万ウォン19万1,873円で、月々の家賃は約54万ウォン5万1,819.円と収入のうち家賃が占める割合は高く(W、東京並みということ。違いはこの物件ができた経緯!新築の低層住宅には国家非常事態のための防空壕として地下室を設置することが義務づけられた。~~W。パラサイト半地下はこの南北分断のリアルな背景によって出現したという事実を知らなければ本当の映画鑑賞はできないな!駄作呼ばわりしてすまないきもちでいっぱいだ!!」~韓国は東アジア戦争体制の最前線であった。一方の日本列島は効能兵站基地のまま。しかし、冷戦体制崩壊で局面は大きく変わった。北朝鮮の国家的存立基盤は冷戦体制であり、それが取っ払われると、綱渡り的軍事優先外交が必要となる一方で韓国は対アメリカ対中国、対ロシア、対日本の多面的外交の道が開けた。日本は兵站から前線基地により近くなり、経済的な東アジアとの緊密度を増す一方でアメリカ核軍事力に一層従属する経済と軍事のまた裂き状態になった。現状の日本経済はMMT論者の云う供給力はあるが需要が足りない状態ではなく、国内において既に供給力が海外依存によって不足現存していない状態である。こういう時に金をばらまくとインフレになり庶民が苦しむ。)
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貧困層にとって半地下物件は重要な選択肢の一つになっている。日光が届かず薄暗く、夏には蒸し暑く、湿度が高いためにカビが発生しやすい。天井が低く、頭をぶつけないように両脚を思い切り広げるうように立たなければ頭をぶつけてしまうような物件もある[1]。韓国国内では半地下は有名だが、ポン・ジュノ監督による映画『パラサイト 半地下の家族』によって、国外での認知度が上昇した。
参考資料終わり
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であればこそ労苦する人々の在り様を直に表現する文字、言葉、音楽、映像、コミュニケーションが一層必要だ。
現実から一時的に逃れられる取って付けたようなフィクションも良いだろう。しかしそれだけでは心の需要は満たされない。各分野で労苦している人々の本能が赴くところを表現できる形式が必要だ。
日本型私小説の徹底否定の上に大量生産された小説などの文芸作品が各種の情報過多、グローバル化の渦中で埋もれていくと様相が変わってきた!
@そもそも、戦前や戦後のある時期まで重宝がられた小説群のレベルを中身で上回る小説が創作されたのかどうかというクォリティーの問題がある。粗品をつかまされて満足していてはだめだ。もっといいものを探さなければ(批評)、作らなけらば(作家)。
端的にいえば、何かしら高級小説感を醸し出し、圧倒的な販売数の村上春樹さんの小説群(私小説とは全くかけ離れたフィクションだ!)と戦前から戦後のある時期までの文学史上に残る作品を比べてみると、私見では後者のクォリティーは無機質極まりない。(春樹さんで面白いのはノンフィクションもの違うかな)
シュチュエーションは精緻に描かれているが、そこに肝心な生きた活きた人間が不在。村上さんの小説を読んでわかったつもりのトレンディーな自分が大事ということではないのか。⇒であれば私小説時代と現代の違いは読み手の経済環境の違いだけになる、と想うのだが、時代基調は螺旋階段を上るように元に戻っている。
私小説が威力を発揮し、読者の共感を得ていた時代環境とは全く違うが、貧困や悲惨は絶対的な次元から相対的な次元に移行し社会風潮も全く様変わりした。
さらに先に指摘したように世界がエポックメーキングしていた時代に日本の社会風潮は空白、統合神経失調症発症の時代であった。
心根に鬱屈、孤独が巣くう様になっているが直視たくない。
一般的に若者文化といわれている、アニメや一部のJポップにチラッと接すると、若者たちの悲鳴を目の当たりにしているようで息苦しくなる。あのようなルートで心境を解き放ったら、人畜無害人間の集団が完成する。それはあくまでも対自的枠に収まったもの同士の共感レベルだ。市場操作(シンボル操作、統合)に都合の良い砂浜の真砂かな?
コロナ渦の結果、成人以下の各世代に現金給付や意図不明の金券給付をするなんて、社会の衰弱の象徴のような気がするのは自分だけか?そこまで気を遣わなければ子育ての環境が厳しくなっている、ということではないのか。悪く言えば高齢者を捨ててでもコレからの生産人口を守る、という二者択一しかできない。隠れた命の選別政策。
先の現金給付も必要ではなかった。一時金などよりも持続性のある政策だ。医療介護業界の点数アップの方が先だ!安心があれば労働創造力が増すのはヨーロッパを見ればわかる。日本は歴史上コーポラティズム社会なのだから、アングロサクソン国家、特に新大陸国家のやり方を真似たら、向こうにある対抗システムや対抗精神は日本にないのだから歯止めの外れた鬱屈格差社会が進行する。
紙出版業界の売り上げは下降したままだ。
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葛西善蔵の方法~「蠢くもの」を中心に~橿原修
縦書き論文形式 ワークペースでは上手く記事の枠に載らない。コピーぺーストもできない。
この論文?の趣旨は葛西善蔵の私小説批判なのだが、ちっとも批判になっていない。逆にその評価すべき点を具体的に教えてくれている。
>結局、当時(今も)私小説とは
引用
「コレまでの通説に反し
<対象指示上、主題上、形式上、の何らかの客観的な特性によって定義できるようなジャンルではないのであり>
<私小説は一つの読みのモードとして定義するのが最も妥当である>
冒頭に引用した宇野浩二の葛西善蔵論もそうした読みモードの形式によった論である。
>日本人の描いたどんな本格小説でも葛西善蔵が心境小説で到達した位置まで行っているものは一つもないと思われる。
>小説もこの高さこの境地まで立ってみたなら、多くの他の小説は何らかの意味で通俗小説と云えないだろうか。
宇野浩二、引用終わり
その後の葛西論の多くは~~読みモードを反復補強した。⇒Wこの論文も批判になっていない!
>今必要なのは葛西論の方向を転換することである⇒W。通読したが、方向転換はできず、葛西の小説の中身を詳細に検討する読みモードを開陳しているだけである。
@なお、この論者の本論の内容を利用して、この記事全文に( )付きで留意点を付け加えた。
アドリブ、フィクションを加味して私小説の読みモードコンテンツのクォリティーを上げるのは小説家の常道手段である。葛西の場合は孕ませたおせいが流産したことになっているが実際は産院で元気な子を産んで葛西との相変わらずの日々を送っていた、という周囲が鼻白む創作をやってのけた偽作者ぶりの一面もあったということだ。
葛西の作品は単なる鬱屈、貧困、悲惨、孤独の生活の綴り方ではない。実生活を彩り小説として掬いとる才を評価する。良い小説の価値を見つけるためには駄作に接しなければならない。
Wは葛西が宇野浩二の云う小説家だとは言っていない。
今において私小説的手法の意義が大切になってきているといいたいのだ。
少し昔、小林多喜二の「蟹工船」の単行本が売れたことがあった。
蟹工船は小林が当時のプロレタリア文学の路線に沿って、わざと分かり易く書いた小説である。あんなものがプロレタリア文学の代表作のようにいわれているのはそれほど良い小説がなかったということだ。
本来の小林多喜二は志賀直哉に私淑する散文を徹底して吟味した至高の表現を目指す人でアリ、出発点は小樽の詩人であった。
何が言いたいか
>「蟹工船」を今の人は読んでも心の底で違和感を覚えるだけだ。
>それよりも葛西善蔵や
- 椎名麟三(1911年生まれ)の戦前非合法共産党時代(姫路、山陽鉄道駅員の破天荒な活動ぶり、一種の悪漢小説)やその後の逃亡生活、
- >徴兵検査の日、煙草を大量に煮詰めてがぶ飲みし、兵士失格の烙印を押された帰りによっためし屋で同じような手口で徴兵逃れをしたらしき男と目がぱったり合って、お互い合図したはなし、など枠組みで固められたプロレタリア文学よりも、読んでいてスカッとし面白い。
- 『赤い孤独者』(1951年)河出書房 のち旺文社文庫
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春の朗読会2 ~時代の言葉と女優たちの声と~
構成・演出 小西優司
4月26日(木)~4月29日(日)
26日木曜日
14:30
『椎の若葉』葛西善蔵(よしざわちか)
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元祖「働いたら負け」――葛西善蔵『哀しき父・椎の若葉』書評|元祖「働いたら負け」――葛西善蔵『哀しき父・椎の若葉』書評|NOVEL DAYS
引用開始
「妻が夫に愛想を尽かして実家に逃げ帰ったのではなく、金策のために葛西が妻子を帰らせたというのだから、すごい。そして、自分は東京を離れ、鎌倉の建長寺
一人暮らしのため、三度の食事は宝珠院裏の茶店招寿軒の娘に毎日運んでもらうことにした。この数え年十九の少女が、葛西作品の中で「おせい」として描かれた女性である。当時三十四の葛西は、十五歳も年下の彼女と同棲を始めてしまうのだ。もうリア充を通り越して、犯罪者の域に踏み込みつつある。
このおせいをモデルにした「蠢く者」では、自分の肺の病が進行していく中、おせいと取っ組み合いの喧嘩をするという悲惨な地獄絵図が描かれている。「作家案内」にあるように、「蠢く者」の描写のあまりの迫真性に、友人の作家広津和郎が心配して葛西を訪ねた。すると事実は全く逆で、葛西は相変わらず昼間から酒を飲み、献身的なおせいに対してわがまま放題だったと言う……。
これなどは、私小説の事実とフィクションの問題を考える上で貴重な資料と言えよう。
葛西には、病と貧困に苦しみ、道半ばで逝った悲劇の作家というイメージがあるが、それは一面の真実でしかない。鎌田は次のように指摘する。
たしかに短かすぎるのに難があるとはいえ、『新潮』『改造』『新小説』などの月刊誌に、月一本の割り合いで小説を発表していた。不遇どころか、順調な創作活動といえる。
生活力ゼロの、「超」がつくダメ男のくせに、いつも傍らには尽くしてくれる女性がいて、貧窮貧窮と言いながらなぜか酒は飲めている。遅筆でありながら、雑誌からの注文は途絶えない。実は葛西は、大正文壇における紛れもない人気作家の一人であったのだ。
哀しき父・椎の若葉』は、出世作「哀しき父」、初期の名作「子をつれて」から最晩年の「酔狂者の独白」、「忌明」まで収録し、葛西文学の代表作を網羅している。
椎の若葉に光りあれ、僕は何処に光りと熱とを求めてさまようべきなんだろうか。
これは、畢生の傑作「椎の若葉」の一行である。
最初から破滅というゴールを設定し、それに向かって突き進んでいったような葛西善蔵四十二年の生涯は、予定調和を好む現代人に衝撃を与える。しかし同時に、実生活のマイナスの全てを、たった一つのプラスに転じたその文学の「光り」に、強烈な魅力を覚えずにはいられない。」
長い引用終わり。 ネット上で唯一、葛西善蔵の背景が簡潔、公平にまとめられている記事。
葛西が生きた時代、小説でめしを食っている者は憧れの存在。
ここが解っていなければ葛西の生活や行動、その周辺の人々の在り様もいまいちピンとこない。年取ったおせいさんの肖像写真を見ると意外にも上品なインテリ風。小説家葛西善蔵を認められる人でなければ、とっくに離別していた。
https://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top/museum/sakka/sakka13_kanren/kasaKRJ_03.html
浅見ハナ(第二の妻)
引用
「大正8年12月下旬、善蔵は鎌倉山ノ内建長寺内の宝珠院の一室に住んだ。建 長寺内半僧権現下の茶屋[招寿軒]の娘、浅見ハナ(当時20歳)が、高い石段 を登り降りして三度の食事を運び、晩酌の相手をし、善蔵の長男(小学生)の 世話をみたりした。「鶩のやうに」他を経て、大正11年作「おせい」の可憐な モデルとして登場するが、善蔵との困窮生活は、「蠢く者」等に凄惨に描かれ た。女児二人を産んだ。「われと遊ぶ子」に、郷里と東京の妻子への思いを、 善蔵は深々と語る。善蔵から「お前のおかげで小説が書けた」と感謝されたこ とを、ハナは長く心の支えにしたと、伊藤ゆう子(善蔵三女、ハナ長女)は語 っている。平成4年、東京で死去。」
引用
「「生活の辛酸は苛烈な記録の酵母菌として、望むところであった」
葛西の余りに無頼派的な生き方には流石に首を傾げる。
平成3年に亡くなった<おせい>さんは葛西善蔵にとって路傍の神様だった!
引用
葛西善蔵と私と椎の若葉と | 演劇集団アクト青山の活動紹介Blog
をよく見るが、つくづく私小説的精神で己を演出した動画をアップしている方が多い、と感心する。素人You Tuberは映像で私小説している。
日本版はそんな動画が多い、とおもう。よく見飽きないものだと感心する。私小説に対する読者の読みモード発動による思い入れと同じ次元で視聴モードの想い入れがあるのかも知れないが、昔の私小説作家の方がはるかに作品を苦労して紡ぎだしている。
>ここにも私小説はもとより小説、もっと言えば散文全般が流行らない絶対的な環境がある。
@散文で伝えたい何かを表現する時代は過去形になってしまったのか。
@しかし、楽な表現形態の獲得は至高の作品を生み出さない!