反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

中国関連書籍の引用

  「 近代日本の中国観」 岡本隆司 講談社2018年刊行

 谷川道雄 - Wikipedia

民俗学者谷川健一、詩人谷川雁は兄

内藤湖南宮崎市定・宇都宮清吉の流れを汲む京都学派の一人

豪族共同体論は、支配者と民衆の対立による機械的階級闘争史観ではなく、両者の自律的共存関係に注目した学説であった。この学説は唯物史観に立つ人物から批判され、「共同体」論争を引き起こした

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 「近代日本の中国観」引用 

  W問題意識 中国の国家と社会の歴史的分裂、という日本にはない伝統

『貴族を支配階級たらしめるものは、本来的に言えば天子やその行政機構ではなく、行政の外側にある各人の郷里世界だということにある』

そんな「世界」を作り出す組織を「豪族共同体」と称した。

大土地所有者の豪族の周囲には小土地所有者の自作農が少なからず存在した。自立小脳の広範な存在が、当時の中国社会の特徴である。この構成の社会で豪族は指導層となりうる条件とは何か。単に勢力を有するだけでは不十分であった。

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自立小農が厳然と存在していた以上、彼らが暮らせて、なおかつ豪族に高い人物評価を与える条件があったはずである。

谷川はその条件を、豪族の有する人格であり倫理であったとも定めた。⇒W.歴史研究会からの批判点である。魯迅阿Q正伝」の農村の人物模様。革命党は噂程、農村の階級関係を替えなかった。革命のうわさに乗ったお調子者の阿Qは豪農宅に押し入った強盗一味にされて訳が分からぬままに、引っ立てられ、銃口のが向けられ命が絶えた。

ある意味で中華民国成立以降、国共合作 内戦の歴史過程は二段階の反帝反植、民独自律であった。蒋介石国民党が政権を握っていれば、土地制度は微修正に終わっただろう。農村の階層関係は変わらなかった。

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谷川道雄

「いわゆる『近代主義』とは(丸山真男、講座派も乗るグループ)

ヨーロッパ史の発展過程を正常とする見方』「近代」とは端的にはヨーロッパ世界が主導権を握った資本主義のことを指す。

資本主義派『私有財産制の最高段階であった。

その私有財産制の発展こそが、階級とその闘争を生み出してきた。

谷川によれば

ヨーロッパ。資本主義は『過去の諸段階を自己の社会への先駆として掌握として把握しようとするとき、

人類の全歴史を私有財産制の発展史として認識する傾向を持つ』

ヨーロッパ資本主義だけの発展史」を他の世界にも正常なものとあてはめ「人類の歴史』にすり替えるわけである。⇒W。ソ連で定式化された歴史観。今、このような歴史観を堂々と披歴できないが、形を変えて潜在意識の中に残っている。

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「中国ナショナリズム」小野寺史郎

 日中国交正常化が棚上げにしたもの

「しかしこの時期の中国社会にはなお日中戦争の記憶が鮮明であり、田中角栄の訪中や賠償金請求の放棄に対する世論の反発は根強かった。

そのため共産党は基礎組織を通じて、

日中国交正常化や賠償請求の放棄が

対ソ対台湾戦略上重要な意味を持つことを説得する

日中国交正常化キャンペーンを展開し世論に対する説得を行った。

>戦争責任があるのは一部の軍国主義者であり、日本の一般国民に負担を要求すべきではないとしたのである。

日中共同声明で、

@日本国民は戦争を通じて中国国民に損害を与えたことへの責任と反省を表明したが、

中国政府の立場からすれば、

@この認識が賠償請求の放棄を国内世論に説明する論理となっていた。」

 

  少数民独問題の国際化

根本的な問題は

全人口に占める『少数民族』の割合の低さにくらべ、

領土に占める『少数民族』の居住地域が広大だというアンバランス

これは清国を引く注いだことによる。

 特に自治区の多くが内陸の国境地帯に位置しているために

少数民族」政策は防衛や資源争奪の問題とも深くかかわった

 

  共産党の危機意識とナショナリズムの動員

西側の代議制民主主義に問題がないわけでももちろんないし

代議制のみが民主主義ではないという主張もあり得るだろう。

中国の人権状況を批判する国の側で本当に基本的人権が尊重されているのか、と問いただすこともまた必要であろう。

 ただ、代議制民主主義や基本的人権の考えを否定する論理としてナショナリズムが動員されているという構図が作り出されことは、

以後の中国での民主主義や人権をめぐる連星な議論を妨げる要因になっている。

 

   台湾、香港との認識のずれ

清末に列強の植民地となり、

以後長く中国大陸から切り離された香港台湾は中国江への接近と反発を繰り返しながら、独自のアイデンティティーが構築された。

 しかし、清末から中華民国期にかけて『中国』とされてきた範囲

その統一を至上命題とする中国ナショナリズムの立場からは、

こうした複雑なアイデンティティーを理解する発想は生まれにくい。

そのため台湾や香港の運動も相変わらず国家や民族の統一か分裂かという視点からしかとらえられていない。この点では少数民族を巡る問題と同様である。

    

    大国中国の行方

共産党にとって、統治の正当性は本来

共産党だけが真理たる社会主義思想に基づいて人民を導くことができる、という論理によって担保されていた。

 しかし、市場経済導入後の共産党は、

自らの政権が国民の利益を実質的に代表していることを示すことでしか統治を正当化できなくなったのである。

 『実質的」というのは、制度的に民意を反映していると標榜しえる代議制民主主義をたらない以上、

共産党統治が国民の支持を得ているかどうかを

形式的に示す術がないためである。

コレは正当性の面で、

代議政体をとる体制よりも、

共産党の統治が相対的に不安定である構造的な理由となっている。

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 「台湾を考える難しさ」松永正義

漢民族を定義して

『漢字を使っている人々の集団である』

その意味では漢民族とは血統やその他によって定義できるものではなく文化を共通に持っているかどうかによって定義される。

いわば文化的な概念なのだ

中国社会というのは現在もなお、エスニックな多様性を持つ社会である

古代についてはなおさらであろう。

そうしたエス日記な多様性を持つ地域の中の<中原>と呼ばれた地域に、

漢字を中核とする文化圏が生まれ、それが数千年の時間をかけて周辺諸民族を緩やかに同化しつつ形成されていったのが、漢民族なのだ。

 引用

「極端に言えば漢民族とは、それなりの数が、このように同化された諸族であるといってよい。

我々の今日云うような意味での国家などと桁の違うスケールで、民族としてのまとまりを考えてきた。

>相互に言葉が通じるとか通じないとかといった問題は二の次だった。

 しかしまた、同化民族であったからこそ、逆にその文化的まとまりは驚くほど整合的であった。

その点だけについていえば

今日のアメリカ合衆国に似ているところがある。

一方でアイリッシュ系とかイタリア系とか言った背景をきちんと保持しながら

たちまち「アメリカンライフスタイル」にくみまれその言葉に称津応される文化的な自己規定をしてしまうところは

漢民族のまとまりによく似ている。

 

 こうした規範化標準化に対して最もかかわりが深かったのは隋唐に始まり宋代にかんせいされた科挙である。

科挙は地域に対する支配の構造と密接にかかわっている。

~中国という社会は、経済社会などの面では独立性の高いいくつかの地域の集合であって必ずしもすべての地域が中国という広さで動いているわけではなかった。

そうした中で中国という広さで動いていたのは権力と

それを支える知識人集団だった。

そうした知識人ネットワークは、はじめから中国(天下)という広さを前提としていた。

また共通文字語としての文言文が中国という広さを保証していたのだ。

政治権力はkぷした知識人ネットワークを組織化し、自らのうちに組み込むことで成立していた。

 

 台湾が「中国になった」というのは、台湾という地域がこうした古典文化構造に組み込まれたということになる。

逆に言えば、それ以前のの台湾を「中国であった」とは言えないだろう。

 

 台湾ナショナリズムの矛先は「国語」にむけられ台湾語復権要求を噴出させた。(19世紀ヨーロッパの俗語ナショナリズム)抵抗主体であり、国民国家の主体。

 >W。ここから先は言語台湾ナショナリズム形成に深入りし専門的になる。