反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

中国ナショナリズムについての暴論は日中関係の緊迫する時代に分析的議論の装い衣を着て繰り返し登場する。

 「中国ナショナリズム中公新書2017年刊行小野寺史郎

――本書執筆の動機を教えてください。小野寺:私が大学院生だった2000年代は、日中の政府間関係や相互イメージが悪化する一方、中国近現代史研究の分野では、学会や留学を通じた中国内外の学術交流が大きく拡大した時期でした。そうした場で知り合った中国の研究者や学生とは、当時敏感な問題となっていた歴史認識などをめぐっても率直な意見のやりとりができました。⇒W。用語の認識をできるだけすり合わせしなければ、議論にならない。

現在も、領土をめぐる日中摩擦が大きく報道される一方で、非常に多くの中国からの旅行客や留学生が日本を訪れており、彼らの屈託のなさとの間にギャップを感じることがよくあります。こうした状況の下で、中国ナショナリズムと呼ばれるものをどのように捉えればよいのか、その検討の足がかりとなるものが書けないかと考えた次第です。⇒W。どうしてギャップを感じるのか?変化について行っていない。後から先に行こうとしたものを叩く。この手法はジャパンアズ、ナンバーワンの時代に体験した。もっと遡れば20世紀中盤までの二つの大戦争の歴史。

ただし、今度は日本叩きの時代と違って、相手のファンダメンタルズの規模と形態が違う。必然的にその手法により被害を直接こうむるのは東アジア民衆。今は相互に分裂する情報があれば、分かり合える手立てもある。解るための努力は簡単になっている。デモや集会、パンフレット、本に頼らなくてもよい。***********************************W。中国、の上澄みは上昇志向が強い。

①この女性の動画によって中国の社会と経済の特徴と一般的な傾向を知ることができる。⇒今の中国は簡略化すると国家資本主義社会との確信を強めた。民間資本部門の人々は資本VS賃労働の自己矛盾的同一の搾取構造の中で生活労働している。先進新興企業群と外国資本の割合も大きい。

 前記とは位相が違う国営企業という伝統的な国家的資本部門がある。ココのGDPへの貢献度は調べてみなければはっきりしないが生産性は大幅に落ちる。不変資本の構成が高い戦略的な企業群であり、中国の多くの労働層に雇用を安定的雇用を提供している。

それと併存して役人、党専属員、軍隊という公共部門があり、上部構造を形成し国家暴力を根幹として政治ヘゲモニーを握って統治活動をしている。ココが国家資本主義の特徴。

②**省がどこにあって、どういう人たちが住んでいるのか、どういう特徴があるのか?地歴に興味があるので知りたかった

studywalker.jp

中国語vs台湾中国語】どっちを選ぶ?中国語勉強する前に絶対知るべき〜ネイティブが教える超簡単中国語講座〜普通話對戰台灣中文這些差別你知道多少? - YouTube

W.台湾は欧米流、枝葉風俗民主の段階。

【実家ルームツアー 】四川の家と生活 - YouTube

W。小学校の敷地。分譲マンションの部屋の目の前が校庭。両親は学校教師なのか。内装抜きで20年前に500万円購入、今1,5倍、100平方メートル庭スペース。上海1億2千万円値上がり。

大豪遊!四川の露天市場!日本にないローカル街風景! - YouTube

W。父親はいかにも中国人の雰囲気。大人風。料理になれていて手際が良い。

【学歴社会】中国韓国の過酷すぎる実態!中韓女子トーク! - YouTube

W。日本の学校教育⇒高校になっても集団主義の訓練がある。中韓がり勉、学歴主義。これだけ勉強を強制する環境は一種の国上げての産業教育であり、キャッチアップ期間が短縮できたのも納得がいく。

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ロシア人女が日本を離れられないホントの理由【彼を紹介します】日本が好き! - YouTube

ここはかなり事情が違っているようである。この女性の素質はヤンチャンとのコラボの会話から、変わり者、冒険者。単身日本に来た理由が如何にも唐突。日本人のボーイフレンドが終始、勝手にちゃべっている。そんなに面白い動画とは思わない。登録者数26万

多分、ウクライナロシア戦争において積極的に発信したりデモに参加した影響があるとおもう

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  引用に戻る

――本書のポイントはなんでしょうか。小野寺:非常な経済発展を遂げつつ一党独裁体制を維持し続けていること、現行の国際秩序⇒W。現行の、というところがミソ EUNATOと同じ視点。スターリン主義圏崩壊後、行き過ぎたグローバル資本制「帝国」秩序という意味だ! 

への挑戦ともとれる対外行動などから、現在の中国国外からの中国論には、中国の特異性を強調するものが多いように見えます。

実は中国国内でも、アイデンティティナショナリズムの視点から、中国の文化的・歴史的特殊性を主張する議論が強まっているようです。

これらは現在の中国を脅威と見なすか、肯定するかで正反対ながら、不思議と似たところがあります。

一方、この20年ほどの中国近現代史研究では、中国ナショナリズムは、専ら先行する西洋や日本をモデルとして作られた、どちらかといえばオリジナリティに乏しい「輸入品」でそれゆえになかなか社会に浸透しなかったという指摘がなされており、本書も基本的にこの立場をとっています。⇒W。注①。これは、現在に至る中国ナショナリズム過大評価することなく、分析可能な対象として捉えるために有効な視点だと考えています。⇒W。順を追った事実の羅列~それはそれで歴史的事実を踏まえ大切~~であり分析しているとは思えない。中国の歴史的ナショナリズムにオリジナリティーを求めるのは筋違い、だ。西欧歴史観による中国近代史への蔑視と内藤湖南以来の<京都学派>の国家と社会分裂論による蔑視の折衷。本人の確たる意見はない。

******⇒W.ナショナリズムの本質は近代の国民国家形成の時期に支配的な政治によって意図的に醸成される対外対自、政治意識なので普遍性があるが、個別の違いは大きい。

クレオールナショナリズム、②俗語ナショナリズム、③公定ナショナリズムの分類はナショナリズムを整理し冷静に判断するときに役立つ。

*****************************************⇒W。注①。「近代日本の中国観」岡本隆司 - Wikipedia講談社2018年刊行

「  第3章 内藤湖南 - Wikipedia

W。内藤湖南大東亜共栄圏思想の理論的基礎付け、との結果論的解釈では済まされない、ある意味、その時代が生み出した魅惑的論旨である。今も色褪せていない。

 今のロシアのプーチンがなぜ、ウクライナに攻め入ったのか、欧米流の民主政ナショナリズムイデオロギーで断罪することはできるが~切り捨て軍事敵対の持続~、零れ落ちるものがあまりにも多すぎる。

 

 「我が闘争」LPレコード「ナチス党」を検討したこともある。幼稚な論理である。信じるか信じないかの熱狂の世界である。熱狂におぼれたものが戦後の自己正当化のためにヒットラーナチス党に責任を負わせ、自己免罪化を図った、とみる。

 スターリンの極端な粗暴性、集団抹殺はロシア社会民主労働党ボリシエビキの非公然、非合法党時代の国内活動の延長線上に生まれたものだが(レーニンの遺言~ペレストロイカで公になった~)、

 ドイツヒットラーナチス党(ドイツ国社会主義労働党)は、ドイツ国民国家形成史の成れの果て(ドイツ軍国主義が作ったものだ。ビスマルク以降のドイツ皇帝の失政もあるがナチス党の出現は歴史の必然だった。この視点がなければ、EUNATOにおけるドイツの立ち回りは理解できない。

**「中国ナショナリズム」は内藤湖南系(京都学派)由来の中国観が底にある。

 中国ナショナリズムは、「専ら先行する西洋や日本をモデルとして作られた、どちらかといえばオリジナリティに乏しい「輸入品」

との指摘は裏返すと「ナショナリズム」のオリジナリティー半封建半植民地状態の当時の中国に成立しえただろうか?というこれまた普遍性のある問に帰着する。

目の前のリアルな敵と戦う間に、独自のナショナリズムの理論を構築できる程、たたかいは甘くない。日本の明治維新期のナショナリズムは攘夷運動軍事大敗北から反西欧ではなく、イギリスユダヤ金融の援助を受けた近代化摂取、アジア侵略へと転回した。アジア、東アジアでの近代化の先駆けであり列強の市場支配は地政学的に緩やかだった。そういう歴史的地政学的背景に醸成した日本の帝国に至るナショナリズム(東アジアに対しては抑圧民族のナショナリズム)と圧迫された民族の近代ナショナリズムイデオロギーを同一線上に比較できない。

*****

 文化の良し悪しとか、優等か劣等かを測る、のはある物差しをベースにしか測るしかない。近代の物差しから測った場合をいう。

>講座派マルクス派、その影響を受けた丸山真男~~宮台真司さんもこの文脈で個人が「共同性」に埋もれ前面に出ない事態を説明するしかなかった。

>共同体と個人の関係を社会学的に縄文時代までさかのぼって全面展開する宮台さんの珍しい議論。持論は傾聴に値する。

ジェノサイドというキーワードは、激しすぎるが<誇張ではなく歴史的事実、言う言わないの問題があるだけ。>、列島原住民と支配層は地政学的位置によって外敵に一掃されたかったことから歴史的な共同体において<習合、上書き状態の継承>という抽象的歴史観は反俗日記がよく使う<東アジア東端付加体列島原住民>という見方と類似。

 高度経済成長の人口ボーナス的側面とその終焉による小泉的ポピュリズム台頭の必然という見方も同意。

 宮台さんは今の非正規、正規雇用の年齢別実態を精査しないで解雇の自由を与えると労働力商品が流動化し、生産性が上がる、としているが、今の若者はほとんど正規雇用される機会が与えられる。ただし、ブラック労働が多いのも事実。

若者の正規労働の肩代わりをしているのは中高年の非正規、特に女性である。

 長期デフレによる経済停滞というコメントが寄せられているが、実質賃金上昇がない長期低成長を指すものと思われるが(GDPデフレーター)、

経済停滞の要因は複合的でそういう見方から出てくる賃上げや財政金融膨張では解決できない問題と考える。

 ましてや現代貨幣理論に基づく財政拡張などは庶民を苦しめる物価高を加速させるだけに終わり(財政破綻する、しない、の論議は言い逃れの想定。財政が破綻まじかになれば戦争を選択する、というのが常識。)

資本の回転率が変わらない経済環境では、ひとまず雇用を確保できる重厚長大産業への財政投下に傾くだろうが、

現在の自衛隊の高齢化費用、装備メンテナンス、環境負担などが防衛費のほとんど占めている現状、総額確定予算方式などを考慮すると、新装備の実装費用はアメリカの高価な武器購入とメンテナンスに回るしかない。

 なお、宮台さんのいう重武装とは口には出さないが、核装備日本である。

彼は靖国神社への関りもある(よく知らないが心の問題)。クリスチャンでもある。クソフェミニというぐらいだからいわゆる欧米流の民主主義者ではなく、ましてや<クソ左翼ともよくいう>ぐらいだから既成の左翼に反発している。

家族友人を大切にする地域からの友愛共同体主義者。彼は70年代半ばから80年代前期に血気盛んな時代を過ごした時代の子の側面を大切にしてきた人。

 彼の言説をよ~く聞いていると<右翼>がテロをする対象ではないのだが、解らない人がいるものだ。言葉の与えるイメージだけでしかその人を判断できない。日本という存在論だけを物差しにしていると、そういう日本に都合の悪いことを指摘されると無性に腹が立つようだ。要するに悪口を言われた子供の心境になる。こういう人たちが政治づいている時代風潮である。先日もブラジルの国会議事堂に落選したボルソロナ元大統領支持派が大統領選に不正があった、と突入した。アベ暗殺も統一教会も関係なしに事態は進んでいく。リアルな事態に不感症になる、というよりも時代の変わり目には、一喜一憂しないで構造主義に徹して物事に対処していくのが肝心だ。

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筆者が本文で示す中国儒教に基づく王朝盛衰観や周辺地域へのかかわりは(中華意識)現代的なナショナリズムの装い凝らしても、庶民に実態生活とはかけ離れた国家観の外部からの、上からの注入になるしかない。現中国政権がそのような国家イデオロギーを外部に振り回すならば、専門家は理論的に批判すべきであり、「専ら先行する西洋や日本をモデルとして作られた、どちらかといえばオリジナリティに乏しい「輸入品」とは批判にならない批判であり侮蔑の類である。

 引用 「近代日本の中国観」第3章、内藤湖南

「中国は国家と社会が乖離し⇒W。事実である!

W.独特の理論展開が始まるが落としどころが石橋湛山とは真反対で大問題!

政治は堕落の極にあって、社会のエリート、思想層が高尚な文化を担いつつも、低俗な政治を忌避している。

コレは古い歴史の中国でなくては起こらない現象だった。

文明が遅れているからではない。

かえって逆、『日本とか欧米諸国などのごとき、その民族生活においてより自ら進歩しているなどと考えるのは、大いなる間違いの沙汰である』内藤湖南引用~~

 列強が政治軍事に優れているのは

歴史がなお『幼稚』な段階にあったからである。

老成した中国は高級な学問芸術に専念し、程度くな政治は幼い列強に任せて一向に差し支えない。

大多数の中国人にとってもその方が幸福に違いなく、

文化の遅れた日本の経済進出がすでに中国の面目を替えつつある。

>ところがこうした歴史の経緯とそこに由来する現状を弁えない『新人』がいて

ナショナリズムを論拠に、『排日』運動を繰り返した。

>そんな愚行を、これまた中国事情に疎い新興のアメリカがしそう煽動している。

@そこで湖南の批判は西洋理論を振り回し排日にいそしみ、結局は『政客』による中国支配を一層悪化させている「新人」に集まった。いわゆる新人とは「青年志那」のことであり当時も今も評価は高い。

@けれども湖南は、「横義をたくましくする」彼らを「自国の学問の素養」「歴史的智識」「確固たる根拠」がない、と露骨に嫌悪した。

 この「新志那論」で湖南の評価は確定した。

戦前は日本の立場をを代表する「志那通」、戦後は中国ナショナリズムを理解しない侵略主義者。

とりわけ戦後の批判は著しい。

~~まぎれもなく石橋湛山 - Wikipediaが批判した「志那通」の典型だった。

 

引用 石橋湛山

戦前は『東洋経済新報』により、一貫して日本の植民地政策を批判して加工貿易立国論を唱え、戦後は「日中米ソ平和同盟」を主張して政界で活躍した。保守合同後初めて本格的された自民党総裁選挙を制して総理総裁となったが、在任2ヵ月弱で発病し、退陣した。退陣後は中華人民共和国との国交正常化に力を尽くした。」

湛山は大正デモクラシーにおけるオピニオンリーダーの一人として、いち早く「民主主義」を提唱する。ま三・一独立運動をはじめとする朝鮮における独立運動に理解を示したり、帝国主義に対抗する平和的な加工貿易立国論を唱えて台湾・朝鮮・満州の放棄を主張するなど小日本主義、リベラルな言論人として知られる。」

1945年昭和20年)8月25日には、論説「更正日本の進路〜前途は実に洋々たり」で科学立国で再建を目指せば日本の将来は明るいとする見解を述べ、小日本主義の復活を唱えた

彼は、貿易の自由さえあれば領土縮小の不利益は克服しうるとし、産業復興計画を立て、それを実行せよと説き、政治面では、五か条の御誓文と欽定憲法に立ち帰れと主張した

10月13日東洋経済新報社論』で、「靖国神社廃止の議」を論じて靖国神社の廃止を主張した[24][25]

東京裁判ではGHQ・検察側が、高橋是清の経済政策が戦争に結びついたと主張したが、それに対し石橋は弁護をした

石橋は、高橋是清の政策はデフレ不況を脱出するための政策であり、軍備拡張にはつながっていない、⇒W.高橋是清の財政金融膨張政策の一時的成功と出口なき失敗1936年2,26事件による斬殺=大陸軍拡はアベノミクスと岸田内閣の安保拡大と類似性がある。対中膨張の進行で物資不足顕著。出口は2,26事件?

明治以来の政策と軍備拡張の政策は違うと主張したが、裁判では採用されなかった。」

「大蔵大臣在任時にはデフレーションを抑えるためのインフレーションを進め、傾斜生産石炭増産の特殊促進)復興金融金庫の活用を特徴とする「石橋財政」を推進した。

そして戦時補償債務打ち切り問題、石炭増産問題、進駐軍経費問題等でGHQと対立する。進駐軍経費は賠償費として日本が負担しており、ゴルフ場や邸宅建設、贅沢品等の経費も含んでいて日本の国家予算の3分の1を占めている。このあまりの巨額の負担を下げるように、石橋は要求した。

アメリカは、諸外国の評判を気にしたことと、以後の統治をスムーズに進行させることを考慮して、日本の負担額を2割削減することとなった。」

公職追放

戦勝国アメリカに勇気ある要求をした石橋は、国民から“心臓大臣”と呼ばれるもアメリカに嫌われ、1947年(昭和22年)第23回衆議院議員総選挙で静岡2区(中選挙区)から当選したが、公職追放令をもってGHQにより公職追放されたこの公職追放吉田茂が関わっていると云われた

1951年(昭和26年)の追放解除後は、吉田の政敵であった自由党・鳩山派の幹部として打倒吉田に動いた。」

石橋は中華人民共和国ソビエト連邦との国交回復などを主張したが、アメリカの猛反発を受ける。アメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官は「中共中華人民共和国ソ連との通商関係促進はアメリカ政府の対日援助計画に支障をきたす」と通告してきた。このアメリカの強硬姿勢に動揺した鳩山一郎首相に対し、石橋は「アメリカの意向は無視しましょう」と言った。」⇒W。鳩山内閣朝鮮戦争の開始1950年⇒休戦1953年以降。」

総理総裁

1956年昭和31年)10月19日に日本とソビエト連邦日ソ共同宣言により国交正常化するも、同年12月鳩山首相が引退した。これを受けて、アメリカ追従を主張する岸信介自民党総裁選に立候補した

これに対し石橋は、さらに中華人民共和国など他の共産圏とも国交正常化することを主張、鳩山派の一部を石橋派として率いて立候補した。総裁選の当初は岸優位で、1回投票では岸が1位であったが、石井光次郎2位・3位連合を組んだ決選投票では石橋派参謀の石田博英の功績もあって、岸に7票差で競り勝って総裁に当選12月23日内閣総理大臣に指名された。しかし、前述のような総裁選であったため岸支持派とのしこりが残り、さらに石橋支持派内部においても閣僚や党役員ポストの空手形乱発が行われ、組閣が難航したため、石橋自身が一時的に多くの閣僚の臨時代理・事務取扱を兼務して発足した(一人内閣)。親中派でもある石橋政権の樹立によって、日本を反共の砦とするために岸を望んでいたアメリカ大統領ドワイト・D・アイゼンハワーは狼狽したという。

内閣発足直後に石橋は「全国民を包括する総合的な医療保障」を演説した鳩山の路線を継承して、同年1月8日国民皆保険を目指すことを閣議決定するなど福祉国家建設、さらに対米自主外交では日中貿易を促進する世界平和の確立などを基本とした「五つの誓い」を掲げ、具体的には経済政策では池田勇人を大蔵大臣に抜擢して「1000億円施策、1000億円減税」として積極財政を行うとし、全国10ヵ所を9日間でまわるという遊説行脚を敢行、自らの信念を語るとともに有権者の意見を積極的に聞いてまわった。同年1月25日、帰京した直後に自宅の風呂場で倒れた。軽い脳梗塞だったが、報道には「遊説中にひいた風邪をこじらせて肺炎を起こした上に、脳梗塞の兆候もある」と発表した。副総理格の外相として閣内に迎えられていた岸信介がただちに総理臨時代理となったが、2か月の絶対安静が必要との医師の診断を受けて、石橋は「私の政治的良心に従う」と潔く退陣した。」

W。日本の高度経済成長は日本の政治家と日本国民の政治意識を変えた。石橋湛山のような自律的戦略をもった保守政治思想は高度経済成長の爛熟の中で、党内に存在基盤をなくし、いわゆる55年体制における社会党ー総評民同等の翼に無内容に固定化された。

米国とくっついてさえいれば「あんしん」という幻想の下部構造は経済成長であった。そしてニクソン訪中を受けて米戦略からはみ出て多角的外交を模索した田中角栄(訪中)は米国発の汚職疑惑=GHQ路線の新聞マスコミに嵌められた。

    退陣後 

1959年(昭和34年)9月、岸より「同盟国アメリカの意思に反する行為であり、日本政府とは一切関係ないものとする」と牽制されながらも中華人民共和国を訪問した・

冷戦構造を打ち破り、日本がその懸け橋となる日中米ソ平和同盟を石橋は主張した。この主張は、まだ国連の代表権を持たない共産党政権にとって国際社会への足がかりになるものとして魅力的であり、周はこの提案に同意した。周は台湾中華民国)に武力行使をしないと石橋に約束した石橋・周共同声明

1960年昭和35年)、陸中国との貿易が再開した。この声明が後に日中共同声明に繋がったともいわれる。

岸が主導した日米安保条約改定には、本会での議決を欠席するなどして、批判的な態度をとり自民党ハト派の重鎮として活躍した。」

 

1963年の第30回衆議院議員総選挙自民党河野一郎の元秘書官の木部佳昭を新たに公認。定数5の選挙区を自民党公認候補者4人が争い、石橋は次点で落選。そのまま政界を引退した

1966年2月、手足に麻痺を感じ聖路加病院に入院、主治医は日野原重明が務めた

 

1971年7月にはアメリカ大統領の特使ヘンリー・キッシンジャーが訪中し周恩来と会談すると、米中対話を支持するメッセージを発表している。

また、翌1972年7月には田中角栄内閣が成立し日中国交正常化への機運が高まっていたが、田中は訪中以前に中落合の石橋宅を訪れており、田中訪中の結果、日中国交正常化が成立すると、石橋はこれを祝賀するメッセージを発表している。
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W参考資料。

「中国ナショナリズム」引用

「   文革の収束と西側との緊張緩和

 国際的な孤立や近隣する日本中国香港台湾韓国などの経済発展に対する立ち遅れには共産党内でも危機感が高まっていた。⇒Wアジア新興工業国発展時代と時代区分を一緒にしている。ソ連社会帝国主義戦略は毛沢東自国第一主義の捏造である。

こうした中で生まれたのがソ連を主敵と位置づけアメリカや西側諸国との関係改善を目指すプラグマチックな外交への揺り戻しである。⇒W。国内政策の振れ幅も大きすぎるし実態無視。最高の軍略家、宣伝家、革命家は最良の統治者にあらず。スターリンのような凶暴な党活動かいたから、ボリシエビキの国内組織は強固だったが、政権を握るととんでもないことになった。カンボジアポルポトしかり。言葉で説いて納得する人たちではない。

 ベトナム戦争で苦境に立たされていたアメリカはこれに応じ、

1971年ニクソンの訪中を電撃的に発表した。⇒W。日本当局は知らされたいなかった。

 中国は1960年代を通じて近隣諸国との溝を深める一方で、新たに独立したアフリカ諸国には積極的に援助を行って国交の樹立を測ってきた。⇒W。三つの世界論。農村が都市を包囲するという紅軍の健軍建党、根拠地拡大路線の世界へのあてはめ。70年代にはそれなりの信ぴょう性があった。

 これらの諸国は国連代表権問題で中華人民共和国を支持した。

>そのため1971年には中華人民共和国の代表権が可決され、中華民国は(台湾)は国連を脱退する。

>1972年ニクソン訪中。9月田中訪中日中共同声明

>これによって日本と中華人民共和国との国交が正常化し

@一方で中華民国は日本との正式国交を断絶した。

@以降、中国は西欧諸国とも国交を樹立し、西側との経済交流も次第に活発化していく

@W参考資料、北朝鮮、韓国国連同時加盟⇒1991年

アルバニア決議 - Wikipedia

W。当時、ホッジャ政権とアルバニア労働党中華人民共和国の唯一の盟友だった。 

 「国際連合における中華人民共和国の合法的権利の回復」)決議。

                     賛成   反対  棄権

東西ドイツは国連加盟していない。ベトナムは内戦中。

>ヨーロッパで棄権国はスペンインだけ。フランコ政権が続いていた。

@冷戦崩壊後、グローバル資本制進展にともなって西側諸国は連携を強め各国は自律的立場が希薄になった。資本制支配層の利害が共通してきからだろう。逆に労働層はいまだに国民国家レベルに拘束されている。ヒトモノカネは目まぐるしく流動しているのに、税収せいさくは国民国家レベルでしか打てない。

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その後は病状が悪化し、1973年4月25日午前5時に脳梗塞のため自宅で死去享年90(満88歳没)。死去時点で内閣総理大臣経験者としては最年長であった。

 

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反帝反植民地のナショナリズムの原動力は民族主義的性格を帯び、同時にその戦いの主導権は西欧とは違って成立基盤の薄いブルジョアや中間層になるのか、コミンテルン系政党になるかの鬩ぎ合いが発生してきた。インドの独立は前者(カースト制度基盤)である。中国、ベトナムは後者である。キューバのゲリラ、パルチザンの拡張も都市部における共産党系の勢力の寄与は大きい。