W。前回の記事の問題意識を引き継ぎ。なおトッドの「我々はどこから~~」の日本論の部分は後日記事にするが、余りに物悲しく(主要プレイヤーとみなしていない特殊な国)一方でおだて挙げており、真正面から議論していない。不思議特殊な国のままなんだとおもう。
「米国は、雇用の際にきわめて学歴を偏重する一方、低学歴・低所得者層の構成割合が大きい社会.。
エマニュエルトッドの最新邦訳「我々はどこからきて今どこにいるのか」文藝春秋刊行
下 を買ってきて読了した。
トッドは米国高等教育による知的支配層の生産(なんだかんだ言っても大学教育達成度米国、日本などがMO1で同じ病巣を抱えている⇒自由貿易、グローバリズム)とそれに反するトランプ現象(保護貿易、ナショナリズム、排外主義)を紐づけて、半分納得できて半分グレーゾーンの見解を披露している。
たしかにトッドの言説は骨折気味のところがある。
「我々はどこから~~」がフランスで刊行されたのは2017年。
邦訳版が出たのが2022年10月。月刊文藝春秋、最新号で、佐藤優ほか1名と来日し対談している。
ずっと邦訳本文を読み通すうちに大きな疑問を持ったのは、トッドの従来からの推奨であった(国内労働者保護、行き過ぎたグローバリズムによる内外の矛盾拡大を止めるため)保護貿易、広域経済圏反対、自国の伝統と文化保護などを政治目的化するのは言葉の上では通用しても足元の各国内のリアルな供給体制が確保できるのか、また内外に騒乱の種を今以上にばらまかないか(ロシアウクライナ戦争に冷静であれば、中国市場分離にも客観的立場で臨むべきだが往々にして後者に排外している)、ということであった。
>日本でも円安になれば海外移転した工場が返ってくるなどいう人が多い、が果たしてグローバル需給体制はそんな単純に一端、出て行ったものが返ってくるものだろうか?と。社会構造経済構造上の問題が横たわっている。ある意味、不可逆の構造改革はされた結果の今がある。中途半端、というのは日本の特殊性である。
アベノミクス登場前、リフレ派が盛んに日銀の慎重金融政策やり玉に挙げていたが、そのころのかれらは日本は需給バランスにおいて供給力過多なので大規模な量的金融緩和で円を市中に回せば需要は必然的に喚起される、と。
この論争の時に反対派は本当に日本の国内にそれだけのリアルな供給力はあるのか、すでに海外出て行って日本国内には存在しないのでは、と。付随してカネを刷っても(実際は国債を刷っても)大きな投資先が国内に見当たらず日銀当座預金ブタ積み論も出ていたように思う。
MMTの急先鋒、三橋さんの動画をよく聞いていると単純な国内供給過剰論を前提にしているように思う。さらに原理論の展開のときに為替や利子の要素を省いて企業会計の論理を行き成り出してきて一国経済の循環に話に終始する。
中野剛志の場合は、ウクライナロシア戦争、中国市場分離策動以降のインフレ急進(日本などまだ生易しい方)にたいして戦争や突発事態によるコストプッシュインフレに対して経済学は計算外などと弁明しようとしている。
MMTを批判するものは財政破綻云々を真っ先に出しているわけではない。
歴史的に庶民生活を苦しめてきた高インフレにMMTは対応力がないのでは、という大きな疑問点だ。そのときは増税のブレーキをかける、としているようだが、日本は異次元金融緩和で景気浮揚させてきたため実質的に金利政策が効かないようになっているのでMMTのいう財政膨張には増税によって出回った金を吸い上げるしかない、と辻褄合わせをしているが、そんな乱暴な経済政策をやれば国の信用性は内外にがた落ちになる。
>結局、MMTなどと耳目を引き付けることを言わずに大人しくケインズ政策の枠内でできることをやれば良い。できないことはやらない方が良い。傷口を広げるだけだから。
>ステファニーレイトンの来日記者会見は動画にアップされていたが実際の経済政策の話になると慎重な姿勢を崩さずこれだったら、ケインズと変らないのじゃないか、とおもった。この動画が今でもアップされていたら視聴した方が良い。
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日本語版~あとがき エマニュエルトッド
引用
「ロシアでは多くの若者がエンジニアとしてのキャリアを志向しています。
OECDの調査によれば2019年時点で、高等教育の学位取得所のうちエンジニアが占める割合は、
>米国7,2%に対して⇒W。他国のエンジニア依存!手っ取り早くエスタブリッシュメントに位置するためにはエンジニアは不向き。技術者のローマ帝国化か?
ロシアは23,4%です。⇒W。軍事と科学偏重!文系不足でパノラマ描けずウクライナ侵攻。
>日本は18,5%
韓国 20,5%
独 24,2%
英国 8,9%
このエンジニアの不足は米国は国外、特にアジアからの輸入で補っています。
~~
米国にとって真の問題は
一度捨ててしまった生産現場を復元することは果たして可能なのか。
そのプロセスは、可逆的なのか、不可逆的なのか、ということです。
かつて村落から人々が街に出て都市化が進みました。
このプロセスは不可逆的なもので、後戻りすることはありませんでした。
同じように米国にとって産業に立ち返ることはもはや不可能ではないのか。
産業の再生は、単なる物理的な設備に留まる問題ではなく、一種の習俗システムにかかわる問題だからです。
産業に必要な集団歴規律を取り戻すかが問われています。
~~~トヨタに部品を納めていることを誇りに思っている中小企業経営者の話です。
>その会社が米国にも工場を作ったのですが結局撤退しました。
彼が言うには労働者がきちんと働かないからだ」と。⇒W.思った以上に利潤が出ない、に尽きる。
これにたいして20世紀初頭から第二次世界大戦にかけて他国を圧倒した米国の産業は国内の勤勉な労働者に支えられていたのです。
W。トランプ支持層が勤勉な労働層とはとてもおもえない。
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「1958年8月31日、セーヌ=サン=ドニ県モントルイユにアルジェリア系ユダヤ人の家庭に生まれた[2][3]。アルジェリア戦争の際に一家はフランスに渡った[4]。祖先は1000年もの間アラブ人と共存してきたベルベル系ユダヤ人であるという[2][5]。」⇒w。核心的イデオロギーがなく、逆張り言説のヒトとみた。
2022年4月のフランス大統領選に向けた国内の世論調査で目下、エマニュエル・マクロン現大統領に次ぐ有力候補と目されているのが、極右の論客エリック・ゼムールだ。
このゼムールと、日本でも有名なフランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドは過去に保守系の「フィガロ」誌上で対談している。米国トランプ政権の誕生を予見したとされるトッドと、「フランスのトランプ」になるかもしれないゼムールの“対決”から見えてくるフランスの、いや世界の未来とは──。
エリック・ゼムールとエマニュエル・トッド。どちらも出版の世界で成功を手にし、激しい論争を引き起こしたり、白熱するテレビの討論番組も経験したりしてきた。
フランスを代表する知識人の論客であり、同時に物議をかもす存在であるところも共通する。EU建設への批判では同じ立場だったふたりだが、イスラム教やアイデンティティの問題に関しては対立する。
ふたりが対談したのは、トッドの『我々はどこからきて、今どこにいるのか?』(2017年刊、邦訳は文藝春秋より刊行予定)という人類史をたどる壮大な著作の刊行が機だった。
両者の意見は、「エリートの裏切り」と「フランスの分断」については一致する。だが、トッドがフランスの分断の原因を経済主権の喪失にあると論じるのに対し、ゼムールは移民による人口構造の激変が原因だと語る。⇒W。「我々はどこから~~」におけるトッドのEU論(結局、独経済主導、仏政治補助で、東欧は独経済圏化。EUは一つの塊として帝国化している、とトッドも文中で認めている)とくにドイツの果たしている役割について反俗日記の言説とほぼ同じだった。どこからか教えられたわけではないが、観察していれば解る。
このふたりの活発で実り多い前代未聞の討論が「フィガロ」の紙面で繰り広げられた──。
中国はフェミニスト的な西洋の近代とは逆の方向を進んでいる
──グローバル化の推進派は「地球がひとつになった」と言いたがります。しかし、トッドさんに言わせれば、それは幻想に過ぎない。そんな幻想は、文化システムの違い、とくに文化システムの根本にある家族構造の違いという現実にぶつかると、すぐに崩れてしまうと指摘しています。
西洋諸国では、個人主義の消費文化が勝ち誇っていますが、その勝利が確定したわけではないということなのですか。
エマニュエル・トッド:「世界がひとつになった」というのはグローバル化の標語ですが、歴史人類学を学んだ者にとって、そんな戯言を信じろというのが無理です。世界はますます多岐多様になっていると言ったほうがいいくらいかもしれません。
W。以下、トッドの自著、上巻のアウトライン、核家族原初論の解説が始まる
本当の意味で世界がひとつになったグローバル化が起きたのは、ホモ・サピエンスが地球全体に広がったときのことです。ホモ・サピエンスの家族構造は、核家族で、父方と母方の親族とそれぞれ柔軟な関係を持つものであり、それが世界に広がったわけですからね。
ただ、紀元前3300年頃のメソポタミアで歴史が始まる(W.農耕と大規模灌漑に必要な共同作業向きの機能重視の家族形態に拡大編成、文字記録は共同体同士の連携に必要)と、
家族システムが複数登場し、次第にそれぞれの家族システムが複雑になり、女性の地位が低下し、それぞれ地球の各地に広がっていきました。
>そのため男女の関係が比較的平等な原初の核家族のシステムはユーラシア大陸の周縁にしか残っていません。
W。根っからの西洋人トッドは中国史を理解する意思無し。Wも中国は苦手だったが毛沢東の軍事論文のダイナミズムに魅かれ、中国史専門家たちの編著(宮崎定一等)で中国史を見るキーポイントを教わった。
トッドは日本を理解するとき、ドイツと対比する。親日家であるが。ドップリ西洋的教養を身に着けた人に日本は不思議、特殊な国の認識に留まる。極東の国、日本。歴史の主要プレーヤーではない。
**⇒
国連のパンフレットなどを読むと、どの国の人も女性解放に賛同しているかのように思えてしまいます。
しかし、西洋社会を追い抜くと(間違って)言われている中国を見てください。人口13億人のあの国では、父系の家族システムがますます強化されています。新生児に占める男児の割合が高まっているのです。人工中絶という近代的手段で産み分けをして、女の子100人に対して男の子120人が生まれる状況になっています。
同じようなことはインドでも起きています⇒Wインド人民党ヒンズー教政権党世界最大の1億2千万党員。ポピュリズムからファシズム政党に発展。大衆動員による威圧しムード作り。
こうした地域では父系の原理(男子への相続が優先される原理)が強まっており、フェミニスト的な西洋の近代とは逆の方向を進んでいます。
人権という名の衝立の裏を覗くと…
エリック・ゼムール:トッドの著作を読んで惚れ惚れとするのは、いまの話のように短期よりも長期が重視する見方が披露されるところです。家族や宗教の構造のほうが、経済よりもよほど重視されています。
「政治が経済至上主義に陥ってしまっている」と批判し続けてきた私にとって、トッドの手法には痛快さしか感じません。
「世界がひとつになった」という話について言えば、人権という名の衝立の裏を覗くと、文化、国々、民族のあいだで絶え間ない紛争が続いているというのが私の考えです。
トッドは今回の著作で西洋社会が母権制に移行するという、史上類を見ないことが起きつつあると書いていますが、それはまさに私が10年前、『女になりたがる男たち』で書いたことでした。
あの本のせいで私は大量の罵倒を浴びることになりましたけれどもね。(続く)
世界の多様性を描きつつ普遍主義を支持するふたりのトッド
エリック・ゼムールが断定「エマニュエル・トッドはジキル博士とハイド氏だ」
私たちが正面からぶつかる論点もあります。現状の認識が同じでも、そこから導き出す結論に極端な隔たりがあるのです。
私はゼムールと違って、諸民族が闘い合うといった劇的なビジョンは持っていません。世界が多様だと分析することは必ずしも暴力につながるわけではないのです。
むしろ世界がひとつになったと言うような人ほど紛争の種を蒔いていると考えています。⇒W,グローバリズムに対する至言である!
トッドは「ジキル博士とハイド氏」だ
ゼムール:たしかに私は世界史を紛争の歴史であり、それが変わることは未来永劫ないと考えています。哲学者のジュリアン・フロイントは未来がどうなるかと尋ねられて「虐殺だよ」と答えました。私も同じ考えです。
トッドの問題は、彼がジキル博士とハイド氏だということです。人口学者・博識家のトッドは世界が多様であることを見事に描き出します。一方、知識人・左派人権活動家のトッドは普遍主義の支持者です。このふたりのトッドのあいだに衝突があるのです。
トッドの著作を20年前から読んでいますが、そこでは直系家族に対する高い評価が見え見えです。直系家族が世界全体に抵抗できているから評価が高いのでしょう。
イギリスの核家族モデルがどうして優れているのかという話でも、英国貴族によって導入された直系家族の要素が重視されています。
トッド:その見方には賛同できません。でも、ゼムールがちゃんと本を読んでいる人物だと知り、いま感動してしまいましたよ。
ゼムール:なにが普遍主義者のトッドを苦しませるのか。それは自分が嫌いなものが自分の好きなものよりも優れていることを発見してしまうところなのです。
トッド:たしかに自分の発見と自分のイデオロギー上の傾向のあいだに葛藤が生じることは、これまでの人生でもありました。
しかし、今回の本『我々はどこからきて、今どこにいるのか?』で表に出ているのは、歴史家・人類学者としての私です。
前著『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』刊行後の論争で、すっかりトラウマを抱えることになりましたからね。私は論争には向かない性分なのです。ですから今回の本は研究に戻ったのだと言えます。
エリート主義とポピュリズムのあいだで交渉があるべきだ
──とはいえ今回の本でも「あとがき」の部分にかなりの政治的な態度表明があるように思えます。
2016~17年は、エリート主義とポピュリズムがぶつかるアヌス・ミラビリス(ラテン語で「驚異の年」の意)でした。米仏英という西洋の三大自由民主主義国家を見てみましょう。この三国では高等教育を受けていない人たち、すなわち「グローバル化の負け組」が反乱を起こしました。
観察すると、この抗議活動に対するエリートたちの向き合い方には三通りあることがわかりました。
フランスでは、マクロンが大統領に選ばれました。上流階級が傲慢に勝ち誇り、低学歴の労働者を踏みにじったのです。
アメリカの状況は、フランスとイギリスの中間でした。庶民階級の白人がトランプに権力を握らせたので、共和党のエリートはトランプを支持せざるをえなくなりました。しかし、大学、シリコンバレー、メディアといったエスタブリッシュメントがトランプの正統性を認めなかったので、アメリカは分裂状態に陥ったのです。
一方、イギリスでは小さな奇跡が起きました。庶民階級がEU離脱に票を投じたところ、エリートたちがその選択を受け入れ、それを実行したのです。
W.日本庶民の代弁者は、自らの置かれた状況を投票として表現できる契機が予め封殺されて政党的に分断され、そのために鬱積する普遍不満を支配政党と行政機構が己の利益のためだけに利用している。コレは米英仏にない本物の裏切り行為である。
私はこういうイギリス流の解決策がいいと強く主張しています。エリート主義とポピュリズムのあいだで交渉があるべきなのです。⇒W.日本語版刊行2020年、あとがき参照。冒頭に挙げた。ナショナリズム、保護貿易主義はリアルに貫徹できるのか?
>物価高で苦しむだけ。
>20世紀の帝国主義の歴史も考えてみる必要がある。保護貿易主義、ブロック経済⇔戦争ではなかったか。かじ取りは難しい。
──なぜイギリスはうまくいったのでしょうか。
W。以下の下りを著書では数値を挙げて理論的に説明しているが、ここまではっきり言ってくれると解りやすい!カーストあべさんが暗殺の要因がわかる。
トッド:フランスとアメリカの共通点は、能力主義を理想としていたところです。能力主義こそ最も平等だという信念があったのです。
ただ、能力主義には危うい側面があります。それは学校で勉強ができた人たちが、自分は誰からも恩義を受けることなく、自力で成功したのだと思い込み、自分の下にいる人たちとの接触をいっさい失ってしまうところです。
自分が最も優秀なのだと本気で信じ込んでしまう人たちが出てくるのです。とくに何もないところからプチブルに成り上がった人たちが、このような感情を強く持ちます。特権に恵まれたカーストの出身者だと、自力ですべてを成し遂げたとは、たとえ言いたくても、とても言えませんからね。
貴族主義の要素があるイギリスがうまくいったのは、この能力主義に完全に染まっていなかったからなのでしょう。⇒w。ナルホド辻褄があっている!能力主義エリートとは一線を置かざる得なかったアベさんがネット右翼に人気があった構図が解る。