反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第1回。前回の記事2024-01-14を深堀り。鴨長明「方丈記」(1)ゆく川の流れは絶えずして~以下の解釈。文豪佐藤春夫の現代語訳(岩波文庫)は意訳すぎる。無常を中世にはなかった運命の用語(大正時代)に置き換え。時代の要請に従い、読者に厭戦気分を起こさせない現代語訳。方丈記をまともに読めば<戦争>や<イベント空騒ぎ>否定。

 出典

http://www.manabu-oshieru.com/daigakujuken/kobun/houjyouki/01.html

W。前回の記事大阪万博大型木造リング。

の工法は至極簡単な古の工法という認識を深堀していくと、鴨長明方丈記」の<世とヒトと住か>の一説が浮かんでくる、とした。

該当箇所だけをコピーしても良かったが、この機会に、「方丈記」の世界を再発見してみたくなった。できるだけ<世とヒトと住か>の一説にはこだわってみる。

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     時空を羽ばたく世とヒト住処>のパノラマ獲得の境地

  原文引用 14行以降

知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、②無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。」

 

 今回の「方丈記」探求で

無常をあらそひ去るさま」の現代語訳が気になった。

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出典現代語訳では常に変転すること争う有様」。直訳である。

W。劇場型政治にぴったり!

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 政治の世界でも「改革」は人々に耳触りの良いフレーズである。

昔の日本の政治に改革の連呼はなかった。

政治が「改革」を叫ばなくても、世の中と生活が活力ある方向に勝手に変わっていった。

社会と経済がグローバル化した内外矛盾に対して

人々はその解決を政治に求めるが、国民国家に基盤を置く政治ではコントロールできない部分が拡大する。

しかし

過去の激動の時代を振り返ると、政治の本質は以下の通り。

「奴は敵だ!奴を殺せ!」

「政治家の本質は社会の森羅万象を知っているような振りをして大衆に説明する」

よってグローバル資本制下の大衆の不平不満と

リアル煉獄を知らず限界を忘れ、知らない政治家の本質が連携した最も悪いパターンが蔓延る。

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佐藤栄作政権のキャッチフレーズ「寛容と忍耐」。ボブディラン「 The Times They Are a-Changin' )」

また「改革」が求心力を持つのも日本だけの特異現象である。民心の間にこのままではいけないという危機感が漠然と浸透しているからだ。

*****文豪佐藤春夫訳「方丈記無常をあらそひ去るさま

「浄土」1937(昭和12)年4月号~7月号、9月号

W。意訳にもほどがある。

以下のフレーズの「無常をあらそひ去るさま」を人間社会を自然に見立てている。典型的な日本的社会観。「方丈記」には鴨長明の個人のキャラが前面に出ている。自然=社会の「悟りを開いた境地ではなかった。最後のオチは人間、長明に却っていて出色。

 

朝顏の露~以下の翻訳は朝顏の露フレーズ無視。日本自然主義文学調のフレーズの繰り返し。

    佐藤春夫現代語訳 

引用。わかりやすくするため前後も全部引用する必要があった。鴨長明の歯切れの良い論理的ハードボイルドな展開と雲泥の差。無駄を削ぎ落していない冗長な説明文。

  鴨長明>>佐藤春夫方丈記は1000年弱生き残った文学には威力と説得力がある。ま、災害文学の側面は否定できない。天変地異激しい付加体列島原住民、日本人の心性の原点である。

 以下の日本語訳を能登半島で被災した人が読むと愚弄されているように感じるのではないだろうか?運命で済まされない!

     ↓

「人間のこういう運命あしたに生れてはゆうべに死して行かなくてはならない果敢はかない運命、変転極りない運命、こういう事を深く考えて見ると全く、結んでは直に消え、消えては又結ぶ水流の泡沫の如きものではないかと思ったりする。奔流に結びつ消ゆる飛沫の運命、それがせんずる所人々の歩むべき運命なのである。
 一体多くの人々がこの世に生れ出て来るのであるが、これらの人々は何処どこから来たものであろうか。そして又何処へ行ってしまうのであろうか。等と考えて見ると何処から来、何処へ行くかと云う問いに対して答え得るものは何処にも居るものではなく、何処から来て何処へ行くかは永遠に解くを得ない謎であって人々はこの謎の中に生れ、そうして死して行くのである。水に浮ぶ泡が結び且つ消える様に。
 かく果敢なく、解くを得ない運命を歩まなくてはならない人々は又この世において何を楽しみ、何を苦しんで生きているのであろうか。
 泡のごとくに消えなくてはならない儘かの人生の中でどんな仕事に面白味を見出し又どんな事で苦しんでいるのかと多くの人々の答を求めたとすれば各種各様に答が出て決して一つのものにはならず、結局何を苦しみ、何を楽しんでいるのか、また何をすべきか等と云う事も一つの永遠に解き得ないになってしまうのである。⇒W.思考放棄、生臭坊主の説教。

  ↓

鴨長明 原文

そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさまいはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』」

W.荒地の半野生化した朝顔の花は簡単に散らない(数か月は持つ半年以上ツルに花を咲かせる)ことを発見して上のフレーズに抱いていたい違和感が解けた。当時の朝顔の花と露を無常をあらそひ去るさまに例えるのはリアル感覚だった。長明はジッと観察していた。

W。佐藤春夫訳⇒人の運命は謎。結局、文句言わず精一杯生きて行くのがヒトの道、という訳知り話~佐藤は吉田兼行「徒然草」の訳知り賢者振りを「批判しているのだが~~にすり替えている。

2,26事件の次の年、1937年中国戦線が拡大し日本が戦争の道をローリングストーンしていた時代の要請に従い、読者に厭戦気分を起こさせない現代語訳であった

方丈記をまともに読めば<戦争>や<大イベント空騒ぎ>から身を引く。

 だが、長明の隠遁させた人間の柵は東京オリンピック大阪万博、カジノと1000年経っても続く。止められない、止まらない、のだから。

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日本は国土の国土の26%がいわゆる「海抜ゼロメートル地区」と言われる海面下

にあるオランダに学んだ方が良い。」

華美なことを避けて質実で良いことは先進的に取り入れている。

徳川幕府が貿易相手に選んだのは、

オランダが分を弁え大国への道を拒否し(宗教妄想=伝導=軍事侵略のリンクがない)大国の間を小回りよく立ち回り立地条件の悪い国土を守り貿易と工業、農業で繁栄し、交流しても侵略されない、と判断していたからだ。

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佐藤春夫のキーワード運命鴨長明方丈記」に運命という用語は一切ない!運命

   運命 言葉 いつから?
 
大正八年(一九一九)発表。 中国明朝の建文帝の史実に基づく、歴史文学の傑作。 [語誌](1)漢籍にある「運命」は、「めぐりあわせ」「うまれつき」「天命」などの意味を持つが、日本では、挙例の「中右記‐寛治七年一二月四日」にある寿命」の意の用法のように、独自の意味変化も見られる。⇒W天寿かな?
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  漢籍
漢文で書かれた書物を指す。また日本で著された和書に対応する分類

人間のこういう運命、あしたに生れてはゆうべに死して行かなくてはならない果敢はかない運命、変転極りない運命、こういう事を深く考えて見ると全く、結んでは直に消え、消えては又結ぶ水流の泡沫の如きものではないかと思ったりする。奔流に結びつ消ゆる飛沫の運命、それがせんずる所人々の歩むべき運命なのである