反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

親(アメリカ)に対する思春期の子(日本)の反抗のごとき、甘ったれ歴史観のある保守論客の大著「江藤淳の批評とアメリカ」を徹底批判する。

 図書館で「江藤淳氏の批評とアメリカ」広木寧著なる480ページにも及ぶ大著を借りてきて、苦役の様に読みん込んだ。まさにネバならないである。吐きがするような本でも読まなければならないときがある。
 
 イロイロナ立場の人がイロイロナ考えを持って、生活し行動することは良いことである。意見や行動の違いをはっきりさせることもよいことである。
その場合、自分と反対側の人たちの意見や行動をひたすら拒絶するのではなく、キチンと視野に入れて、批判点を明らかにし、その上のモノを目指す、そういう心構えがなければ、事は前に進んでいかない。
 
 この著者は学生時代の昭和50年ごろから「国民文化研究会」なる戦前からの歴史を持った、右翼保守派の社団法人(文部省管轄)に研究会に出入りし、そこで江藤淳とも少し関わりがあり、その後、江藤銃熱烈支持者とでもいうべき立場から、地元九州において、「正統と異端」という文芸評論、日本思想の同人誌を発行している、真面目な御方である。
 
 学習塾をやりながら、コツコツと在野において、研究、評論活動をやっている、その志は高いモノがある。
右翼保守派には彼の様な独立独歩のヒトがかなりいる。
この日本の地にがっしりと足をつけて、高い志を持続させている、それは気高く、尊敬すべきことである。
 
 >「江藤淳論」は彼のモノ以外に、高澤秀次福田和也を読んだが、広木さんが一番、思想的立場を鮮明に打ち出していたし、斜に構えた処がなく、心が感じられた。
 
 >高澤のモノは使用言語が小難しすぎる。良くある左翼口調の論評の中に本人の思想的立場を埋もれさせてしまっている。
一体お前はどういう立場なんだ?そこがはっきりっしない。
 
 クロスワードパズルを解いているのではない、予定調和の物語を聞きたいわけでもない、ある意味、鮮明な江藤淳の思想政治的立場を評論しているのだから、己の立場の不鮮明は致命的である。
 
福田和也は著名な人であり、この中では一番読みやすかったが、有名になるということは俗に陥って、単純になるということだとわかる。
 しかし、力んで難しいことを書こうとしたとき、中身に乏しい馬脚を現している。結局、高澤と同じ口調になっている。
 
 >>従って、論評に値するのは、広木さんのモノだけと云うことになる。
 
が、広木さんの思想的立場を簡略化すれば、残念ながら、タイトルに挙げたようになってしまう。
ぶった切って書けば、思想的精神年齢、未だ成人に達せず、というところだ。
 
 480ページにも及ぶ大著はよく書けている、丁寧に考えている、良いところもあるが、自分の考えを強く打ち出しとところが全く駄目である。
 
 どうして彼がそうなっていまうか?ハッキリしている。
自分の狭い殻に閉じこもっているからだ。対局にある考え方にもイロイロあり、マスコミに流通しているモノへの嫌悪からスルーしている。
 無知だが私の様な反体制的な考え方も視野に入れて批判的論陣を張れば、新しい地平が切り開かれると考える。せいぜい、対局が吉本隆明、止まりじゃどうしようもない。
 
 >>さて、いつものことだが前置きが長くなっている。
しかし、明日は「日本敗戦の日」。広木さんの取り上げている論点の核心は日本の歴史観の問題である。
ちょうどよい機会である。
今回を第一回として、引き続き丁寧に批判しながら、自分の考えを述べていきたい。
 
 >ちなみに、日本では敗戦を終戦と云い換えているが、ドイツでは「ゼロの日」と銘打っている。
日本では敗戦を「ゼロの日」と称することはできなかっただろう。
 
 誰か、何処かに国民自らが敗戦の責任を転嫁し、ゼロから再出発するという、発想が制度的に出てこないはずだ。論理的に考えるとそういうことになる。
 
 解り易く言えば、日本にはナチスヒットラーも必要でなかった。そこの問題を突き詰めて考えていくところから戦前戦後論は深みを増していく。繰り返し書いているので初y略する。
 
日本軍隊と内務省の軍事警察治安官僚はアメリカ軍によって一掃されたが、天皇制と官僚制は形を変えて、占領政策遂行のために温存された。だから、ゼロからの新たな出発ではなかった。
 
 この戦後、初っ端のボタンの掛け方が、ずっと後になって、世界情勢が新帝国主義の様相を深めれば、深めるほど、大きなずれを生んでくるとみている。
 
 戦後初の国民選択の政権交代の後の東日本大震災福島原発事故はその大きな一階梯にならざる得ない。言い換えると、国民多数派にとってここが正念場となろう。
 
 >>>本論。
  広木さんは江藤淳ロックフェラー財団の給費生としてプリンストン大学で研究活動、後に教壇に立つ、処にスポットを当てている。
 若くして亡くなった、作家中上健次の好意的レッテル貼りによれば、江藤淳は反米愛国主義だそうである。
江藤淳が自殺したのは小泉竹中路線、以前であるが、彼が生きていたら、猛烈な反発心を持ったであろう。
アメリカに渡った時点の江藤淳の思想的位相はそういう処にあった。
 
 彼は敗戦国の国民として、戦後の平和と民主主義の時代風潮に寄り添わず、反発しながら、給費生に応じたのだから、渡航当初、アメリカには単純な意味で反発心を持っていた。小林秀雄から渡航前に「アメリカには何も学ぶものはないよ、日本を見つめなおす機会としなさい」とアドバイスをうけている。
 
 >訪米後しばらく呆然としていた江藤淳エドマンド、ウイルソンアメリ南北戦争を扱った書「愛国の血糊ー南北戦争の記録とアメリカの精神」に出会って、開眼した、と広木さんは書いている。広木さんの本は江藤淳の「アメリカと私」を丹念に跡付けているのだから、事実そうであろう。
 
 南北戦争アメリカの内乱である。
>平たく言えば、同じ国民同士が、敵と味方に分かれて血なまぐさい殺し合いをし、勝った方が負けた側を物心両面に渡って圧迫する、国内戦争である。
 広木さんは負けた南部の側の精神を大事にしている南部の作家フォークナまで引き合いに出して、日本敗戦による江藤淳の精神を位置づけている。江藤の反動的精神を正統化している、と云った方が正しい。
 
 敗戦直後、感情的にこの次元にとどまっていた日本人はむしろ当時は多数派だったが、アメリカ占領下の制度、政策によって、また生活に追われる中で徐々に、そのような感情は拡散していった。
 
 >戦前の支配層の一角を占めていた江藤家は敗戦によって、財産を喪失し、普通の庶民の暮らしになり、また結核による病弱、母親の急死、継母の出現など、から江藤自身が国家敗北を個人の敗北感に直結させていた。
 この意味で江藤は特殊な存在である。
 
 が、彼は二つの意味で間違っている。幼稚とさえ言っていい。
 
>>>>その一。
 民主主義とは何か?その市民間での発生獲得の物語として、エドマンド、ウイルソンはその大著を著したはずである。愛国とともに彼が表題に掲げた「アメリカ精神」とは、「アメリカ流の民主主義」を含むものである。エドマンド、ウイルソンと云えば、アメリカン、リベラルの本流に位置づけられる高名な評論家である。
 
 彼は著書で多分、民主主義の未熟な段階から獲得するまでは市民同士の血糊によって書かれた歴史が不可欠だった、その結果、もっと「高い次元に昇華」したところに、アメリカ民主主義=アメリカ精神が獲得されたと云いたいのだ。
 
 アメリカ時代の江藤を論評する広木さんには、こういう視点が一切欠如している。
いやと云うよりも、そんな思考を彼はスルーしなければ、彼独自の日本思想は成り立たないのだ。
江藤にも程度の差こそあれ、同じだろう。
 
 というのは、日本の内乱の結果としての絶対主義政府確立と云う次元を抑えず、蔑にして、その強権による明治維新後の富国強兵路線や明治天皇、乃木将軍まで「理想化」原点化する彼らにとって、アメリカの内乱から、アメリカン民主主義の獲得過程を視野に入れたら、己の論の一貫性が失われてしまう。
 
 >彼らの論理にとって内乱はあってはいけないのだ。己の論理の一貫性のため歴史的事実の目を閉じている。
 
要するに、こういう思想は偏狭な視野の狭いものであり、深みもない、と断定できる。
彼ら一部のモノが信奉するのは、何ら問題がないが、国民多数にこういう思想が浸透すると日本人は再び、政治選択を誤る。日本固有の思想文化を持つことは大切だが、世界に通用しないものはすでに敗戦によって淘汰されたと考える。
 それは、江藤たちが云う、アメリカ占領軍の圧迫、戦後日本へのその過大な影響を考慮に入れても、キッパリト我々はそう言い切る。
 
 >日本の敗戦は江藤たちが主張するような日本軍の敗戦であって、日本の敗北ではない、というポツダム宣言受諾への詭弁ではなく、日本の敗戦は日本思想の敗北だった。
歴史的事実を直視せず、歪曲し観念化した日本思想が木端微塵になったのだ。
間違った考えが戦争によって、淘汰されたのだ。
政治的暴力の強烈な表現形態である戦争は歴史を前に進めてきた。
 
 ここを潔く認めず、グズグズと云い訳、詭弁を弄しているのが、彼らの日本思想である。実に情けなく、いじましい。後の論証するように、父(アメリカ)に対する子(日本)の反抗のごとく幼稚で精神年齢さえ疑わしめるものである。
 
 第二。
 フォークナーはアメリカ南部の歴史と土着性を作家生命とする生涯のほとんどを、生まれたミシシッピで隠遁者の様に過ごした天才、土着作家である。
 彼の主要作品は想像上の南部の地域とそこに住む人々の物語として展開されている。
つまり、南部隠遁作家であり、なおかつ、作品上も限定地域を対象とした特異作家であり、ノーベル文学賞は彼の作家としての天才性、独創性に授けられたのであって、社会分析家としての彼が評価されたものでは一切ない。
 
 フォークナーは特殊を描き切って人間的普遍性に到達した作家である。
その意味で彼が未だ南部の精神、南北戦争の傷跡を作家として自己の内部に温存するのは当たり前のことである。
 が、そういう事情を抜きにしてしか訪米直後の江藤の反動精神を説明できないところに、広木さん及び江藤の問題点がある。
 
                     次回に続く