反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

世界陸上テグ大会の感想とサッカー、野球の国際試合の熱狂の内容について。ーマスコミ、政治家は日本の愛国心は取扱注意の自覚をー

 世界陸上テグ大会。
素直に楽しめる。
競技者個人が能力の限界をストレートに発揮していて、清々しさを感じる。過程を素直に楽しめて、結果に公平感を感じ、納得できる。
 
 競技としてモロに身体能力が反映する以上、民族人種のDNAを感じる。
日本人としていくら、足掻いてても、どうしようもない壁がある。
その辺のわきまえを知る良い機会になる。イロイロ、世界には本質的な差異があり、努力精神力だけでは追いつかないことがある。
 本当の保守主義者はその辺のわきまえがあるが、最近の日本チャチャチャ!はそんな感情のひだもなくしている。ニッポンが一番だと云う。
 
しかし、今回の世界陸上
TBS制作。
報道姿勢も比較的中立、公平でわだかまりなく、スポーツを素直に楽しめ様にしてくれている。
 
 トラック競技ではアフリカ系の人たちと日本人競技者とでは骨格の違いがあまりにもあり過ぎる。
 
 人類発祥の地がどうしてアフリカなのか何となくわかったような気になる。
アメリカ大陸の黒人選手たちの祖先も、元をただせば、アフリカの奴隷狩りで拉致監禁され、肉体商品として連れてこられた人たち。見たところ、現地のインディオや白人の血が混じっていない純粋黒人たちの様だ。
 
アフリカの巨岩に描かれた先史時代の超素朴な壁画の、狩りをする人間像から抜け出してきたような人たちがトラックをスイスイと駆けている。
先史時代。あのような軽やかなスライドで、草原を走り回って獲物に接近していたのだろう。
 
 人類は頭脳の発達により、他の動物の頂点にたった、と云うことだけでない様な気がする。
ある程度の身体能力の裏付けがないと、初期の段階では、やっていけなかっただろう。
 そいういう、人間としての当たり前の原始的DNAが世界に流れていって、環境に応じて退化したと。
 
 ところが、
サッカーなどの団体競技の世界大会は国を前面に出して放映しているので、見ていて楽しめない。無視することが多い。
 最もサッカーをよく知らない。凝り性なので、無関心領域には反応が鈍い。
 
 
 国家を「発情」する機会とする人を否定はしない。世界中どこにでもいる。
 
 ただし、ヨーロッパにおけるサッカーが頂点、典型になっており、その特殊性が無意識に模倣されている側面があるようだ。
南米のサッカー熱とは中身が違うのではないか?
8月19日ベルギーリーグの試合で日本から移籍してる日本ナショナルチームの川島は「相手チームのファンに、-カワシマ、フクシマ、カワシマ、フクシマーと福島原発事故を揶揄した野次を浴びせられ、ビールのコップを投げ透けられたと報じられている。
 
 ヨーロッパのサッカー熱にどこか歪さが持ち込まれているようだ。
その背景の説明になるかどうかわからないが、一応、次のことが想定される。
 
 ヨーロッパのEUにまで至る統合への歴史は古い。
次第に国家の権限がヨーロッパ地域主権に委譲されてきた。その過程で各国で国家、民族意識、地域利害を根拠とする粘り強い反対運動が左右の垣根を越えて展開されてきた。
 そして今の様な、共通通貨発行、国境取っ払い、各種の規制緩和による全ヨーロッパ規模のグローバル資本の利益に沿った拡大市場が生まれている。
これと、各国の財政、政治との二重構造になっている。
その場合、資本移動の自由性の犠牲になる労働層を中心に各分野で不利益を実際に受ける人たちが広範に生まれる。
 政治のリアルな現実として、ヨーロッパのサッカーは、こういう特殊な環境において、民衆の憂さのはけ口となってきた。
 
 昔を思い出すと、今の様にサッカーで大騒ぎしていなかった。
 
 日本ではそこまで至っていないが、マスコミの国威発揚的煽りは加速し、それに煽られ、その気になっている層が広範に広がっている。
日本にヨーロッパの様な統合の大枠はない。むしろ孤立している。
そういう周辺環境の中でのマスコミの無定見な煽りがある。単なるスポーツの上での熱狂は偏狭、差別排外の国家意識に固定化される可能性がある。現実にそれを煽ることを重要な政治手段とする政治家が小泉以降、次々とたちあらわれている。 
 
 日本はマイナースポーツ時代からJリーグ発足の時、マスコミと協会が人為的に急増の人気を煽りたて、その際、先進地域のヨーロッパ方式が単純模倣された。
 
 しかし、日本のサッカーファンの中にも熱烈応援する我がチームから飛躍して、日本ナショナル、チームへの国民の熱狂に、ハッキリと違和感を表明し、NOと云う方がいる。
そんな方が、普段全く非政治的な方だから、素朴な庶民の感情と受け止められる。
 ただ、その方でさえブログで「非国民と云われようが、国際試合は興味がわかない」と断らざる得ない、空気があるようだ。
 ホント、マスコミは「取扱注意のモノ」を慎重に取り扱ってほしい。
日本人の大方の愛国心は取扱注意。暴走が懸念されるから、日本国憲法の内容が制定された。
 
この方にとって国民規模の熱狂にはサッカーファンでなくて、サッカーのなんたるかに普段全く関心を示さない人の異常な熱狂が多く含まれていることへの素朴な違和感なのだろう。
 
 ガキの頃、野球をやっていた私ももこの気持ちはよくわかる。
 
野球のオールジャパンはピンとこない。
 
 尤も、野球はフィールドの形、面積、ボールの大きさ、重さが国によって違う、地域的スポーツ。
 
今年から、プロ、アマ共通にボールを先にカウントするアメリカ方式に突然変更。
 
統一球の使用はいいとして、画策している政治意図が明け透けに見えて来る。
 
視聴率急落でテレビ放映の中止など国民規模での野球人気の低落をチンケ、インチキ臭い国際試合を演出し国民感情を煽ることに打開の道を見つけ出していおるのだろう。
 最高目標はオリンピック競技としての復活。
 
 繰り返すが、取り扱いに注意してほしい。
目先の視聴率稼ぎや金儲けに目がくらみ、国民多数を二度と戻れないところに誘導していることに気付くべきだ
より悪い方、悪い方への選択は政治的上部構造を形成する政治やマスコミは絶対してはならない。
 
 経済の大きな流れは政治ではどうこうできないが。
それをできるように国民に勘違いさせるような見解をその都度、政治家やマスコミが披歴し、他方で、何とかできる政治選択や報道姿勢で「より悪い方、より悪い方」を選択する。
 
だから、両方含めて、国民多数を奈落に誘導する。