早朝、ウォーキング途上、いつもヨーグルト1個を買い込むコンビニで遂に、記事を書くため、週刊現代を買ってきた。
前日、小泉元首相秘書の飯島勲の橋下評にザット目を通して、在り来たりの橋下批判しか載ってないと結論付けていたが、最近記事作成の壁にぶつかっており、なかなか記事が書けないため、こうした品性下劣な男が持ち出す話題でも、参考にするしかないと、思い立った。
で、今日のウォーキングの終わりに、週刊現代を。
ナント、どうでもよく、吐き気をもようおす様な記事の羅列の週刊誌は400円というではないか!
「天皇陛下<隠された本当の病状>って、私は一切関心がない。
東京中心部の広大な邸宅に住んでいる、老人の病状まで、想いを致せば、キリがない。
そういう身分の人たちを法律で定めた時代に居合わせた訳でないが、生きる時代を選択出来たら、断然今よりその時代が良い。
「大人のジャッズタイム」の番組途中で老ダンディ島崎さんが良い事を云っていた。
リクエスト曲の紹介の成り行きで出てきた言葉ではなく、予めコレが云いたくて、熟考していたはずだ。
戦災で肉親を失った浮浪児の群れ、米軍相手のパンパン、都市の食糧難は家庭に及び学校に弁当持参できない子供がたくさんいて、弁当のカツアゲは日常化していた。
そういう時代を体験した島崎さんは、日本は戦争になったり、緊急事態に遭遇すると、そういう事になる国がらと今のヒトは知っておいた方が良い、と、相方の若いシンガーソングライターに語っていた。
が、あの時の彼女の応答からは、何処まで理解しているのか、疑問。
無理もないことなのだが。
こういう歴史的事実はズット後の世代のモノは結局、頭で解るしかない。
戦後混乱期の生々しい活写から今の豊かな時代を跡付けるのが歴史の教科書的な記述の常とう手段だが、それだけでは解ったことに、全くならない。
島崎さんのいう、知っておいた方が良い(頭に叩き込んでおいたほうが良い、と云う意味)日本の国柄(そもそもの国のかたち)は現時点における、<国民一人当たりの農地面積>や<一人当たりの耕地面積>の国際比較を持ち出して解説するモノがいなければ、理解できない。
牧場の多さや、作付品種の違いを考慮しても、驚くべき少なさである。イギリスの8分の1程度でその他先進国とは比較対象外。平地が少なく、構造物が人間が密集して暮らせばそういう事になる。
その実態への備えを怠らないのが政治だと考えるが、やってきた事、目指す方向は真逆。
今そういう事をできる雰囲気が教育現場にあるのか?日本社会=マスコミにあるのか?
橋下政治など、こういう方向から、見ると大失格だ。
食糧難は、何も敗戦によってだけもたらされたモノではない。
満州国成立も食糧、資源調達の意味が大きい。
太平洋戦争に追い込まれたのも石油などの基本資源は経済制裁で調達できなかったからだ。
しかし、島崎さんは強調していた。
石油の供給ルートが途絶えたと大騒ぎするが、日本の国柄はそもそも、ズット食糧不足だった、と。
考えてみると、戦争直後、食糧難に陥った、主原因は敗戦による経済混乱で都市の農村に渡る食料品供給ルートと正常な市場が壊滅した事による、日本の潜在的な日本の<国民一人当たりの農地面積><一人当たりの耕地面積>の余りの矮小性があらわになっただけである。
日本は世の中、世界が混乱すれば、食えないヒトがたくさん出現する国柄なのである。
砂上の楼閣の様な都会生活の実態が明らかになる。不換紙幣は政府が宣言すれば、紙くず同然になる。
都会と田舎の立場が逆転する。
>昨日の酒の肴はセシウムがキッチリ沁み渡っているであろうサバの姿焼で、嘴から尾っぽの先までの全長が30センチ弱、丸々と太っており、アユの塩焼きの様にねじられて焼きあげられた魚体の背はグッさりと切れ目を入れられ、そこからにじみ出た脂が光っていた。
そのサバの姿焼398円!
週刊現代400円!
旨い大きなサバの姿焼を酒の肴に、愛飲の安酒パック焼酎大分麦焼酎「よかいち」をキッチリ量りで計測して、その他諸々のおかづと共に時間をかけて、食し、ほろ酔い加減でボーッツとして、一日を終了。早々と寝床につく
週刊現代は本質的に不要である。
こんな記事もイラナイ。
ブログ記事が書けないのは、もう書くことがなくなった境地に近付いてきているからだ。
手前味噌になるが、3月19日(月)の記事の最後の部分は、近年の自分の政治傾向を反省させ、原点に帰れと肝に銘じるものだった。
書いていて、何かパッと開けた処を垣間見たような気がした。
一つの大きな事態を<次元を変えてみる>と、様相は別のモノに見える。
それは単に別な角度からみるというのではない。
>>「グローバル資本制による古い基盤の崩壊を<遅らせたい><止めたい><防ぎたい>などとする主張願望する反動主義者」になってはいけない。
社会経済に奈落の底が生まれるのは仕方がない。止めることはできない。
>彼の云う、具体的な成果を上げていない、とは一体何をさすのか?
ならば、縷々述べている橋下の府知事時代や現在の「云っている事と実際にやっていることが違う」と云う具体例を挙げての指摘は国政政治家として「具体的成果を上げていない」未知数だが、その人気は利用する、と云う事だ。アカラサマニ云えば。
>「国民にとって幸せな選択ではない事を現段階?では指摘しておきたいと想います」
ならば、そういう国民選択をさせかねない政治家を「支持する人間の一人であります」は矛盾するし、時代状況への判断力がまるで語られておらず、身近な政治技術の巧拙に置き換わっている。
所詮政治家秘書の程度だ。
>非政党扱いになる維新の会のハンデによって小選挙区と比例区への一候補者の重複理候補ができないとか、比例区単独立候補は定数の2割以上の候補者を揃えなければならないとか、技術論で橋下と維新の会出現の時代状況を判断している。
これからの政治家は今までと違って、大状況への判断をいい加減にできない。時代状況が急旋回している。
大震災、原発事故は経済負担よりも、国民をひとまとめにしよう躍起になって、報じたマスコミ報道によって、国民の政治意識が急速に保守的になったことが大きいし、後の日本の歩みに影響を与える。
橋下支持層は圧迫された保守的衝動、不平不満が基軸にある。
1923年、関東大震災後の日本のリアルな歴史は今とこれからの日本を予測する参考になる。
1920年代の政友会、民政党の二大政党の時代から、20年代後半の政党政治の混乱期の様相は、政友会が地方分権を選挙の争点に据えるも、内外の時代状況に引きずられ、軍部台頭から、破たんしていく状況は参考になる。
昔軍部で今、大企業か?
だったら、昔と同じく、その動向に尤も都合のいい政府が近い内に出来上がる。
今はその階梯を歩んでいる。橋下と維新会はその中で青年将校にに例えられるのか?
尤もあの時代も民間ファシストが跳梁跋扈していた。
いづれにしても、財界の都合に沿って日本と日本国民をに引っ張っていく。
日本は小さな政府である。
公務員数も極端に少ないレベル。
要は会社中心で回ってきた国だった。
それでもまだ公共セクターを切り詰めなければならない、と云う。逆に民間資本は優遇されなければ、海外に出ていったりしてみんなが食えなくなるという。
大状況への認識希薄、誤りがあれば、橋下人気を利用しようという下心が優先する。
落選させられるかもしれないと、必要以上に震えて、過大評価にもなるし、過小評価にもなる。
私の予測では橋下票に尤も食われるのは民主党。
自公の票田は政権交代時の獲得票38%からみても、固定票の部分が大きい。
低年齢層が層として投票行動を起こせば、その部分はほとんど橋下に流れる。飯島の云っているのはそれが議席に結びつくかどうかカギを握っているという事だ。政権交代時の元民主支持票プラス、若者浮動票が橋下固定票。
その他、橋下府知事時代の公債発行高、増加による借金増加。
大阪都構想の政策的合理性のなさ批判、の元小泉秘書の飯島は橋下政治の基本がマスコミとタッグを組んだ言葉と行動によるヒト騙し、誤魔化し、すり替え、パフォーマンスにある、とまではいえない。
高層ビル買収、府庁移転失敗=解りきった無理を強硬し、巨額の財政負担を与えている事には口をつぐむ。
政治家として、踏むべき順序を無視して、次々と目先のアドバルーンを挙げて、政治行動を企画する、との飯島の批判は国民にとって「ここに注意が必要なんです」程度に収まる問題でない。
それによって生活と経済が混乱する。
慢性デフレ大阪に置いて、彼らのやろうとしている事はデフレ要因の促進ばかり。そのうち巨大開発を持ち出すのだろうが。
それによれば、彼らは支配層に成りあがっていくほどに、支配層の流儀に染まっていき、それをメルクマールに出世階段を上っていく。
ならず者が成らずモノとして、政権に就くナチと日本の軍国主義者はそこが違うらしい。
天皇を頂点とした無責任体制の中では上層の文武官僚は責任を取らない。
橋下パフォーマンスも時間が経過すれば、どうなっているんだという政治責任が問われる。
が、たったの3年で任期満了を待たず、府知事職を投げ出して、ダブル選挙を仕掛けている。
民主主義にとって欠かせない手続き無視の野蛮政治であるが、こういう事を問題視しない世論が形成されつつある。
>橋下だけでではなく、そちらの事情を俎上に上げる必要がある。