反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

現人類は約2万年前の最終氷河期(旧石器時代)の過酷な環境に適応するため基本設計が定まったが、その後の温暖化、急激な社会変動、価値観の多様性など新たに加わった周辺環境に対処するには基本設計が古過ぎる。

 今日の早朝も相変わらず、ストレッチから軽い筋トレ、ウォーキング。
快晴。春霞がかかっている。公園の桜はほぼ満開。今年は一番開花が遅れいるようで、例年だと阪神競馬場桜花賞の頃の桜は満開状態を過ぎて、花冷えのする冷たい風に吹かれて、桜吹雪の状態だった。
 そういえば、先日、異例の春の嵐が吹き荒れた。
 
 今年の阪神競馬場の桜は、今日の温かい春の日差しを受けて、レースが始まる頃には、満開だろう。
こんなことはあまり記憶にない。
今日の日曜日が終われば、明日の月曜は新一年生の入学式。
 桜満開の入学式に成る。
 
 今朝。春の明るい日差しはあるから、暖かい様に感じるが、実はとても寒い朝で、温度計を見ると3月上旬並みのようだ。
 
 そういう訳で、今日も陽光に映える桜を眺めながら二つの公園を歩いた。
 
 が、時々想わないでもない。
何でこんなことをしているのだろう?物凄い時間のロスをしている、と。習慣で、そういう流れができて、身を任せているだけ。
馬鹿な事をやっているという想いが、正直、拭いされない。
 
 何もしないで、体重をキープできて、筋肉が落ちなければ、良いに越したことはない。
 
>そこで冒頭のタイトル。
 
 ある地方史の本を開くと、その地方の縄文時代のズット以前の、2万年ほど前の旧石器時代時代の遺跡の発掘物から、説き起こす際に、冒頭タイトルにした様なフレーズが出てきた。
 
 地球が氷河期の寒冷な気候に覆われていた時代。海面は今よりも100メートルも下がっており、日本列島は大陸と陸続きで繋がっていた。
 亜寒帯の森林におおわれた陸上にはオオツノジカやナンマンゾウが生息して、すでに日本に居住していた人類は「進化段階は現生人類と同じ新人で、私たちと思考能力も運動能力も全く差異のない、直接の祖先」だった。
 
 過酷な環境に適応するところから出発した私たち人類は
<未だに寒冷な旧石器時代に{基本設計}の定まった身体構造>を引きずっている。
 
 余分なカロリーを急激に脂肪に蓄える、過酷な時代がもたらした{基本設計}が、食いものが、自分で作ったり、採ったりするする現場とかけ離れて、カネよって簡単に手に入る時代に、肥満と云う形でそぐわなくなっている。
だから、脂肪をつけさせないために、運動に時間を割かなければならない。
その作業を素晴らしいとばかり、想うのは勝手な思い込みであり、本当は、馬鹿な事をやっている。
食い過ぎの快楽におぼれ、辻褄合わせをしているだけじゃないか。
そういうカネがあれば、世界中の飢えた人で助かるヒトがいる。理性で考えるとそういう事に成る。
 
 >現人類は長く続いた過酷な生存環境を生き抜くに従って、そうした環境への強固な適応力がDNAにインプットされた。
それを著者は{基本設計}と云う適切な言葉で表現している。
 
 その後の地球の気候の温暖化のよって海水面が上昇し、日本は大陸と切り離され、海進の最も進んだ約6000年間には海は今よりずっと列島に入りこんでいた。
 
 >>やがて新石器時代から、縄文時代が始まるのだが、この著者の指摘している、{基本設計不適応}は、もっとスケールのデカイ事だ。
 
 「その後の気候の温暖化」。
ここまでは自然現象の大きな変動に対する氷河期に{基本設計}された現人類の不適応であり、何のことはない常識の範囲。
 
 >>「急激な社会変動」。
そして「価値観の多様性など」。
に「対処するには{基本設計が<余りに古い}のではないかと云う、現状認識が可能なのである」とまで云われると、つい一足飛びに、現在の地球規模に沸き起こっている諸問題への人類のDNA的基本設計の余りの古さゆえの不適応=DNA的解決能力不在をに想いを馳せてしまう。
 
 そういえば、人類はズット戦争しつけてきたな。
最後は力による解決の道を選択してきて、厄介なことにそれが起動力となって、歴史が前に進んできた。
 
 その挙句の果てが、尤も破壊的殺人兵器としての「核兵器」の開発とその使用。
それが、原子力潜水艦に転用され、次に原子力発電に使用され、遂には日本の福島原発事故によって、当然の事ながら、地球のプレート移動の法則によって、その存在を否定された。
にもかかわらず、利潤を追い求める資本の蓄積構造に引きずられ、原発を再稼働するという。
 
 核ミサイルを独占する大国が、自分たちの軍事的独占を維持するために、都合の良い国の核武装は許し、都合の悪い国の核武装は許さないと、核兵器の世界的多様化に圧力をかける。
 
 それだけではなく、グローバル資本制の反人間性はますます、コントロール不能状態に成っている。
地球環境破壊の原因も結局、グローバル資本制に行き着く。
 
 2万年前の最終氷河期時代に定着した人類のDNA=急激な社会変動、価値観への不適応のある基本設計、では、今のところこれらの方向性は修正できる見通しが立たない。
 物事には表側と裏側があるが、それにしても、表側のきらめきに反して裏側は酷過ぎて、反人類の領域に深く達している。
 
>>が、著者は<人間は急激に変わる>モノと、云う視点を歴史的事実から、提起している。
従来の歴史学では縄文時代から弥生時代への転換を朝鮮半島からの渡来系弥生人の移住、定着に求めているが、日本定住の縄文人、自らが主体的に、
朝鮮半島の人々との交換や交流をきっかけに、水や土地など自然と人間の関わり方から、日常の価値観、時間の観念、ひては死生観を軸に据えた宇宙観に至るまで縄文文化をそれを完全に脱ぎ捨て、自らを水稲農耕民=朝鮮半島系渡来人風に仕立てなおして再出発した」
「しかも、朝鮮半島系の文化的要素が初期の頃から、揃って導入されているところを見れば、この再出発は集団規模で、おそらく<1世代の間に、組織的かつ短期間で生じたとみる必要がある」
「現代人の感覚になぞって表現すれば、それは宗教上の集団改宗に近い状態だと理解すべきであろう」 
 
 >以上の論説は考古学の出土品から、解き明かされており、説得力がある。
「疑いようもなくハッキリとした朝鮮半島系の墓の下に埋葬されていたのは、予想に反して縄文的形質を備えた人物であった。」
水稲稲作が日本列島に広まった頃、同じ地域の同時期に縄文的生活を送るムラと弥生的水稲稲作のムラの共存が確認されている。
この時の水稲稲作弥生ムラは渡来系の弥生人ではなく、渡来系の生産様式に短期間で組織的に改宗した日本土着の縄文人だった。
 
 >この様に考えていくと、従来の歴史学説の云う、弥生時代の爆発的人口増加の原因を朝鮮渡来人の日本への圧倒的な数に求める、不自然さが拭いされる。
確かに渡来人数も増加したが、日本土着の縄文人は渡来人と混血して弥生人となって水稲稲作民に自己変革した。
 
>>ただし、土着の縄文式生産様式よりも、手間はかかるが渡来系の生産様式の方が労働成果は大きく得られ、安定的であるという、やはり、物的な要素によって、この自己変革は可能となったと想う。
やがて、そこで取り入れた生産様式が戦争的抗争と共同体の階層分解を生む。