2019/5/1(水) 午後 2:47 反俗日記。
あるSEALDs,青年→「個人として考える、そして自分の場所で戦う」
「人間の主体は既存のシステムに身を置く存在でありながら、それを超えていく力を持っている。」
>反俗日記、引用
「Wの注釈 キーポイント
なによりもまず、「時代と場所という条件~を離れて価値決定はなしえないという命題に帰着する」が、
>個人が己を取り巻く秩序の中に埋もれているとき、
すなわち個人の存在そのものが秩序にあらかじめ織り込まれているとき、個人はどこまでも自然的で原始的な世界の一要素に過ぎない。
W。この箇所がシールズさんの云う脳内チップ取り出せ、
>この個人を相対化しうるためには、
その秩序の外へと 「出てー立つex sistしかない。」
↑ ↑
W。反俗日記.
櫻井よしこ氏批判記事参照。彼らの云う<日本>に自然的原始的要素を見出し安住した時、それまでの知識の切磋琢磨の面倒な作業は必要はなくなり~~個人を相対化しうるためには、その秩序の外へと 「出てー立つex sistしかない。」~~絶対的立場(絶対尺度)からすべてをぶった切ることができるようになった。
~令和などとい年号を聞いたとき、即座に古代半国家の匂いがして不気味さ、と内外状況に立ち向かう政治スタンスを感じた。
ヨーロッパ政治情勢も似たような傾向が台頭。
スコットランド離脱、EU関税同盟離脱の「イギリス」現実政治の曲折は歴史上初の議会制民主制度を血みどろになって実施した国と民衆の正直な反映、歴史の螺旋的回帰であり、この事態を報じる日本のマスコミ報道は表層的すぎるし、我が身を振り返っていない。
フランスの騒動も反応として必然で(イギリス→フランス」)、動きの少ないかに見えるドイツ政治のありようも昔の残滓を引きづっている。日本も同様。
中国が専制国家体制の上部構造と国家的グロ資本で進むのも必然。
ロシアは東欧に拡大した政治軍事優先の分不相応のスターリン主義体制の後始末に完全に失敗して、経済力を大きくそがれた。
そうであるがゆえに上半身は一種の原理主義。
このマッチングがリアル政治で台頭してくる。
いまの、これからの代議民主制において多くの民衆(金融寡頭制以外の上層、没落中層。立ち位置不明の下層)にとってそれが心地よく見える聞こえる!
認知症の中核症状周辺症状は、政治の世界に転用できる。
ファジーな領域が多い人文の領域を取り扱っている場合、謙虚な姿勢がいる。
「介護」するものは介護されている。
反俗日記 2012/4/8(日) 午後 2:19
W.。コメント引用。
「新版県史47巻の1巻の古代史の記述の斬新さに、後の部分を読まずに記事にしようしたほど触発されました。
読んでいて、新しい見方考え方の境地が垣間見えたような気がして、何か救われた様な気がしました。
旧石器時代の人類の基本設計の保守性による、その後のあらゆる環境変化との基本矛盾と云う人類の深い闇の確認から、「明るい展望として」、縄文人の弥生人への急速な自己変革を取り上げたのは、私の勝手なこじ付けであり、最後の部分で破たんはあきらかです。
この記事はほめていただけるような代物ではありませんが、世間には知られていない素晴らしいアイデアを紹介したという意味では転載してください。」
読んでいて、新しい見方考え方の境地が垣間見えたような気がして、何か救われた様な気がしました。
旧石器時代の人類の基本設計の保守性による、その後のあらゆる環境変化との基本矛盾と云う人類の深い闇の確認から、「明るい展望として」、縄文人の弥生人への急速な自己変革を取り上げたのは、私の勝手なこじ付けであり、最後の部分で破たんはあきらかです。
この記事はほめていただけるような代物ではありませんが、世間には知られていない素晴らしいアイデアを紹介したという意味では転載してください。」
本文 末尾、引用
>>ただし、土着の縄文式生産様式よりも、手間はかかるが渡来系の生産様式の方が労働成果は大きく得られ、安定的であるという、やはり、物的な要素によって、この自己変革は可能となったと想う。
やがて、そこで取り入れた生産様式が戦争的抗争と共同体の階層分解を生む。」
人間は自覚する物質。