反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

6月28日。本日、近鉄、信貴山口駅から、高安山頂上へ。生駒山系の尾根を縦走し、どん鶴峯に抜ける予定。

 1週間の天気予報、自分の都合から、このルートを決行するのは今日しかない。
6月初旬、2日、連続で生駒山系の山歩きをした。
 
 1日目。フト、アジサイの花の咲き誇るアジサイ園に行ってみたくなった。ところが、時期があまりにも早過ぎてアジサイの花はまだ蕾だった。平地より、時期がかなりズレテいる。
山中で休憩時間をたっぷり取って、買いこんできた「増税とはだれのためか」をじっくりと読んで、帰ってきた。
カネの話ばっかりが、連綿と続く、開けた思考回路のない、うっとうしいだけの本だった。 
 
 2日目。生駒山の縦走を思い立った。ところが、近鉄石切駅に到着した時刻は11、30頃。山歩きの途中で、この調子では予定の信貴山山口駅まで5時半ごろまで到着するためのはぶっ飛ばすしかないな、割り切った。
この日も最初、山中で「ニューヨーカー」のなんたらと云う、新書本を山中で読んでいたから、時間が押してきた。この本に書かれた上層ニューヨーカーの生活実態こそ、読んでいて胸糞が悪くなるモノだった。
ま、批判的に描写している本人の日本女性自身がニューヨークの金融ユダヤ人と結婚して、同じ次元のニューヨーク生活をしているのだから、どうしようもない。読んでいて吐き気がするのは当たり前だ。
 
 そこで、暗峠から、生駒山スカイラインという、近鉄資本の作った有料道路を最後の方は駆け足で駆け抜けた。
 目標の高安山ー下山ルートの信貴山登山道の大体の距離15キロ、暗がり峠到着の時刻14、30から計算すれば、そういう荒っぽい事をしなければならない。
 
 それでも、このスカイライン行き、はいつもの登山道行きと違った、面白い行程だった。
二車線道路を歩いている途中、車にめったに出会ず、ゆったりと周囲の景色を堪能した。
道路の両脇に苔むした古木並木がづっと続いていた。エノキ、ケヤキヤマザクラ、モミジ。ああいう古木並木に今までお目にかかったことがない。
 
 コレはどうした事なんだろう、とつい考えてしまった。
元々、古木の繁る尾根に近鉄大資本が生駒山頂上遊園地を終点とする有料道路を切り開いたのか?
それとも、他から運んできて植えたのか?
後者だと想う。
 
そうすると、コレも現代資本制の端的な象徴。
人間的営みとして、文化の香りは確かに感じる。乱開発とばかりは言い切れない。
 
 生駒山にはたくさんの寺院がある。
大きな処では信貴山寺宝山寺。そこらの平地の寺と比べ様がないほどの巨大寺院。
 
また修行僧の集った寺もたくさんある。
 
数十もの朝鮮寺もある。
 
さらに、生駒山石切登山ルートの脇道には7世紀の豪族の古墳がある。
ひょうたん山駅を少し登ったところには、地元豪族の古墳群がある。こちらの方は規模があまり大きくない。
 
信貴山は松永弾正が織田信長勢に包囲され、自爆焼死した山城跡である。
 
その近くの高安山には古代朝鮮の新羅、唐連合軍を敵に回した百済に援軍を派遣した九州豪族主体の「日本軍」が白村江の海戦で敗れ、その後全国統一した大和朝廷の対新羅、唐への防御陣地跡がある。
 
1500年の歴史を経て、営々と築き上げてきた人間の英知と力の営みと、現代資本制の営為が生駒山には共存している。
ここに日本と東アジアの過去、現在が共にある。
歴史的時間をかけて築き上げてきた古の営為も生駒山の現代資本制の構築物と比べても、大したモノである。
 
いや、勝っているな。
コレが歴史の重みと云うヤツだろうな。
 
 アメリカなどのアングロサクソンユダヤ移民国家にはそういうモノが欠けらもない!
そういう国、国民の巻き散らかす、チンケなイデオロギーに屈従することは一切、ない。
 
 過去から未来への想像力を持つことが今の時代にこそ求められているのではないか。
 
 消費税増税論議のカネの話は確かに大切。
人間が人間を動かす時に力の強制力に頼るのは最低である。
それよりかおカネのネットワークでヒトが動く方がよっぽどマシで合理的。
ソ連東欧体制の崩壊への平凡な教訓である。
 
>しかし、おカネのネットワークでヒトが動く、裏面で人類の敵対物が蔓延るようになっている。
想像力をカネの話に終始させていたら、グローバル資本制の生み出す人類の敵対物を消化しきれなくなる。
 
>日本の戦後史はおカネに執着してきた歴史だった。
アメリカが元々そういう国であり、そのエゲツナサ、人間疎外から逃げ出したい人々は宗教に救いを求め、そこでまた別の人間疎外を受けて、自分たちの周囲への寛容さをなくし、独善に陥り、指弾され、またそれが自分たちに跳ね返ってくる。
 
 いづれにしても、世界中でイスラエル様にアメリカに寛容で影響をもろに受ける国が日本であるから、アメリカの辿る軌跡はそのまま今とこれからの日本に当てはまるだろう。
 
>時代の岐路に立つ日本人の間から、出口なしのむさ苦しいカネの話ばかりしか出てこないのは仕方がないと云えば仕方がない。
 
>そして、その対極には、むかつくような自民族中心主義への回帰。
 
生駒山の構築物と人間の営為の1500年の過去現在、東アジアに開けた歴史からしても、現代の日本人がそういう次元の低い狭いイデオロギーにからめ捕られるのが、いかに滑稽、動物的なことであるか、解ろうと云うモノである。
 
今日は先の生駒山縦走の残された行程を歩く事になる。
ネットの地図で調べてもよく解らない処がある。
この方面を歩く人はほとんど、信貴山方面に抜けて、トンツル方面のルートはたどらないようだ。
行程は大体15キロを見ておけば十分。
何か以前一度、歩いた様な気がする。何位もないただの山道が続いていたから、記憶にないのかもしれない。
でも、毎日の早朝、1000階段の登りをしている大きな橋から遠くに見渡せる生駒山系は全部、歩いておきたい。
自分の踏み出す一歩一歩で遠くに横たわる山系を歩き通した、しておきたい。
1000階段上りに楽しみが増える。