反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

橋下「いしん」を批判した過去の記事を振り返る。2011年の記事。

大阪ダブル選挙の隠れた争点は橋下問題。橋下独裁政治戦略と人物の足元を検証する。 2011/11/24(木) 午後 1:56 橋下徹、「いしん」批判
http://blogs.yahoo.co.jp/xhhfr149/folder/694372.html?m=lc&p=2
第四。
なぜ大阪で橋下「いしん」の跳梁跋扈があるのか?
東京のマスコミに大阪は理屈より愛嬌の地などと揶揄される残念な気質のよって来るところを過去に遡って指摘する。
 <1930年の全国工業生産指数比較>
大阪ー996
東京    818
兵庫    629
愛知    448
神奈川  295
福岡    229
 >以上から、大阪(全国NO1)と隣接する兵庫(NO3)を合計した工業生産指数は1625(東京+神奈川+愛知でも1561)であり、大阪阪神間の工業地帯の生産指数は、今では考えられないダントツの日本一だったか、解る。 
当時の大阪、阪神間の工業地帯の特色は沿岸部に大工場が配置され、今の大阪市域は中小零細、過酷な労働集約企業が存在していた。 
 
 <在住朝鮮人の人口推移>
1933年。大阪府ー140277人。    大阪市ー111721人。
   中間期省略。 
1942年。大阪府ー412748人。    大阪市ー317732人。
 >全国在住朝鮮人の約30%が大阪府在住。そのうち、約70%が大阪市在住。 
 
 <1942年都市人口>
ソウルー930547人
大阪市>ー317734人
ピョンヤンー283517人
プサンー240033人
大阪市は事実上、ソウルに次いで二番目の都市だった。
>大阪の経済全国一は在住朝鮮人の安価で過酷な底辺労働を一方の支柱としていた。→「今の大阪市域は中小零細、過酷な労働集約企業が存在していた。」
>日本敗戦とともに彼らの多くは祖国に順次、帰国した。現在のイヨンバク韓国大統領も大阪在日の子供時代がある。
>現時点でも在日朝鮮人の集住している生野区の5人に1人は在日の方である。
 
  <被差別部落、貧民窟の多数存在>
これも多分、全国一だと想う。
被差別部落は大阪中に存在し、その人口は大阪の経済発展を底辺で担っていたが故に、雪だるま式に増えていった。関西一円から職を求めて、在所で食えない部落民被差別部落への大量の人口流入があった。
この経過はキチンとした書籍で特定地名を挙げての被差別部落の周辺への拡大として具体的に検証している。
 
*行き過ぎた個人攻撃と判断して削除する。
政治家、行政の長になった橋下の実際にやってきた事、今現在のダブル選挙の政策を見ると、とてもじゃないが差別された弱者に優しい目線を送っているは、絶対に想えない。
 
 むしろ、市場原理主義、競争原理を煽って弱者を踏みつけにする真逆の事をやっていこうとしている
上昇志向は弱者踏みつけの土台の上に成り立っている
橋下政治の本質は時代状況から取り出すとファシズムそのものである
時代状況と云うパレットの中に移し替えると所詮ファシズム以下的な大資本金儲け最適環境を創出することが最大限の政治綱領となるしかない、住民からの政治的自由と人権を剥奪するだけの使用人に過ぎない
金儲け最適環境さえ整えることが、この経済飽和状態の大阪では不可能なのである。
>またファシズム以下と云うのはヒットラーとナチ党は少なくとも、巷にあふれた失業者を運動に引き入れ、仕事を与えた。
橋下のやっている根幹はその真逆である。強烈な新自由主義政策を貫徹させることで失業低賃金不安定労働環境を増進させているのである。
 
大阪マスコミの橋下支持は一言で云って、話題を提供する橋下の一挙手一投足を取り上げる事で窮迫する経営の自転車操業をすると云う、根底意識がある
経済停滞、右肩下がりの著しい大阪マスコミ資本にとって橋下で大騒ぎすることが安いスポンサー料をかき集めるアイテムである。狭い大阪。報道の材料は少ない。
橋下と大阪マスコミは利害関係で政治的に一致している。大阪マスコミに理性を求めるのは、魚屋に野菜を買い求める様なものと割り切った方がいい。  

橋下徹と関西マスコ。植草一秀2008年10月20日記事「大阪府民は府民自身の選択とはいえ、時代のあだ花ともいえる、人権意識の欠落した傍若無人知事に残り3年以上も府政を委ねるのだから、大変気の毒に想う」  02011/11/25(金) 午後 1:40 橋下徹、「いしん」批判 政界
http://blogs.yahoo.co.jp/xhhfr149/folder/694372.html?m=lc&p=2
今、記事作成のため、橋下徹で検索すると、大阪毎日放送のテレビ番組に橋下と出演予定の「平松前市長ドタキャン」とあった。
 反俗日記の前々日の記事だったか、選挙期間中にもかかわらず、毎日放送ラジオの「種まきジャーナル」出演させる局側のジャーナリズムとしての見識のなさ、企画に乗って出演する両候補のいい加減さを批判した。
その主旨は選挙期間中は有権者にできるだけ冷静、公平な判断をさせるため、候補者の活動は公平に限定されるべきと云うものであった。実際にそれは様々な制限措置として実施されている。
 
 処が民間営利資本でしかないマスコミ側が候補者を番組出演させて、討論させる機会を作れば、その公平な限定事項が事実上、崩れ去ってしまう。

 民間テレビラジオの報道番組について、勘違いしている人が多過ぎる。
彼らの資本としての回転は戦後、GHQに付与された特権に守られているが、基本的にスポンサー料によって成り立っている。一般紙にしても、広告収入がなければ、130円程度であんな分厚い記事が成り立つわけがない。
 
>ということは、報道は資本の回転を担う営業活動に左右されると云う事だ。スポンサーが見つからなければ、ボランティアで大赤字を出すしかない。
 
 
 で、資金提供者のスポンサーと番組の仲介役を務めているのは誰だという次元に行きつかなければ、ウソだ。
電通は広告関連の営業では世界一の売り上げを記録している。1兆5000万円の年間売り上げを記録しているガリバー企業である。そこに異常、歪、差配を感じる。
 
 まだ、突っ込む処がある。
>島田伸介タレント廃業問題。
記事にしようかと思ったが、ばかばかしいのでやめたが、問題点の核心は島田本人どうこうにない。
所属の吉本興業は古くから株式市場に興味を持っていた人なら知っている様に、芸能事務所としては、日本で一番早くから、株式を市場公開しており、私の記憶している限り、上場、半世紀程度になると想う。
処が、創業者、林一族と現経営陣に主導権争いが生じるようになった。
ズット前のコメント氏に「所有と経営の分離」などと経営学の教科書を丸暗記した様な幼稚な議論をする人がいたが、このケースはそのリアル事態である。
 現経営陣は東京キー局、関西準キー局に出資させ、持ち株会社を設立し、公開株の買い付けに及び、半世紀にわたる吉本興業株の公開を中止した。言い換えると、創業者一族は経営から排除され、東京キー局、関西準キー局、と吉本興業は資本関係と云う物的な絆によって結ばれた。
民放局にタレントを出前する側の特定業者とマスコミ資本との資本関係の癒着が生まれたのである
こんな、私的資本そのものの動態を基本とする業界が報道番組で公正、中立を保てわけがない
 
 >まだ問題点はある。今度は関西マスコミ資本のリアルな資本としての現実。
朝日新聞大阪本社は大阪中心街を南北に貫くメインストリート御堂筋の一本、西のこれまた大きな筋である四ツ橋筋の大企業の社屋の立ち並ぶ中之島にある。
 
 処が、四ツ橋筋沿いの社屋を渡った向こう側にナント、床面積5千平方メートル、地上49階建ての所有高層ビルを建設中。「浅き新聞」社は現社屋で充分足りている。
 元々、この土地にはフェスティバル、ホールといって古くから、有名なホールがあるビルが建っており、その所有者は毎日新聞だった。創価学会系の出版物、新聞発行で食いつないでいる毎日新聞朝日新聞に土地を売ったのだ。
 
 マスコミ資本は寡占市場で守られているが、それなりに競争があり、浮き沈みがある。
この「資本間の競争」面からしても、報道番組に対する営業の規定力の大きさが解ろうと云うモノだ
さらに、土地を買って、巨大ビルを建てている、「浅き新聞」についても、一見、景気がよさそうだが、そんなカネはどこから調達したのか?教えて欲しいモノだ。まさか自己資金で間に合うはずはあるまい。
金融機関から借りている。

 
と云うことは関西「浅き新聞」は資本と金融の癒着した金融資本と云う実態の側面面が濃厚という事だ。
GHQの特権を利用し、その時の日本人民への米国流「民主化」役割を上手く利用して、今現在はキッチリ、巨大資本活動に手を出しているのである。
そういう方向に走ると、資本の論理が働くから、後戻りはできない。
勿論そのつながりは常日頃からの凶暴な市場原理主義者、橋下ヨイショに行き着く。
 
テレビラジオの朝日放送の方も、その近くに巨大な社屋を近年建設した。
新聞放送は資本の金儲け論理の泥沼にズッポリと口のあたりまでハマって、毎日ワァーワァーやっている。
 
 常識的に考えると一部130円で新聞を売ったり、東京と比べて格段に低料金の関西広告収入ではやりくりが大変だと想う。
 固定資本部分が膨らむと経営を圧迫する。増してこれらのマスコミ資本は浮動性のあるサービスを売っている部門。生産的商品を売っていれば、設備投資はその価値は商品に反映する
>やくざな業態が底にある業界なのである。
上品な植草一秀さんに言わせると、「人権意識の欠落した傍若無人橋下徹に行政を委ねる、大阪府民、大阪市民は、大変気の毒だと想う」2008年10月20日時点で同情されている。
植草さんにとって、2008年段階でも橋下府政下の大阪府民を不憫に思っておられる。2008年の段階でも彼にとって橋下は論じるに値しない酷い人物なのである。
 
 そうすると、橋下徹が手下に大阪維新の会を使って大阪中を席巻しようとしている現段階は何と云えばいいのだろうか?
 
 植草さんの足元にも及ばない知識と教養の私でさえ、橋下を論じようとする時に、あんな奴ほっとけ!と云う誘惑にかられる。ヘドロの底から湧いてきたような人物像しか思い浮かばない。
 
 弁護士?関係ないな。若い時にしょうがないから、イロイロナ弁護士と接触したが、巷に存在する一職業に過ぎないとの実感を深めるばかりだった。
 違うな、と感じたのはIさんだけだった。カリスマ性があって、颯爽弁舌さわやか、かつ、酒席では割り切って思い切って気さくに振舞える、政治家になったら凄いことになっていただろうと想うが、政治は大学時代に卒業したのだろう。
 本物のエリートと想った。
 
 段々と、橋下に接近してきた。
橋下のテレビタレント時代のマネージメントを引き受けてきたのは、爆笑問題の設立した事務所だと聞いている。
現時点の契約関係は切れていると想うが、
例えば、橋下のアザトイ、イメージ戦略にこの事務所が一役買っているかもしれない。
 
 前回の統一地方選時、知事職の橋下は手下の維新の会のイメージ度の薄い候補の応援に回っていたが、その時の街角に張られた選挙ポスターは橋下本人の上半身アップ、物凄い目をして、こちらを指さすモノだった。
 まさにちょび髭と軍服、帽子を着せるとヒットラーそっくりだった。
 
 この度の選挙では在任中の独裁批判を交わす為か、そこらの街場のアンちゃんの如き安物のヘラヘラ笑いで手下の維新の会幹事長と並んでいるモノだ。
彼にはそれなりのイメージ戦略にたけたプロがついている。
 
>テレビ、ラジオで討論、政見発表をやるなら、一応公共放送である、NHKでやればいい。選挙期間中の民間マスコミでの候補者自身の討論は結局、住民にとって百害あって一利なしだ。
マスコミ資本の番組が、いくら地方選挙といえども、候補者を出演させて討論させるようなことをやり始めたら、終いには収拾がつかなくなる。今回は毎日ならば、朝日放送関西テレビ、読売と云うことになる。
 
 そうするとどうなるか?
言葉巧みなモノ、テレビ映りのいいモノに有権者の目が云ってしまう。
それだけに終らない。
 
 こういうマスコミ上の「政治」で選抜され、行政のトップに立ったモノは、単に住民の負託を受け、その意思を代行しているにすぎないのに、マスコミ報道を組み込んだ政治行為に現をぬかす=マスコミはそういう政治を行う人物の一挙手一投足を宣伝し、人気者に仕立て上げる事で大衆の耳目を集めセコイ低額スポンサー料をかき集める。
 
 >関西民放は長期不況と長年にわたる関西経済経済地盤沈下で広告収入の低下に喘いでいる
 
以前阪神戦の放映料を東京と比較したモノを見たが、東京の半分も行かず、4分の1程度。
キー局、制作の番組を垂れ流さないと、この程度の広告量では自主制作のマトモナ番組作りは製作費的に苦しい
 
 そのくせ。立派な社屋、正社員の給料も結構高い。
と、どうなるか?関西キー局の自主制作の番組は、安い製作費の外注にマル投げされていると云う事だ
 
 資本の基本論理として労働力商品の安いところにはそれなりの人材しか集まらない。
 
云って悪いがそういう人たちが制作した商品を局側は上から管理しているにすぎない

 
 地方報道番組やバラエティー番組で橋下徹の一挙手一投足が偏向的に報道されるのは、この辺の事情でカネの論理が単純に貫徹する構造にある
かくして、橋下と関西マスコミがキャッチボールの如きことをやっているうちに、実際は住民は蔑にされているのである。 
 
 狭い日本国土、増して生駒山に登れば、一望できるような狭い大阪。
アメリカの様なマスコミ活用の選挙の必要性はない。
 
 有権者自身が政治判断する情報が足りないと感じたら、自分で労をとって情報を取ったらいい。
その程度の政治に対する自主性がないようでは、話にならない。
その次元で候補者を選択するようでは、マスコミの情報操作に身を委ねている様なもの、実態はマスコミの振るタクトに差配されているのだ。
 長々とした説明になったが、平松氏の出演中止は正しいが、決断の時期が遅すぎる。
そんな政治思想の希薄な状態で市長をやってきたから、問題なのである。
~~
>時代基調は急ピッチで歩を進めていると云わなければならぬ。
橋下ダブル選挙はその大きな一階梯でしかない。
 
 >大阪は歴史的に市場原理主義の地であり、公共の空間が狭かった。

どうして、大阪都構想大阪市人口267万人)があるのに、神奈川都構想(横浜市人口370万人)愛知都構想(名古屋人口230万人)がないの?道州制、金融寡頭支配を画策するの詐欺師橋下徹と後押しをするモノ。  02011/12/2(金) 午後 3:28 橋下徹、「いしん」批判 政界
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今日、「きっこのブログ」のツィートには「大阪都構想って馬鹿みたい」と載っていたが、関係のない第3者から見たら、確かに馬鹿に見えるンだろうな。
植草一秀さんの記事で政令指定都市の人口が多過ぎるから、40万人程度の分割して、首長、議会の公選制を実施する観点から、憲法を橋下が守るという限定つきで、大阪都構想に賛同する、との記事が載っていたが、そういうのは空理空論の典型で、間違っていますよ。
 
以下具体的に考えて見る。
 
 >大阪府の総人口、約887万人。
政令指定都市大阪市人口約267万人。政令指定都市堺市人口80万人。
其々の政令指定都市は区に分割されており、東京の特別区の様に首長や議会の公選制はない。
 
 しかし、大阪市の区には市議会に割り当てられた一定の議員定数がある。
 
>大阪の各区の人口分布をみると、一番人口の多い東淀川区(橋下の通っていた高校と元自宅のあった処)で約17万人。少ない浪速区大正区で6万人程度。
各区の行政窓口は区民の比較的身近な処に開けられている。
 
>それをどうして、40万人程度の東京の特別区の様なものに再編しなければ、ならないのですか?
理解に苦しむ。(W。この時期にはまだ都構想のアウトラインからしか考えていなかった)
首長、区議会議設置、議員の公選と云っても、実際にそこに住んでる住民にとっては行政の窓口が遠のく、事になりはしまいか?4年に一度の公選制は住民にとって、形式に流れる可能性が大きい。
 
大阪市の各区誕生の歴史をみると、24区のうち15区が戦前の1925年から1943年までの大阪が全国一の工業生産力を誇っていたころに大きい区から分区されている。
 
 この間の人口増加度もあるが、基本的に大阪市中心部の人口は戦前から、大きく変わっていない
区が統合されたのは戦後の北区、中央区の二区しかない。その他の区は高度成長期の郊外人口増によって新設された区である。
 
>何が言いたいか?
大阪市の行政単位は戦前戦後を通じて一貫して、住人にとって身近な存在である様に縮小されたのである。
 
 特に、戦前の大阪市の経済力があった時代、名市長と云われる関一市長の時代には、東京が東京府東京市から、東京都ー特別区に中央集権的に改変された事と真逆の大きな区を分割して新しい区を新設して、住民にとって行政サービスの窓口を近づけたのである。
 関一市長は当時の大阪の経済力を背景に御堂筋など大開発をすると同時に市営住宅、労働者宿舎の建設、職業安定所とその付属労働部の設置など住民サービスに力を入れた。
 
 住民末端の行政単位が拡大すれば、住民サービスが低下するのは当たり前である。
公共空間をキチンと維持しなければ、市場原理の跋扈、ジャングルの掟に住民が末端で翻弄される。
 
 絵空事の様な、行政改革論を弄ぶ人たちは、これからの本格的な高齢社会到来における介護を社会的にやっていく、などの具体的問題について視野に入れているのかどうか?
広域行政と民間委託一辺倒ではきめ細かく対応できず、結局、経費が嵩むことになる
 
尤も、橋下の様な凶暴な市場原理主義者は「後は野となれ山となれ」の競争原理一辺倒だ。 
 
   <追記>
大阪の根本問題は経済環境の飽和状態と云うことに尽きる
大阪や神戸が一望できる生駒山の中腹から下界一望すれば、びっしりとコンクリート構造物の平野部を埋めつくしている様子が解る。
今の日本の資本海外流失、工場海外移転の現状、ましてや、「停滞する」大阪経済の現状から、資本の立場からすると、この地に必要なスクラップ、アンド、ビルドをやりきる経済的必然性はないそんな手間をかけるぐらいなら、他所に出ていく。これは絶対的経済法則の問題。
 
 経済条件が飽和しているから、本社機能の東京移転がある。
大阪のヒトが良く云う東京一極集中は大阪経済飽和の一つの表れであるに過ぎない。
ならば、愛知県と名古屋、神奈川県と横浜は東京一極集中の関係にもかかわらず、大阪より経済成長してきた現実をどう説明するか?
まさか大阪がバカだった、怠惰だった、とはいえまい
 

 違うんだと。
大阪経済の凋落は戦前戦後の歴史的時間をかけた頂点からの下落であり、経済の必然的な衰退の問題である。
 
大阪のヒトは真の問題の根っこがあまりにも深すぎるために、東京一極集中のせいにしたり、橋下大阪都構想でナントカなると、真実を直視せず、目を横にそむけて、自分で自分を誤魔化している。
 
 今、大阪の橋下ダブル選挙騒動を経済的に戯画化すると、
 
 大きくならないパイを大阪の財界マスコミのなどの支配層橋下を使って、できるだけ大きな取り分を得ようとしているの絵図に尽きる!
 
その一面が既得権益への挑戦者、橋下の幻想を与えている。
 
政治と経済を接合する最も大きな要因は権益であり、それが既得化するのは当たり前である。
 
問題は庶民にとって、利益になる権益になるか不利益になる権益になるか?だ。
 
マスコミの垂れ流す、余計な綺麗ごとの修飾語をはぎ取ったら、こういう結論になる。
 
資本制そのものを主導し、構造的権益を獲得しているモノの権益は侵しがたい。
 
橋下は絶対にそこに手をつけず、住民の生命、健康、生活労働の権利をはぎ取っていく。
この権利も権益と云えなない事はない。
 
 要するに大阪の人たちは、地に足を付けて、地道に生活し、労働していくしかないのである。
 
行政をいじくって何とかなるとか、優遇措置を大幅にして、チンケナ企業誘致をして何とかなるなどと云う幻想は一切捨てるべきだ。
 
 こうした事をやってきた結果の経済ロスは絶大だった。
住民の税金が一部企業に吸い取られ、構造物は無用の長物どころか、大きな負担としてのしかかってきている。
 
橋下は必ず、過去の大阪首長の道をもっと悪質にひた走る。
 
 停滞する大阪の橋下、出現の誤りを、全国民は他山の石として欲しい。
 
原発事故の地元福島県の方も大変だが、我々大阪府民もこれから、身をもって、凶暴市場原理主義者、橋下の暴政を全国も皆さんにお知らせしなけれなならない。


橋下徹と云う政治の病い=近代化以降、日本を窮地に追い込んだ政治思考パターン(不安苛立ち、ツマ先立った背伸び、に基づく)「古賀さん、政治の場はやるかやられるか、生きるか死ぬかです。勝たなければ」。 修正削除 移動 02012/12/11(火) 午後 3:37 橋下徹、「いしん」批判
http://blogs.yahoo.co.jp/xhhfr149/folder/694372.html?m=lc&p=1
以下、アゴ池田信夫氏記事から引用。
 
 「大阪府市の特別顧問だった飯田哲也氏が日本未来の党に寝返り、橋下徹氏が彼を強く批判している。これに対して古賀茂明氏は、橋下氏をこう批判している。
大阪府市の特別顧問だった飯田哲也氏が日本未来の党に寝返り、橋下徹氏が彼を強く批判している。これに対して古賀茂明氏は、橋下氏をこう批判している。
間違えたということはよくお分かりだと思います。理念も政策も違う石原さんや旧たちあがれ日本の老人たちと決別してください。そして、みんなの党選挙協力をやり直してください。そうすれば、国民は付いて来ます。
橋下氏はこう答えた。
古賀さん、政治の場はやるかやられるか、生きるか死ぬかです。勝たなければ自分の思いを実行できないのです。飯田さんが当事者となり、維新批判をする以上、僕は徹底して応戦しなければなりません。ご理解を。
 
 池田信夫さんの古賀、橋下引用箇所はおそらく、両氏のツィターからのモノと想われる。
 古賀氏の対橋下氏観はズット的を射ることはなかった。
 
大阪は江戸時代初期より、天下の台所、すなわち市場原理最優先で街が機能してきた。
約50万の街の人口の過半は細民=貧民であり、コレが事実上の底辺労働力を形成していた。

町人と呼ばれるモノは各種の商いを「私的所有」している階層である。
その他は庶民は被使用者層である。
 
 武士は南北町奉行所に詰めるモノと幕府の大阪城代、合わせて、2000人程度であった。
 
 従って、その町で、大きな力を持つのは、全国規模の大阪蔵屋敷に収集した余剰米を、事実上主催する時の相場によって、換金、貸金業務を商いとしている大商人や各種商品を扱う商人、大規模運輸業である。
 
以上の様な各々の身分、経済力、人口分布のバランスの中で50万人の町が機能してきたのだから、当然、市場原理最優先の動態となる。

 >一端飢饉などの経済緊急事態に立ち至れば、50万人口の3分の1程度は、生産手段から全く遊離した立場で労働を売り、日々の生活を再生産している存在だから、当然にも浮浪状態にならざる得ないのである。
大塩平八郎たちの一身をなげうった義挙はこういう環境下で発生した。(比べて橋下氏はどうであろうか?大塩平八郎と向かう方向が違っているのじゃないか。)
計算上、16~17万人が浮浪状態で街に投げ出される事になる。
 彼らは中心部の商人街より、離れた至る処に集住していた。事実上の貧民窟が大阪の繁栄の足元で存在していた。
橋下アドバイザーの堺屋氏などの大阪の合理主義強調イデオロギーの吹聴者はこういった底辺からの視点にかけている。
 
 人口では多数派を占める細民、貧民の出所は大阪の影響の及ぶ広域経済圏であった。 
 
>A)江戸封建制度の最底辺で圧迫されていた被差別部落民の集住地も至るところに点在しており、全国一の市場原理で繁栄する大阪には、彼らの生活の各種の身過ぎ世過ぎが在ったので、大阪の影響力の及ぶ範囲からの被差別部落民が集合していった。彼等は経済力のある大阪では生産的人口であった。
 
>この辺の1600年代末期江戸前期の元禄時代大阪の町人世界(大阪全体を描いたものでない)の事情を活写しているモノに、井原西鶴「日本永代蔵」がある。
 西鶴研究の第一人者、テルオカ氏の現代訳が出版されている。
元禄の時代1600年代後半において、すでに大阪の街の商人の世界は、現代とほとんど変わらない商いの論理に貫かれている町人の1年の貸し借りの清算する歳末を、人間性の凝縮露呈する風景、人情として、オムニバス形式で、リアルに描かれている
 
 カネの論理を基準としたリアル大阪町人世界の在り様がそこに或る。
銭に拘ったハードボイルド世界だ。
が、切ない情の世界でもある。ユダヤの様にカネに徹底できず、そこから情の世界が大きくはみ出さざる得ない。残酷な世界であっても、アングロサクソンの次元とは違っている。浮世絵で云えば、安藤広重東洲斎写楽など浮世絵師の描く世界。浮世絵春画の世界も想像できる。
事実、1年に満たず姿を消した写楽を除いて一流浮世絵師は大量の春画を残している。
 
 B)大阪、阪神間、神戸、は江戸時代の経済力を引き継いで、基本的に第二次大戦前まで、全国一の工業地帯だった。この線に沿った理屈は繰り返しているので掻い摘んで指摘する。
 
1、大阪ー関西経済の<地盤沈下が本格的に始まった>のは、1950年代の日本の経済成長への発進時期だった。
中央政治勢力の中央集権的政策誘導も大きいが、基本的には、インフラ、想定される市場規模、社会環境などイロイロナ側面の制限要因から、大阪を中心とする関西経済は高度経済成長期としては、飽和要因が多過ぎた。
 
 日本の戦後経済発展の経済法則として、大阪を中心とした関西経済は以前の様な繁栄を維持できない構造だったのである。
 
 大阪経済の地盤沈下は、昭和初期の頂点から、敗戦を跨ぎ、高度経済成長に至る長期スパンの経済波動の結果に過ぎない。
経済地盤沈下は時代のトレンドだった。
 
2、戦前の大阪、阪神間の経済成長の根底では、朝鮮半島南部からの渡航者の低賃金労働が大きく貢献した。
省略
>大阪独特の庶民的文化風土は以上の様な歴史的背景による雑種混合のブレンドがあって、形成されてきた
雑居、ブレンド、密集、猥雑、商売の論理優先、から来る生き辛さ、の歴史的環境は意図的な情への拘り創造と、笑い飛ばす事で、一時でも忘れる術を庶民は身につけてきたのである。
それは文明人として、高度な所業といえよう
 
3。が、経済地盤沈下と云う歴史的傾向は地方分権と云う耳触りのいいスローガンでは修正できるものでないし、この面における橋下氏の現実政策は関西広域ミニ中央集権体制の構築であって、
<TPP事態を見据えると、アメリカやグローバル資本への日本のばら売り、>と結果しよう!
 
 ましてや、橋下氏の云う様な大阪都構想などは詐欺師が自らの大ウソを信じ込んでいるが如き類のモノであって、不必要な経済政治ロスから、政治経済混乱デフレ要因を招くだけである。事実上、日本デフレ要因を煽動していると云える。
政治出世のための一方便にすぎない。
大阪の儲けの薄くなったマスコミと政治出世の階段を急ぐ橋下氏には、カネと出世の暗黙の共通利害が存在する。
 
 まだ4年あまりしか経過していない府知事時代の大阪湾沿岸埋立地への府庁移転をぶち上げた不採算の超高層ビル購入は耐震機能の不備が判明して頓挫している。
そうでなくとも、当該埋立地と都心を結ぶアクセスが実質的に完備しておらず、府庁移転先にはふさわしいものでなかった。
 府の財政赤字も増加していると伝えられている。(当方は数字を具体的に検証していないが)
 
政界への最初の滑り出しである府知事の職を任期中に投げ出し大阪市長選出馬によって、地方選挙の維新の会の、議会多数派獲得と並行してと市長選ダブル選挙を演出する政治手法は日本の空洞化しつつある議会制民主主義をさらに空洞化するモノであると云わねばならぬ。彼の政治基準は基軸から、大きくズレテいる
 
4、橋下氏のツィートのリアル政治観は稚拙なモノと云わねばならない。
>やるかやられるか、生きるか死ぬか、勝たなければ自分の想いは実行できない、と云う切羽詰まった政治観を根底に議会政治を行えば、迷惑するのは残存国民であり、日本の空洞化しつつある議会制民主主義であり、政党政治である。
 
大阪沿岸埋立地に外国資本やカジノを誘致して経済発展を目論む政治感覚は個人的妄想であり、今の日本ではそういった、アジテーションは目の前と将来に横たわる現実を一瞬忘れさせる方便としか機能しない。
よって次々と現実が裏切っていくから、大衆受けする新しい方便をブチあげていく必要に迫られる。
自分たちの政治勢力への権限と権力の集中という政治手段が
重大な政治局面に至れば至るほど、優先され、実現すべき政策は蔑にされていく。
エスタブリッシュメント外の大急ぎで階段を駆け登るの橋下政治の必然である。
市場原理主義新自由主義政策の最も凶暴な先兵、完全な自民党政治の悪い側面の別働隊。
日本切り売りTPP事態の最先端の煽動者。
コレが暴露された橋下氏の素顔である。
 
ま、大阪的お笑いと情の世界と云えない事もないが。

 大阪府知事橋下徹を再度、批判する。やっている事はファシズムの構想の実行である。  02011/10/24(月) 午後 2:10 橋下徹、「いしん」批判
http://blogs.yahoo.co.jp/xhhfr149/folder/694372.html?m=lc&p=3
経済基準で物事を判断しがちな大阪人は、長年続いてきた、こうした悪循環を何とかしたいと願望する。
 
しかし、別な道、もう一つの道を模索することが多数の意見になっていない。
 
それ程、カネを中心に物事を判断する習慣が受け継がれていくと払しょくするのは難しい。
 
同じような失敗を繰り返した果てに、ハレーションを引き起こし、判断力を喪失し、橋下徹という最悪の選択に身を委ねようとしている。
 
 大阪の非文化的非政治的環境は長年にわたる経済飽和状態、経済地盤沈下を大きな要因として促進されてきた。
 
 経済飽和状態でない頃もっと違う文化も政治もあった
 
今は殺伐としている。元々、良いモノがたくさんあったが気がつけば、なにもなくなってからは、次元の低い笑いで自虐し、流されるしかない。
 
 元々、大阪の笑いは、吉本のテレビ芸人がやっている様な下劣、人身攻撃的、差別的「笑い」は傍流であって、「ハンナリ」した処を含んだ庶民の泣き笑いを根底においていた。
 
 こうした環境に、橋下徹ファシスト政治が生まれた。
 
 政治行動の着地点を府民に悟らせない、大阪都構想、大阪副首都構想
「ウソをつくならできるだけ大きなウソ」そのものである。
府民にとって検証し様がない。提出された問題が地方行政のことのはずが、判断するためには、実際に歴史的観点や「経済学」がいる。
 解り易く説明できるモノは限られた場所にしかいない。
マスコミ、有識者である。
ところがここが、橋下デマの発信源の如くなっている。
 が、それでも独自の判断を下さなければならないのである。情勢の進展は待ってくれない。
今はそういう内外情勢なのだ。