反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

日本経済の底流はカネがあっても国内に儲かる投資先がない、モノを作って、国内で売っても儲からない=過剰資本、過剰生産。政府と日銀がタッグを組んでインフレを起こして景気刺激をしても、カネは投機に回るだけ。

 長々としたタイトルで云い尽くせない部分は、近年、名目GDP約500兆円付近で停滞中の日本経済はグローバル資本制の世界から、ポツンと孤立し、取り残された存在ではないと云う事です。
特に日本は近隣に先進諸国が集まったヨーロッパやアメリカ地域と違って、近隣の東アジアに
歪に貿易立国に特化した民族分裂国家、韓国。
ある種の国家資本制を敷く世界の工場化した残存スターリン主義独裁の中国が存在していると云う点です。
さらに、先軍政治北朝鮮の存在も加味する必要があります。
 
 総じていえば、一方に戦後冷戦体制の未だ終結していない政治的軍事的不安定要因が存在する。
他方、にもかかわらず、韓国や中国は自分たちの置かれた遅れた?マイナス面をプラスに転化して特殊な経済発展をして、日本経済の競争相手であると同時に資本と生産の相互関係を深め、今や日本の対外貿易の比率では米国をかなり超えている。
 
 以上から、私が云いたいのは日本国内の財とサービスの価格が上がらない原因は、日本一国の純経済的分析だけでは、説明しきれないと云うところです。要因は日本の外の政治に大きくあると云う事です。
 
 今現在、日本人の一部が反中国で事あるごとに大騒ぎしても、日本財界は中国投資に活路を見出さざる得ない。日本資本の蓄積構造に中国の低賃金で優秀な労働力と将来性のある巨大市場はすでにがっちりと組みこまれている。
さらに今や日本を抜き去っているはずの、中国の対米輸出。輸出された完成品には、日本企業の製品が寄与している。前日の記事に挙げた中国の固定資本形成費、断トツの46(約日本倍以上)では日本企業の製品が使用されている。
 
 と云う事から翻って、考えてみると、
日本国内の資本がどうして国内に金儲け先、モノづくりを見出しがたく、慢性的過剰資本、過剰生産状態を抱えざる得ないか、解ろうと云うモノです。
平たく云えば、日本の産業資本は中国の安価な労働力を使って、安価な商品を作って、日本に輸出し、日本市場で販売する経済的必然性がある訳です。コレは水が高きから低きにんがれる様なモノで、経済の法則です。
また巨大な潜在力のある中国市場への販売ルート確保も欠かせません。
 
 以上の中国と日本との経済関係強化の方向と、輸出に特化し、今や部分的に日本製品を凌駕する様になっている韓国市場原理主義体制の現状を加味すれば、日銀が直接、政府の債券を購入する割合を増して、通貨供給量の増加を持って、国内景気をちょっとばかり刺激した処で、一体何の意味があるのか?と云う事です。
悪い結果の方が大きい。
 
 前日のコメント氏の解説によれば、日銀に直接買わせた国債資金で政府投資を拡大し、景気を底上げしていけば、経済波及連鎖効果によって、経済成長と税収増になっていくとの事ですが、
私に言わせると、こういう金融的策術は今の日本経済の実体からみて、小泉政権時代の様な小バブルを発生させ、投機市場にカネが集まり、結局のところ、今まで何とか持ちこたえてきた日本の生産的実体経済構造を痛めつけ、あらゆる分野で格差を拡大するだけに終わるだろうと予測します。
こういう経済政策は途中で中止すれば景気後退、生活不安、失業になるのでやめられない、と云う特質もある。
 
 田中内閣時代の「列島改造」による公共事業拡大は戦後初のバブル経済を現出させ、土地投機を招いたと記憶しています。末期には生活必需品の価格高騰を招いた。
 1970年代中期の不況は単にOPECによる石油価格のつり上げによるが原因だけではなく、長期間にわたる高度成長経済が生み出した過剰資本過剰生産を国内で処理しきれなくなったことが主要原因であり、日本資本は海外輸出攻勢に出ていきますが、それでも供給過剰が確保できず、田中角栄公共投資による内需拡大に至って、バブル的物価上昇の中から、、狂乱物価上昇を通じて、原油価格高騰も相まって、大不況に突入する。
 
 田中を受けた福田内閣では総需要抑制の強硬手段によって、物価高騰に歯止めをかけざる得なかった。
 
従って、田中内閣時代の列島改造政策は高度成長路線末期の資本と生産の過剰に対して有効な需要を本質的に創出できなかった、と総括できる。むしろ投機を招いた。
 
 1930年代の世界恐慌時のニューディール政策も後代の識者の圧倒的多数の見解では、結局第二次世界大戦の戦争経済による需要創出しか出口が見当たらなかった、という歴史的総括されています。
 
 さらに、1985年プラザ合意以降の日本政府の内需拡大を目指した公定歩合大幅引き下げによる金融緩和は結局、日本史上になかったバブル経済を招き、後の長期経済停滞に至る。
 
 そしてその後の日本は公的金利は0近い状態をづっと続けてきた訳だから、最後に残された金融政策として、日銀が紙幣増刷して、景気を刺激するなんて、いかにも安易すぎる。
 
 >私は消費税問題を少しでも知ろうとして「増税はだれのためか」と云う本を珍しく購入しました。
 
 >神保、宮台のインタビューに消費税反対の有名論者が質問に応じているが、一番納得できず、インチキくさいとさえ、感じたのは<高橋洋一>と云う元財務官僚の見解だった。
 このヒトの経済観は典型的なアメリカ流儀。世界帝国?の基軸通貨を握るアメリカで通用する金融政策が日本のおかれた環境で通用すると未だに単純発想できる政治的幼児性。小泉政権時代の側近官僚でもあった。
恐ろしや!
 
   インタビューのハイライトは次の処に集約されている。
>神保の質問
「経済が成長すれば、マネーの量が増えると云うのは解りますが、逆の因果関係、つまり、マネーを増やせば経済も成長すると云う因果関係も成り立つんですか?」
高橋洋一返答
FRBのバーナギンが良くヘリコプターマネーと云う話をしたんですが、例えば、目黒駅付近でお金がばらまかれるといわれれば、みんな目黒駅に行きますよね。ばら撒かれたお金が誰に行くか解らないけど、ヒトが動く事で経済が動くわけです。それで民が動く事でインフレになる、と云う考えが経済学にはあるんです」
>神保
「ではマネーが増えれば、みんなの給料がふえるということですか? 
>高橋
「マクロ的にはそういう事です。増えたお金はどこに行くのですかと質問されるけど、それは解る訳がない。
天から降らしている訳だから努力したヒトと運の良いヒトの処に行くと云うしかない。
先ほどのたとえで云えば、偶々目黒駅周辺にいたヒトと、そこに行ったヒトの処にお金が入ってくる」
>神保
「でもお金刷るぐらいで成長しちゃうのかな?なぜやらないの、と云う疑問が湧いてきます。しかもインフレに振れ過ぎる心配もない、と云うのならなおさらです。その理由は高橋さんの云う日銀のメンツと云う詰まらない理由だけなのですか?
>高橋
「そうですよ。さらにいうと、お金をすると名目成長率が上がって財政再建が成し遂げられてしまうから、それが財務省はいやなんですよ。」
>神保
「なんで?財務省財政再建をしたくないんですか?
>高橋
「だって増税できなくなるんじゃないですか。財務省財政再建をしたいのじゃなく、税率を挙げて、利権を増やしたいだけ。」
 
>その説明に高橋は税率軽減措置の適用を巡って個別業界に天下り先が確保できる、としている。
 
>突っ込みどころ満載の小泉側近元財務官僚の見解である。
こういう政治的に幼稚な人物が小泉時代に官僚側近として、政策権限を握っていたとは驚くべきことである。
終いには謀略論的領域に足を踏み込んでいる。結果まともな官僚批判にもなっていない。
 
>そもそも、このヒトが側近であった小泉政権時代。
名目GDP成長率と<基礎的財政支出GDP比>が大きくかい離している。名目GDPは確かに増えているが、財政支出GDP比の折れ線グラフは大きく上方にかい離している。
と云う事は通貨供給量を増やして名目GDPを上げても財政再建はできてないと云う事。尤も名目GDPもたいして上がっていない。
 
>バーナギンのヘリコプタ、マネー論。
カネが天からばら撒かれる目黒駅周辺に偶々いたヒト。天からカネが降ってくる情報を仕入れて、目黒駅にすっ飛んで行った人とはどういう職種のヒトをさすのか、自ずから明らか。
所謂、市場関係者だ。
 
 金融資本のGDPに占める割合の大きく、基軸通貨であるアメリカでは通貨増刷の経済波及効果は確かにある。
が、日本場合、前日の記事で挙げた数値でも明らかなように、経済構造がまだ生産的実体経済主導。
そこに天からカネを降らせると、結局は不動産投機に走りがちになり、まだまだ健全性を保っている実体経済にかく乱要因をまたしても持ち込むことにしかならない。
 
なお、小泉時代の一定の景気上昇はアメリカが世界の生産と資本の過剰を吸収していた世界経済サイクルが正常?に機能していた外的側面に国内景気が引っ張られていた。ここで寡占輸出企業の異常な主導性が確立した。
 
>マネーが増えるとみんなの給料が増えるんですかと云う神保の質問への高橋の回答をよく読めば事態がハッキリとする。
お金が入ってくるヒトを特定しており、みんなの給料は増えないと暗に云っている。
コメント氏の設定する経済停滞脱出の公共事業に沿っても、今やカネの巡りが悪くなっている。
特定企業、特定人物にカネが集まる仕組みが長期経済停滞かで完成しきっている。
 
 政府が国債日本銀行に直接に買わせることと、市中銀行を経由した国債の購入とどこがどう違いのですか?
前者は政府に紙幣を渡す。後者は市中銀行に紙幣を渡す。と云う事で、後者で公共事投資規模を拡大すると、GDPの等式から云って、止めたら、リセッションが必ず来るから、止められなくなりますよ。
 
 カネや生産設備が足りない状態ならば、政府公共投資は乾いた土地に水か吸い込まれていく様に波及効果が期待できます。
が、今の日本はカネがないところにはないが、ある処には腐るほどある。生産設備も偏在している。
しかも、カネや生産設備のある経済体力のある処に儲けが集まってくる仕組みができてしまっている。
そういう経済構造に公共投資の資金投下しても、経済学の理論として経済効果は薄い。
ダメ元もとで一変ためしにやってみたらと云う、事ではありません。
 
それに果たして今の公共事業参加企業の上下の硬直した体制からして、経済学の云う、正当な経済乗数効果が期待できるのかどうか?大いに疑問。
そういう公式が想定された昔と今では、この方面の事業環境も大きく様変わりしているはずです。
この件に関しては当時の管首相への自民林参議院議員の経済乗数効果の質問に関連して記事を書いた。
林は公共事業投資を1を仮定して経済乗数効果の質問をしたはずだが、コレはあくまでも机上の経済理論の世界の事。また昔の公共事業の時代の事。
現状、林の想定する経済理論に沿った業界構造にない。
全般的に今の上下硬直化した日本経済の構造から、経済波及効果や乗数効果を単純算出するのな間違っている。上から順番にいいとこどりをしていくシステムでは経済乗数効果の単純適応は間違っている。
 
官製投資が多くの役割を占める経済体質は長い目で見たら、その国の経済体質を弱体化させます。
 
結論。
 歴史的経済財政の事案が浮上する時代は国民全体を潤す政策は今までの資本制の歴史であり得なかったと考える、がどうだろうか?
 
 言い換えると歴史的岐路に至った時代は常に階層分解と階層対立が鮮明になってきた。
だから、ある立場にハッキリとたち切ったヒトにはその立場なりの明瞭な政策はある。
 
 民主野田政権が自民党の消費税増税案にすり寄らざる得なかったのも、単に政局の独り歩きによる政治力学、故ではない。イデオロギー判断=政治的哲学的価値判断が重要になっている時代的案件に中間主義の浮動性、動揺性で事に当らざる得ないからだ。