反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

橋下徹+竹中平蔵(高橋洋一)+山田等松下政塾出身首長+石原+安部晋三+公明カルト集団は日本収縮過程を速める絶妙コンビ。やはり、日本歴史の曲がり角に政治三流国の本性全面開花。

 11月30日付の記事、坂口安吾堕落論」より。
A)坂口安吾堕落論」より。あの偉大な破壊(東京空襲)の下で、猛火を潜って生き延びてきた人たちは、燃えかけている家の側に群がって寒さの暖をとっており、同じ火に必死に消化に努めている人々から1尺 (30、3センチ)離れているだけで全然別の世界にいるのであった。
 
 チェ、ゲバラ、「革命日記」原書房、2012年6月14日刊。スペイン語ではDiario de <combatiente>だから、革命日記ではなく<戦闘日記>。
 
 1956年12月2日、8人乗りのヨットグランマ号に乗船した50人ほどの革命戦士は、上陸予定地点のキューバ最東端のシエラ(山脈)マエストラに近い海岸から何十キロも離れた海岸に漂着。警戒態勢のバチィスタ独裁政権側の空軍、陸軍の猛襲を受ける。
「革命日誌」は上陸当日からのゲバラのメモに近い生々しい記述である。
ゲバラのこの種の公開されている記述としては、1967~68年年のボリビアでのゲリラ戦の模様を記した日記があるが、記憶にある限り、この戦闘日記の方が、ゲバラの生々しい主観、感情に触れることができる。
革命日記という邦訳では、この貴重な部分をタイトルに反映できない。
 
 このゲリラ戦の期間をゲバラ自身が情報を整理し文章にまとめたモノには「革命戦争回顧録」がある。
  
 「革命日記=戦闘日記」(生々しい現時点の感情、主観を含む表現)と「革命戦争回顧録」(情報整理、包括的回顧)の位相の違いには大きい。
 
 待ち構えていた空と陸からの軍事力に翻弄され、半数以上の犠牲者を出しながら、ゲリラ戦に有利なマエストラ山系の地元農民に何とか助けられながら、飢えと渇きを克服しながら、落ち伸びていったゲリラ戦初期の1)退却防衛段階。
 
 マエストラ山到着後の敵戦闘力への具体的ゲリラ攻撃と武器補給ールート確保、地元支持者の拡大、ゲリラ志願者の増加の2)対峙段階。
 
 そして、3)戦略的反抗ー攻勢段階、敵の掌握する地方都市への正規軍的に発展した軍事力による進軍。
 
 2)や3)の段階になると、読んでいて、原題通りの戦争日誌では、物足りなく感じる。
 
 >ゲリラ部隊の敵との対峙段階や戦略的反抗ー攻勢段階の戦闘が可能となったのは、単にゲバラカストロのゲリラ部隊の奮戦だけでは全貌が明らかになっていないと感じる。
 
 ゲリラ隊の勝利的前進は地元住民のリアルな場面での支持や犠牲、当時のキューバ全土の政治情勢と云う条件に大きく支えられたものだった。
ゲリラ部隊は戦闘の中で同時に外に向かって政治をする部隊でもある。革命や政治変革は大衆の事業である、という事に尽きる。
 
 医師でもあるゲバラは地元住民の診療活動をしている。カストロはシエラマエストラのゲリラ隊をキューバ全国民の独裁打倒の為に敢然と戦う希望の星になる様に絶えず配慮している。
 
 が、状況を知りたければ、後に情報を整理し包括的客観的の述べた「革命戦争回顧録」を読むしかない。
 
 なぜバチィスタ独裁政権は、1957年にはたった数十人のゲリラ兵士たちに翻弄され、1950年代末には、バチィスタ本人がキューバを脱出せざる得なかったか。
 
 それを理解するためにはキューバ固有の歴史、直近のアメリカ本土米政権及びキューバ現地のグァンタナモ米軍基地、キューバ大使館、アメリカ資本との深いつながりを知らなければ、キューバゲリラ隊の勝利の全貌は理解できない。
 
 さらにいえば、どうして10年後のゲバラボリビアでのゲリラ戦は1)の段階に留まったか?
 
 >究極的に抽象化すれば、政治主体と条件、客体との関係、位相の違いという政治、軍事の本質の問題である。
>また、生の現実と回顧された包括的客観的記述である歴史の次元の違いである。
 
 生の政治主体は積極的に刻刻と歴史を形成する主体であるが、その成否を最終的に決定するのは、条件である。
条件とは人民の持続するリアルな支持であり、その時点まで至った過去の蓄積(現在の降り積もり)である。
 
 エルネスト、チェ、ゲバラキューバ革命日記」より。
12月2日。
B)「我々はマングローブの林で下船し、重い荷物をことごとくなくしてしまった。マルケスを筆頭とする8人の行方がわからなくなった。
森の中のガイドなしの行軍だったので僅かしか進まなかった。」
 
12月3日。
偵察機が入れ替わり立ち替わりやってくる。食事は一度だけだった。」
 
12月5日。
「山脈に囲まれた窪地の、サトウキビ畑を取り囲む森の中で野営。4時30分敵軍の奇襲を受ける。
後退は大規模で逃走劇の様だった。本部が装備をだいぶ見捨てた。
機銃掃射があり、多分それでアルベントーサが致命傷を負った。
私の首もかすめた。
弾丸がまず箱に当たり、私は尻もちをついた。暫くの間、戦意をなくした。」
 
1957年1月29日。
「夜、フィデルが軍団の連中に訓示を垂れ、訓練が足りなかったり心が萎えていたりすると危険だと警告した。
以下に三つの犯罪を犯したモノは死刑に処されると警告した。
すなわち不服従。脱走。負けを認める、事だ。」
 
1957年2月17日。
「エウティミオ(味方を裏切って、金銭を受け取って、ゲリラ隊の情報を提供するスパイ。そのため犠牲者が多数出る)、はフィデルの前に引き出され、体制側の協力者として名前が書かれた通行許可証を突き付けられた。エウチィミオは跪き、ひと思いに殺してくれと懇願した。
フィデルは命は助けてやると云う振りをしたが~一件を覚えているので騙されなかった。
それでフィデルが処刑を命じ、シロ、フリーアスが旧友の立場から心に響く説教を垂れた。
男は黙って、しかもある種の威厳を持って死を受け入れた。」
 
1957年3月25日。
フィデルは全戦闘員に向けて熱弁をふるい、我々あの欠点を挙げそれを克服して戦闘を実現しなければならないと説いた。~
登り降りの斜面があり、真っ暗な夜だった。フィデルは素晴らしいじゃないかと悪態をついたが、その不機嫌もすぐどこかに行ったのは、目的の家について丁重なもてなしを受けたからだ。~
丁度、日が顔を出した頃に到着。新たな志願兵が一人いた。」
 
1957年3月27日。
「エル、ロモン頂上に着こうとしたところ、グリンコ(アメリカ人の蔑称)のチビどもの一人、いちばん大人しいモノが付かれのあまり失神した様になった(注、マイケル、カーベェイの事、からはほんの15歳だった。彼を含めて3人のキューバ、グアワンタナモ米軍基地の軍人の息子がゲリラ隊に参加する様になった。チァールズ、ライアン。
ビィクター、ビューハイマン。)」
 
 
>結論。
A)の空から大量の爆弾が市民社会に降って来て、資産家屋が消滅する様な状況では、人々は原始的人間状態に帰るのである。
燃えかけている家の側に群がって寒さの暖をとっており、同じ火に必死に消化に努めている人々から1尺 (30、3センチ)離れているだけで全然別の世界にいるのであった。
人々は豚人間状態(kim hang)に帰るのである。
そういう構成員の豚人間状態を奥底に潜在させているのが、国家である。
 
 革命戦士のゲバラも機銃掃射が首筋をかすめると、尻もちをついてを突いて戦意を喪失したと戦闘日記にハッキリと書くほどである。
少数精鋭ゲリラから独裁政権を打倒して国家機構を握り、国家統治機構を形成するゲリラ指導者ゲバラの中にも豚人間の原始状態は潜在している。
 
 英雄(神話)を英雄(神話)のままにして置き、崇拝するのはのは、豚人間状態を奥底に潜在させさせ、その上に立つ国家の立場を含むモノである。
 
イ)仮に空からの機銃掃射の弾丸が首に当たっていたら、英雄(神話)はなかった。
>ロ)日本の戦前で云えば、その種(神話、権威、象徴)の最高形態は天皇である。
 
>イ)の豚人間状態から、ゲリラ英雄神話形成、-国家形成過程には、フィデルカストロの厳しい軍律、鍛錬が絶対不可欠だった。
 
>ロ)の場合、英雄(神話)がすでに歴史が記される段階で存在したと云うか、英雄自身が歴史記述を自己正当化のために文字として書きしるした。
 
 歴代天皇陵に墓誌が存在しないと云う特殊な歴史が日本に或る。存在しないのではなく、記す必要がなかったと云うべき。
ユーラシア大陸の北方に、騎馬民族と云う世界征服的侵略民族を抱えた文明に地、東アジアにおける、天然の大要塞たる大海に隔てられた日本列島(中華文明の万里の長城を想起せよ)の置かれた特殊地理的歴史的条件は大きい。
 
 先天的に外部との住民を蹂躙する争いに巻き込まれないから、単一固有の純粋培養的民族性が温存される。
支配形態も温存される。
 
そうした日本が本格的に外の世界に触れたのは世界の植民地拡張時代の時代であり、同時にこの時代に日本の近代国民国家は形成された。
 
 乱暴に云えば、ゲバラでも豚人間状態になる事を潜在させた過酷なゲリラ戦。ゲリラの司令官のフィデルカストロの訓示、鞭が、こういう特殊な地理的歴史的条件下を引きずった封建体制日本の近代国民国家形成を目指した近隣民族への植民地支配の野望として、日本民族に下った、と想定したらどうだろうか。
 
 そしてその訓示、鞭は権力支配者当事者の直接的なモノではなく、天皇の権威のねつ造による軍人的にズルイ、モノだった。
君主を担ぎ出して人民を統治し戦争するのはヨーロッパで通常に見られることだったが、日本の君主は東アジアの特殊な歴史的地理的条件によって、温存された祭政一致的古代族長制の温存された非権力的存在を長い歴史で維持せざる得なかった。そうすることが事が己の唯一の保存手段だった。
 
 >タイトルに掲げたモノどもはそうした戦前から続く日本国家イデオロギーを自らの政治支配に意図的に現状の政治闘争に利用する、という、戦前の失敗者が踏み外した道と同じ道を歩んでいる。
その方法は松下政経塾から、創価=公明、安部、橋下、石原までバリエーションがあり、その意味では進歩があるが共通項は戦前の国体主義の日本危機の時代を迎えての必然的再現である。
日露戦争から敗戦現代までの日本思想政治の大きな波のから云って、そういう総括が可能である。
 
 そして、日本庶民の過去から現在までの潜在的在り方からして、彼らの様なイデオロギー利用のやり方は必ず、日本収縮に結果するしかない。そういう政治手法に激しく呼応するモノが日本庶民には潜在している。
 
 また、コレらの下には有象無象のカルト宗教集団や奇天烈な政治集団が現世的利益を求めて、結集する必然性がある。
(なお、石原は霊友会の会員である)。
 
 従って、出口なき、閉塞状態に日本人を追い詰める事にしか結果しない。市場原理主義の目に見えない(イデオロギー服従の檻に残存日本国民多数派は閉じ込められる。
 
 当然にも、内外消費循環が前提となる国民経済にとって大きな棄損である。
自国の積極的防備を謳いながら、民族の利益を実質売り飛ばしているのだ。
アメリカ支配層はこうした輩を自らの欲望を達成するために、凶暴な橋頭堡としている。
自らは東アジアにハブ的プレゼンスを維持したまま、東アジアは分断して統治せよ!と。
 
>この様な大きな画策の一階梯が今回の衆議院選挙である。
 
 が、次の政治的軍事的経済的ステージを見通し、現下に対応すべきではないか。
 
 政策論議を詰めることも大事だが、政治思想と政治戦略が大切であって、政権交代前後から、この面が欠けていたという反省がいる。国会議員の出演する動画を長時間視聴するとつくづくその欠点に気づく次第だ。
永田町の政治作風に染まったまま大衆の前に出ている。民主議員ははこの手の輩が多い。
それだから、中身がいい加減ならまだしも、日本人の執って、有害な煽動政治がまかり通る。
大衆にとって細かい政策論議など本当のところ理解不可能。
 
さらにまた、大衆の面前で、様々な意匠を脱いだり着たりする行為、(しかもパンツさえはいていない)、もう止めにしなければならない。