マスコミ報道に一切、接触のない当方は、この間、ネット動画によって、自民党、TPP強固反対派、西田 昌司(にしだ しょうじ、1958年(昭和33年)9月19日 - )参議院議員(1期)、きょうと青年政治大学校事務総長、参議院憲法審査会幹事。から福島瑞穂社民党党首まで幅広い意見に耳を傾けてきた。
じっくり意見を聞いていると、しっかりとした政治思想に裏ずけられた傾聴に値する主張があると納得した。
ではその先鞭をつけた小泉時代の政治をどう具体的に反省するのか、は兎も角も、トーンとしては賛成である。
が、このいい加減さが国政に携わる者として、基本的に問題なのは言うまでもない。
まるで論理性が欠如している。
政治だからで済まされることではなく、そういう政治姿勢がコレからの内外激動時代に特に問題になる。
日本のファンダメンタルズから遊離した政治混迷を生み出す癌細胞である。
当たり前の反応といえよう。
その出発点からして、橋下の様な日本型ファシスト(戦前ならば典型的ファシストであり、現代的仮面を被っている。そして現代的ファシストはアメリカ発の調節なき国際金融資本主義に基ずく売族主義者である)戦前と同じく、政治思想学的に絵解きしれば、自分たちが政治的出世の階段を急ぎ足で駆け上がるために、その時々で大衆受けする政治課題を取り上げてみるのである。
基本的に政治の中身やその悪影響、整合性などは、基本的にどうでもいいのである。
その挙句、政治権力に近づけば、近づくほど、既成の支配層享けのする政策、所作を身につけるのだ。
そうしなければ、出生階段を上っていけない支配機構の構造が戦前から継続しているのだ。
だとしたら、その間で日本国民に与える政治的経済的混乱による損失は巨大であるとしなければならない。
そういうモノを予め見抜くのが民主主義に熟達した国民でないのか。
この様な橋下等の政治本質の具体像を看過できないモノの政治資質も同時に大問題なのである。
>小沢氏や支持者の一部、さらには顔となろうとしているヒトたちには政治的に緩い処がある。
<日本未来の党>の結成が遅れた原因は橋下等への評価の曖昧性であった、とみる。
まだその他小沢氏の問題点は多い。
今選挙における小沢氏の存在は<日本未来の党の最弱の環>であると想う。幾らなんでも大衆の面前で、繰り返し<様々な意匠>を脱いだり、着たり。その際、パンツもはいていない。
そういった姿は政治過程の急速な移り変わりによって、昔と違って日本有権者の一部しか引き付けることができなくなっている。権力の政治弾圧の所為とばかりはできない、身から出た錆もある、と云うのが結論である。
小沢氏はキチンと筋道を立てて己の政治軌跡を反省する必要が選挙後、出て来ると想う。
できない場合は政治の一線から自主的に身を引くこともあって良い。
役割は終え、野党<活動、運動として存在が邪魔>になると云う意味から、次世代に道を譲る事も想定できる。
本人の自主的決断が迫られよう。
支持者はもういい加減、目を覚まさなければいけない。
7割は賛成、3割間違い修正必要、とは正直な感想(つじ恵氏)だが、その3割こそが問題なのである。
もう<様々な意匠>で解消できない。
選挙後は小沢氏を取り巻く政治環境が今までと違ってくるのである。
今後の政治活動は今までのやり方では通用しない、とみる。
コレには、
>主体としてはA)我が日本の政治過程のファンダメンタルズから遊離した独走と
>客体としてはB)先進国長期不況、新興の潜在的巨大経済力を有する、国々の台頭、<再勃興>の主体、客体の連動する背景がある。
煎じつめると、B)は日本政治の力ではどうしようもない現実と取りあえず、云える。
問題はA)であり、師走総選挙を嗤う。
以前から指摘している様に、今回の選挙に置いて争点になる項目に対して、自分の問題意識の順番をハッキリすれば、次の様なスタンスをとっている。
同列にして、「繋がっているんですよね」、などと云って事足れりとしているヒトたちがいるが、そうかなと。
それらの問題点をほぼ、眺望して、反体制の立場から、消費増税断固反対である。
税金の在り方は国家権力の問題であり、自身の国家観の問題としている。
2)に関して、様々な意匠をまとった反原発派の見解行動に違和感を感じてきた。
踏み込んで意見を開陳しないが、福島原発事故後、初めての大規模な集会に参加しても、デモには参加しないと決めていた。大昔からの持論があり、できるはずがないのである。
私には政治体質として右とか左とかの垣根は元々なかった。
日本には右左は本質として存在しない。それは、ヨーロッパ民主主義先進国の事。アメリカだって右左があるかと云えば、どうだろうか?
日の丸、君が代の機会には、絶対拒否するが、自分の譲れない政治主張の踏み絵であると想ってやってきたことであり、元来そういったものに関心が向かない性格である。
が、そういう方面に方便としてではなく政治思想として拘る方々を昔から、それはそれとして認めている。
そのつもりで個人的にも接してきた。
日本の歴史的特異性を観念の上で否定しても意味がない。
彼等にはそれはそれで一つの一貫した思想体系がある。無遠慮に土足で踏み込むべきでない。
当たり前である。
戦前国体をアメリカ当局が日本支配のため、残存させたから、政治バランスとして9条が在った、と理会する。
天皇制の権利と義務を後退させずに、9条をなくすと、それこそ、<国のかたち>が偏ってしまう。
日本と日本人とは、歴史的地政学的民族的特殊性から、そういう本質と理解している。
戦後民主主義とその構築物の安心感、安定性、中身には大いなる疑問がある。
この根本矛盾が鋭く表面化しなかったのは、冷戦体制の長期化とその下での日本経済の成長環境の保障であって、前提条件が潰えたから、基本矛盾が一気に噴出している。
歴史的地政学的条件に基ずく日本人の政治本質故、取り扱いに要注意である。国民自身にその自覚もいる。
自分たちを深い処で知らなければ、又騙され酷い目に会う。敗戦は真のけじめになっていない。
チンタラ、デモや選挙、議会圏の政治スタイルは良くて、国会突入はダメなのか。街頭反乱はダメなのか。
具体的な生活の権利獲得のための大衆行動の手段でもある。
政治闘争な面だけではなく経済闘争と民主主義の環境は密接に結びついているのだ。
民主主義あっての国民の経済的利益である。
民主主義の具体的な問題である。そういう角度から中国の独裁体制を問題にしている。
同時にそれはアメリカの思惑である。この点が東アジアの一見複雑実は単純な政治構図である。
日本の混迷する政局をさらに動揺させ、硬直化させることで、日本政治を追い込んでいき、果実が落ちてくるのを日米韓中は待っている。軟な日本と日本国民と完全に馬鹿にされているのだ。
勿論自分は本質的に民主主義を云々できる立場ではないが。
だからこそ、奴等の思惑のリアルな在り様が見抜ける、と自負している。
福島原発事故の現状の厳しさは解っているつもりだが、例えば、小出さんの様な見解には、耳を傾けた結果、疑問がある。
自分自身、小出さんの様な思想的立場をとる人たちが、沢山身近にいて肩を並べて戦っていたが、違和感は当時から在った。
その時の違いの拡大を確認する次第である。
その場合、核分裂の爆発的連鎖は一応制御されたとみる。
その後の冷却装置の不作動による燃料棒の溶融である。
この場合において、チェルノブイリ型の核爆発は発生しない、圧力容器の環境であったと理会する。
圧力容器内の50数本、直径約70センチほどの燃料棒は一定の間隔で整然と配列されて、容器内の冷却水との関係から、核分裂が正常に発生するのであって、制御棒が差し込まれ、この核分裂連鎖反応が制御された後のメルトダウン状態の進行では、基本的に核爆発は発生しない。
従って、あの爆発は云われている様に燃料棒被服部分のジルコニウム溶融と空気の反応した爆発である。
制御棒が差し込まれ、核分裂反応が一応制御された状態を前提とするならば、最悪の爆発の可能性は、圧力容器内の大破損以外に考えられなかった。
それは基本的になかった。
そういう前提では核爆発は発生しない、と云うのが事故直後から、自分なりにネットでアチコチ調べた結論だった。
従って、当時、東京から緊急避難する必要性はないと見ていた。
その基準はアメリカが発表した半径70キロ程度が妥当であろう、と見ていた。
さらにいえばこういった問題には私的避難と公的避難の問題が付きまとう。個人差、あらゆる意味での環境差もある。
>その後の放射線量の内外被ばくの危険性について大きな前提になるのが、チェルノブイリの爆発によって飛散した放射線と福島のモノを厳密に比較することである。コレをやらないで放射線量を云々する事には疑問がある。
当局側の発表したグラフでも無慈悲にも、上方修正した放射能基準値による、その被害の部分を右肩上がりの点線であらわしている。被害を想定しているのである。
こういった人体被害は年月を経て表面化するのは長崎広島、チェルノブイリでも明らかである。
>明治以来、近代化された日本国は国民のセキュリティーを蔑にする本質が連綿として今日まで続いているある。いざと云う時には<日本国は国民のセキュリティーも蔑にする国家成り>と云う、基本認識が国民にコレから特に必要である。
この問題に関しては国際的エネルギー調達や日本独立の絡みを問題にしているが、現時点でブログで深く言及すべきでない。
>時間不足で一番大切なTPPについて書けなかった。
ま、しかし、日本収縮過程の後戻りできない、大きな一階梯である事は間違いない。止めることは絶対にできない。問題は時間である。