>>A、カミユ。
「ヒトはこの世に生存していると云う事から要求されるイロイロナ行為を、多くの理由化ややり続けているが、その理由の第一は習慣と云うモノである」
「ひとりの人間が生に執着する、ここにはこの世のあらゆる悲惨よりもさらに強い何かがある。
身体の下す判断は精神の下す判断と等価なモノであり、そして身体は滅亡を前にすると後ずさりする。
僕等は思考の習慣よりも前に生きる習慣を身につけているのだ。
毎日毎日僕等は死の方へ走らされているのだが、そうやって走り続けている間中、身体の方が精神より先行しており、その差はどうやっても取り戻せないのだ。」
「彼が悲劇的であるのは、彼が意識的になる稀な瞬間だけだ。処が神々のプロレタリアートであるシューシュポスは、無力でしかも反抗するシューシュポスは自分の悲惨な在り方を隅々まで知っている。まさにこの悲惨な在り方を彼は下山の間中考えているのだ。
彼を苦しめたに違いがない明徹な視力が、同時に、彼の勝利を完ぺきなものたらしめる。侮蔑によって乗り越えなれぬ運命はない」
>>正宗白鳥。
官僚から書いたものを軽視されていたために、書いたものを維持悪く注意されることも少なく、却って気軽だった。」
「お抱え車で飛び回る(読売新聞に就職)のは面白かったが、車夫の給料が16円で私の給料より1円多かった」
天皇制に反抗する様な、伝統的国民精神を無視する思想さえ敗戦によって勃興したほどなのに~
のど元過ぎれば、熱さを忘れるので、時がたつと、あの時の印象も希薄になるだろう。
どんなことがあっても戦争に加わらないと、あの時覚悟した人間精神も、それを貫くことができないで、多数者は戦争について郷愁を感じているらしく、私にはいつも見えていた。~勝負事の極致は戦争である。相手の肉体を傷つけなくっても相手の心を傷つけるのだ」
>>大岡昇平。
35歳の高齢で徴兵されるまで日仏合弁会社に勤めていた経験から、日本敗戦になっても
「軍部は退いても、財閥は残った。」
>>椎名麟三。
「むしろ実存主義などどうでもよかったのだ。私は欲したのは死を超えた主体的自由の確立だった」
「清作は、自分たちの運動がそれらの理論とは、全く異なった別の根拠に立っている事を感じるのだった。いわば、彼は死と戦う(治安維持法の最高刑は死刑)動物的本能の上に立っていただけでなく、清作は無邪気にもそれをよしとしていたのだ。清作の推薦によって、共産党員になっていた二人も清作と同じだった。」
「清作は左翼の文献を熱しに読んでいた。だが、それらは彼の行動が支持され、正義化してくれる限りにおいてだけだった。」
椎名は旧制中学中退、家出、見習いコックの不良生活中に旧制高等学校入学検定試験合格。
逮捕後2年間非転向、未決拘留を経て、獄中で読んだニーチェに感じるところあって、転向書提出。
戦後カソリック入信。
椎名の青春時代の自伝「自由の彼方に」は行動派の彼の面目躍如で、プロレタリア文学にない痛快、躍動感がある。
徴兵検査をクリアーするためたばこを大量に煎じて飲んで逃れている。
帰路のうどん屋に立ち寄った時、同じような事をやって徴兵検査をかいくぐったモノとモノと偶然再会。その男が彼に向けて、ニヤッとする場面。
戦時体制下の一風、変わったの証言だろう。
「僕は営門を出た途端元気になちゃってね。うどん屋に入ったら、一番最初に出た男がいて、僕の顔を見るとにこにこしながらうどんを食っているんだよ。それで兵隊も逃れたが、徴用もその手で逃れた。ズルイ男よ。僕は」
三島由紀夫は東大法学部生時代の徴兵検査で、一列に並べられて、身体に問題のあるモノは一歩、前に出よ!と云う号令に、隊列の前に進み出た。
戦後の彼の行動を理解する一つのポイントに違いない。
人間は己の弱さを何とか克服しようとする本能がある。
その意味で自民党出戻り総裁のアベチャンも危ういな。
>>水上勉。
「三笠書房の窓から、号外やが走るのを眺めて暗然としたが、ハワイマレー沖大勝報の写真を見ると、不思議と暗い気分の底に、血の湧くのを覚えた。」
軍国調で日常生活が圧迫された、うっ屈した閉塞状態は実際に戦端が開かれると、ある種の開放感を感じる。
言葉と情報による戦争の動機づけを超えたの大衆の深層心理であろうか。
報道情報に軍事用語が混じってくると、人々の思考形態は、知らず知らずのうちに情報のもたらす世界に従属するようになる。
以前取り上げたkim hangの「帝国日本」はその辺の大衆深層心理を描いている。
38度線で民族分断され、軍事緊張状態を意識せざる得ない韓国人ならではの指摘である。
コレからの日本の政治過程を見ていく場合、情報操作による大衆の深層心理への影響を視野に入れる必要がある。
今回の衆院選の結果もこの点から分析できるだろう。支配層の意図的な大衆深層心理を踏まえた情報操作による、国民に対するイデオロギー統合と支配である。尖閣海域の空海の中国領土侵犯情報の日常化をNHKラジオはやっている。この面での、その他マスコミの実態は知らないが。
「隣組の共同作業をさぼってはならぬ。防空壕堀り、バケツリレー、火たたき防火訓練。町内で率先してやる軍曹がいて、早朝6時に叩き起こされ、軍隊並みの行進をさせられた記憶は生々しい。この訓練でしごかれた仲間もいるかもしれない。想いだしてもいやな時期だった。
私は一戸当たり300円の援助金を出すとの第一次疎開に便乗して東京を捨てて若狭に女を連れて帰った。」
>昭和20年の首都東京では疎開に一戸当たり300円の援助金が出たのか。以前、福島原発事故関連で、戦前の疎開状況を調べたが、都会の学童の疎開は強制疎開。大人の疎開は其々の判断に任せる私的疎開だった、と確認していたが、水上勉によれば、東京では私的疎開に援助金が出ているようだ。
一戸当たり300円を今の貨幣価値に置きかえると3~4万円程度(イロイロ調べたが正確なところは解らないが5万円もいっていない。東京脱出の足代と数日間の食費程度とみる。戦争末期にはモノ不足で急激な物価高騰が在った。
この時点で水上勉は作家でデビューしていない。
すると、一生懸命訓練に励んだはずの町内会、隣組も以下の様な事態に陥る。
「猛火を潜って逃げ伸びてきた人たちは、燃えかけている家の側に群がって寒さの暖をとっており、同じ火に必死に消火に努めている人々から1尺離れているいるだけで全然別の世界にいるのであった。」
ここにあるのは無関心、虚無、何もかもなくし精神さえも裸にされた人間。
「大空襲被災者は~素直な運命の子供であった。」
が、この心象と風景は戦後日本復興の出発点だった。
>支配層による日常的危機状態を人間の深層の心理に刷り込む大衆操作ことによる、イデオロギー統合と支配
と合わせて、
今回の衆議院選の結果は、こういう角度からも、分析する必要があろう。
ま、バンドワゴン現象(幌馬車隊心理?)とか
マスコミの自民圧勝の事前情報による無力感の醸成=棄権とか
小沢氏への人物破壊攻撃とか
そういう事実は在ったにしても、主体的総括を抜きにした総括は反対運動や反体制運動に昔、よく見かけた姿勢。
>ここでハッキリしておくと
植草一秀さんの様な思考パターン、政治姿勢は中途半端、執着心多過ぎ、中身乏しい偏りがあり、そういうモノを評価、基準にする政治活動、運動に発展性はない。大衆の心理との遊離が大き過ぎる。
この辺の事情は難しい問題を含んでいることは確か。
カストロもゲリラ隊への訓示で「敗北を認めるモノは死刑に処す」と宣言しているぐらいだから。
過去に戦いの総括を巡って、トラブルが発生したことも記憶している。
ただし、議会圏の戦いは超合法の国民を巻き込んだ領域のモノであり、合理主義的政治措置が優先できる。
全くの部外者、傍観者として評価すると、党の出どころが悪い。
競馬に置きかえると血統的背景に問題アリ。