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>さて、小田実の該当箇所。
「維新史を読んでいて驚くことがある。それは薩英戦争で薩摩が負ける。4カ国連合艦隊に召集が敗れる。
ーーと薩摩も長州も相手と仲良くなってしまうことである。
あれだけ攘夷という思想を掲げていたのだが、一夜明ければ、軍艦を買いたいが世話をしてもらえぬか。
留学生を派遣したいが世話してもらえぬかというような相談を満ちかけているのである。
こうした態度は戦争が終わると生卵や野菜を昨日までの敵艦に持ち込んでくる親切な農民たちのそれと少しも変わらない。
ある意味では、日本の知識人のものの考え方ほど現実的考えはないといえる。
例えば、日本の近代化がかくも、急速にに見事になされたことの背景には
その「負けっぷりのよさ」があるに違いないのである。」
>小田の日本知識人の特徴に上げた図式では、倫理を論理として執拗に追求できない、思想の場がそれとして独自の存在せず、生活の場と入れ子細工になっている、というものだった。
思想の場で一端行き詰ると、簡単に生活の場の論理を持ち出してくる、あるいは逃避する。
掘り下げると重要な日本人論になると思うが、もう次の段落で次のような論理からの自身が指摘する生活の場への逃げている。
「このことをもう少し次元を高めてみれば(問題意識を横滑りさせているだけで、掘り下げてない。云いっぱなし。)
論理を論理として執拗に追求したところで、そこから何が出てくるかという疑問である。
<生活の場>からかけ離れたところで、論理の王国を築き上げる。それは人間の貴重な努力かもしれない。
しかしそれが何になる。人間は喋り捲って、ここまで着たがそれで問題は解決されたことになるか、
何も根本のところは解決されていないのではないかという見方も成り立つ。
西洋は今、ある意味ではそういった、認識まで差し掛かってきているのだろう。」
「思想の場に執着しないのは根本的には国民性の問題だろう。
日本の宗教の世界に漂うものは、無常観にに典型的に見られるように様式化された絶望、悲哀の一形式である。
これは宗教の希薄を生み出し、その希薄は、また、近代化の急速な達成に大きな役割を果たす。」
>ウィトゲンシュタインは経験主義を検索していて引っかかった。
哲学死滅の時代の「 」付哲学者であると思った。基本病的。
論理追求の最終到達点。
>松岡正剛さんが「千夜千冊」で実にわかりやすく説明してくれている。抜粋引用。
「誰だってケリをつけたくなるときがある。青春にケリをつけ、仕事にケリをつけ、腐れ縁にケリをつけ、自分の悪い癖にケリをつけたくなる。そうですね。
ケリって何だろう?
このケリはね、和歌や俳句で「昔はものを思はざりけり」とか「明治は遠くなりにけり」いうときの、あのケリのことで、物事や事態のひとつの結末がつくことを意味した。幕末明治以降に流行してきた言葉づかいだった
では、思想にケリをつけたり哲学にケリをつけるということも可能なのだろうか
実のところは、ヴィトゲンシュタインはそれまで自分が学んできた論理や哲学の煩(うるさ)い言い分や言い方に、ケリをつけたくなったのだった
ヴィトゲンシュタインはケリの論理学を作りたかったのだ
『論理哲学論考』はどんな仕事にどんなケリを付けようとしたのか。
ここで、「カタルトシメス」という言葉を紹介しよう
これは「語る」と「示す」をつなげて一つの続き言葉にしたものだ。だからカタカタルトシメス。
論理哲学論考』が言っていることは、このカタルトシメスなのである。
ヴィトゲンシュタインは、最初にこう書いた。
「成立している事態の全体が世界である」「対象の配列が事態を構成する」。
ヴィトゲンシュタインは「世界」については、その世界を構成しているモノ(コト)以外のモノ(コト)で世界を語れるわけはない、と考えたのである
ここで「モノ・コト」と言っているのは、言い換えが可能だ。ひとつは「言葉」と言い換えられる。世界は世界を構成するモノやコトを指し示す言葉によってしか語れない、そう言っているわけだ。
次にヴィトゲンシュタインは、「語りうることは明瞭に語られうるが、言いえないことについては沈黙せねばならない」、「示すことができるものは、語るわけにはいかない」と書いた。
ここからが大事な問題になってくる。なんといってもカタル(語る)とシメス(示す)が出てきた。
カタルは言葉で語ることをいう。
だから「語りうることは明瞭に語られうる」というのは、ちょっとでもそのモノ・コト・セカイについてカタルができるのなら、とことんカタル言葉をふやせるという意味になる。ということは、どんなカタルの断片にもそこには必ず同義性のような要素がいっぱい潜んでいて、いったんカタルを始めると、その潜在的な同義性が次々にあらわれてきて、カタルだけの関係を出尽くさせることができるだろうというのである
この“カタル型同義的関係”をちゃんと整理したものが、そう、「論理」というものだ。
この論理というのは、何を何によって語りうるかということをいろいろ集めて、その関係を徹底的に整理していったものだ。
ということは、本当の論理をつきつめて作ろうとすると、
それは広い意味でのトートロジー(同義領域的表現)になる本ではよく同義反復って訳されているけれど、もっと大きな関係を含むものなんだね。
それゆえヴィトゲンシュタインはときどき、論理学はトートロジーをあきらかにするための学問だと言っていた
、「言いえないことについては沈黙せねばならない」
というのは、いま述べたことを別の視点でさらに強調したもので、カタルによって構成されていないモノ・コト・世界を、あたかも語りうるかのようにカタルのはやめなさいと言っている、と思えばよい。
カタルに不純物を交ぜるなと言っているんだね。
つまり、ヴィトゲンシュタインは「カタル方法」という方法を確立するには、カタルとシメスがごっちゃになっているところを切断しなければならないと考えたわけだ。
それには、シメスにも「論理」や「言葉」ではあらわせないそれなりの独得の「シメス方法」とでもいうべきがあるのだろうと考えた。
このシメスをヴィトゲンシュタインはまとめて「像」とか「映像」とかとよんだ。
つまり、イメージだ。
こうして、「示すことができるものは、語るわけにはいかない」というフレーズが出てきたんだね。
これでだいたい見当がつくと思うが、ヴィトゲンシュタインは人間の考え方や見方や感じ方には、カタル方法とシメス方法の二つがあることに気がついて、それらが論理学という厳密だと思われてきた学問のなかでごっちゃになっていることに、なんとかケリを付けたかったんだねえ
しかし、話はこれでは終わらない。
では、カタル方法をつきつめるとどうなるか。
ところがここからヴィトゲンシュタインは、たいへん変わったやりかたで以上の問題に一挙にケリをつけようとした。
カタル方法とシメス方法を分けないで、まとめて「カタルトシメス」という方法があるのではないかと言い出した、そう見るといいのではないかと思う。
実はもともとカタルとシメスは一緒のもので、それが何かの理由か何かの原因で分断されて、カタルとシメスに分かれていったのではないか。
そうだとすると、カタルトシメスという原方法が自分で自分の何かの限界を知って、その限界に応じてカタルとシメスが必要に応じて別かれ分かれになったということなのではあるまいか。
これはどういうことに気が付いたのかというと、「限界」ということからモノ・コト・セカイに切りこむという方法があるということなのである
ふつうわれわれは、最初っから限界など気がつかないもので、いろいろ試したり表したりしていくうちに、モノ・コト・セカイのあらわしかたには限界があることがわかってくる。それで自分の努力をさておいて、いやー、もう限界ですなどと言う。
けれども、これはおかしい。
限界というのは、最初から対象としてのモノ・コト・セカイに潜んでいるのではないか。
そして、いったん限界がわかると、その限界そのものを方法にするということが可能になってくるのではないか。
たとえば庭を作ろうとかレストランを作ろうとすると、いろいろやりたいけれど、面積とか水まわりとか、人の動線に限界があることがわかる。そこで、いろいろプランをいじくりまわすのだが、そのうち、それらの限界を生かした方法で庭やレストランを作ればいいんだということにハタと気がつく。
つまり限界というのは、実は、方法の母体だということだ。わかるよね。
ということは、いささか高級な表現になるけれど、「母体カタルトシメス」(なんだか怪物みたいだね)は、自らその限界を外側に持ち出した“方法の母”ということになる。そう、なりますね。これって、凄い説明だねえ
そしてさらに、こんなことに気がついた。
「わたくしの言語の限界が、わたくしの世界の限界を意味する」ということに――。
そうなのだ、言語の限界が思考の限界なのである。ええっい、バカ、バカ、バカの壁。
けれども、ちょっと待てよ。ちょっと待ちなさい。
言語の限界が思考の限界だということは、言語は自分の限界を自分で知るような場面をもっているということなのだろうか。そういう特異点でもあるのだろうか。
それとも、言語がある程度に同義的に消費されていくと、そこで思考が追いつかなくなるか、あるいは思考のほうに限界ストップ装置のようなものがあって、それが光りだしたり、アラームを出すのだろうか。
うん? これは困ったことである。言語と思考の両方の臨界値を同時に探しださなくては、この限界はどうもあきらかにはなってはこない。
では、どう考えればいいのだろうか。
ヴィトゲンシュタインも、ここで躓いた。それで蛮勇をふるって当時はどうケリをつけたかというと、
「世界は私のところでぼけている」、あるいは「世界はそもそもぼけたヘリをもっている」と考えた。
後期ヴィトゲンシュタインの執拗な考察はいわばケリの位置を付け替えるという作業になっていく。では、その話をまとめて説明しよう。
またまた変わったことに気がついた。
それは、いっさいの言語活動や思考活動は「言語ゲーム」なのではないかということだった。
しかも、言語そのものの成り立ちや思考の構造が言語ゲームになっているのではないかという確信が出てきた
ということはどういうことかというと、仮に人間のコミュニケーション体系のようなものがあるとして、言語ゲームこそがその体系の本質なのではないかと考えたのだ
しかし、言語ゲームが言語活動の本質だと言ったとしても、その代表的なモデルのようなものはどこにあるのだろうか人間のコミュニケーションの本質が言語ゲームだということは、そこにはまだ発見されていない規則や意図のしくみがあるはずだということになる
それは、いろいろ考えてみたけれど、日常的な会話こそが、そのあるがままの姿において完全なのではないかということだった
人々が勝手にしゃべっている会話に言語の本質もコミュニケーションの本質もみんなあらわれているというわけだ。
つまり、論理とか論理学はそれらをもっとダメにした姿なのではないか、茶殻や茶滓のようなものだというんだね。」
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