う~ん。行き詰った。方向転換してフランス、中国、アメリカを羅列するしかないのか。時間もない。自分流の物差しが不足している。
ウィトゲンシュタインや自分の方法論を意識しても、自分に設定した課題に使いこなせない。散漫そのもの。
中国、ヨーロッパ、日本の歴史と現状を自分なりの重要各論点で整理整頓できない。
色川大吉さんは手短にできている。
それに対して、自分はヨーロッパ史を一まとめにした国別、時代別無視の時空を超えたイイトコ取りじゃないか、西欧中心史観と突っ込んでいるが、それなりの歴史的事実に裏打ちされた、歴史の論理を取りまとめている、と認めざる得ない。
それを超えたい。
TPP事態到来の時代が要請している、という歴史的直感がある。
TPP事態を超えるための、東アジア論を確立せねば、という強い想いがある。
以下、以前の記事の繰り返し!
1)ヨーロッパ史全体を得て勝手にひとまとめにする手法を取るならば、まず何より、原則として比較すべきは、中国韓国を含めた東アジアの歴史であるべきだ。
2)日本単独で取り上げると比較対象とするから、いつまでたっても講座派日本立ち遅れ論を対西欧、歴史認識の底流とせざる得ない。
3)それと現状の日本を含めて韓国中国の経済発展との次元が違いすぎる。
4)そうすると、今度は政治的上部構造に比較対象は必然的に絞られる。
>>5)世界経済や政治のパフォーマンスを参照しても新興諸国の台頭は著しい。
政治的上部構造に対する自分の歴史的視点では、これらの諸国では民主主義制度と民主運動が上昇局面にある。
当たり前であろう。
経済発展は人々を食わんがための動物的蠢動から解き放ち、一般に情報と知識が広がる。
後は、それが政治的に定着するかどうかの問題であり、この趨勢は後戻りしない。
同時に、先進国と新興国支配層に階層利害の一致は大きい。(ここは大切分析視点、国と国の関係だけでは決定的に駄目。階層動向の分析が必要。)
>>>他方、先進諸国はどうだろうか?
安部首相は訪米した際の、戦略問題研究所におけるスピーチで、名だたるジャパンハンドラーの具体名を一々挙げて、
6)その政策のトータルな中身は日本政治経済軍事のアメリカ化、+日本人の魂の囚人化(日本国憲法改訂は日本人の表面的な民主主義精神の歯止めをなくす、その先にあるのは大企業跋扈、国民経済衰退)であると、看過する。
植草一秀のいう<元の木阿弥>だとか、ましてや安部のカムバック、アベでない。
<<日本支配層>>は(世界において相対化する趨勢の米国支配層と経済後退は歴史的に必至の日本支配層の同盟であるが)
TPP事態(そもそもがなんら計画的経過を経ていない。EU結成の歴史過程とは雲泥の差)を大前提にせざる得ないが、米、日支配層もそれは先が見えてこない、と解っている。
A)アジアの新興大国は参加していないので市場的な制約を自らに課すようなものだ。
TPPによって不参加国との間には関税障壁ができるはずだが、どうするのか。
相対的に割高な域内での調達の増加となると理解するがどうか。その場合、インフレ要因になる。
B)日本の対東アジア排外主義は政治勢力として完全にインプットされているが、コレと米国の対中経済政治関係とは矛盾する場合も増大していく傾向にある。
C)そうすると、何はともあれ、アベのようにジャパンハンドラーの指図に従っていく。が、日米同盟は本質的には日米支配層同盟である、という矛盾が露呈する。
マスコミは必至で隠蔽、誤魔化す。
橋下、維新はこの矛盾の爆発への備え、隠蔽に役立つから重宝されている。
<経済基底要因>=どうしようもない世界金融資本制の法則。
TPPによって、多数日本国民と日本国民経済は確実にダメージを受け貧困が蓄積し、大資本は富を蓄積する。
そうすると、経済的基盤の同様に根を持つ不平不満の充満は日本の場合、
対東アジアに排外的はけ口を求めるし政治家も扇動するだろう。
D)コレに対してジャパンハンドラーによる日本政治のそのような傾向を押さえ込もうとする機会が増えてこよう。
この様なキリモミ状態が対外的に続く。
軍事衝突事態を加速させて狭い水路に追い込んでいくという、裏手段も想定できる。実力温存が大前提だが。
国内的にはあらゆる分野の格差の広がり、は加速する。
E)他の先進国も、同工異曲状態と見る。
世界金融経済の中心、先進国では金融寡頭制が強化(低賃金と金儲け環境を求めて企業が経済発展する海外に出て行くのだから、後は金融サービスが経済の中核になる傾向は避けられない)、
あらゆる分野で格差が広がり、従来の社会保障システムがグローバル資本の法則によって侵食される。
この様な環境において、旧来の民主制は金融寡頭制支配強化の影響を受けて、実質内容が空洞化、ないしは
日本の様に急激に大きく様変わりするのは趨勢でさえある。
7)以上のような、先進国における金融寡頭制強化に根ざす民主主義の後退と新興国の経済発展の基づく民主主義の前進の趨勢を受けて、実際に大きな歴史観では既にちらほら、欧米中心史観緒見直しの指摘が上がっている。具体的事実を挙げて、それらに歴史論として一貫性をもたせる作業はできていないが。
特にアジア排外主義、裏返しの一国主義温存の日本ではそのような作業環境の屹立は困難。
>>ウィトゲンの前回の記事には勘違いや粗雑な読み間違いがあって、メモに絞り込んでみた。
さらに単純化して4つの公式にまとめた。各項目は今まで自分も漠然と意識して、実際に利用してきた観点である。
それだけに、もっと意識化して実際に使えるものにしたかったからだ。
ウィトゲンの自分流ににまとめた4つの公式は自分の言葉に言い直すと、方法論ということである。
既に対象分析の思考方法の枠組みを持っている。ウィトゲンは追加になるが。
原理論(原理原則)-段階論(時代基調)-現状分析。
以上をごちゃ混ぜにしない。区別させて関連させる。
コレが自分の対象分析の枠組みと関連。
例えば、基地問題に象徴される沖縄の問題系列。
自分は原理原則ー時代基調ー現状を最初から一応分けて考える。そして関連付けて、統合してその時点の結論を出す。
そうすると、仮に自分があの時点の日本首相ならば、鳩山由紀夫氏のような政治は<最初から選択しない>。
勿論、結果が最初から解りきっているということもあるが。
事実、あの揉め事の最中、自分は原理原則を脇に置いた。
脇に置けるようなものが原理原則といえるかどうか、という結果責任的問題は生じるが、政治過程には長い道のりがある。泥の道に這い蹲っても目的を目指す執念がいる。
ウィトゲンの論理的哲学的思考も煎じ詰めると、思考の大枠に関する根源的な方法論であり、自分の3段階論の対象分析する場合の方法と、同じ次元の対象に潜在する限界をピックアップして方法として確立するものである。
だから、ウィトゲンを公式化し、自分のものとして使えるようになることは、対象分析する際の3段階の方法に新たな追加をすることであり、両方の方法を使えば、対象が複合して、捉えられるという訳だ。
>一応、以下の4点に公式をまとめた。
公式NO1。<<<論理(学)とは何か?>>>
=<明瞭>にカタリ尽くせるコトモノセカイ、カキ尽くせるコトモノセカイの諸断片に潜在する同義要素を関係付けを整理整頓して表現するのが論理(学)。
公式NO2。 <<<「言いえないことについては沈黙せねばならない」>>>
=不純物を混ぜると論理(カタル型同義関係の整理整頓仕分け作業)は成立し難くなる。
公式NO3。<<<限界というのは、最初から対象としてのモノ・コト・セカイに潜んでいる>>>
最重要キーポイント=マスターキー。
>>いったん限界がわかると、その限界そのものを方法にするということが可能になってくる。
潜んでいる限界を外側に持ち出して方法の母体とする。
公式NO4。<<<、「世界は私のところでぼけている」>>>(個々人と存在の限界)、あるいは<<<「世界はそもそもぼけたヘリをもっている」(主体の客体認識には限界。世界のぼけたヘリを含むのが政治、幅は広い)