反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第13回、福島原発事故事情。<緊急会議 飯田哲也×小林武史>概論として参考にする。

  第6回福島原発事故事情で取り上げた <緊急会議 飯田哲也×小林武史>2011.04.10 エコレゾウェブ。>は両者の対談を日本を中心に、海外の原発事情のアウトラインを知るため、重要な対談と位置づけたので、敢えて、冒頭の部分から掲載したが、元々、以下の部分だけをカットして掲載するつもりだった。
ここまでの福島原発事故事情の連載記事は拡散し過ぎているので、もう一度、概論に帰るつもりで記載する。
時間不足で、とりあえず、予定の都合上、前に進みたい。           
 
          *外はハリボテ、内はベニヤの"原子力ムラ"
飯田*原子力の官僚がどういうマインドや思考方法で仕事をしているのかというのが分かりました。
 もちろん真面目なんですけれど、彼らの考え方というのは、本当の安全性というよりも、法律の条文の字面をどう合わせるか、なんですね。
霞が関文学を駆使した、いわば「文学的安全性」とも言えます。
たとえば、マスコミや反対派に突っ込まれないか?という視点で、字面をチェックするだけ。
W。この文学には自分たちの都合のいいように拡大解釈される地雷が仕込まれている。日本語の曖昧性も好都合。そして終いには裁判で決着しようと開き直る。官庁官庁モドキは全部この論理。
 
飯田*だから今回の事故でも、本当に津波の高さはこの設定で大丈夫なのか、とか津波が来て電源が失われたらどういう安全性を担保できるのか、ということを彼らは真剣に追求したわけではないのです。
 御用学者の人は正直に「そもそもこんなに大きな津波電源喪失は想定していない」と言っています。
 それからすべてのキャリアを絶ち切って、スウェーデンに行ったんです。
当時のスウェーデンは、原子力で50%の電力をまかないながら、脱原発の方向で進むことを国民が決めていた。

飯田*言葉尻さえ合わせておけばいいという日本の原子力ムラの文化とは、まるで違っていたのです。
原発推進・反対」という二項対立の議論は、1980年の国民投票ですっかり卒業していて
原子力はこれ以上増やさないという大きな合意のもとで、あとは現実的な核のゴミをどうしていくかであるとか、安全性を実質的にどう高めるのかという課題を、
推進も反対もなく、極めて実質的にやっていたことに、軽いショックを受けました。
たとえば被曝軽減に関しても、スウェーデンの場合は「原子力の機器の設計と作業の手順の標準化を徹底的に突き詰めることで、作業員の被ばくを個人でも全体でも減らす」ということを、みんなで知恵を尽くして設計を変えることまでやっていくので、集団被曝線量がものすごく低いんですね。
それ以上に、圧倒的に衝撃を受けたのはエネルギーを民主主義で決めていく、さまざまな地域社会の取り組みですね。
私は『北欧のエネルギーデモクラシー』(2000年、新評論)という著書でも書いたんですが、地域にエネルギー会社があって、みんなで参加し議論しながらバイオマス自然エネルギー100%を目指すコミュニティとか。
 
      
             *ずっと陽の目を見なかったエネルギー自由化の議論
小林*なるほどね。1960年代というのは音楽で見ても大きな時代でした。 
          W。<世界の原発と政治の動向。1970年代80年代の総括>的確簡潔にまとめられている
飯田*そうですね。そのようにして1960年代は原子力が右肩上がりだったんですが、
 同時に環境思想も一気に進んだ時代でした。それが1970年前後の<環境保護運動>や<公民権運動>とか、ヒッピーなどの<対抗的政治文化>につながっていく。
>そこに、1973年の石油ショックが起きるんですね。石油ショックというのは本当に石油がなくなったわけではなくて、それまでヨーロッパとアメリカの石油メジャーが持っていた石油権益を、産油国が自分たちのところに取り返して、石油の価格や産油量をコントロールし始めたという出来事だったのです。
その結果、アメリカやヨーロッパ、そして日本などの先進国は、原子力という対抗力を持つことで、産油国に対して切り札にしようとしたんですね。ブラフですが。
 
小林*なるほど。
 
飯田*そういう風に、先進国はどこも、1973年に国と国営電力会社が一体になって原子力を進めようとしたのに対して、学生運動市民運動などによる下からの革命がNOを突きつけるかたちとなりました。
 環境保護運動と政治的な運動がすべて反原発運動に合流して、世界全体がそれですごく盛り上がるんです。
そこからドイツは緑の党生まれましたし(W。大衆運動の元気な頃、結成された利点は大きい。第一次大戦後のギムナジウム学生たちのワンダーフォーゲル運動ナチスに吸収されたが、ドイツ青年運動による自然環境との融合として、現在のドイツの環境保護へのこだわりに継承されているのではないか?ゴーキリーの「母」にも活動家と現地労働者の森の会合の様子が実に生き生きと、新鮮な周囲の描写と共に描かれている。慌ててドイツ視察をする小沢のメッキ度は極薄に見えた。典型的な政治動物だから、自然現象のようなものと理解すればいい。)スウェーデンはもつれ合いながら、最後は国民投票になりました。
>日本だけは反原発運動は、ほぼ完全に無視されて、アウトサイダーに置かれ続けたというか、国会の議論にはまったくならなかったんですね。
 
飯田*はい。やっぱり経産省、当時の通産省と政治はとにかく石油をどうするんだというというところに終始していました。
>そこにもうひとつ、1979年に、第二次石油ショックとスリーマイル事故がありました。
>日本はやりすごして政治的にはあまり影響がなかったのですが、
スウェーデンデンマークやドイツ、オーストリアでは、実はチェルノブイリではなくてスリーマイルの事故によって、原子力政策が死んだんです。

 W。先ごろ来日した米国原子力規制委員会の元委員長も日本はTMI事故に学ばなかった、といっている。
W。安全神話が政、官、業、電波の体制とセットになって、安全対策の中身が空洞に。
 
飯田*そのあと日本で唯一、国全体の大きな議論に原子力が上がりかけたのがチェルノブイリ原発事故(1986年)です。
>それも、その後の地球温暖化の議論のなかで、原子力が有効だという話に掻き消されてしまった、というのが大きな流れかなという感じですね。
 
小林*一方、アメリカでも電力の自由化をやったんだけれど、自然エネルギーではなくて安い電力の方向にどんどん伸びていって、石炭が増えたということがあるんでしょう?
飯田*どうして日本で電力自由化の議論が止まったかというと、2000年の末から2001年の始めにカリフォルニアで大停電がありました。
 それで日本の電力会社は、あれは対岸の火事ではなく、自由化したらあんな目にあうぞという議論をしかけてきました。
 
小林*日本の電力会社がですよね? なんだか覚えています。
 
飯田*はい。一方、日本の電力自由化論者は、「自由化が中途半端だからそうなったんだ」という反論をして、議論がネジ曲がってきたところに、
>2001年の9月にエンロンが倒産したんです。
W.エマニュエル、トッドの米国バブル崩壊の予言を実証する項目の一つ。会計事務所、格付け会社とセットで、エンロン粉飾決算。トッドの論点はエンロンを米国経済の幻の典型と見る視点。
 
小林*そうでしたね。
 
飯田*実はそのカリフォルニア大停電もエンロンがウラで悪さをしていたというオチがあるんですが、日本の電力自由化の議論にはエンロンも深く関わっていたのです。
 エンロンが作ったイーパワー(注)という会社が通産省にも協力して、日本の電力自由化議論の理論武装していたんです。それが一瞬にして消えてなくなったわけです。
エンロンの崩壊が日本の電力自由化の息の根を止めた、というのは現実です。
 
小林*なかなか難しい話だね。
 
飯田*そうなんですよ。で、電力自由化の議論を率いていた経産省の中の改革派と呼ばれる人たちが、かなりそこで左遷をされたんですね。
W。そんなことがあったのか。
飯田*いやもう、ダイレクトにかかるというか(笑)、電力の既得権益には大きく分けて2つのセクターがあるんです。
 独占を守りたい人たちと、原子力に思い入れがある人たち。
この両方にとって、自然エネルギーのような小規模で分散型なエネルギーが広がっていくというのは、非常に面白くない。彼らにとってはやっぱり封じ込めたいと。
 
小林*まあでも、この話を聞くと、やっぱりそうなんだねっていうぐらい、粘土体質の分厚い......、響かないという、この体質があるんですね。
        切っ掛けは"天災"だけど、今起きていることは"人災"
     <以下、内部上を知る飯田の内情報告。具体的な指摘多い。)
小林*この間観た某テレビ番組で、世界に対して企業の原子力の輸出価値というものが、国益として重要なんだということなども言っていましたけれど。
 今の日本の原子力技術って、飯田さんの話を聞いているとそんなになんかこう...、バリバリのエースって感じもしないのですが。
 
>飯田*しないですよ(笑)。日本の技術なんて「ない」って私は言っていますけど。
 
小林*そうですか。
 
飯田*まず客観的な証拠として、日本は原子力技術を導入してもう50年以上経過しているのに、
 なぜ今さら、某企業(東芝)が5000億円も払って、ウェスチングハウスを買収しなきゃいけなかったのか、ということが、すべてを語っています。(W。注)
>> 例えば他の国は最初の頃は原子力技術をアメリカから輸入していたけれども、スウェーデン、ドイツ、イギリス、フランスはみんな<自前の設計パッケージ>を持っています。
>>日本では、設計図面には日本の企業名が書いてあるんですけれども、<実態としてはエンジニアリングパッケージと呼ばれるところはどれもGEかウェスチングハウスのもの>なんですよ。
>>日本の原子力企業は、<設計パッケージという本質的な部分を50年経っても作ることができなかった>のです。
私は原子力の空洞化についてははっきりと証言することができます。
 
小林*外側はハイテクに見せかけて、内側はベニヤ板っていうことですか。
 
>飯田*それですね。もうちょっと具体的にいうと、1995年と昨年(2010年)に起きたもんじゅ福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖実証炉)の事故が象徴的です。
ふたつの事故はよく似ているんです。
1995年は熱電対と呼ばれる金属の温度計が折れちゃった。
今回は燃料を扱う肝心機器である炉心の上に落ちちて、にっちもさっちもいかなくなっている。
 そういう重要部材すら、まともに設計できていない。
子会社、孫会社みたいな町工場の下請け的なところに作らせているし、それを設計した人は、原子炉の中でどういう力がかかるかということをまともに計算できていない。
燃料の上を通るという極めて重要な部材が簡単なビスで止めるようになっていて、落ちた瞬間にそれが潰れて使い物にならなくなっている。
そういう部材はもちろん落ちないように設計されるのが当たり前で、仮に落ちたとしても、復旧可能なようにひとつの塊で作るべきです。
そんな素人でも分かることがいくつも積み重なっているんです。
 
飯田*もっと深刻な現実があります。
>>ちょっと専門的なことなんですけれど、こういう原子力機器を作る時に、その<素材や成分や溶接の仕方や、その後の検査の仕方>まで<設計ルールのガイドラインがあるのですが、
それは、アメリカではアメリカ機械学会(ASME、アスメ)という団体がオープンソースで作るんですね。
みんなの知恵を出し合った、壮大な知の体系があるんです。
 
 だけど日本ではどうしているかというと、ASMEが作ったそのガイドラインをヨコからタテに訳しただけのものが、(日本語に翻訳しただけ)
経産省の所管する電気事業法の下の、法律ですらない告示にぶら下がっているわけです。
 実際にこういうことを経験しました。
私が神戸製鋼素材を開発して原子力機器で使おうとしたときに、どうしたかというと、まずはアメリカ機械学会に登録するんですよ。
それが受理されると、自動的に日本のガイドラインでもOKということになるんです(笑)。
 たぶん、最初に一生懸命取り組み始めた1960年代は、東電も関電も国もすごく真剣にやったんだと私は推察するんですが。
それがだんだん日常化・常態化して、表層的な官僚主義がはびこってしまった。

 
>>国の検査官など、そもそも経験してないから、見るところすらわからない。
そういう官僚主義の繰り返しがどんどん膿のようにたまっていって、ふと気づくと、原子力ムラは本当に空っぽで中身がうつろになってしまったんですね。
 だから、日本には輸出できる原子力のエンジニアパッケージなどひとつもありません。優秀な技術からは程遠いのです
原子力輸出と意気込んでも、日本は下請けとして参加できるに過ぎないという現実がある
W。(注)2013年10月18日。<原発アメリカ、三菱重工に4000億円の賠償を求める。
W。事故は加圧式原発の最大の弱点である蒸気発生器内<加圧器とセット>(単純軽水炉ではこの設備はない)の「伝熱細管(直径約2cm、厚さ約1.3mm)が管板を介して約3300本溶接されている。」(ウィキ)の破損による廃炉決定ー製造メーカー責任を問う国際裁判所への損賠賠償告訴である。
飯田のこの項の解説に基づく解説を検証する時間が今は無いのでとりあえず、当該記事関連のの場所を掲載する。加圧式原発の最重要部分の破損事故ー廃炉決定の事故内容からして三菱はまず、99%損害賠償をしなければならないだろう。
           <加圧式軽水炉原発の蒸気発生器>
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飯田*これは、エネルギーに関してもまったく一緒です。
 経産省の周りにいる御用学者とか御用研究所の人たちは、「日本は省エネがすごく進んでいる」といった数字を絶えず外に説明している。
しかし、私がその内実を解説したことのあるスウェーデンの研究者など、最初から日本は駄目だとわかっている人もいます(笑)
>>でも今回はあまりにも事故処理の対応がでたらめなので、さすがに日本はどうなっているんだ?とほんとに心配している。
まさに原子力ムラの内側はどうなっているんだということに、いま海外のメディアは注目しています

            W。注 2013年3月11日(月) NHK報道。世界の原発は今ーアメリ
。「福島第一原発の事故が、どうも日本特有の事故なんじゃないかという認識が広がっているという事情もあると。「どういうことですか?」
小原記者
W「それはですね、アメリカの地元メディアを見てますと、やっぱり福島の事故について、東京電力の災害に対する備えが不十分だったんではないかとか、政府の対応がよくなかったんではないかという様な指摘がありまして、それが広がっているということがあるのではないかと受けてます。
   
   <内部告発をしてきた者を東電に通報する保安院。ー事態が表ざたになると(佐藤栄佐久福島県知事の耳に届き)一転自己保身で正義の味方>
飯田*色々な検査データです。それまでにも全部、内々に誤魔化していたんですよ。
 それがメディアも含めて、最後は東電が悪いというふうになってしまったんですけど、実は国の原子力安全保安院も同じ穴のムジナなんですよね。
そのことがいままでちゃんと伝えられていないのですが、
始まりは東電の協力会社の内部の人がトラブル隠しについて、まずは保安院内部告発したんです。
そうしたら保安院はそのことを握りつぶしただけじゃなくて、東電に対して「こんなことを言ってきたやつがいるけど大丈夫か」と言ってしまった。
 それで、内部告発をした人はもう東電の協力会社を退社せざるを得なくなったんですが、そういうホイッスルブロワー(警告者)が現れても、国と東電が一緒に隠ぺいしようとしたんですよね。
 そういう話が、佐藤栄佐久福島県知事の耳に届き、これはとんでもないと福島県が表沙汰にしました。
そこで原子力保安院は、態度を一変して急に正義の味方になって、東電はとんでもないと言い始めたんですよね。
そういう国の体質と、国の底抜けの安全管理の体質が露呈しそうになったけれど、あのときは結局最後まで逃げ切ったわけです。
 <2007年に柏崎刈羽原子力発電所を<中越沖地震>が直撃したとき、「想定外」という言葉が>
 W。そして今、銀行団融資継続条件のために再稼動、画策中。規制委員会は安全審査受理。
飯田*そして、その頃にちょうど重なったのは、原子力機器のひび割れ問題です。あれもうやむやになって今日にきているわけですし。
>あと2007年に柏崎刈羽原子力発電所を<中越沖地震>が直撃したときも「想定外」という言葉が使われました。
原子力機器の許容応力をはるかに超える力がかかったのだから、そういう原発は廃却されないといけない」と言われたのですが、
その頃に出された耐震基準の見直し案に対しては、神戸大学の石橋克彦先生とかは全然この見直しじゃだめだとしっかり言われていましたし。
    続く