お座敷小唄 和田弘とマヒナスターズ
この動画の曲調は当時、TVで聴いたマヒナと松尾和子の音源とかなりかけ離れいる。
マヒナは元ハワイアンバンド。松尾和子はジャズ出身。其々単体でじっくり聴かせる実力派のマッチング。
アップされている動画はカラオケ調の画面で、カットする。
富士の高嶺に降る雪も
京都先斗町に降る雪も
雪に変わりはないじゃなし
解けて流れりゃ皆同じ
>この脱力感で十分。他の歌詞は敢えて文字にして画面に大写し映しするモノなのかどうか?趣味の問題。
さて、このブログの主旨にそって、いつも通りやっていく。
再会 松尾和子 1988
この動画の出だしの会場の拍手の具合から、TV局の番組に合わせて、かなり大きな会場でライブが行われてたもの解る。
松尾和子さんは1番の歌詞を歌い終えた。
そして、2番の歌詞を唄い終えて、ジ、エンド、所要時間3分2秒。
TV唄番組ではよほどのことがない限り、3番までは唄わない。形通りの進行で、唄は上手いし、雰囲気の盛り上げ方も最高で、さすが実力派歌手、聴かせる。
この動画をアップした方を含めて、各コメントも亡くなった松尾和子さんを追悼するものばかりである。
それはそれで異論を差しむ筋合いのものでない。
が、しかし。
「再会」の歌詞をキチンとフォローしているヒトは、アレ、何時まで経っても、この歌詞の山場というか、状況設定をバッチーと一ひねりしているフレーズが出てこない、と気づくはずだ。
この点はここで押さえておく。自分にはその必要がある。
松尾和子
再会
作詞:佐伯孝夫
作曲:吉田正
1)逢えなくなって 初めて知った
海より深い恋ごころ
こんなにあなたを 愛してるなんて
あぁあぁ鴎にも わかりはしない
2)「みんなは悪い ひとだというが
わたしにゃいつも いいひとだった
小っちゃな青空 監獄の壁を
あぁあぁ みつめつつ 泣いてるあなた」
3)仲よく二人 泳いだ海へ
ひとりで今日は 来たわたし
再び逢える日 指折り数える
あぁあぁ 指さきに 夕日が沈む
作詞:佐伯孝夫
作曲:吉田正
1)逢えなくなって 初めて知った
海より深い恋ごころ
こんなにあなたを 愛してるなんて
あぁあぁ鴎にも わかりはしない
2)「みんなは悪い ひとだというが
わたしにゃいつも いいひとだった
小っちゃな青空 監獄の壁を
あぁあぁ みつめつつ 泣いてるあなた」
3)仲よく二人 泳いだ海へ
ひとりで今日は 来たわたし
再び逢える日 指折り数える
あぁあぁ 指さきに 夕日が沈む
>動画では2)番の歌詞を丸ごとすっ飛ばして、3)番の歌詞を2)番替わりに唄っている。
この歌詞の構成を見ると、どう考えても、2)番の歌詞が1)番の心を喚起する対象と明々白々。
そして、3)番の歌詞で「再び逢える日、指折り数える」と念を押されるとこの唄の全体像が余りにも露骨になり過ぎるのである。放送禁止する側にとって。
(秘密保護法によって、従来、司法改革で云われていた、可視化はスッポリト覆われてしまった、どこかに吹っ飛んだ、と見て間違いない。
今まで以上に、やりたいできる法的庇護を与えられた。)
>タブー状態を森山良子の「想いでのグリーングラス」現象と名づける。
森山良子さんの吹き込んだ(レコードにする段階での改変と放送禁止コードよる自粛を区別する必要がある。
検閲が厳しくなっている、ともいえるし、表現者側の意識のあり方の相違ともいえる)「想いでのグリーングラス」なる唄は原曲の「グリーン、グリーン、グラス、オブ、ホーム」の導入部分から、残酷な現実に直面させ、神への希求に導く一ひねりもふたひねりもある起承転結のストーリーを換骨奪胎し、都会に出て行った若者が挫折し傷心し、父母、愛しのメアリーの待つ故郷に温かく迎えられる、完全な別物語に置き換えられている。
自然、愛、残酷刑罰、神の救いで終わるドラマチックな起承転結などあったものでなく、単にヤッパリ故郷はいいなぁ~程度の唄に終わっている。
コレは何処の国にも程度の差こそアレ存在するものなのだが、日本ではそれが徹底し過ぎている。
また、覆い隠すネットは放送禁止コードだけに限定されるものでなく、政治的な事象、実体にまで拡張されている現状にあり、それがまた肝心なことであるから、始末が悪い。
肝心なことをすっ飛ばしてわぁ~わぁ~いいあっても言葉に言葉を重ねているだけである。それの何処が言論の自由なのか。単なる一時的な消耗品、暇つぶし、娯楽、嗜好に過ぎない。
現実を厚い皮膜で覆いつくすから、そこがタブーとして特別視の対象になり、最後は無きが如くものになったり、人々から忘れ去られていく。
この現象が日本では有効に作用してきた事実を歴代の支配層を良く心得て、人民統治の大きな策術をして繰り返し利用してきた。支配層は過去を忘れず、執拗で執念深かったのである。
一方、統治される側によく言われる忘れっぽさ、のなかには間違いなく、支配層の意図的な人民の戦いのリアルな事実の抹殺、解釈替えを理由とするものがある。
それは精神風土や地政学的な日本の特殊性に関連付けて理解されがちであり、前回の記事の核心部分もそういう風に誤解される要素を含んでいることは解っていた。
しかし、自分の主旨ではそこを突破して組み立てられない非力は厳然としてあり、一つの方策として、中国、朝鮮半島を網羅した東アジア全体の歴史観に立脚することを模索しているが、粗製乱造の記事を連発するままで終わっている。
コレは学の領域であり、自分には厳しい。ブログなど書いている場合でない。能力も問題である。
突き詰めていくとそういう次元になる。
>ただ、ここハッキリとしている事実を具体的材料を示して指摘しておきたい。
A)事実。
前回の記事で1971年第一次、コザ暴動1970年12月20日未明、第二次コザ事件。(暴動)1971年8月17日、を敢えて書き出したのは、1969年11月佐藤栄作首相訪米から、1970年6月安保条約自動延長、1972年の沖縄返還の政治過程において、日米、沖縄民衆のリアルに有りのままに存在した憤激と大衆行動の歴史的事実をコザ市ー沖縄市への市名変更で、消去しようとする、日本支配層に連綿と続く、民衆の戦いの歴史を消去する常套手段をはっきりと押さえておきたかったからである。
B)事実。
大幅に事情が違うことを承知で書けば(事情は違うが次元は同じ)、元禄16年、1703年12月31日)に関東大震災と類似する元禄大地震が江戸を直撃したが、その直後、幕府は天皇在位のまま、元号を宝永に改めた。
上記にも関わらず、
C)事実。
さらにまた、この大地震で発生したツナミは西日本太平洋岸に多大な被害をもたらした。
かくして、江戸幕府の姑息な縁起担ぎも含めた、大事態で実害を受けた江戸庶民の目線のはぐらかし=目くらまし作戦は地球の物理的法則によって完全否定されたわけである。
D)事実。
こう表現すると真実味に欠ける感がするが、地球規模を想定し、ちょっと上が「想定外」の巨大な範囲のズレを引き起こしたのに、その下の地殻がそのまま、なんてコトが物理的にありえるか。フィリピンプレートは全体的に比重の軽い地殻構成。
東京五輪も姑息な同種のはぐらかし、目くらまし戦法ではある。
さらに中国不参加なんて事態も今後の成り行き次第でないことはない。また、国内階層格差は大きく進展しているだろうし、日本経済の世界経済に対する相対化も進む。)
>>以上のように書いていくと、冒頭の
「この動画をアップした方を含めて、各コメントも亡くなった松尾和子さんを追悼するものばかりである。」
はヤッパリ、日本ならではの異常現象、とつくづく想う。
特にこの手の主題の外国系の唄が動画にアップされた場合、2番目の歌詞をすっ飛ばして、3番に置き換えている場合は、必ず事実を指摘するコメントがちらほら垣間見えるはずである。
カントリーミュージックという日本ではマイナーの分野を趣味としているので、現地の生の情報や聴く人の想いがが知りたくて、コメントは割りと丁寧にチェックしているが、分析的な意見や多様な見方が載っている、と想う。
全部が全部同じ方向を向いているコメント欄は少ない。
結局はエンターテイメントに対する受けての楽しみ方、評価のあり方につきる。
それは、エンターテナーのいいもの、多様なものが、視聴者観客にセレクトされていくことに繫がる。
何よりも本物が目の前にたくさんいて目が肥えている。
お富さん(春日八郎)
歌詞もキチンと動画に載っている。以前の記事でも取り上げた、なぜか好みの曲。日本人の芯が触発される歌舞伎の名場面。
ウィキより引用
「『お富さん』(おとみさん)とは春日八郎の歌で1954年8月に発売され、その年に大ヒットした歌謡曲である。作詞:山崎正、作曲:渡久地政信。
「お富さん」で、が然ヒットしたのが、この人。
また、世に出る前の三橋美智也を作曲家の山口俊郎氏と共に引立て、初期の三橋の歌は殆どこの人が書いている。
大正五年群馬県生れの涙にもろい上州っ子。」との公式文章はあるけれど、実録は次の通りだったらしい。
ただし作曲した渡久地は歌舞伎のことはあまり知らず、むしろ当時最新の音楽であったブギウギのリズムを基にして曲を書いた。W。作曲者が知らないのは当たり前。
その軽快なメロディーは大当たりとなり、「粋な黒塀」「見越の松」「他人の花」といった仇っぽい名詞句を何も知らない子供までもが盛んに歌った。」
この曲調に歌詞を載せた山田正になぜか注目する。
山崎正 | キング・作詞家 |
また、世に出る前の三橋美智也を作曲家の山口俊郎氏と共に引立て、初期の三橋の歌は殆どこの人が書いている。
大正五年群馬県生れの涙にもろい上州っ子。」との公式文章はあるけれど、実録は次の通りだったらしい。
>自分の関心の向かう方向に疑問符があった。
お富さんを以前記事に取り上げたのは(多分、1回目は詳しく、2回目は話題のついでに)その軽快な曲調にもまして、物心付かないころなんとなく聴いた歌詞に、時代にソグワナイ違和感と、いおうか何処、難解を暗示する内容を感じたことが、尾を引いていたのかもしれない。
粋な黒塀、
見越しの松に
あざな姿の洗い髪
死んだはずだよ、お富さん
当時の大人でも聴いただけでは、下線部分解らなかっただろうと思う。
多分、歌舞伎の初っ端の舞台装置を手短に表現したものじゃなかろうか。
全体の歌詞のあり方は乱暴。
コレでは次が続かない、とも予測される。
時代劇なんてものは所詮現代風にアレンジされ淘汰されたものが残っているが、歌舞伎の世界は江戸時代の庶民の情念の赴くままがそっくり残されている。
それでもまだ西欧化の手前、お上(天皇制絶対権力)によって日本人の執念深い復讐物語や色恋沙汰をあるがままに提出したら、西洋には野卑に写ると警戒し、無理やり洗練された方だ。
そういう世界を取り込んだ作詞家には、それなりの背景があった。
やはり、本物の芸能の世界は日本でも厳しい。
>錆びたナイフ 石原裕次郎
>赤いハンカチ 石原裕次郎
カラオケ、アップはやめろ!裕次郎本人のVTRは太り過ぎ、顔パンパン。
>風速四十米 石原裕次郎
>赤木圭一郎 霧笛が俺を呼んでいる
>ハッピーエンドは金庫の中(in Hong Kong '97 )高橋真梨子 Mariko
ステージ演出、ダサイ。唄は上手い。
>高橋真梨子 グランパ
>わが町は・・・/ ペドロ&カプリシャス(高橋真梨子)
>ペドロ&カプリシャス 「教会へ行く」(1973年)(高橋真梨子)