反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

ボナパルチィズムについてーウィキペデァ解説、トロツキー、1932年ドイツパーペン政権ボナパルチィズム→ヒットラーへの道。万世一系イデオロギーと開国。外務官僚米国の懐に飛び込んで発言。

 前回の記事で次のような問題積み残しの箇所があった。一応、ボナパルティズムに関する説明としてウィキを貼り付けておいたが、時間の都合上、前半の解説にザット目を通し、「なんじゃコレは」としていたがそのままになっていた。
今回、この問題を中心に考える場を設定していないが、自分を納得させるために踏み込んでみる。
 
 2014年1月29日記事引用。
「>2014年知事選に吹く風は下記2011年、2012年の資料を参照すれば、想像できる。
なお、細川ー小泉ラインの政治的性格は原発事故とそのリアクションから発生したボナパルチズの試みではなかろうか?」
ウィキのボナパルティズム解説はコレ。
 自分が使っているボナパルティズムの原典はこの解説の<広義のボナパルティズム>の解説にある次の部分に相当する。
 
ボナパルティズムという用語を最初にこの意味で用いたのは、第二帝政の成立を同時代人として目撃し、これを批判したカール・マルクスであった。マルクスは、第二帝政ナポレオン3世に対し、
『歴史的な大事件や重要人物はすべて、いうならば二度繰り返される』とヘーゲルはどこかで指摘したが、彼は以下のことを付け加えるのを忘れている。一度目は悲劇だが、二度目は茶番劇だということ
                                 ーカールマルクスブリュメールの18日」ー
W。有名な一説で、普通はこ云う風に簡略化して使う。
歴史は二度繰り返す、一度目は悲劇、二度目は茶番。
 その場合、必ず、<歴史は螺旋的に発展する>というこの本にあるマルクスの視点に留意する。
螺旋階段的発展するから、同じことの繰り返しはなく、一度目は悲劇であっても二度目は茶番劇になるわけだ
 
 例えば、この思考方法を日本の1920年代~30年代の政治経済状況と、現在を比較する場合に適応すれば、
 
 まず第一。現在の政治軍事過程はに同じような道を辿らないということだ。
この点に関しては繰り返し、現状をファシズムへの道と捉えてしまう単純論法を現実にそぐわないと批判してきた。格差拡大が誘引する問題が最大問題である。ファシズムへ回帰ではなく、格差社会への螺旋的回帰である。コレは全世界的暦傾向である。政治優先主義は間違いである。今回の都知事選挙にもそれは生活問題の蔑ろとして現れている。
 
 したがって、反ファシズム統一戦線的な思考は現実の政治から遊離している。
勿論反政府勢力の連携は肝心なことである。ただ何でもかんでも一緒にぶち込むことは今とこれからの時代に相応しくない。結果的に戦いを弱め衰退させる。
ヨーロッパの政党政治市民運動の実態を見ればわかる。そういう安易なことはやっていない。
 
 まず、自分の政治思想的立場をハッキリさせてからの行動の統一である。
慌てなくてもそのぐらいの余裕はある。
世界戦争をやる必然性、理由がグローバル資本制と世界支配層に乏しい。
 また世界市場の一体化、裏面でも再分割の状況は世界戦争を呼び起こす状況に無い
 さらに、人類破滅の核兵器は世界戦争をさせない。
 
が、局地の紛争、戦争の多発は世界市場の再分割の急速な進行がある以上、避けられない。
民主政体は元々、少数者の多数者支配なのだから、やつ等は政治の手段として、勝手に戦争政策と戦争を発動する。
 
 その典型は米国であるが、市民に反対するものも少なからず存在する。
 
 米国戦争政策はエマニュエルトッドの指摘するように、冷戦体制崩壊以降を経て、1990年代後半から、質的転換を遂げてきた。
 
 東西冷戦の世界の憲兵となる必要のなくなった冷戦体制崩壊後の米国一極支配体制の一時代、さらに進んで
米国経済と世界覇権の相対化、新興国台頭による世界の多極化、国内格差拡大容認を前提とする金融超主導経済において、米国の戦争はその性格を変えてきている。
 
世界覇権を相対化させ半覇権国家となった米国はイラクのような弱い国に侵略してその成果を世界に示すことによって、世界覇権国家であるかのごとく振舞う、事で世界を畏怖させ、自国に経済的利益を呼び込む。
 
 この常態的になった世界戦略に対して、日本韓国のような戦略的脆弱性のある国の支配層は米国によって意図的に醸成された戦略的集団安保的激動情勢の前に早々と屈服し、配下に入り、その階層的利害を戦略的に見出す方向に突っ走ることになる。
 
 従って、そのような国々ではミニ米国社会経済が中長期的スパンで出現する方向にある
 
 他方でEUのように広域政治経済圏では、国内の支配層が新自由主義政策を推進しても、コレに対する抵抗力も存在する。
ただここも金融危機を通じて、格差社会がもっと進行し、財政の長期的悪化は避けられないと見て、世界激動要因であり続けるだろう
 
 この辺の日独韓の経済環境の比較は、数回前の記事で行った。
メルケル首相や民間企業に対する米国家安全保障局の盗聴の必然性はエマニュエルトッドの「帝国以後」にも暗示されている。米国はドイツの政治経済状況の現在の均衡を崩し、脆弱化させ、屈服させたいのだ。
 
 第二。しかし螺旋的な歴史発展コースを念頭に置けば、大状況の違いにも拘らず、余りにも進化した世界的資本制とその激動的旋回を基礎に日本の権力機構の戦前戦後を貫く本質的な動態としての、既存の国家機構のなす崩して的強権化、軍事化は避けられないと見る。
コレはファシズムではない。
 
 秘密保護法事態は既存の日本国家行政機構のなす崩し的強権化軍事化の歴史的結節点になる、と考える
その一部に情報統制の方向が法制化されたが、この事態の中心は治安管理である
青木理さんの視点が的を射ていると想う。
 
 鳥越俊太郎さんの長時間講演の動画を聞いた限り、話題の振って行き方から、何時次のフレーズ「新聞報道などのジャーナリズムは<あなた方市民の代表者>として政府行政の監視をし、批判し、報道している」が語られる構っていたら案の定であった。
 
 この観点は日本のマスコミの大義名分で、先進国では特殊な部類に入る。
彼の話は説得力がある。しかし限界もある。
 
 あなた方市民の代表者が上記した日本を取り巻く内外の趨勢に徐々に批判力を失って、一部支配層の常識を垂れ流すようになったら、戦争の危機云々以前に実害は市民生活に及ぶ。現時点はコレだと思う。
 新聞経営は株式は規制されているはずだが、資本関係にあるTVその他はれっきとした営利企業で株式も公開されており、確かテレビ朝日などは異常な高値が付いている。提供スポンサー企業から流れ込むカネが経営のがきを握っている。スポンサーの意向が電通など中間企業を通じて濃厚に反映される。
 
 したがって、営利企業であるという側面が濃厚になれば、<市民の代表者として権力行政の監視、報告>や<社会の木鐸>機能は後景に退いていく。
かつてはそういう時代もあった、ということにあるが、逆流に抗する仕事は貴重であり、そういった人たちがいなくなれば、刷り込み作業はもっと進めていくほど、厚かましくなっている
 
        フランスでは報道からの自由が唱えられている。
「日本では、メディアジャーナリズムがあたかも市民の代表であるかのように扱われているが(<官と民>の対立という図式はまさにそれを表している)、フランスでは、ジャーナリズムが市民の側にある、というよりむしろ市民からも距離をおいた存在であると見たほうがよかろう
 
 
      報道の自由という言葉の解釈も、日本とフランスでは違う。
 報道の自由とはフランスでは報道からの自由を意味し、市民がメディアの報道によって名誉、利益を侵害されない自由、そして権利を意味する。
 
 反論権とは、不当な報道によって名誉を汚された個人あるいは団体が、当該の新聞に対して、当該の記事と同じ長さで自らの正当性を主張できる権利である。
報道が不当と判断した場合は当がいメディアは反論危機時や番組を掲載、放送しなければならない。
 
 最期にフランスのジャーナリズムには中立や不偏不党という概念は余りなされない
求められるのはジャーナリズムの多元性で、できるだけ多様な意見を取り上げるべきというものである。」
 
 以上の報告書を鵜呑みできないが、大凡の違いがわかる。
日本のマスメディアはこぞって国民をミスリードしやすい構造を内在させていることは間違いない。
同時に、現時点でその中で奮闘する人たちとの違いは押さえつつ、大切にしたい。
 
 なお、冒頭のボナパルチィズムの選挙情勢への応用はしない。
今後、公示中の2014年都知事選挙への言及は一切しない。結果判明後もやっても生産的な意味が見出せない。
ネット記事を読んでいてコレでは不毛と想われる議論がある。
経験的にいってああした人たちを相手してえられるものは何も無く徒労感しか残らない。
ネットウヨクの変種と昔から想っている。実体の無い思い込みが激し過ぎる。
 
第三。次のウィキのボナパルチィズムの解説は妥当であり、厳密に言えば、A)前半部分の解説はマルクスがリアルな歴史報告書、「~18日」で明らかにしたその時代に特徴的な不安定な社会構造を背景にした過渡的権力構造である。
その原理をB)多分1920年代から30年代に適応したのが後半部分であると考える。
 
引用ウィキ。
「A)勃興するプロレタリアートと旧勢力たるブルジョアジーの勢力均衡が生じ、いずれもが国家体制に対するヘゲモニーを握れない状況下で、双方に対して、農民など中間層に基盤を持った自立的かつ強権をふるう権威主義的な国家権力が一時的に発生する現象と、ボナパルティズムを普遍化して解釈するようになった。
 
B)その意味ではブルジョワ国家の最終段階とされるが、実際はブルジョワシーの上昇期に出現し、人民投票や普通選挙など民主主義要因を含む独裁制という得意な近代の権力形態の一つである。
 
 
ボナパルティズムという相応する社会情勢を背景にした特殊な過渡的政治形態を今に応用し、事態を分別するためにはA)原則B)応用ができる。そのためには以下の論評を参考にする。
 
 
      1932年10月30日『トロツキー著作集 1932』下(柘植書房新社)より。
 
W.自分のここまでの記述ではファシズムは1920年~30年代の特殊政治現象としてきたので、一見、余り参考にならないようだが、今のリアルな政治の動きを見る場合、参考になる部分があるようなので念のために気になる箇所をコピーしておく。コレは基本的にジャーナリステックな政治評論であって、状況を抽象化し原理を打ち立てる、政治理論書ではないと考える。
 
最後尾の指摘は重要である。
 
 金融資本制独裁(ヒンデンブルグに代表されるドイツ軍、治安維持警察、ユンカー大地主層、ドイツ官僚層)を本質とする国民統治のためのリアルな二つの戦術としての議会主義、とファシズムテロ支配形態を示している。
それはこの結語にある。
「 大統領制政府の「強さ」を評価するに当たって、われわれは、金融資本がパーペンの背後にいるとしても、そのことは金融資本がパーペンとともに倒れることをけっして意味するものでないという事実を忘れてはならない。
 金融資本は、ヒンデンブルク=パーペン=シュライヒャーよりもはるかに多くの可能性をもっている。
>諸矛盾が先鋭化した場合、純然たるファシズムの余地が残っている。
>諸矛盾が緩和する場合には、「合理的な」議会主義の路線に後退するだろう。
>金融資本は、プロレタリアートによって追いつめられないかぎりマヌーバーを続けるだろう。
>パーペン政府はどれだけの期間マヌーバーを続けられるか、それは遠からず明らかになるだろう」
イギリスフランス、アメリカなどの民主種主義制度では、過去も現在もこういった独裁を本質とする支配層の人民統治の戦術としての極端な選択の巾は不必要である。
レーニンの国家と革命の世界の統治形態のリアルな分類が示唆している(防衛大学校教官訳。文庫本。国家理論の一端として教えていると想う)
 
日本の場合は既に上記したとおりであり、統治形態の本質は欧米と中国北朝鮮の中間型と考える。
民主制度の大枠は維持しても、多数派原理の最優先として、世論にお構いナシに自分たちに都合のいい法律を採決している実情である。
 国民政治意識のブレも大き過ぎるが、根本的に民主政用件に欠いた人物が国会多数を占めてきた経緯がある。選んだのは国民といっても、両者に相互作用はある。実質的に選択の幅が行使できないのだから。
 
       本文の概説だが不十分
「1930年代ドイツで成立していたパーペン政府についての社会的・階級的性格づけを行なった論文であり、ボナパルティズムについてのトロツキーの考えを示すものとして重要である。
 このパーペン政府は、その前のブリューニング政府とその後のナチス独裁とを媒介するボナパルティスト政府であった。
パーペン政府は1932年12月にシュライヒャー将軍の政府に席を譲り、翌年1月にはヒトラー政府に席を譲る。どちらのボナパルティズム政権も、ただファシズム政権への架け橋でしかなかった。」
 
 パーペン=シュライヒャーの任務は、国家社会主義者を友好的にしつけ、プロレタリアートを警察のくびきに縛りつける。
実際には、ファシズムは内戦における2大陣営のうちの一方の陣営を表わしている。
ヒトラーは、権力に手をかけながら、何よりも街頭を72時間、自分に引き渡すよう要求した。
ヒンデンブルクはこれを拒否した。
 パーペン=シュライヒャーの任務は、国家社会主義者を友好的にしつけ、プロレタリアートを警察のくびきに縛りつけることによって、内戦を回避することである。そもそもそのような体制が可能であるかどうかは、プロレタリアートの相対的弱さによって決定される。」
 
 
 「自由主義ボナパルティズムファシズムなどの概念は、普遍的な性格を有している。歴史的現象はけっして完全な形で繰り返されることはない。」
 
 
 「パーペン政府はファシズムなしにはありえなかっただろう。しかし、ファシズムが政権に就いているわけではない。そして、パーペン政府はファシズムではない。
 他方、いずれにしても現在の形態のパーペン政府は、ヒンデンブルクなしにはありえない。
   
  数百万もの(社会民主党と中央党の)労働者と小ブルジョアジーと農民がヒンデンブルクに投票
 ヒンデンブルクは、戦争でドイツが最終的に降伏したにもかかわらず、人民大衆の記憶の中ではドイツの偉大な勝利を代表しており、その軍隊を象徴している。
大統領へのヒンデンブルクの再選(9)は、「国民投票」のあらゆる特徴を帯びていた。
数百万もの(社会民主党と中央党の)労働者と小ブルジョアジーと農民がヒンデンブルクに投票した。
 
 彼らはヒンデンブルクの中に何らかの政治綱領を見ていたわけではなく、まず何よりも内戦を回避したいと望み、超越的な調停者として、国民の仲裁判事として彼を担ぎ上げたのである
 そして、まさにこの点こそがボナパルティズムの最も重要な機能なのである。
すなわち、財産と秩序を守るために、あい闘う両陣営の上に立ち、軍事・警察機構を用いて内戦を抑止ないしその機先を制し、あるいは、その再燃を防ぐ。
 
  パーペン政府について語るとき、ヒンデンブルクを忘れることができない。
社会民主主義の支持を得られるかどうかはヒンデンブルクにかかっているからである
ドイツ・ボナパルティズムの複合的性格は、ヒンデンブルクへの支持を獲得するデマゴギッシュな活動がそれぞれ独立した2大政党――社会民主党国家社会主義――によってなされたという事実のうちに表現されていた
 
 
 社会民主党は、ファシズム共産主義の産物であると主張している。
このことは、階級闘争の先鋭化がなければ、革命的プロレタリアートが存在しなければ、資本主義システムの危機がなければファシズムの必要性がまったく生まれなていなかっだろうというかぎりにおいて、正しい
 
 
 しかり、ファシズムは、プロレタリア革命の脅威に対するブルジョア社会の反動である
しかし、まさにこの脅威が今日ではまだ直接的なものになってはいないので、支配階級はボナパルティスト独裁を通じて内戦なしに何とかやっていこうと試みているのである。
 
 実際、ビスマルクは、彼流のやり方で、ドイツの統一問題、ドイツの対外的強さの問題を解決した。
しかしながら、パーペンはこれまでのところ、ドイツのために国際舞台で「対等の地位」を獲得すると約束しているにすぎない。少なからぬ相違が存在する! だが、われわれは、パーペンボナパルティズムの度合いがビスマルクボナパルティズムと同じであることを証明しようとしているのではないのだ。ナポレオン3世もまた、彼の「伯父」のお粗末なパロディでしかなかった。
 
 ドイツ・ボナパルティズムは都市と農村の小ブルジョアジーに直接には依拠していないが、これは偶然的ではない。まさにそれだからこそ、われわれはかつてパーペン政府の弱さについて書いたのだ。
この政府は、プロレタリアートファシストの2つの陣営を中立化させることによってのみ存続することができる。
 
 だが、パーペンの背後には、大地主、金融資本家、将軍がいるではないか、と別の「マルクス主義者」たちが言い返す。有産階級それ自身は巨大な力を代表しているのではないか
そうだ。パーペンのすぐ背後には上層有産階級がいるが、それだけしかいない。まさにそこに、パーペンの弱さがある。
 
今日の資本主義の諸条件のもとでは、金融資本の代理人でないような政府は一般に不可能である。
だが、考えられるあらゆる代理人のうちでも、パーペンの政府は最も安定を欠いている。
支配階級が直接に統治できるならば、支配階級は議会主義も社会民主党ファシズムも必要としないだろう。
 
 まさに超政党的「国民」政府が本当は社会の上層部の名においてしか語ることができないのであるから、資本は自身をパーペン政府と同一視されないようによりいっそう注意を払うのである。『ドイッチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング』は、国家社会主義党を支持する大衆の中に大統領政府にとっての支えを見出したいと望んでおり、最後通牒的言葉を使ってパーペンにヒトラーとのブロックを、すなわちヒトラーへの屈服を要求する
 
 大統領制政府の「強さ」を評価するに当たって、われわれは、金融資本がパーペンの背後にいるとしても、そのことは金融資本がパーペンとともに倒れることをけっして意味するものでないという事実を忘れてはならない。
 
 金融資本は、ヒンデンブルク=パーペン=シュライヒャーよりもはるかに多くの可能性をもっている。
>諸矛盾が先鋭化した場合、純然たるファシズムの余地が残っている。
>諸矛盾が緩和する場合には、「合理的な」議会主義の路線に後退するだろう。
>金融資本は、プロレタリアートによって追いつめられないかぎりマヌーバーを続けるだろう。
>パーペン政府はどれだけの期間マヌーバーを続けられるか、それは遠からず明らかになるだろう。」
 
 
 
 立ち止まってはいけない先に進もう。
読書から、気になった箇所を引用しておく。
 
 1)中世史が趣味の素人でも自然と解る律令国家のウソ 
保立道久『歴史学をみつめ直す 封建制概念の放棄』校倉書房、2004年、P19
 
「日本は東アジア諸国から大きく遅れて文明化したことの評価である。W。野蛮は武力に強い。
日本の文明化は既に中世の段階に到達していた東アジア世界への適応過程だった。
この段階の国家は首長制社会を基礎とした過渡的文明国家。
中世史研究者が共通して主張するように、そこに存在する制度的な生真面目さに幻惑されてはならない。
奈良時代天皇制が文明的実質を整えていたという観念は二歩史上最大の幻想という他無い
律令国家という用語を使用し続けているのは誤解を招く。W。この辺の事情は以前。ウィキ、大化の改新の解説を例に挙げて批判した。」
 
 同じ問題意識。P312.永原慶二を保立道久は引用。
 
「永原は平安時代史の根底となる律令制国家の本質を、「共同体的関係の残存の上に展開する未熟な政治てき奴隷制と既定し、それを「大化前代の部民制を国家規模で継承発展せしめた」モノと表現している。
 律令制国家の整備された制度の背後に、現実には濃厚な未開性を見るのは、現在に至るも中世史研究科の共通の見方であるは、長原の説の特徴は、9世紀の院宮王臣家(Wエッ天皇家奴隷制大荘園の持ち主?)による荘園制的大土地所有の全国的展開こそが、平安時代を通じる荘園制の枠組みを作ったものであるとする点にある。
 
W。その後に開発系寄進系荘園の拡大ってわけか。それによって国家所有地が虫食い状態になるが、中央とすれば、年貢さえ入ってくれば一挙両得で問題ない。
しかし、在地の年貢徴収ははかどらず、受領(国司年貢請負)に委任。
古代国家の地方実務担当層旧在地支配層郡司の力後退→国衙に集結する在地残留貴族、富豪層のパワー増大→年貢徴収輸送ルート警備、委任→中央軍事貴族台頭(地方富豪層と連携強まる(王朝国家体制)→もっと進化すれば、荘園公領制
中央ー地方の関係はザット以上の歴史的推移。 
 
 山椒大夫
「永原は、8世紀の初期荘園こそを始めての明瞭な階級的性格(奴隷性的性格)を盛った大土地所有とし、
 9世紀の荘園的大土地所有の特徴を、地方の私営田領主が奴隷性的経営を展開して、そこに介在するに至ったことを認めている。山椒大夫
私営田経営は、律令制的な国家的共同体所有を分解する上で決定的役割を果たしたのであるが、
永原はその実態を、直接的な奴隷制を中核とし、
同時に(公私の出挙すいきょを重要な契機として(W。これだったら山椒大夫的拉致誘拐奴隷集めでなく、収奪貧窮化ー債務奴隷化。拉致誘拐奴隷かは出挙債務奴隷化の補助)共同体的諸関係の分解から生み出された多数の弱小な班田農民を包摂したものと捕らえる。(W.永原は律令制=公地公民原理の崩壊としている。最もこの時代は一次資料がないからはっきり解らない。)
 
   2)天皇イデオロギーと文明化、開国
保立道久『歴史学をみつめ直す 封建制概念の放棄」
 「丸山真男は、日本の歴史意識の構造の中には、歴史を「万世一系の」血統という動物性の論理によって捕らえ、その動物的なエネルギーが新たに生まれること、つまり新たな王の即位を同時に原初の生命への復古と考える傾向があるとした。
日本においては歴史的伝統なるものは、王家の血統の持続という一点に集約されてしまいそれによって歴史はいわば、動物の歴史と同一視され、単調は「発展」「進化」とイコールになってしまうのである。
確かに、伝統を事実上、血統という生物学的事実の中に「保存」してしまえばあとは「文明開化」という融通無碍な開花主義が横行することになる。」
万世一系イデオロギー奈良時代後半作り出されたものだった。」
W。飛鳥の里を訪れると、その未開性に納得できる。あんな狭いスケールしかない世界が全国支配していたとはとても思えない。地方の部族首長社会の上に中国輸入の制度の荒い網を被せただけで地方の実務担当者は旧首長層の郡司。
 
同じ問題意識。

             佐々木潤之助「江戸時代論」
          イ)王政復古の意味
 「このような形での変革主体を生み出した幕藩国家は、当然のことながら対極に特徴的な政治権力生み出す。王政復古を標榜した明治国家権力がそれであった。
>ここではなぜ復古なのかを問い直した。ここでの検討もそこに至る。
なぜ「神武創業の事始に基ずき」なのかを歴史への無視・否定の論理と捉え、なぜ無視否定なのか、なぜそのようなことが可能なのか、それが持っている意味はなんなのかと問おうとした。
 明治維新の政治主体としての武士や公家たちが、社会の底辺からの歴史的変動から疎外されていたことが重視されるべきだということである。
 明治維新の政治主体は社会変動の結果をまとも地捉えて対応する歴史的資質を獲得できなかったし、しようともしなかったのである。
 
 とすれば、政治目標はまだ支配の歴史を歩んでいない、支配の歴史のはじめがもっとも適切なのである。
そして、その政治目標が時代錯誤であり、現実性がなければそれだけ、政治主体はフリーハンドになることができる。
現実の様々な問題をよそに、文明開化西洋化なども思い切った飛躍ができる。
<根無し草>になった<幕末の志士>たちの活躍が有効になる。
しかしその飛躍墓なら歴史の報復される。」 
 
 
   kim hang「帝国の閾(しきい)」
国際社会は即時的に地球に存在したのではなく、発生の由来(キリスト教的共同体corpus christianum)からいっても、本来ヨーロッパの文化圏を前提とした歴史範疇である。
東洋には古来、インドイスラム、中国といったいくつかの文化圏の並存とその間でのいわば偶然的な交渉と接触はあったけれども、ヨーロッパ世界とパラレルな意味での統一的なアジア文化なるものも、国際関係も19世紀末に至るまでは存在しなかった。
W.ここなんだよなぁ~。佐々木さんの中国を中心とするレジューム→その崩壊によるレジュームを目指す小中華(秀吉明征伐ー朝鮮侵略)それが日本のレジュームからの脱却ー結果的だけど、国家独立とは何なんだ!と読んでいて、実証性がない、と想った。そこまで東アジア関係は緊密でない。日本は国際関係によって収奪されていない。
丸山近代主義でバッサリ切り捨ていると身も蓋もないが、どちらかといえば納得できる。
 
 「日本も中国も所与としての国際社会の中で近代的民族意識を徐々に成長させたのではなく、(W。当たり前だよお互い鎖国しあっている。)
ある歴史的時点においていわば一体として外から迫ってきた国際社会に対して、いやおうなく、世界と我の意識に目ざまされ、国際環境の調整の問題に急激に直面したのであった」
 
 W。以下、kim hangの理解する丸山真男の、明治維新福沢諭吉評価から丸山流決断のナショナリズムと称する国家ー個人ー国民としての自己形成のカールシュミット的論法、用語で、
上記の問題を辿っていく。要約は厳しい。丸山の原文では該当箇所は飛ばして読んだ。
日本的無責任体制としてのファシズム論関連に的を絞っていたから、ナショナリズム論をすっ飛ばした。
よく読むと丸山政治学が東大で幅を利かして、官僚や学者予備軍のパッションとなったか解る。
何処かで聞いたことがある分離してしかる後に結合論理とドイツ観念哲学の枠を当てはめて思考しただけじゃないか。
 普通の立場の人は、こうしたナショナリズム獲得手法は必要ない。ナショナリズムを考える場合、こういう考え方があるということだけ知っていればいい。自立論の元祖。そのナショナリズム版。
 TPP事態の開国論を理解するうえでもこの論法は参考になる。
 
 維新の主導者の政治意識をトレースし意味付与するだけであれば、幕末一揆論、世直し一揆論などイラナイとなる。
わたしは当時の85%の側の人間、わけても天保一揆参加者であれば、そのまま突き進んだ組だ。丸山と我との間には大きな溝がある。
 
 よく読むと丸山の地の文。上記引用に続く。
「従って幕末明治期の開国は15~19世紀に渡って形成されたヨーロッパ起源の国際社会に己を開くことを意味した。(W。よく考えるとここが近代主義者といわれる丸山ナショナリズム論の前提条件になっている。
しかしわたしも、日本的封建制を定義していくうちに「15~19世紀に渡って形成されたヨーロッパ起源の国際社会」は想定し、コレと日本封建制を対比した。以前、中国ヨーロッパ日本を対比させることを試みたが、日本の歴史を知らない力不足で断念した。)
 
正確に言うと、この国際社会との直面においてたの主権国家と比較されうる己=日本という意識は目ざまされたのである。それゆえこのときの緊急の事態は、国際社会に直面した政治統一体(W。カールシュミット用語。用語自体庶民無視)としての日本が
以下にその秩序の中で己の自己認識をヨーロッパ的な主権国家へ変貌さえ得るかだといえよう
(W。現時点から考えるとめちゃくちゃな思考。そこまで先を急ぐほど圧迫されていたのか
ここから先がすごいアレかコレの二者択一。今のTPP推進の隠れた政治意識!西洋を米国と読みかえると良い。)
 この自己とまったく価値体系をと伝統をことにする西洋にトータルに屈服するか、それともトータルに拒否して、自足的な体系に固守するかーこのディレンマがW。つま先だってディレンマにしている
何より開国の中核的課題であり、このディレンマに対応する仕方が日本と中国(ない他のアジア諸地域)との歴史的運命の分かれ道を決定していくのであった
 
W.丸山真男ファンの学者と韓国の学者が討論しても溝が埋められなかった原因はここに
明治維新はコレで潜り抜けたにしても、後で歴史に報復されている。
丸山も明治初期は良かった、後は堕落の歴史と正直に告白している。
ではその後とは、日清戦争なのか日露戦争なのか、決断のナショナリズムの観念肥大は具体的に歴史の中で語ろうとしない。インチキ、得手勝手じゃないのか。
 
   KIMの本文は抜粋する
「新たな価値体系と伝統的に「トータルに屈服する」ことを意味した限りにおいてその戦略は危機に対応するものだった。
>それゆえ「歴史的な開国をただの一定の歴史的事実に定着させずに、そこから現在的な問題と意味とを自由に汲み取ることを繰り返し強調したのであった。W。コレは福沢が言ったのではなく丸山の思考
W。なんだかよく解らない論法だが、コレを引用しておかないと詰めが甘くなるので一応引用。
「丸山が個人ー国家ー国際秩序の自由ー独立ー平和をバランスという名の下に統一的に捉えていることである。つまり丸山にとって個人、国家、国際秩序という三つのレベルは、バランスをとらないとその統一が崩れるような
可能性を常にはらんでいる。
この不均衡から均衡を守るために必要なのは、国家を個人の内面的自由に媒介させることである。
>丸山はコレを決断のナショナリズムとして定式化する。」W.ひとつの方法論の提起だな。

>>決断としてのナショナリズムW。決断というキーワードを編み出し盛んに駆使したのはカールシュミット。統一政体=社会的同質性(排除の論理前提)、決断によって多元主義政体批判としてなされた。
 
 
                   
                       参考資料
    「帝国以後の日本の進路」
小倉和夫発言1938年生まれ、国際交流基金理事長、韓国大使、フランス大使などを歴任。
著書に「吉田茂の自問自答」 「中国の威信、日本の吟じ」 「グローバリズムへの反逆」
 
     アメリカ単独行動主義に歯止めをかける日米関係
世界のアメリカ化
省略
 
アメリカの懐の中でアメリカにものを言う
トッドさんが非常に面白い言葉を使われましたね。<演劇的小規模軍事行動主義>。
問題は今日アメリカがそういう、トッドさんの言われる演劇的な軍事行動主義を演出しようとした時に、そういう危ない火遊びはやめなさいといって押さえる国が存在しないことだと想います
(W。現在のアベ等の路線とはかなり時代情勢が違ってきている。2006年刊行だから、イロイロありすぎての7年が経過している。火遊びやめなさいではなく、やりましょう大いに手助けしますよ!この調子で進めば2020年東京オリンッピック開催の時はどうなっていることやら。)
 
ヨーロッパが押さえられるかというと、一つのアイデアとしてはヨーロッパが押さえられる
(W。米バブル崩壊に連動する金融危機があった)
国連ということもあると想います。
 
>ですけれども日本の考え方は、おそらくそういうときに、そういう火遊びが大変なことにならないためにはアメリカの懐の中に行ってしまうと。
 
アメリカと相対してそれに反対してやるよりも、むしろアメリカの懐の中に云ってものをいったほうが、アメリカが日遊び的なことをやる場合にそれを抑えることができるという考え方ではないかと想うんです
(W.ナルホド、外交現場の実情はこんな苦境?にある。懐の中に云ってモノを言うじゃなくて何とかの手のひらに乗って~だから、モノの申す次元ではない。)
 
ですからここが非常に難しい問題で、そういうアメリカがトッドさんの云われるような冒険的なことをやろうとする時に、国連があるじゃないか、国連の枠の中に押せ込もう、あるいはヨーロッパがそれに対してモノを言おう、
そういう方法もあるといますけれども、むしろアメリカの懐の中に要りこんでアメリカにモノを言ったほうが有効ではないかと。
 
>こういう考えもありえるのではないかともおもいます。
 
 
ドイツの<ノーの意味>
今度はノーといったように見えますが、フランスと一緒にやったのであって、フランスと一緒にやらなくてもドイツはノーといったかというと、わたしはそうはいかなかっただろうと想います。
>ですからヨーロッパという傘W?があったドイツと、ヨーロッパという傘が無い日本とはなかなか違います
 
>一緒にアメリカを立て直すという考え方もありますし、そういうイロイロな考え方がありますので、果たしてのというだけがいいのかどうか、その言い方を素押し考えてみたらいいのではないかと想います