W。反俗日記でちょうど闘争の詩学 金明仁を連載している最中にこの異様な大事故は起こった。
↓W。なぜココに若者が集まる 梨泰院は「六本木」?
引用
「梨泰院は米軍基地に隣接し、古くから外国人向けの歓楽街として栄え、観光客も集まるようになった。街のあちこちにハングルに交じり、英語や日本語などの外国語で書かれた飲食店の看板が掲げられ、パブやナイトクラブが建ち並ぶ。周辺の路地にも、おしゃれなカフェや衣料品店が軒を連ねる。
各国の大使館が多く、外国人が多い梨泰院の街並みは、東京・六本木と似ているともされる。日本では原作漫画をローカライズ(現地化)して「六本木クラス」とタイトルを変えた形で、ネットで漫画が配信された。7月には、人気俳優の竹内涼真さん主演でテレビドラマも放送予定だ。確か…
W。略図、イテウォン地下鉄駅の西側の広い緑、部分の大半は塀に囲まれた高台の上に緑豊かな米軍関係の住宅群の立ち並ぶ地域。その一部が公園になっているようだ。地下鉄駅の南東になぜかイスラムのモスクがある。起伏の多い地域である。
師範大学教授、文藝評論家、コラムニスト、季刊「黄海文化」主幹。
1958年生まれ。1979年大統領緊急措置9号違反、1980年反共法及び戒厳令布告違反、投獄。1983年光復節仮釈放で出所。著書多数。
なぜなんだと。感情的なことは排除し、事故にあった主体側に注目すると、以下のことが去来した。
その1。日本の60年安保闘争の国会議事堂デモの際の樺美智子さんの死は群衆圧迫死だった。昔から思っていたことなんだけど日本のデモはどうしてあんなに隊列を密集させるのか。一塊になってなんだか各々の意思が高揚しているかに思えるが、実際のデモ行進中に<個々の認識を固める役割>は果たしていない。
今のデモはそういう密集隊列デモはやらなくなった(やれなくなった)替わりに、警察警備の都合のいいように隊列の横の人数が制限され、隊列の長さも細切れに分散されている。こういうデモに参加してもなんだか声を挙げてただ歩いているだけという徒労感が残る。直近でデモに出たときは終始雨に打たれながら自分の意思を確かめつつ自問自答しながら歩きとおした。まさに参加することだけに意義があったが、もともとそのつもりで、そのデモや集会に参加する事前に何の期待感もなく、自己確認のために参加した。デモをする義務もある。
その2。明石の夏の花火大会、歩道橋の圧迫死。
事故後、警備側の問題が俎上に挙げられたが、なんだか割り切れない想いがしていた。
人が群がった時の個々人の理性はどうなっているのか、群集心理が働けば個々の意思は土返しされるみたいな発想あるがはしてそれでよいのか?という思いがしたが、報道では警備の不備だけが問題視されていた。
何か大きな事故が起これば法律や警備によって規制強化すればよい、という発想は長い目で見るとそれによって失うものを多く出る、という観点はないのか。あれをしてはいけないこれをしてはいけないの社会環境からは自由な発想は生まれなくなる。
その3。韓国や日本は人と人の距離感が近すぎる。
プロ野球の観客席の応援で音頭に合わせて集団応援スタイルをとっているのは日本と韓国、台湾。あの時、唱和している個々人の心境。サッカーの集団応援は解るが、全く理解できない。
人が密集していても感覚的に違和感を覚えない風習が培われているようだ。
そもそも学校教育では義務教育段階で徹底して一塊になることへの肯定感が植え付けられている。義務教育を過ぎた高校でもまだ集団主義を植え付ける機会が常に設けられている。自分は自由放任を特徴とする高校生活を送ったがそれでも学校行事の際は突如として普段目立たない体育教師がでてきて集団主義の号令が発せられた。高卒から上に行くとクラスは男ばかりでなんとなく圧迫感を感じた。
その4。欧米文化圏ではこの種の事故が発生したとの報を今まで聞いたことがない。イスラム教世界の巡礼でも人が押し寄せて圧死した、とかいう話は聞いたことがなかった。
>この事故の現場付近の映像で白人の男性が押し寄せる群衆の方を振り向いて、<ゴーバック、ゴーバック>と叫んでいるところが映っているがそんな声を無視して群衆は前々に押し寄せ圧迫している。
群集心理と集団心理に違いはありますか?あるならなにが違うのか教えてください -... - Yahoo!知恵袋
引用
「群衆(crowd)集団(group)
非日常的な状況のもと,多少とも共通の関心,志向,目標を 抱いて集まっている人間集合。
>すなわち群集は,非日常性と志向の共通性を特徴とする。
たとえば,あるデパートにある時刻に何百人,何千人の客がいても, それは群集ではない。 ところが,ある売場でのバーゲン・セールが多くの客の お目当てになると,彼らは群集に近づく。 混雑がひどくなり,熱気が増し,店員の整理や制止が 利かなくなり,購買行動の場としての日常性が破れると, そのとき群集が出現する。
集団(group) ある目標をもち,それを達成するために相互に活動しあい, 共属していると感じている複数の人々の結合を集団あるいは 社会集団という。 となってます。
群集心理は「赤信号、みんなで渡ればこわくない」という ものに代表されると思います。 「良い・悪い」の感覚が簡単に薄れてしまいます。 正常な判断力も群れによって消されてしまいます。 多数の群れに「なびく」感じですね。
集団心理は、「集団生活」「集団下校」「集団行動」のように 規律、罰則、上下関係がつきものです。 集団の目標にそぐわない、自分勝手な行動には 自然にブレーキがかかります。」
W集団になることが教育されているから、群集モッブ発生の土壌が生まれる。
引用終わり
W。集団であることが強調されその特性が生かされることが強調される(南北分断)(徴兵制)、
一方で、
個々ばらばらの能力向上が強く問われる(学歴主義)社会環境がモッブ化の土壌となる。
アレントの「モッブ」と戦前日本のファシズムの相似性(塾生レポート) | 松下政経塾
アレントはモッブを「全階級、全階層からの脱落者の寄り集まり」と定義~。
要するにヨーロッパでは使い物にならないか、あるいはさまざまな理由から生活に我慢できなくなった者」である。
帝国主義では資本がモッブを使って植民地経営に乗り出した訳であるが、同じ帝国主義でもイギリスは海外領土が多くあるために、この資本とモッブの同盟が本国の国内政治に影響を与えなかった。
>しかしドイツのように地球分割に与れなかった国では、資本とモッブの同盟は本国自体の中で成立し、国内政治に直接的影響をもたらすようになる。
モッブを特徴づける要素は、反倫理性である。それでいて直情径行タイプが多く、一度信じ込むと手がつけられない。そのことが反ユダヤ主義や人種主義(汎ゲルマン主義)に熱狂させ、ついにはナチスの指導者層を供給することにもなっていく。
<戦前日本のファシズム①…地方の窮乏>
W。この事件にあまり関係がない部分だがこの際日本のことに引き付けて引用を続ける。
戦前日本のファシズムを担った右翼はどうか。
戦前日本のファシズムは、維新の分け前に与れなかった旧士族が中心となり、自由民権運動というイデオロギーによって激しい反政府運動を展開したものの、チャンスをものに出来ずに燻っていた明治中期の国粋主義に端を発する。⇒W。こういう斜に構えた歴史の見方をすれば、分け前にありつけた者の優位を全面肯定することになる。反対派は貧乏人、権門から離れた不満分子と。さすが松下政経塾である。
中央と地方の発展の不均衡を衝き、藩閥政府の欧化主義(=急激な資本主義化)に反対し、農村進行と民力涵養(農本主義)を唱えた。
重要なのは、日本資本主義の発展が農業部門の犠牲においてなされ、この上からの近代化に対する下からの(民間からの)反発が戦前のファシズム思想の原点。
彼らは商工業を否定せず厚生経済原則の上に統制して管理せよ、と訴えており、資本主義反対→国家統制→ファシズムの図式。⇒W。アベにミクスの遺産は金利政策不能、日銀の国債市場、株式市場への強硬介入を続けるしかなく国家統制に至る。日本にファシズムは成立しなかったし、その土壌も必要もなかった。国家機構のなし崩してきな軍事化である。だから一般的に軍国主義と呼ばれる。
<戦前日本のファシズム③…日本版モッブの誕生>
やはり日本においても急進ファシズム運動の中核分子は落伍した知識層や、左翼からの転向者、市民生活に耐えられない無法者などから成り立っていたのである。⇒W。丸山真男の裏読みだ。
またアレントがモッブと資本との同盟を論じていたように、この日本のモッブたちも政財界や軍部としっかりと結びついていた。三井財閥の常務理事池田成彬は北に毎年2万円(当時の総理大臣の月給は800円)を与えていたという。
<戦前日本のファシズム④…日本版モッブの末路>
結局日本の下からのファシズム運動はついに最後まで少数の志士の運動におわり、軍内部でも志士と結びついていた「皇道派」が二・二六事件後衰退し「統制派」が台頭するや、この上からのファシズムは最早モッブたちの力を必要としなかった。結局彼らは「狡兎死して走狗煮らる」にしてその役割を終えさせられ、ファシズムの中心は軍部と政府に移っていくのである。
<日本とドイツのモッブの相違>
1926年の国際連盟統計年鑑には、当時の工業人口が掲載されている。
日本:19.4%
イギリス:39.7%
フランス:33.9%
ドイツ35.8%
W.ムッソリーニのイタリアも工業人口は日本とあまり変わらなかった。塹壕のファシズムと言われている。戦争帰還兵、農民、王党派、カトリック中間層などがファシズムの構成員だが、イタリアは北部工業地帯を中心に労働運動が激化していた。戦闘分子は帰還兵農民だが、イタリア王室とカトリックがムッソリーニファシズム制度的結合点だった。したがって、王室は戦後廃止された。
引用に戻る
「結局日本の社会構造は底辺において封建時代と変わらない生産方式を持つ零細農家と、ほとんど家族労働に依存しているような家内工業で成り立っていたわけで(W、二重構造は近代化遅れで歴史人口学的に仕方がない(解決しようがない!)が先端産業はかなりの水準にあった。底辺を持ち出して日本を矮小化しすぎ。欧米は大きく見える。日本の比較対象になるのは20世紀初頭のイタリア、ロシア。方法論が間違っている!
(これでよく近代の戦争である総力戦を戦ったものだと思うが~~W。戦争は物理力だけでは決着しない。)大衆的組織に恵まれなかった日本のモッブは、自国の民主主義の未成熟によって、その命を縮めたのであった。」
―――現代の日本とそれを取り巻く世界の状況と酷似していないだろうか―――
1はイラク戦争や北朝鮮問題、2はカネに揺れる日本の政治、3は景気回復に対する不安、4は若者たちにみられる社会への冷たい視線、5は小泉元首相再登板待望論、そして明治21年に志賀が指摘した東京と地方の地域格差は、現在の構造改革が生じさせた地域格差のそれである。日本がもう一度ファシズムへの道を歩む可能性はゼロではない。W。日独伊それぞれの20年代30年代がある。今、教訓化すべきは国家機構のなし崩し的な軍事化治安警察化である。それと対外情勢の緊迫化によって一気に国内状況が変わること。歯止め不足。民主政の実態的な力量不足である。
民主主義が定着しているから大丈夫であるという保証はない。ドイツは民主主義の中からヒトラーを誕生させた。我々は二度とあの過ちを繰り返さないと決意した以上、戦前のファシズム形成過程を知ることは、現代日本を生きる我々の教科書でありつづけるのである。
***************
引用
「2年目にに入って学科長の職責を担うようになって(W。著書日本語版に詳細な年表をつけているところを見ると非常に優秀な教員養成大学の教授である、出世は早い)各種学校雑務に忙殺されるようになり、あれこれの研究プロジェクトの受注に対す有無形
の圧迫とまた一方で、著書の刊行、論文の発表など、研究業務実績の目標達成に対する脅迫は奇妙な反比例関係を形成し、私に日常を締め付け始めた。
>各種の政府機関や学校当局から研究プロジェクトを受注するため提案書を作り、受注した後に研究費を管理し研究員や大学院生を激励しながら報告書を作るなど、プロジェクトの形式を整えることが~~~
>昨年から自らの考えと関係なく、いわゆるBK21(ブレイン、コリア21)事業団所属教授になった私にとって、このような状況は日常的な現実になってしまった。
⇒W。本人の所属する教員養成大学は格別に有名なところと思われないが、この国家管理状態は日本の大学現場をしのぐものであることは間違いない。
ここ20年の韓国経済発展はこのような現場の過酷な状況を土台達成されたものと言えるが、その反動も必ず、どこかに集中的に表れる。ある意味凄まじいIT集中化社会(日本よりもかなり先をいっている)であり、
>10万平方キロの狭い国土、5000万総人口、南北分断状況の環境下、適合者と不適合者の格差や脱落への怯え生む。
ハロウィン大惨事はの背景は群集心理や警備の問題だけではない。そう考えなければ、この熱狂はあり得ない。
引用に戻る
「これまで10年間国家は学術振興財団の研究プロジェクトやBK21などの産別分配的な支援事業などを通じて大学を統制し、所属の教員にそのようなプロジェクト受注を迫る一貫体制が大学を支配するようになり、
また一方で
量的な研究成果による昇進、昇給体制や再任用政策によって、大学教員の身分的な不安定さが増すことで(米国の一部大学方式が徹底されている)、
大学は決定的な市場システムの中に組み込まれてしまった。
そればかりではない。
私の在職する師範大学は、また別に意味で韓国の大学教育の矛盾を拡大再生産する場だった。
大学より一足先に機能主義的な教育理論の犠牲になった中等教育体制に、教師という人材を供給しなければならない師範大学の文学担当の教員としても、私は少なからず心痛を感じている。
入試競争中心の反人文的な学校風土の中で高等学校を終え、安定した職業としての中学教師の職を得るために~~
このように大学全体が国家と資本による市場システムに掌握され、市場が要求する「人的資源」とイデオロギーを生産する人間工場に転落していく状況において、~~W日本でも過去にこういう提起はあったが、大学の権威が復権し生産工場化した。しかし、この分を読む限り韓国の方が徹底している。日本の教育学のの教授にここまでのプロジェクト的締め付けはない、とおもう。
2年の歳月を過ごしてみると、「この空間が監獄になっていくという気持ちが強く頭をもたげ始めた。
国家や資本がいくばくかの金を握らせ、私に対して市場イデオロギーを受け入れ、それを再生産しろと強制し、
一日の半分以上を大企業の社員のようにせわしく電話にしがみつき、書類をもってもたもたと歩き、度重なる会議にあえがなければならない状況であってみれば、この研究室は監獄と言われても仕方がない。
このように生きていてもいいのだろうか?
1987年12月あの初めての挫折を経験し、1991年の、振り返るのもつらいその没落以降、20年近い歳月の間、私を抑えてきた悪夢にも似た問が、である。
歴代民主政権の本質
俗にいう野合(W。新軍部の民主の仮面をかぶった盧泰愚以降、韓国初の金泳三等の文民政権のこと)~は民主化勢力にとっては既存の支配ブロックのヘゲモニー(W。ヘゲモニーの在りかが問われれているだけ韓国政界は日本よりも民主化されていると思う)便乗への追認を得るための屈辱的な通過儀礼に他ならなかった。
コレは支配ブロックの亀裂や動揺を生んだのではなく、民主化勢力の亀裂や動揺、支配ブロックへの投降を生んだのである(W。ファンソギョン、キムジハの事態はこの文脈で理解できる。(W。独裁打倒、民主化の目的はほぼ達成された。それ以上の望みは最初からあやふやだった。)
その点でこれは支配ブロックの外延拡大と包摂と考えざる得ない。
このようにして誕生したした文民政府は
新自由主義体制定着のための政治社会的な地盤固めの過程であり、支配ブロックの体質改善の過程に過ぎなかったのである。⇒W。韓国支配層は急速に変身した。
なぜならば、このような諸措置は外見上、「民主改革」の様相を帯びていたが、
>事実上は韓国社会が国家独占資本体制から
>新自由主義的な開放体制へと移行するためにも、やはり必須かつ必要な「自由主義改革「だったからである。
⇒W。この基本視座を共有する!
新型コロナのように支配形態を状況に応じてコロコロ変える伝統的な自由主義体制(いずれにしても政治経済体制が国内的に行き詰ると対外戦争に打って出る)よりも新興国家資本主義体制の方がその転覆の際に国民多数の政権に近づける条件を有している(二段階「革命」は成り立たない)。
欧米型の民主社会の移植はその国にグローバル支配層を根付かせるだけだ。
新大陸アングロサクソン系民主制社会はその基本条件においてのみ(特に米国)有効に機能すると考える。
それ以外のところでは一つの政治的「奴隷」社会から新たな経済的奴隷社会に転換するだけである。人生は短すぎる。そのような転換に命を捧げるのはばかげている。⇒著者自身が複雑な想いで過去の戦いと現在を振り返っている。素朴な気持ちを出してくれている。きれいごとは語っていない。
~~
W。持って回った言い方だがグローバル資本制に対する普遍的な言説である。
「ならば、<国民政府>のもと、で経済民主主義が放棄された社会の代わりに
社会政治的な開花が可能だったのだろうか?⇒W。民主文民政府批判=グローバル資本制社会に対する普遍的な見方!究極的に言えばグローバルな資本主義化において社会民主主義的な分配機能が有効に機能するのかどうかのリアリズム。日本政治でいえば、<国民が第一>の民主党政権時代の政治リアリズム。しかし選んだ側に忍耐は必要だった。
経済民主主義(古今東西、社会民主主義以外に実現されたことはない。ロシア革命もロシア的条件において社会民主労働党の多数派の蜂起しかなかった。)が放棄された社会において他の民主主義が可能だ、という考えは単純である。⇒W。リアルな国家統治形態の問題であるが。著者は韓国民主化闘争の成果は民衆が戦わなければ、徐々に奪われていく、と暗に指摘している。
民主主義は直接民主主義でも代議制民主主義でも、
社会構成員の利害関係を合理的に調整し
最大多数の最大幸福を追求することにある。
ここで最大幸福の絶対条件が生活のための物的土台の確保であるとするときに、
経済民主主義は民主主義の究極的な成功のための絶対条件である。
>経済民主主義が放棄されて勝者が独占する経済体制が固着していく社会は金権社会にならざる得ない。
>金権社会は事実上、貴族制であって民主共和制とは言えないのである。
このような社会において政治というものは
支配層内部の権力の配分ゲームに過ぎず、
民主制度というものは
その配分ゲームの形式に過ぎないのである。
国民の政府が市場の社会的統制を放棄したとき
政治の寡頭化と民主主義の虚構化はすでに予定されていたのであり、
民衆の生活は政界の外に投げ捨てられる運命だったのである。
***
W.マスメディア、SNSは政界の外に投げ捨てられた民衆を政治参加しているかのごとく錯覚させている支配層の刷り込み道具と割り切れば、頭脳と肉体の政治的一致を得る方法は集団「行動」、人と人の関係の中にしかないと解る。(crowd)は孤独である。孤独な群衆 - Wikipedia
「他人指向型の社会的性格においては行動の規範よりも対面する人々に限らずマスメディアを通じて知る人々を含めた他人の動向に注意を払ってそれに参加する。彼らは恥や罪という道徳的な観念ではなく不安によって動機付けられる。このような他人指向型の社会的性格が成立した背景についてリースマンは産業社会の特徴と見なし
~他人指向型の社会的性格がもたらす消費行動の傾向にも自らの純粋な効用のためではなく、他人志向のための消費傾向が見られるようになっていることを指摘する。また政治指導者において他人指向型の社会的性格を反映していると、政治もマスメディアを通じて他人指向型の消費行動を示す場となっていく(W.政治の賞味期限)。」
***
「韓国のブルジョア階級は、
植民地遺制や軍事独裁、外国勢力などによって生まれたが、
遂には自らのヘゲモニーのもとに韓国社会の政治社会的な再編をは確かに見える。
W.長年にわたる民主化運動は
古い上部構造の解体(民主化)を果たしたが結局、その最大の受益者は資本家階級であることが明らかになった。
そして現在はそのヘゲモニーのもと政治社会的な上部構造はもちろんのこと、イデオロギー領域(新自由主義的な市場イデオロギー)も従属した状態になった。
韓国資本主義の持続的発展は資本家階級をして
労働者階級の革命的転換を限界的に抑制させるほどの余力は保証し続けており、
>新自由主義論理の貫徹(W、アジア金融危機後のIMF管理下~生産力は1~2年で回復した事実)、」より一層、しほんによる労働包摂、あるいは非敵対的な依存関係を強化している状況において、果たして労働者階級はその本質的な進歩性を維持できるかどうか疑わしい、と言わざる得ない。W。
現在、韓国内では最大規模の労働組合である[2][3]。本部は京郷新聞社内にある.
世界的にも有数の戦闘的労働組合として知られている。加盟単産は16団体。主な所属単産は、現代労組・全国教職員労働組合・ソウル市地下鉄労組など。W.巨大企業にも拠点がある戦闘的な組合である。「年収約9200万ウォン(約920万円)など既得権に執着するうちに強硬闘争中心路線を歩むようになり、結局は労働者間の格差を広げたという批判がある。」
W。1980年光州民主化抗争後、韓国の民主化運動の戦略が議論され実行されて時期、労働運動を重視する人たちが積極的に現場に関わっていた経緯で民主化当初、組合が次々に結成されていった。さらに韓国の民主化闘争は結果的に労働現場を重視していた人士と学生運動、元からの議会派が結合したものであった。
****
エピローグ
引用 W。日本ではこのような世代間の引継ぎはなかった。民衆運動が歴史の全面に継続的に躍り出る機会はなかったからだ。日本の1960年以降の戦後史は経済法則の様に進行し現在に至っているのではないだろうか?地政学上、日本列島の民主政は戦い勝ち取るモノではなく予め守るべき対象として設定されていた。戦争で犠牲になった兵士は、決定的な敗者でもあった。それにアジアにおける戦争は帝国主義同士の戦争を含む外国領土での戦争であって正義の戦争とはいいきれない。日本が外に出て行かなければ今日の分断朝鮮半島も台湾も様相がちがっていた。結局、その付け経済長期停滞の今に至った日本は支払うのであれば、因果応報なのか。東アジア関係を大切にという晩年の吉田茂の言葉を思い出す。
「恋愛すら思い切りできず、好きな音楽に没頭することすらも時には罪悪感の原因になった若い日を過ごした私としては、はばかることなく自らの人生を歩んでいく新たな世代のすべての足取りが、本当にうらやましく判じられる時が多い。
そしてそのようなことを想うたびに、それでも私と私たちの世代が自らの命すらかなぐり捨てて戦い、このような世の中に替えたからこそ、あのような自由が可能になったのだと自ら慰めている。
しかしながら、本当にあの若者たちが自らの人生に対する、自らの運命に対する決定権を持っているのか、それはもしかしたら幻想ではないかという考えがふと頭をよぎる。
いわゆる一流大学を出たおかげで、運動していても、刑務所に入っても、その気になればまた就職し大学院にもいき、大学教員や専門職について~~~
だからあの若者たちもプチブル的な人生の条件を受け継ぎ、やはり自分がやりたい勉強や趣味に没頭して、留学も自分で決めたとおりに行ったりできるのではないかと思うと、急に頭に血がのぼる。
無限競争と適者生存の論理だけがはびこる新自由主義に地獄の道の中で、果たして彼らの2世3世は一度でも同じスタートラインに立ったことがあるだろうか。
~~ようやくこの社会の上層20%、あるいは10%の中にいった人間だとしても、それが果たして幸せだろうか。
~~この世の中が構造的に絶対多数の不幸と絶対少数派幸福、また究極的にはすべての存在の不幸を生産する世界だということが確かならば、私はこのような社会に同意できない。
せいぜいのところ、
このような世の中を作るために、あのように長年、涙を流して胸を痛め、踏みつけられ拷問されて刑務所に行ってきたのかと思うと二度と耐えられなくなる。
このように生きていてもいいのかという問いが、ますます頭をよぎる。
決してこのように生きて行くことはできないのである。
これまでの20年間、私のそばをうろついてきた生涯の債権者にそろそろ負債を返す約束をしなければならない。もちろんいあっかつ払いは不可能である。しかしあの歳月の向こうに埋もれていた希望の銀行口座を再び復活させ、ウェあたしたちの見果てぬ夢を増幅実現させれば、いつかその負債をすべて返すことができる。
~この世界に外部はない。
なぜならば私たちは事実上、この犯罪的世界の共謀者だからである。
>しかし、この世界の外部はある
なぜなら私たちは常に懐疑し省察して、他の世界を夢見る存在だからである。
これが1987年以降、20年近い歳月の間、私の切迫した存在論が教えた教訓である。
↓W。なぜココに若者が集まる 梨泰院は「六本木」?
引用
「梨泰院は米軍基地に隣接し、古くから外国人向けの歓楽街として栄え、観光客も集まるようになった。街のあちこちにハングルに交じり、英語や日本語などの外国語で書かれた飲食店の看板が掲げられ、パブやナイトクラブが建ち並ぶ。周辺の路地にも、おしゃれなカフェや衣料品店が軒を連ねる。
各国の大使館が多く、外国人が多い梨泰院の街並みは、東京・六本木と似ているともされる。日本では原作漫画をローカライズ(現地化)して「六本木クラス」とタイトルを変えた形で、ネットで漫画が配信された。7月には、人気俳優の竹内涼真さん主演でテレビドラマも放送予定だ。確か…
師範大学教授、文藝評論家、コラムニスト、季刊「黄海文化」主幹。
1958年生まれ。1979年大統領緊急措置9号違反、1980年反共法及び戒厳令布告違反、投獄。1983年光復節仮釈放で出所。著書多数。