反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

危機意識と不安感について。

  東京都知事選が終わって、選挙結果を巡る感想をネット上で気の向くままに閲覧すると、コレは違うんじゃないか、という意見が多々ありました。
来に対し、明確な根拠を示す面倒な作業をサボタージュして、諸々の事実と現象を気分のままに適当に寄せ集めて、なんとなく自分はこう想う程度の情緒的感想をもって、人々に漠然とした不安感を根付かせる結論を導き出しているとしか思えないです。
 
 近年の日本内外の政治的社会的軍事的現象に対して、結局は、無力を痛感しているためだろうと想いますが、漠然とした不安感に基づいて、政治行動を決定的に左右するような状況認識を一面的に極大解釈したもので済ませる。
 
 この手法は使用している政治用語や概念が政治的危機感と同種類だから一見、政治的危機感と同じように見えるが、々にもたらす政治的効果は別のものです
 
 
 
  この記事は、何をいいたいのか解らないところがある。
そこで参考資料として次のものを引用しておく。
>記事の全体の流れでは、現状認識を右傾化の事態と捉えているようであるが、選挙結果を受けて、漠然とした不安感を跳躍台に、次のようなまるで戦前と同じような世界に飛躍してしまう。
 
「だが、遅すぎたのではないか。これが都民にとって自由な選挙ができる最後の機会ではないのかという不安が頭にこびりついて離れない。秘密保護法が成立したのはわずか2ヵ月前のことなのだ。」
「彼らには間もなく国会に上程されるであろう改憲と徴兵制の道筋が見えているのだ。」
「「2・26事件(昭和11年=1936年)」の日も東京地方は記録的な大雪だった。この事件を境に自由な言論は封殺され軍部が政治の主導権を握る。日本は無謀な戦争へまっしぐらに突き進んだ。」
 
 こういう不安感の煽動?はニュートラルな人たちに現実との落差を直感させ、<次の段階では、誰か強力なリーダーの指導や一見、磐石にみえる組織に依存して、不安感を払拭して、取りまとめて団体サンで一緒にどこかに行くということ大いにアリの状態>に向かわせる。
 
 今でも町角に張ってある公明党のポスターのスローガンは<安定は安心です>
大震災、原発事故、領有権、グローバリズムによる格差拡大の現実の着実な進行など諸々の激動の状況に対して庶民の深層心理は公明党のポスターのようなところに吸い寄せられていく。
 コレに対して、まともにに現状に向き合って、有りのままをつたえるべきであり、こういった状況の一面化は間違いである。
 
 また、ここでは世代間のズレを助長するような観点が無自覚に垂れ流されている。
公平を期すため前後の前文を引用する。
 
 「けんか腰の外交」「戦争に道を開く集団的自衛権の行使」…細川候補は街頭演説で安倍政権のタカ派姿勢を批判した。昨夜(9日)、敗戦を語った際も「戦前に戻そうとする勢力との闘いだった」と強調している。
 細川氏の祖父、近衛文麿A級戦犯とされ服毒死した。叔父の文隆氏はシベリアに抑留されたまま帰らぬ人に。細川氏は生い立ちからして「戦争をしてはいけない」という意識が人一倍強い。
 
 細川氏の街頭演説では髪に白いものが混じった聴衆が目立った。
彼らは「いつか来た道」を憂えた。舛添候補が漁夫の利を得て当選すれば、都民が安倍政権の右傾化に信任を与えたことにつながるからだ。
 「怖い時代に入っている。有権者にはそれが分かっていない。情報統制はすでに始まっているではないか。
舛添に入れた人は自分の子供が徴兵されても泣くんじゃないぞ」。
選挙戦の最終日、数寄屋橋で行われた細川候補の街頭演説会に訪れていた男性(60代後半)の言葉だ。」
 
 そしてこの記事のタイトルは
都知事選】 「舛添に入れて子供が徴兵されても泣くんじゃないぞ」
 
 
 
 大まかにいって、政治用語と概念の使い方、配列に現れているが、本質的には、その人の持っている現時点のキャラクターが正直に現れているのだと想います。
政治思想と言い換えると大げさではありますが、そこまで行きつくものです。
 
 漠然とした不安感が頭脳を占領したままだと、人間的であればあるほど、動物本能が勝り、警戒心が強くなって、どうしても意識と行動は萎縮しがちになります
 
 認識を政治言語で意識的に体系付ける作業を志せば、一個人に沸き起こる不安感は自分のうちで消化する過程を経る必要があることに気づくはずです。
職業的政治家の言動を注目してみると、ほぼ、こういう作業を通過して意見表出している、ことに気づくはずです。
 なお、このように問題を立てるのは、あくまでも問題の提起追求の、仮定であり、仮定を立てなければ、問題の所在はハッキリしません。
 
 古い考えだとは想いません。
 
 職業政治家の言語は皆この類です
受け手にハッキリとした方法意識がないから解らないだけです。
 云っている意味をリアルに指摘すると、昔の朝まで生テレビです。
職業政治家を登場させない初期は実に生き生きとした、言語と映像のアナーキーな喧騒空間がありました。
政治家を登用しだしたころから、言語と映像のアナーキー性は消えて理路戦前とした会話の応酬に落ち着き、番組自体は面白みにかけるものになりました。
 
 したがって、整理整頓された政治言語の表出は面白くないです。
 
小泉純一郎元首相のような方は例外です。でもあのヒトの場合は、後で振り返ってみると単純極まりないことを繰り返し語ったいる、にすぎないと気づくはずです。役者系です。
逆に、風采はさえず、語り口もとつとつとしているが、ヒトを元気付け具体的な行動に向かわせるヒトもいます。
 
 さて、
 方法としては、あくまでも原理原則があって、それの時代や現実に対する適応があるはずです
この方法意識がないと、自分の認識の変化の仕分けができません。
原理原則の立場から何を受け入れ、何を捨てたか、ハッキリしなければ、間違いがハッキリしません。
 
 また例を挙げますが、猪瀬全都知事の辞任記者会見で注目すべき発言がありました。
自分は政策や理念の勉強はしてきたつもりだけど、プロの政治家としての自覚がなかった。
この発言では、プロ政治家としての自覚=原理原則です。
勿論、原則がハッキリとしていれば、その適応方法も違っていたはずですはずです
 
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ある政治的現実の立ち会った一人一人が、自分の不安感を自分の中で処理しないで、そのまんま表出しだすと、
それらをトータルとしたら烏合の衆になるのではないですか。
 
>そうすると次の段階では、誰か強力なリーダーの指導や一見、磐石にみえる組織に依存して、不安感を払拭して、取りまとめて団体サンで一緒にどこかに行くということ大いにアリの状態が待っています。
 
 いや自分は、自分たちは、そんなことナイ、と云われるかもしれませんし、おそらく、それははっきりとした事実とおもいます。そういう方々は明確な原理原則のある人たちです
例を挙げるとネット上で先頭に立って、政治的意見を表明している方たちは、広い意味でこの種族に属する人たちと見受けます。
 
 ところが、何処で線引きするのか難しいのですが圧倒的多数の人たちはその種族に属さない人たちです
 
 この点を少しが考えて欲しいものです。
それを可能にする自分の中の仕分け作業も含めて。
以上、2点。
 
 不安感が高じて、行動、認識の萎縮が極端になると、症状化して欝状態から、結局は一々事例は挙げませんが、様々な自損行為にいたる。
 
 最悪は交通事故死よりも多い事実になります。
 
 天明大飢饉の際の歴史的に有名な江戸の打ち壊し騒動を調べていたら、打ちこわしの果敢な行動の背景では多数の隅田川に身投げをするヒトが後を絶ちませんでした。
 
 落語に出てくる長屋の八ツァン、熊さん等が語らい、中心となって<整然>と買占め売り惜しみをする米や等々の私財を道路傍や川に放り投げた。
 
 処罰が全体的に軽微であったところに、何かすくわれる思いがします。
 
 天保甲州騒動は山梨全県規模の暴動のような状態になりましたが、
結局、参加者たちへの暴徒だ、無宿だ、悪党だ、という代官所の記録を丸写しにした解説は目立っていますが豪商宅への放火、盗みという非合法行為はあっても、殺傷行為は1件も記述されていない。
古文書の一次資料の基づく記述だから、事実です。
 
 他方、山梨の治安維持を担当する側も、幕府直轄領で驚くほど兵力の駐屯が少ない
 
 当面の事態の推移を見計らって、隣の諏訪藩兵の援軍と共に殺傷命令を出している。
ここら辺の両者の間合いにパックストクガワーナの秘密を見る思いがします。
一定の暗黙のルール内であれば、対応と処罰の枠も決まっている。
 
 ここにおける裂け目が出てくるのは甲州天保一揆以降ですが世界的な基準で見ると温和そのものです
 
 江戸時代の民衆側の暴力の行使は1648年の天草の乱は鉄砲を使用した3万人程度の籠城に比較すると、幕末世直し一揆の暴力などは別次元です。
 
 江戸時代の全国住民は田んぼで必死に働いて生活を260年間も成り立たせている間に、作法や思考パターンが変わってしまったのじゃなかろうかとも想われます。
 
 他方で武士層の経済も余剰年貢米の市場販売による換金という、とんでもない回りくどいやり方に最期まで固執しているから不思議です。
こんな支配階級は世界に類を見ないのじゃなかろうか。
この辺はよく調べてないので勘違いかもしれませんが、自分の知っている限りなかった。
 
 ということで、明治維新の近代化にたどり着くまで、とんでもない回り道をしているが、結果的にコレが功を奏した側面が強い。特にアジア地域に限定すれば、それは絶対的事実です。
 支配層が足りたい放題題し、強圧一辺倒のところでは日本の支配層の末端機構をさせる日本の村的団体制は育たないと想います。分解して、いくと想います。
 
 そういう意味で、現在においても、アングロサクソン的な不平等的絶対核家族をコアをする社会秩序は根っこのところで馴染まない、ように感じます。
日本では<一般宗教的な絆>がないのですから、どうしても個別に解体された政治浮動層が国家や民族という共同政治幻想のほうにすいよせられて行きます。
なおかつそれら国家や民族は、近隣への排外とセットの内容を引きずっているから厄介です。
冷静でまとも合理的な国家運営を妨げる危険性があります。
 
 
 幕藩体制崩壊を経て、明治維新で大慌てして、強い政治的危機感をもって、外部の状況への過剰な反応は急進的な改革になります。
 
明治維新後の政府のやり方です。
 列強に政権を乗っ取られてしまうんじゃないか、という危機感から、下級軍人らしい過剰反応でやられる前にやってしまえ、と。
列強相手では、既に薩英戦争、下関戦争の局地戦でいとも簡単に完敗しているわけだから、今度は近代化に遅れた近隣に襲い掛かっていく。過剰な危機感を抱いた純軍事的判断だったとおもいます。
 
 それで成功して、民需蔑にした軍需主導の自由放任経済の道を驀進し、一時の表面的なデモクラシーの時期はあっても、大震災後の貧困と格差の拡大、金融投機のやりたい放題から、日本で唯一の巨大社会団体が求心力を強化する中で、世界大恐慌を迎えた
 
 その後の事態は日本で唯一の求心力ある巨大団体の覇権の進行と同時に、
戦前の最初で最期の経済財政政策としての財政金融緩和の軍需部門中心とした有効需要の喚起による重工業キャッチアップの高度経済成長からインフレへ。
コレに対する需要抑制政策の出口戦略の2,26事件的蜂起暗殺による破綻から、中国大陸への戦線拡大へ。
 
 太平洋戦争敗北の悲惨な事態とGHQ管理下の改革の時期は戦前支配層の戦争主導要因は抑圧され、無力感脱力感が充満し、政治的危機感を持つまでに至らず、言いなりになることで生き延びる道を模索していた
 
 そしてその後の世界に類を見ない内外の環境に恵まれた経済急成長と世界市場の不均衡是正によるプラザ合意後の挫折と指南されたままのバブル発生と崩壊。
日本的経済急成長の主導力の国際基準に合わせた再編と長期経済停滞突入。
 
>その間に冷戦体制という戦後経済急成長の日本に都合のいい環境も崩壊し、新興国の経済急成長から、市場競争圧力が強まる中で、少資源経済大国として、当然にも交易条件は悪化し、慢性化した貿易収支悪化の中に、未曾有の大地震と4基の原子力発電所の人類史上に刻まれる大事故が発生した
 
 上記の冷戦体制崩壊後の日本内外の政治経済環境の中から、日本政治指導層に危機感が蔓延した。
 
 だから、この日本政治指導層に生じている危機感は、正確には、日本近代史上、明治維新に次いで二度目のものである。
 敗戦直後の支配層は日本中枢の軍事占領によって危機感さえ持つに至らず、開国ならざる国体防衛のみの解国状態で、自らをGHQの政治方向にそって、再編しつつ、生き延びるために汲々としていた。
 
 そうすると、政治的危機感の系譜を辿った以上において、不透明な不安感に人々を誘導する都知事選総括?は何処に位置づけられるのだろうか?
 (手前勝手、強引な疑問符は承知で、話題をさきに進めないと結論に到着しない。)
 
 時期はキッチリと特定できないが、1920年代半ばから1936年の日中戦争突入までの時期としておこう
 
その1
大正デモクラシー時代の美濃部達吉に代表されるリベラリズムの風潮に列強との軍事競争を想定して、日本の現状に強い不安感と苛立ち沈めることのできなかった国体主義者たち
 
 結局この人たちは一端は退けられたが、1936年前後の戦線拡大による内外の緊張状態で、台頭し主導権をにぎる。
 
    kim hang「帝国の閾」引用
「法は慣習や歴史によって自らから成立するのではなく、主権者の意思によってのみ存立しうるからである。
ここに天皇ー国家ー法は全く一致し、そこにいかなる人為的なものが介入する余地がない。
上杉の不安は、このように、全く外部を持たない、体制意思、市縄地主権の剥き出し状態として国家を思念することに行きついたのだ
 従って上杉の思念した世界において、国家ー法の変化があるならば、生き延びるか滅びるか、のどちらかでしかない。
そこには進歩や逮捕という歴史哲学的なカテゴリーが介入する余地はないのであるが、美濃部のほうに対する根本思想はコレと正反対のものであった。」
 
「上杉は旧時代の精神たる国民道徳論さえも振り払い、ただの不安のみを剥き出しの主権を通して主張した
危険に対する不安のみが上杉の心を支配していたのである。」
 
W。上杉は東大助教授。ワイマール時代のドイツ留学前は大正リベラリズムに影響された人物であったが、留学中の国法学者との交流やワイマール共和国の政治情勢を見聞して、一変し日本の現状に不安感を抱いた。
国家主権の基本理念はカールシュミットなどによるものである。
 
その2は、
 かなり見当外れになるが、1936年ごろの不安が知識人たちの間で蔓延していたころの中心にいた人物、
小林秀雄の評論。
 何を云っているの解り辛い文芸者の発言だが、当時の社会の上済みの精神状況。
結局内外状況に対する規定力を喪失した、という現実に知識人らしい観念操作で自分を納得させようとしているのだと想う。
庶民に不安が蔓延するのは敗色濃厚になってからである。
文学とは状況を納得させる観念操作の道具でもあった。
 
小林秀雄<自我と世界の根源的ズレ><覆い隠す>様々な意匠>を取り払い、己を見失わない方法を見出す」kim hang
 
小林秀雄、引用。
不安が極限に他すれば、ヒトはもう不安なくしては生きられぬと感じる。
不安は彼の神でないとしても、少なくとも彼の支柱となる。
 
 昔は不安とは精神のある疾病であったが、今日では不安こそ健康な状態となった。
こういうとき、ヒトは自分を忘れて最も饒舌になる。
不安だ不安だと喋り散らすが、彼の声はもう震えていない。
自己宣伝の最も栄えるのはヒトが己を失った時に限る。
口の弁証法に例えたら、こんな単純な弁証法がどうしても飲み込めない。
それほど奇怪な錯乱状態が今日の文学界を支配する。」
 
 kim hang
「つまり、何者も確実でh内が、不安を感じている自分こそは確実だという、このおぞろくべき弁証法こそが奇怪な錯乱を生んでいるのである」
小林の健全な常識は
「不安を何処までも不安に留めるという単純な方法であった。
すなわち自分を疑うということから始めることである。
不安を感じている自分さえも疑い、不安を感じることを不安の種にせねばならないのだ」
 
 kim hang
「この私つまり不安の中に留まるこの私が常に懐疑していなければならない。
それは確実なものを求めるために不安でなければならない、
孤独になるために外界と接触しなければならないというなんとも稀な精神に違いないといえよう。」
 
W。今と将来の日本内外情勢は絶対に1920年代半ばから30年代後半までのに日本とは違っていると想う。
 
 それは昔の中国と朝鮮半島の今のそれを対比させただけでもだけでも明らかである。
コレだけ一つとっても戦争は相手あってものであり、簡単に引き起せるものでない
 
 世界経済政治情勢もまるっきり違うのではないか。
ただし、日本の1923年の関東大震災からの金融不安、格差拡大、支配機構のなし崩しの軍事化強権化の政治過程や軍事過程は今日本とと将来の日本の見つめる上に参考になる
 
 歴史は同じ道を歩まない。
一度目は悲劇の結末を迎えたが、
二度目は漫画的事態であると想定する。
 
 時代情勢が煮詰まっていくと、少なくとも、歴史は螺旋階段上に進んでいく。
 
都知事選挙は参考になった。
大雪積雪という45年来の異常気象が、現段階の固定的政治層の分布を示したと想う。
 
 その時期の政治の風向きや気候変化によって、どの政治潮流に投票するか決めかねている政治浮遊層は政党や政治潮流が想定しているよりもかなり少ないないのではないか
実質的な投票困難者、20%弱。個人の原理にしたがって、政治に背を向けているヒトも、どう見積もっても、15%以上、存在する。
そうすると残りは、最大限65%。
それは、この間の投票率が一貫して65%以下であることをみてもわかる。
2014年都知事選、何だかんだ云っても、悪条件下、約50%のヒトは投票した。
 
 とすれば、残りは15%になるが、はたしてこの中で、風向きによって、どう転ぶか解らないヒトがどの程度いるだろうか。
想像以上に多くないと想う
高等教育の裾野が物凄く広く、超高度情報社会である日本では、その15%の中で政治的に真っ白なヒトは少ない。
したがって純粋、無党派層有権者の10%超え程度とみる。
 
今後進展する中間層の階層分解の現実に応じた政策体系も必要だろうし、足元に発生する問題も多くなる。
そこをスルーして、政治幻想を振りまく政治潮流にとって厳しい政治環境が訪れている。
大橋巨泉さんはよく言っていた。
先進国の片方の政党ははたくものの利益を政策に反映させる。
 
 昨夜、音楽動画を閲覧していたら、初当選のオバマ大統領の就任式の壇上で超好例のフォーク、シンガー、ピートシーガーがメインでブルース、スプリングスティーをサブにして、黒人、黄色人種は白人たちの大勢のコーラスをバックに、ジスランド イズ ユアー ランドを唄っていた。
その唄はウディーガスリーがゴット ブレス アメリカに対抗して、作ったいわく付きもの。
ゴットブレスは9,11事件以降、アメリカ音楽界でよく唄われた。
 
ブッシュに勝利したオバマの大統領就任式でジスランドを演出した。
 
 その歌詞の中で通常、唄われないない部分が最後の方にある。
既にその部分については記事にした。
 
2009-11-26 [メモ]好きなPV・ライブ動画・MADブログ引用
3 Pete seeger & Bruce Springsteen ピート・シーガー&ブルース・スプリングスティーン他 「THIS LAND IS YOUR LAND」
オバマ大統領就任式に歌われ、フォークレジェンドピート・シーガーがいまはなき盟友ウディ・ガスリーのアメリカの民間からうまれた国歌ともいわれる「ディス・ランド・イズ・ユア・ランド」を子供たちと合唱する。そこでピート・シーガーは、この曲が作られ歌われた当時アメリカ政府検閲され歌うことを禁止された歌詞を、自ら喋り、皆で歌わせていく。レッド・パージの犠牲者でもある彼らだからこその感慨がある。
「大きく高い壁が私を阻もうとした 書かれたサインには私有地とあった」
「でも、その裏にはなにも書いてなかった そちら側があなたたちと私のものだ」
などの歌詞が、人種差別蔓延した当時では考えられない大統領誕生を祝う就任式で、さまざまな肌の子供たちと歌われる光景はいかにもアメリカ的と思いつつも感じ入ってしまう。」