ビックバン後の宇宙の構造(仮説)
宇宙背景放射の揺らぎと銀河系の誕生想像図
解明される宇宙の謎(W??)
上、左図、W、暗黒時代→西洋神様思想の特徴 一応そういうことにしないと話が進まないので~
右図説明。「137億年前に「ビッグバン」によって始まった宇宙は、38万年後には絶対温度3000K(ケルビン)ほどに冷えて電子は原子核と結合して原子となり、電磁波で観測可能になる「宇宙の晴れ上がり」を迎えました。この際に放射された電磁波は、宇宙の膨張が引き起こすドップラー効果(赤方偏移)【W、光のドップラー効果、参照http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%8A%B9%E6%9E%9C】によって波長が伸び、宇宙の背景全体を覆い尽くしています。これを宇宙背景放射と言います。」
「1992年、COBE衛星の観測結果から、宇宙の背景放射は均一ではなく、方向によって10万分の1のゆらぎがあることが判明しました。また、2001年にはWMAP衛星でそのゆらぎの性質がさらに調べられました。現在では、このゆらぎから、銀河、銀河団、超銀河団などの宇宙の構造が出来たと考えられています」
宇宙の漆黒の闇に生命の元が飛んでいる。 ナイスな発想だ!
「私たち生命の誕生は、単に地球上だけで起きた化学反応の結果なのでしょうか。惑星系誕生の際に生命の種を持っていたのでしょうか。
もしかすると、生命の素は宇宙空間に漂っていたのかもしれません。」
「ビッグバン以降、宇宙空間では物質が次第に性質の異なる物質に進化しながら、多様な天体や星間物質を形作り、ついに地球上で生命の誕生にいたりました。これまでのミリ波や赤外線の観測によって、星間物質は極めて多様で、変化に富む進化をとげることがおぼろげに分かってきました。」
宇宙の果て 私の予想 YAHOO知恵袋
W。一人の人間の体を宇宙と考えることもできる。
私たちの体の不思議。
細胞の不思議 その1。
細胞とは?
1.われわれの体は60兆個の細胞からできています。
勿論、最初は1個の受精卵から始まります。
勿論、最初は1個の受精卵から始まります。
その種類→260種類ぐらい(W、リンパ球受容体の特異性があるからぐらい、としているのでは?間違いかも~
寿命は?→24H~死ぬまで
「体の最小単位は細胞です。従って、病気は細胞が一個または数個の単位で傷むことから始まります。」
細胞の構造
★核について
細胞内の構造で最も重要なのは核です。核の中には遺伝情報が含まれていてそれぞれの細胞の増殖・分化、その機能は核の中のDNAの指令で決まります。
では、核の中の5.核について
細胞内の構造で最も重要なのは核です。核の中には遺伝情報が含まれていてそれぞれの細胞の増殖・分化、その機能は核の中のDNAの指令で決まります。
では、核の中の5.核について
①どこに遺伝情報があるのでしょう?
②染色体
細胞分裂時にはっきりする染色体。それをほぐして・ほぐしていくとワトソン・クリック(W.、注)がみつけたDNAの二重らせんなります。
細胞分裂時にはっきりする染色体。それをほぐして・ほぐしていくとワトソン・クリック(W.、注)がみつけたDNAの二重らせんなります。
理研ー小保方騒動は、元々存在しないものを、あると実証することから出発している。この超不合理、非科学、故に生物学の歴史を愚弄しているといわれたのだ。
20 世紀最大の発見-二重らせんの裏側
隠された科学者─ロザリンド・フランクリン─<帰納法>でDNAの螺旋階段の片方のX線照射の構造解明はできていた。
ジェームズ・ワトソン *当時25歳、クリックと共同研究。二重の螺旋階段の大仮説を構築し、模型を制作し塩基配列の構造解明を急いでいたところ、ロザリンドのX線画像を彼女の仲の悪い同僚であるウィルキンスから、こっそり見せられ、一気に謎の解明に向かった。ネイチャー誌掲載の論文はたった2ページ、参考資料は一切無しだった。その後、重要な論文は執筆せず、教育と学会活動に専念し、重鎮となる。ノーベル生理医学賞1962年
フランシス・クリック *オーストリア出身の年上の共同研究者、ペルーツからロザリンドの研究報告書を見せられる。二重の螺旋階段の模型はコレをヒントに制作されたのかもしれない。1962年ノーベル生理医学賞を同時受賞。
モーリス・ウィルキンス *ロザリンドの仲の悪い同僚。DNAのX線実証画像をワトソンに見せる。
ノーベル生理医学賞受賞1962年。
ロザリンド・フランクリン :1958年癌で死亡。X線の過剰被爆が原因とも言われる。
染色体をほぐす DNAからタンパク質へ
新しいプレートを形成海嶺、沈みこむ海溝、日本列島を形成する付加体
日本列島の地質形成の例
公園の解説板より
赤いしチャート(赤茶色の石)
展示。
長野県赤石岳 赤石チャート
「南アルプス=赤石山脈は中央構造線(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0%E7%B7%9A 絵図だけでOK)
チャートの主成分は透明度のある石英であるが酸化鉄が混ざると赤色のなり特に区別して、赤色チャートと呼ばれています。
なぜ深海底の岩石が鉱山の山頂付近で見られるのでしょうか?
それは日本列島の大部分が<付加体>でできているためです。
<付加体>とは?
陸と海との地層(プレート9がぶつかり合う場所で沈み込む海洋プレートの<玄武岩質地殻>や<その上の堆積物>が大陸プレート側にそぎ落とされ部分をいいます。
太平洋に堆積してできた塗装は海洋プレートの移動に伴い、日本列島付近に移動してきて、大陸プレートにぶつかり合い沈み込む際に、剥ぎ取られ日本列島の地層の一部となりました。
そしてできた<付加体>は丹沢や伊豆半島など<古伊豆諸島>が次々に衝突してできたことにより隆起したため3000メートル級の山頂付近に深海底の岩石を見ることができるのです。
日本列島の土台を造った付加体
1)古生代やそれ以前の大陸殻 (約4億年前)
2)古生代末~中生3畳紀の付加体 (約3億年前)
3)中生ジュラ紀の付加体 (約2億年前)
4)中生白亜紀の付加体 (約1億年前)
5)新生代古第3紀中ごろからの付加体 (約2000万年前)
日本列島と欧米の地質
「日本と欧米の地質を比較してみると、日本の複雑さ、不安定さが浮き彫りになる。その違いを見てみよう。
日本列島の地質は、赤色系統の花崗岩をはじめ、火山岩類および堆積岩類がモザイク模様をなして複雑に分布し、多くの断層や活火山が存在する。これに対して欧米の地質は、各地質の1ユニットが広く分布し、断層が少なく地質構造が単調で、安定した大陸地塊を形成している。
同じ高密度な経済活動の中心地域でありながら、西ヨーロッパ・北アメリカ東部の地形・地質は安定しているが、日本はとても不安定であるという大きな相違点が存在している。」
同じ高密度な経済活動の中心地域でありながら、西ヨーロッパ・北アメリカ東部の地形・地質は安定しているが、日本はとても不安定であるという大きな相違点が存在している。」
日本列島の基盤岩のほとんどは,海溝にたまった土砂などが陸側に押しつけられて出来た「付加体」(下図)という地質体から成っています。
中央構造線とは
7000万年ほど前に、すでにアジア大陸の東の端にできていた日本列島の大陸側半分に、南からやって来きた太平洋側の半分がくっ付いて、日本列島が完成した。
中央構造線はどのようにできたか(日本列島の誕生)
1億3000万年前(白亜紀前半)
1億8000万年前(ジュラ期)にユーラシアプレートの東端に日本列島の上半分(大陸側)が出来た。
その後、1億3000万年前(白亜紀前半)に南方の揚子大陸の東端で日本列島の下半分(太平洋側)が生まれ、イザナギプレートに乗って日本列島へ移動し始めた。
1億8000万年前(ジュラ期)にユーラシアプレートの東端に日本列島の上半分(大陸側)が出来た。
その後、1億3000万年前(白亜紀前半)に南方の揚子大陸の東端で日本列島の下半分(太平洋側)が生まれ、イザナギプレートに乗って日本列島へ移動し始めた。
W.イザナギプレートの移動方向に注目!
大陸の東端の半分の付加体
と、揚子大陸東端の付加体の合体。
7000万年前(白亜紀後半)
2500万年前(第3紀中新世)
W。イザナギ、プレート消失?
太平洋プレートとフィリピン海プレートへ
W,結局はマグマの対流や地球の自転の力が加わって、マグマに近い海洋の海嶺でプレートの生成が行われている以上、比重の重い大陸地殻に方向は違っても、比重の軽い海洋プレートが擦れて、沈み込む原理は変わらない。その境界線に位置する日本列島は基本組成は付加体(擦れて、組成の軽さゆえに、上に吹きだまる集合体)ということもあって、地質が若い、激変している。
さらには、温帯モンスーン地帯という気候的な特性も加わって、地球的規模で見ても激しい天変地異の真っ只中にあるといえる。
>こうした環境にあって原住民が生きるために、ムラ的塊によって、生活保守を本能的に選択するのは、動物として全うな選択である。
>その当たり前の生活保守本能が、地殻変動なく、モンスーン地帯でもない、欧米の全地球一体化のグローバル資本制の、「今だけ、自分だけ、カネだけの」物理的な力によって翻弄されている。
1)太平洋プレートの移動方向に注目。ユーラシアプレート東端に沈み込んでいる。
2)フィリピン海プレート(組成が軽いといあわれている)
との境界は古伊豆、小笠原弧である。
1450万年前(第3紀中新世)
日本海が拡大した。オホーツク海も拡大し、千島弧が出来始めた。1500万年前になると日本海の拡大は完了した。
このとき、西南日本は時計方向に回転し、東北日本は反時計方向に回転したので、日本列島の折れ曲がるところが陥没した。これがフォッサマグナ(ラテン語で「大きな溝」の意)である。フォッサマグナの西端は糸魚川-静岡構造線である。
このとき、西南日本は時計方向に回転し、東北日本は反時計方向に回転したので、日本列島の折れ曲がるところが陥没した。これがフォッサマグナ(ラテン語で「大きな溝」の意)である。フォッサマグナの西端は糸魚川-静岡構造線である。
800万年前(第3紀中新世)
東北日本が隆起し始め、カルデラの活動が盛んになった。
千島弧の前部が北海道へ衝突し日高山脈を隆起させた。まだ東北日本は水没していた。
500万年前になると、伊豆・小笠原弧の前部が本州へ衝突し伊豆半島を作った。
W。下線部分は知らなかった。
W。最新人類学のDNA解析によって、人類の<出アフリカ>は6万年数千年~7万年前(10万年という説もある)とされており、最初の人数は160人~170人とされている。
計算してみたところ、1年に1kmの移動で人類のグレイトジャーニーは成し遂げられる。人類揺籃の地アフリカから、旅に出ていたのではなく、採取、狩猟に適正な場所を求めて少しづつ移動していたのである。
出アフリカの人類の進行方向は大きく分けて、3つの方向に大別される。
オーストラリア大陸方面:シーサイドウォークによって到達。
勿論、アフリカを出なかった人類もいる。
そして、原住民へのジェノサイドとアフリカで留まっていた人たちへの、奴隷狩りとアメリカ連行。
W。上の図の800万年前とこの図の18000年前の間に約500年前にアフリカで猿人が誕生→原人(約180万年前)→旧人(約20万年前→新人(約4万年前)の人類?の進化の歴史がある。
脳の進化と人類の起源
W、以下の解釈は事実だろうが、
人間こそが地球上でもっとも野蛮な動物であるという厳然たる事実をないがしろにした人間中心主義である。ー映画「猿の惑星」は面白いー
しかし、ヒトは、サルはおろか他のいかなる動物とも異なる存在にまで変化してきました。
その要因、すなわちヒトがサルや他の動物と一線を画すものが「脳」であることには疑いの余地はありません。それでは、サルの脳とヒトの脳の違いを具体的に見ていきましょう。
チンパンジーとヒトの遺伝子における2%の違いは脳に関係するものが多く、かつ特徴的なこととして、ヒトの遺伝子はサルやチンパンジーの遺伝子の「欠損」によるものが多いことが挙げられます。遺伝子の「欠損」は、「先祖帰り」的な進化を示し、比較的容易に生じやすい進化の形態なのです。
その遺伝子の欠損の一つが、『脳の拡大を抑制する遺伝子の欠損』です。
チンパンジーとヒトの遺伝子における2%の違いは脳に関係するものが多く、かつ特徴的なこととして、ヒトの遺伝子はサルやチンパンジーの遺伝子の「欠損」によるものが多いことが挙げられます。遺伝子の「欠損」は、「先祖帰り」的な進化を示し、比較的容易に生じやすい進化の形態なのです。
その遺伝子の欠損の一つが、『脳の拡大を抑制する遺伝子の欠損』です。
サルや他の哺乳類は進化に対する「安定」の必要性から、不用意に脳が拡大しないように脳の拡大を抑制する遺伝子を持っていますが、ヒトではその遺伝子が欠損することによって脳を拡大させてきました。『脳の拡大』がヒトにおける進化の適応態だったのです。
もう一つの遺伝子の欠損が、チンパンジーが持つ『強い顎の筋肉を形成する遺伝子の欠損』です。外圧の高い自然界において、攻撃や捕食や食べ物の摂取に必要な強い顎の筋肉を失うことは一般に劣性の進化と考えられますが、ヒトは顎の筋肉が弱まることで頭蓋骨全体が拡大しやすくなり、脳の拡大にとっては優位な進化形態となっているのです。
さらに、ヒトはサルやチンパンジーに比較して『多種多様なタンパク質を生成する遺伝子』を獲得しています。チンパンジーとヒトのタンパク質の違いが特徴的に見いだせる部位は、やはり「脳」だと考えられます。ヒトの脳には、タンパク質(アミノ酸)から生成される多種多様な神経伝達物質やホルモンが存在し、脳の活動には不可欠なものとなっています。
また、体全体に対する脳容量の比率が高いヒトの脳が消費するエネルギーは格段に高いため、(W、約4分の1)そのために必要なタンパク質や糖質を効率よく摂取・生成する能力が必要になるのです。
古生代【約3億年前】の海が山となり続いているので、<美濃海山列>と呼んでいます。
この石灰岩は、約2億年前、古生代中かごろのフズリナ(有孔虫http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%8A)海ユリ、サンゴなどの<骨格を持った海の生物>が何千年もかけて造った<さんご礁>からできています。さんご礁は暖かい海の太陽の届く浅い海面下において成長します。
古生代中ごろの日本は、アジア大陸の端にあり、日本から何千キロメートル離れた赤道付近のさんご礁がプレート移動をしてジュラ紀(約2億年前)のころにアジア大陸の端まで運ばれると海洋プレートは大陸プレートに沈み込みするが、
しかし、プレートの上に乗っていた軽いさんご礁などは剥ぎ取られ、あとから堆積物に押し上げられて石灰岩の山を残したものです。
佐賀県 有田泉山陶石
焼き物は大きく分けて、陶器と陶磁器が有ります。
以下、要略。
陶器←原料。土
陶磁器←原料。陶石
1616年、<朝鮮陶工、李参平>が有田泉山で陶石を発見、それを用いて日本で最初に陶磁器が作られた(歴史的背景については省略するが、陶工は秀吉の朝鮮出兵の時に連行されたものと考える)
陶石は石英粗面岩の一種で石英やせりサイト(絹雲)『Wウィキ引用。一般には、化粧品のファンデーションやセラミックの素材として用いられている。また、耐熱性のある潤滑材として使用。微粉砕したものは、プラスチックなどの強化材としても使用されている。』
を主成分として鉄分も含まれる。
鉄分を含んだものは白くならないので使用しません。
有田焼の作り方
1)陶石を掘る→2)陶石を砕く→3)粘土作り→4)成形→5)900度で焼く→6)絵付け→7)釉薬http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%89%E8%96%ACをかける
8)1300度で焼く(焼くものは硬くしまり、表面はガラスのようになる)→
9)上絵付け→10)約800度で焼く。
コレにより赤、黄、緑、金など鮮やかな色が現れる。
W。ということで、陶磁器は陶器と違って、高度な技術とある程度以上の大きな工房が必要と解る。
泥を焼いた土器は有史以前から、生活必需品として存在していたわけで、それに対して陶磁器は、一つの文化的到達段階の指標である。
マイセン (陶磁器)ウィキペディア当該箇所の引用。W。100年も遅れている。
「東洋からもたらされた白磁は、17世紀ごろの西洋社会では憧れの芸術品であった。各国が競ってその製造開発に乗り出し、ザクセン公国のアウグスト強健王も錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを幽閉し、白磁を作るように命じた。ベトガーは物理学者・数学者・哲学者エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスらの協力を得て、1709年にザクセン・フォークラント地方のアウエ鉱山のカオリンを原料とした白磁の製造に成功。アウグスト強健王はこれに大満足し、西洋磁器の歴史の幕が開けた。
既に 日本の地質の土台は付加体 で明らかにしたことからも、原発事故は数種の必然性の融合の中から、発生した事態であった、と解る。
また、原住民の生きる場が常に揺れ動き、激変状態にあることから、どうしても、頭の奥底の本能を司る部分とその外周部分の独特の「形で」連携する遺伝子の刷り込みが発生する。ホントか?