反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

堀田善衛「広場の孤独」の引用~作中にちりばめた鋭い問題意識は時代を超えて今にも通用~適応、発展、深化が課題。付録、私小説の世界。

 前回の問題意識をそのまま先行させて行くと、<堀田善衛>の「広場の孤独」を取り上げることになる。
参考資料に次のようなものがある。
が、この連載で新たに「発見」した私小説的世界に拘る。成果はともかく、先を急がない。足元から詰めていくことで、ホンのちょっとでもいいから世界を豊富化し広げていく。
 なお、今後の記事作成のために堀田善衛「広場の孤独」関連の参考資料を挙げておく 

    全集から次の重要な指摘を書き落としたのであえて冒頭に追加する。やはり彼はオールラウンドプレイヤーであるけれど、評論に最も才が生かせる人である。
堀田善衛全集、集英社1993年発行 著者自身による改題より引用
 
「戦後向こう側に徴用されて(W、国民党、その前は日本軍属の文化団体を看板に掲げた怪しげな機関~省略すれば満鉄調査部のようなインテリ諜報機関か?)46年の末まで上海にいました。
 今、どなたか「歴史は繰り返さない』ともうされました。が、私が向こうにいます間に考え感じた、一番の重苦しい問題は、日華間に限り、歴史は繰り返すのでh内科、という問題でした。
日清、日露、日独(W、第一次大戦、中国のドイツ占領地攻略~そのときの日本本土収容所のドイツ軍捕虜の待遇は国際法を忠実に履行するものであったと、本と映画になっている)、満州、日華事変、太平洋戦争(W,この場合シンガポール反日華僑大量虐殺、50万兵士中国打通1000キロ往復作戦<補給物資現地調達>などを念頭に含めたものと思われる)と、日本は実に何度も何度も、繰り返し巻き返し中国に押し込みました。
 コレは一つの種がまかれて、ソレが自然に、あんなふうに育ったというのではなく、(1)【日本の経済構造や産業構造が、ある膨張段階に達すると、必然的にあんな形、つまり中国侵略の形をとるのではないか、とそんなに考えたのでした。
 「歴史は繰り返さない」とじゃ、勿論私は信じたいのですが、(2)【そこに何か宿命的なパターン】が、プロトタイプがあるのではないか、そんなに思えてならないのです。
 多くの方々が平和の問題について発言されましたが、(3)【日本の取って平和とはあくまで、又いかなる形でも中国侵略をしないと、しないで済む具合に、(4)一切の構造をつくりかえること、このほかにないように、私は思えます。
 
 「47年の1月に私は返ってまいったのですが、47年の12月に上海に暴動がありました。いわば革命前夜といった物騒極まる状態でした。
(5)政治の同様、緊張、民衆の不満、絶望と希望というものが、どんな形を中国でとるか、を少しは知ったように思いました。
 
 かえって直ぐの2月に2、1ゼネストがありました。
W、1947年2月ゼネストのことGHQによる中止命令で収束、国鉄はスト体制を<一応>構えたが、GHQの命令で中止した。その前の1949年国鉄総裁下山轢死事件。三鷹列車暴走事件、東北本線福島県松川町列車脱線事件が連続して、国鉄労組に弾圧があった。1948年には韓国済州島放棄弾圧事件ー治安出動軍の蜂起などがあった。後の朴大統領は朝鮮労働党の韓国軍内の同調者で転向した。朝鮮半島南部の権力機構の基本的支柱は在アメリカ軍だった。戦端は北の間違った軍事判断による戦車を先頭とする停戦ラインを越境した奇襲攻撃であった。このゼネストは戦争帰還者を抱え込んだ基幹産業の全国的首切り合理化に反対するものであった。
 朝鮮戦争の内外情勢トレッドパージを経て、敗戦後の労働運動の主導権を共産党系の産別会議に替わって、社会党系の民主化同盟、労組幹部活動家組織の俗にいう<民同>が主導権を握り、その後、ナショナルセンター総評とー地方、地区、労を結成し、反戦護憲平和運動、賃上げを主軸とする条件闘争の積み上げによって、日本固有の戦闘的な社民勢力となっていく。
 その背景は丁度、朝鮮特需→日本高度成長経済(の時代であった。
高度成長経済の発進は1950年代後半で、云われている池田内閣の所得倍増計画のかなり前である。最高値の60年代初頭の名目GDP伸び率22%実質16%の異常振りであった。
 この経済政策について経済学者の間で有名な論争があったが、図書館にも余り関連資料が残されていないようで残念である。
経済発展均衡論の立場に立ったのはシカゴ大学の教授を経て帰国し東大教授であった有名な経済学者の宇沢弘文でり、論争相手は大阪大学の有沢某である。市場原理主義竹中平蔵大阪大学の教授出身者であるところが興味深い。素直な経済学の段階的な発展というべきか?只の時流に棹差しているというべきか?じづれにしても、大本はアメリカにある。
 この高度成長経済政策こそが、その後の日本経済の不均衡的発展の元凶であると考える。その病根は満開しつつある。中国の鄧小平の黒猫白猫も鼠を取る猫はいい猫だ、論に基づく経済成長性差雲も違っている。必ず付けは廻ってくるものと思われる。
 
 それを見まして、私はそのデモの秩序生前たる収支に、全くビックリしました。
中国と日本のさ、日本のパターンと中国のパターンの違い、あるいは解放された中国と占領された日本の違い、に驚いたわけでした。
 
>今私が申しましたような様々などぎつい問題には、触れていません(「祖国喪失」という小説で)
触れることができなかったのです。
W。その後の文章の展開から、自主規制や検閲は作家の作品にまで及んでいなかったようである。雨か本土の同時期のマッカーシー旋風では映画人、大学教授、作家などが職を奪われ、公聴会で証言を迫られた。
作家ダシールハメットは合衆国憲法修正第1条を盾に証言を拒否して、服役した。
「広場の孤独」でも共産党党員の新聞記者の動向と見解が抑制されることなく、描かれている。
 
(1)~(5)は(2)を除いて自分が潜在的に思っていたことであった。2)の宿命論は作家故であろう。
>特に、(1)【日本の経済構造や産業構造が、ある膨張段階に達すると、必然的にあんな形、つまり中国侵略の形をとるのではないか】は前回の末尾の付録、<東アジア情勢私論>を書いているとき頭をよぎったし、直近の集団自衛権の問題を考えた時、中国側の視点で、どう映じるか、と思い描けば、当然問題にしなければならない視点であると、考えてきたが、この論理に踏み込めば、当然、数点の大問題を論証しなければならないわけで、そこまで行くと自分の論、事態の修正が迫られるとして敢えて言及しなかった。
心情的に謀略論の極端に嫌う傾向があることも、そこまで踏み込めない原因である。
 が、中国脅威論、集団自衛権は日本直近において煎じ詰めると中国包囲網の構図であり、形を変えた中国侵略への踏み出しではないのかという、疑念が頭にこびりついて離れない。<一部にある主観的願望>に軍事的裏付けが伴えば、相手側から見ると、実行体制と受け取られて仕方がない。
 
そうすると、堀田善衛が「広場の孤独」でいう
恐怖は判断の基準についての確信を動揺させる。
世界に共通の判断基準がなくなれば、あらゆる議論は反対側にとって、考慮の対象ではなく、挑戦とみなされるようになる。
そうなれば理性はその役割を果たさず、歴史は人間の思考及祈念を押しのけて自動的に破局へと転回していく』の問答が今において、真実味を帯びてくる。

1)ムービーウォーカー「広場の孤独」 http://movie.walkerplus.com/mv23637/
 原作は映画脚本にしやすい社会派小説と見ていた。が、占領軍権力は1947年4,1全国ゼネスト中止、1950年6月6日レッドパージ、(アメリカのマッカーシー赤狩り」の1950年、中国共産党による本土統一1949年、朝鮮戦争1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦<開戦に至る朝鮮の政治情勢を踏まえなければ、情勢は立体的に把握できない>)に見られる如く、日本国憲法の上位にあって、その政治決定と政策は全て合法とされるものであった。日本の新聞、放送、映画などの情報媒体はGHQ権力の検閲を受けており、その許容する枠内でしか機能しなかった。
 
今のマスコミの典型的な自主規制、横並び、一方向の情報一斉垂れ流、は戦前の治安維持法、翼賛体制の米軍事力による解体後も、アメリカ占領軍権力ー統治下の日本政府官僚行政機構を通じて、形態変化を遂げながら、本質精神を継承し今日に至っているものと、してもよい。
A)、GHQの当該当局が検閲はしただろうが戦前の治安維持法のように、具体的に報道主体に直接的強制力を発揮したり、身体を拘束したことはないのである一種のタブー的威力を発揮したのである。敢えて言えば、そこにB)、戦後の象徴化した、天皇制(日本国憲法的に憲法1条~8条規定)に同伴し、前面に躍り出たのは皇太子(現今上天皇)と美智子の結婚騒動(C、マスコミ煽動)であろう。
 
>したがって、論理的に云えばA)アメリカ軍基地をキーとした日本支配の網、B)、象徴天皇制、C)マスコミ⇔日本支配層権力機構は、暴力装置として、国家共同幻想の発信源として、不可分一体のものであるユーラシア大陸東端の四海に囲まれた山がちな列島の僅かな平坦地の柵内に群れる習性のある原住民を家畜のように飼い慣らしてきたのである。
 
 そういう事情を踏まえて、堀田善衛の小説が映画化されているかどうか、されているとするとその内容に興味があった。映画「広場の孤独」の資料としてはコレが一番詳しい。
1953年公開ということで、企画制作段階で、GHQの検閲を受けていたものと思われ(私の考え過ぎで自主規制という見方が当時の製作者の事情から正しいのかもしれない、この辺は新東宝の製作であり東宝争議との関連で考え直す必要がある)映画のスートリー、及び問題意識は原作とは全く別物で、原作の舞台の背景が朝鮮戦争中、GHQ権力下であるであること、などを無視した社会派?エンターテイメント活劇に仕上がっているようだ。
 原作(1951年発表)の主人公は作者堀田善衛の問題意識を反映したような新聞(仮名であるが、該当するのはサンケイ新聞<読売という見方もできるが、この新聞の前身は戦前の正力松太郎買収にあり、自他共に認める新興新聞という設定はサンケイしかない。)に臨時雇用された翻訳者<木垣>である。
映画ではネットのストーリーを読む限り、主人公は外信部副部長原口(小説では典型的な時流迎合主義者でテンコ盛りの各典型的人物の一人)の妻京子(原作では一切描かれていない) 高杉早苗成瀬巳喜男映画の名演でしか知らないが個性的な現代風の演技ができる女優さんである)である。
なお、俳優座小沢昭一はこの映画でデビューということで時の経過に感慨深いものがある。
ということで、この映画は原作の一部の要素を取り込んだ原作者の問題意識を換骨奪胎した人畜無害映画であり、鑑賞者に何となく時代の空気を感じさせるものになっているようだ。
1953年にGHQ検閲の枠内ではココまでが精一杯と思われるが、堀田善衛の「広場の孤独」の原作を映画にしようという意気込みは貴重なものであった。
 
堀田善衛の「広場の孤独」の芥川賞受賞は1951年、朝鮮戦争真っ盛りのころである。
以前に、コレクション戦争×(と)文学全20巻2012年集英社発行 1巻朝鮮戦争に所録されている小説を読んだことがある。
 その1篇には米軍関連の軍需製品の集積所に火炎瓶攻撃の夜襲(実に他愛もない一種のアリバイ宣伝で、失敗しているが、描写は真に迫ったその時代の臨場感たっぷり)を仕掛ける数人の行動隊員に焦点を当てた実録風の小説(確か小林勝の短編だったと記憶する)や松本清張の米軍基地集団脱走兵により婦女暴行強盗事件の実録小説、朝鮮戦争現地に派遣されたマスコミ特派員を主人公にした小説ありで、そういうもの読んだ目線から、「広場の孤独」を浮き彫りにすると、はたして、どんなものなのかなぁ~と考え込んでしまう芥川受賞の問題小説がバラバラに解体されて仕分けされてしまうのではないか。現時点に立つ私にはそうしたい欲求がある。
 
 思い切って云えば、原作の主人公、サンケイ新聞?に臨時雇用された主人公の翻訳者<木垣>の<広場の孤独>はその後の歴史的推移という事実の力によって風化してしまったのではないか。
 水彩絵の具や日本が絵の具の色を多く混ぜ合わせるとグレーにしかならない。油絵の絵の具は上塗りが効く、ということか。しかしながら、水彩画絵の具、日本が絵の具で描がかれた作品が目下の私のこだわりである。
 
 堀田が散文として作中にちりばめた鋭い問題意識は時代を超えて今にも通用するものであり、それを歴史的な事実経過を踏まえて、発展的にもリアルにも深めて行くことが、現時点に立つものの切実といっても良い課題である。小説の筋書きや登場人物の肉付け、配置はほとんど捨て去っていいもの、と考える。
>作中に何気なく散りばめられた堀田善衛の問題意識が普遍性を持つのである。


引用 「広場の孤独」全集、筑摩書房1993年発行 P304上段、アメリカ紙特派員<ハント>と<木垣>会話
「ハントはヘエ、理屈っぽいねというように肩を持ち上げ~
『ぼくは今さっき朝鮮の前線から飛びかえったばかりだが、今度の戦争で日本人の考えかたは随分な影響を受けるだろうか?』
 ~W、会話の展開が紛らわしいので( )を挿入~
(ハント)『アメリカの世論調査によると、アメリカに頼らなければ、ならぬという気持ちがグット深まったことになっている
~数時間前まで朝鮮の修羅場を前にしためは笑っていなかった。
『なぜだろうか?』
(木垣)『戦争の恐怖、征服され支配されることへの嫌悪』
(ハント)『しかし、米国も君の国を征服し支配している』
K 『その通り、しかし、アンコールは御免だと言うのだ(W、アンコールの意味はあいまい。征服と支配を軍事的打撃までに限定している。占領状態への木垣の政治感覚を表している。)
H 『けれども他国の征服や支配は、戦争の結果として、御免だろうが難だろうが、好むと好まぬとにかかわら結果するものだ。アンコールがごめんだというなら、何ゆえ米国に頼らないで自力で防衛しようと思わないのだろうか?
 
**K 『武装憲法で禁じられているし、以後の戦争では一国だけでの抵抗というものは、米ソを除き、どの国も不可能であろう。だからフランスは考えているのだ。日本も考えている。
サルトル、ジイド氏らがモーリヤック氏に反発するとすれば、それはおそらくモーりヤック氏の考えが恐怖に根ざしているからであろう。
恐怖は判断の基準についての確信を動揺させる。
世界に共通の判断基準がなくなれば、あらゆる議論は反対側にとって、考慮の対象ではなく、挑戦とみなされるようになる。
そうなれば理性はその役割を果たさず、歴史は人間の思考及祈念を押しのけて自動的に破局へと転回していく』
 
W、非常に含蓄の深い一説である。
>堀田が散文として作中にちりばめた鋭い問題意識は時代を超えて今にも通用するものであり、それを歴史的な事実経過を踏まえて、発展的にもリアルにも深めて行くことが、現時点に立つものの切実といっても良い課題である。とはこういう一説から思うのだ。
 
 次の一説はどうか。 <本質的なジャーナリズム批判>であり、事実としても人間の動物次元の感覚としても真実である。ジャーナリズム、報道には人間の動物的次元の感覚を絶えず刺激する本性が存在する。送り手と受けてに内在する問題である。
 
「最大の不幸は、最大のニュースなのだ。しかし最大の不幸のうちでも時間的に最も永続性はあり変化に富むものは戦争である」
なにか大きなニュースが入ると、今まで重大に思われていたニュースが、急に色あせてつまらないものに見えてくるものである。」
 
    再軍備についての問答
『いや、それでぼくが、本当の考えから国が滅びたためしはない、考えもせずに目前の利害の尻馬に乗ってうろうろするやつこそ国を滅ぼすんだ、といったんです。そうしたら何だか急に(Wオポチュニストの原口副部長は)怒り出したんです』
 
    レッドパージの一瞬
『クーデターだって?』
『そうですよ、やられましたよ、すっぱりとね』
『何、やられた?』
『そうですよ、コレですよ』
『すっぱりと追放されましたよ』
『追放?クーデターって、君たちが、クーデターをやったのじゃないのか?』
ソレが党員だけじゃないんですよ、同調者というのまで含んでいるんです。労働記者クラブへ出ているた、というだけの人や、組合の積極的幹部なども、とにかく本社だけでも38名やられたんですよ』


 日本の古典文学から西洋美術、評論、翻訳、エッセーまでまさにオールラウンドプレイヤーとして、どの分野でも超一流の域に達しており、今の日本では絶対にお目にかかれない博覧強記のまさに語の真の意味での作家の中の作家だった。


  ウィキペディア堀田善衛 引用。
宮崎駿が最も尊敬する作家であり、宮崎は堀田の文学世界や価値観から非常な影響を受けていることを常々公言、堀田と幾度も対談している。たとえば宮崎の作品によく出てくるゴート人のイメージは、堀田のスペイン論に由来している(『宮崎アニメの暗号』青井汎 新潮新書)宮崎は堀田の『方丈記私記』のアニメ化を長年に渡って構想していた。また、2008年、宮崎吾朗他のスタジオ・ジブリスタッフにより、『方丈記私記』等の堀田作品をアニメ化するという仮定のもとのイメージ・ボードが制作され、神奈川近代文学館に展示された。」
W。以上のような事情は実よく解る。
スペイン関係の本は読んだことがないし、興味もないが、「広場の孤独」を読んだ今、「方丈記私記」が堀田の最高傑作だと思う。「私記」としているところがミソで、ココが小説家たる所以である。堀田善衛の生々しい自分自身が方丈記を評論し読み込んでいるのである。
 
イメージ 1今上天皇(産婦人科病院の上品な院長サン風)
東日本大震災福島原発事故の発生した次の年2012年、の「8月13日、突如として、米軍空襲で火の海になり、多くの犠牲者を出した下町の富岡八幡宮付近の住民との一時を持った。
 
方丈記私記」を記事で連載しているときに、偶々その光景を写した新聞写真をネットで発見して、今上天皇堀田善衛方丈記私記」を読んで、強烈なインパクトを受けて、脳裏に刻まれ内容から、突如、富岡八幡宮付近の住民たちとの一時を持つことを思い立ったと直感した。
 
方丈記私記」のシーンとしての圧巻部分昭和天皇が大空襲の被災地、富岡八幡軍付近の訪問に際に、堀田が、付き合っていた女性は既に焼き殺されているだろうと思いつつも、この近辺を彷徨っていたいて、偶々、焼け跡の片づけをしていた住民たちが昭和天皇に<大切なものを焼いてしまいました>と、詫びながら跪く場面に遭遇した実感とそこから政治思想的課題に発展させた評論を続けていくところにある
その中には人間、堀田善衛の視点からの天皇制論や一部で有名な近衛文麿の上奏文を挙げての痛烈な批判があり、実に多角的重層的天皇(近親貴族ー日本軍(出身階層)ー民衆の相互関係論となっている


堀田善衛の代表作 「広場の孤独」、「方丈記私記」「ゴヤ(黒い絵について)他、3篇の全文と栗原幸夫の解説、年譜はココの収録されている。
膨大なページ数で、ココまで長いものは、今までネットで見かけたことが無かった
堀田善衛の一冊の本を読むつもりでなければ読めない。アップにはかなり労力と時間を要したと思う。彼の著作がそうさせたのである。


ブログ関連ではさくら色の雑記帳は短いが、「広場の孤独」の各典型の登場人物を簡潔にまとめている。


  時間不足で付録になってしまった。堀田善衛の「広場の孤独」はジャンルに限ると政治、社会、歴史に属するわけで、私が今回の連載で「発見」したいのはコレまで余り知らなかった<私小説的世界>である
自分の知らないことを探索するために、このブログを書いている。そういった意味で、本願はこちらのほうの探索である。
川崎長太郎(2畳の物置住まいの極貧私小説が徴用に、食う道を見出す、とぼけた良い味がある)、葛西善三(「子をつれて」はシビアー極まりない。子供を酷い立場におい込んでなお、活字にしているワンシーン。が、この時代の社会の底辺では娘を女郎として売り飛ばし生活が成り立っていた家族もあった。鑑賞者は時代背景をよく考えなければいけない。善三に共感する裾野は広かったということだ日本的私小説の物的精神的基盤はあったのだ!)、吉行淳之介大空襲で自宅炎上前後の描写はまさに名人芸である)の一説は是非、日記の活字とし残したい。


 引用、→ココで安岡の指摘するキーワード、私小説、文学を例えば今の日本における<自己と社会>、<政治>などと読み替えてみたらどうだろうか?
2014/9/4(木) 午前 11:46 反俗日記 安岡章太郎の世界。志賀直哉私論。本音を語った軽い評論。<変動為替制度と集団自衛権事態~東アジア情勢私論>
 「>私小説批判は原因と結果を取り違えている~そして結論~創作者の側から見た積極的な私小説論だ
確かにロシア小説を念頭に置けば安岡の指摘は的を射ている。真ん中に当たっているかどうかは解らないが
条件がないからだけでは、通用しないということだ
 
私小説の発生は、輸入された自然主義実証主義に支えられていなかったからであり、ではなぜ実証主義がうまれなかったのかといえば、わが国にはそれを生み出す近代の市民生活が無かったからだそうだ。
実証主義の代わりに実感主義市民生活の代わりに農民生活個人主義の代わりに家族主義があったために、自然主義文学は私小説に変質してしまったというわけである。
>本当にそうだろうか?
>原因と結果を取り違えてていないだろうか?」
~W。アメリカの主要な作家は南部から輩出されているという言説は省略~
「文学が背後に社会組織の形態に左右されるものだということは私も否定しない。自然主義がわが国の社会組織の中で健全な発達が遂げられず、中途で私小説に変質してしまったことも、事実であろう。
>しかし元々変質しやすいものが私小説であるとすればわれわれはその『負』の性質を逆手にとって、わが国の土壌に新しい文学を育てることは不可能だろうか?
不可能であることがハッキリするギリギリの点まで押してみることで、我々の知らなかった何かが生まれるかもしれないという期待は無駄だろうか。』」