反俗日記

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季刊「創作と批評」日本語版。インタビュー] 韓国文学は生きている : 小説家 黄皙暎(ファン・ソギョン、Hwang Sok-yong)との対話。

         季刊「創作と批評」日本語版 http://jp.changbi.com/33 
    最近の記事 なかなか面白そうなラインアップである
       ↓


    

2014/9/23(火) 午後 2:19より
黄晳暎(ファン・ソギョン、Hwang Sok-yong)1943年生まれ)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E7%9A%99%E6%9A%8Eという作家がいる。
「21世紀に入ってからは欧米でも高い評価を受け著作の翻訳が進んでいる。ノーベル文学賞候補として有力視される韓国作家の一人である」ということだが、彼の小説にはベトナム従軍時代を生々しく描いた秀作がある。作家の経歴だけ見ても、日本人には求めてもあり得ない大変な体験をしていることがわかる。
興味本位で手に取った作品の完成度の高さにビックした。このレベルの小説を書ける日本人作家は果たしてどのくらいいるのだろうか。彼の小説のほうが断然面白い。以来、ズット気になる存在だったが読む機会がなかった。」
下線強調を書いている最中、ノーベル文学賞作家大江健三郎のことがチラッと脳裏をかすめた
黄晳暎(ファン・ソギョン、Hwang Sok-yong発言とほぼ、同じようなことを考えていた。
長時間インタビューの書き起こし、読みながら不必要な箇所を削除ながら、要点にマークを入れてメモにコピーしていたら、かなりの時間が経っていた。
簡単に片付けられない掘り下げた問題意識に基づくインタビューになっている。
最近は小説を読む機会が多い。

  
   参考意見 その1。
「文学(文芸)作品を取り上げるまでに、人々の思考と生活の細目にまで分け入って考えていこう、としている現状から、過去の記事を振り返って、「総括」する意味で、記事の中で自分で作った骨組みを改めて、確認したい、捜し求めたいと何となく考えていた。
情勢認識には骨組みとその他の部分がある。グライダーは骨組みだけで飛ぶことはできない
戦争や危機的状況に陥っている人間を描いた小説や諸々の時代の証言を読むと、人々の生のあり方は、その状況の骨組み(社会構造等々)を知っただけでは解らない、と痛感する。後から作った骨組みに欠陥がある場合もある。」
>コレハと想う小説、映画、音楽が今の日本に見当たらなければ、世界を探す。世界になければ、昔を辿る。良いものは普遍性、現代性がある。用のないもの、価値がないと判断するものは無視する。

   参考意見 その2。
 朝日新聞のフクシマ原発事故の際の故吉田所長に焦点当てた、活字と映像を複合したニューネットメディアを以前の記事で取り上げて、そう簡単に行かないよ、厳密性、客観性を要求される報道がセンセーショナリズムに流れる危うさがあるのじゃないか、と疑問符を投げかけておいたところ、詳しい事情は全くわからないが、吉田調書を巡る不祥事が発生したようだ。
 そのようなニュージャーナリズムの手法を名のある新聞紙が採用した事例は、アメリカ西海岸、カナダと国境を接するワシントン州の大雪崩とオーストラリア、タスマニア島の大火災の二例のみ、ということは、マスコミ新聞ジャーナリズム側の自制を象徴していると見ていた。福島原発事故のような事案では、センセーショナリズムに流れがちな、活字と映像を複合したニューネットメディアの手法を使用することは不適切で、歯止めが必要だということである。
コレがネットのそこらじゅうで氾濫するようになると、実態からかけ離れたバーチャルな世界(映像で編集され仮想の現実)が、個的最小単位に分断され社会に直接晒された者たちの周辺を埋め尽くし、<大きく勘違いした人たちの群れ>を作ってしまう。

       参考意見 その3。
 浅田次郎 文学×(と)戦争 アジア太平洋戦争解説 戦争文学という奇蹟
「思うに、我々が今日読み書きしている文学には、本質的に生と死の苦悩がない。整理としての死はあっても~
そうした今日の文学を、戦争文学と引き比べてみれば、思想や文体に質とはもっぱら関係なく、はなはだお気楽な、確信を書いた作品と感ずる。
つまり平和な時代の作家が戦争文学と同じ疾患の作品を生み出すためには相当な思索と努力とを覚悟しなければならない。
他の芸術表現は、平和が正しくその質を担保するのである。しかし事文学に限っては、苦悩を免れた時代に名作が生まれるとは思えない。
天然の一部たる人間を描くこと、さらにはその人間の内なる苦悩を描くことこそが、必ずしも文学の使命でないにせよ、古今東西を問わず文学の王道だからである。」
~~
「過去の小説に破壊和文が少なく、ほとんど地の文によって進行する。一方今日の小説の多くは、ストリーの展開を会話に依存する傾向が顕著である。
一言で云うなら、小説のシナリオ化であろう。コレは映像文化の影響に違いないのだが、会話の多い小説の重量感を出すためには、登場人物が特別な知識人か哲学者でなければなるまい。従って、会話多様の文体ではストリーのほかに思想を盛り込むことができず、ただ面白いだけの軽薄な作品にならざる得ない。
 数千年の文学の伝統が、たかだか百年の映像文化に追随するという危機に瀕しているのではあるまいか。」

    参考意見  その4。
 >以上の問題意識に関連して黄皙暎(ファン・ソギョン)長時間インタビューで次のように語っている。
黄皙暎 「軽めの長篇」という言葉もまた韓国のジャーナリズムが作り出したものですが、私は最近「詩的物語」という言葉に変えて使っています。
いわゆる「軽めの長篇」というのは、現代の生活パターンや余暇文化などから出たものかもしれません。
いわゆる19世紀的なリアリズムの時代でした。私は現代世界の消費市場が長い物語に耐えられないだろうと思っています。
また一方で詩が出版市場から消えています。現在、西欧のどこに行っても、書店に詩集が置いてある国は見当たりません。
*詩的メタファーや隠喩、あるいは抒情的な詩情は、広告コピーや詩的な映像のイメージに取って替わりました。まさに詩的イメージの洪水とでも言いましょうか。
*過去の叙述では、ある男が馬車から降りて家の中や居間に入って行くのに数十ページさくことができました。庭園の石や木について、あるいは家の中の明かりや雰囲気、門の形、玄関や客を迎える召使いの表情や服装、風貌、またマホガニーやボルネオ、アフリカなどの原木で作ったあらゆる家具、机の上の文房具や書斎に座った人々の過去と現在、このような感じで数十冊が書かれました。
 ですが、たとえば映画は、レンズの中に入って来たものを見せるだけで、他の方式の叙述で筋書きを継いでいきます。ディテールをすべて書かずに場面と場面を配置します。
これをモンタージュとも言い、ミザンセンとも言いますが、ふと見えた小品一つで伏線を準備したりします。
話を展開させながら詩的な緊張を維持するような形式はないだろうかと思うのです。」
【小説は物質だ】 ― これはいいですね。私は最近、リヨンに行って話をしましたが、【あるフランスの女性作家が人気絶頂で何十万部も売れているというのですが、彼女が常に自分の私生活を作品に書いているのだそうです】。【誰かが「作品をどのように書いていますか?」と聞いたら、その作家が言うには、内面が血だらけになってどうしたこうしたと言うので大騷ぎになりました】。
*私は「文章は左から右に書きます。そして尻で書きます」と言いました。
それはどういうことかというと、【小説創作は80、90パーセントが労働で決まるんです。まず長く座っていなければなりません。プロの作家は文章が思いつかなくても 机の前に座っていなければなりません】。
いい文章が出てこなければどうするでしょう? それで私は物を書く行為を物質的行為と見て、世の中に表出されたものもその物質の部分と考えます
*最近は作家がどうしてあのようにデリケート過ぎるのかわかりません。天から天刑、天罰を受けたように語っています。」

 このインタビュー記事は長い。語られている問題も難しい問題が多過い。しかし、思わずハッとする指摘が随所にあるが、それは前後関係の中で飛び出した発言であるから、長文の削除する部分も限られてくる。
 そこで、とりあえず、大江健三郎や日本の文学世界の状況に対する黄皙暎(ファン・ソギョン)の率直な発言が長時間インタビューの末尾にあるので、そこから先にコピーする。
コピーして再読してみると、今回取り上げた部分は内輪話が多いようで、ハッとする発言はその他のインタビューにあるようだ。→それは参考意見 その4でよく解る。浅田次郎の 参考意見 その3を具体的に展開していることからも察しられる。 
ただし、抽象論はないのだが、長い、問題意識が深過ぎる、根気が要る。
 メモをもう一度読んでみて、必要性が高いと判断したら取り上げる。
なお、インタビュアーの若い女性評論家、沈真卿(シム・ジンギョン)柄谷行人に影響されているように思えたので、冒頭に 柄谷行人とマルクス を挙げておいた。その他のテーマもリアルな韓国知識人事情を知るために、眼を通しておきたい課題である。


              「<おかしな「近代文学の終り」>
沈真卿  先生はベトナム戦参戦や民主化運動への参加、北朝鮮訪問など、文学外的なレベルでも現実の問題に積極的に介入しただけでなく、きわめて強い影響力を行使してきました。
ですが柄谷行人は、もう文学が責任を負う社会的役割は終わったと言います。もちろんこのような近代文学の終焉の言説をただちに私たち文学の現実に適用することはできず、また少し誇張された面もありますが、それでもこの数年間、このトピックは韓国文学の現実を診断し予測するのに数限りなく語られました。
近代文学の終焉の言説に対してどうお考えですか?
*黄皙暎  >まったくもう ― 私が一言言いましょう。いきなり若い人々が柄谷行人あたりを持ち出して騷がしいです。それらはみな日本の話です。80年代にあったことです。
先輩の大江健三郎と私が日本の岩波書店で初めて会って対談をしたんですが、あの時は光州抗争以後の政治的に非常に切迫して危なかった時なので、話が本当にいろいろとありました。
ですが大江はよく知られている通りとても謙遜です。彼は私に「私はあなたがうらやましい、そして激動に包まれたあなたの社会がうらやましい」と言ったんです。
自分は自らの文学的緊張を維持させる因子が自分の子供だったと言います。彼の息子は精神肢体障害者だったんです。だから子供を生んで育てる過程がとても大変だったと思います。とにかく私にあなたはどれほど闊達で作家として天恵の園にいるか、そのような話をするんです。実は私はその話を聞きながら、微妙にもなんとなく小憎らしかったです。
「そうさ、君逹はそのように気苦労でもして、私たちはめちゃめちゃにやられて……」(笑)。第一世界の知識人が第三世界を受け入れるように言うのだから気分はよくありません。
ですがその人がとても謙遜な方ですから、心から湧き出た言葉でした。今も本心の言葉だったと思っています
 
 柄谷とも関連がある韓日作家交流というのがいつできたかというと、まず60年代の韓日会談の時まで遡らなければなりません。あのとき裏で双方の橋の役割をしていたコネクションがありました。
 あのときまでは政治・経済的な癒着関係にとどまっていましたが、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権になってから、このコネクションで文化部門が強化され始めました。これは維新時代に金芝河救命運動の以後から韓日民主化運動の連帯組職ができて、日本の市民運動が多方面に韓国民衆とつながろうという実践的な流れが出てきたからです。
私は全斗煥政権期以降の文化運動の第一世代の後輩らを抱きこもうとする政権の工作を何度も見抜き、その人物らや脈絡に対しても詳細に把握している人間です。
*光州でこの間、別世した尹漢琫(ユン・ハンボン)を密航させた後、1985年にアメリカで会って彼の組織的活動を手伝いながら、海外の運動団体を通じて日本の進歩的知識人の市民団体と連携したのもその頃です。岩波書店の雑誌『世界』は「韓国からの通信」を数年間連載しながら韓国の民主化運動を組織的に助けました。
*だから韓国の軍事政権は、これをひっくり返せるような日本の知識人または作家らとの交流が必要になったのですが、韓国と日本で雑誌も出て、そのようなことを全く表面的にはわからないようにつないでくれる人士も必要だったんです。
政権側の許某や金某という人士と韓国の全某氏、日本の安某氏、そして日本の作家や評論家らが数人思い出されます。
これらが最初に始めたのが、釜関フェリーが開通する時、韓日文化人の船上対談を準備したんです。私にも参加要請が来ましたが断ったので、その脈絡ははじめからよく知っています。その次に日本に私たちの作品を紹介する韓国の文芸紙が創刊され、日本では韓国文化を紹介する雑誌が日本人らによって創刊されました。
資金はもちろん支援されました
*このとき中上健次らが登場して、韓国の文人らも訳もわからず交流作品を書いていました。私はもちろんまた断わりました。柄谷はあのときそちらのグループとつながっていました。もちろん彼がこのような内幕を知っていたかはわかりません。韓国の文人らも純粋に動員されていましたから。
*私は1985年にアメリカを経て日本に行き、東京や大阪、京都などで「ウリ文化研究所」と文化チームを組織するために6か月間滞在しながら、日本の進歩的知識人や作家、芸術家らと会い、これを韓国側とむすびつけました。このように互いに水が違っていたのです。私が会った友人には、和田春樹先生を含めた「日韓連帯委員会」の知識人らや、当時、総評や社会党系列の出版社の編集者、朝日新聞や読売新聞、共同通信などの良心的なジャーナリストたち、演劇団体に属した文化人たち、評論家の伊藤成彦、作家の野間宏大江健三郎安部公房小田実、画家の富山妙子、評論家で岩波書店の社長だった安江良介など、そのほかにも多くの方々が思い出されます。彼らは安保闘争世代でありながら、その下に新しく若い知識人たちがいました。私が彼らと私たちをつないだ張本人です。
*私が見るところ、日本の私たちの友人が現実の中に立っていたとすれば、柄谷や中上などの文人たちは、いわば一種の文芸サロンに属しているようでした。彼らが安某氏とつながって韓日作家交流が始まります。韓国の文芸誌と連携して何回か往来がありました。
【私としては彼ら日本の文人らはかなり下に見えました。彼らの文芸理論や世の中を見る目が限られていたからです】。
私は若い進歩的な評論家らを後で知ることになりましたが、たとえば小森陽一柄谷よりは数段上でしたし、 ちょっとしたことで大袈裟なことは言いません。
【柄谷が近代文学の終りとか何とか言ったのはもうずいぶん前の話で、日本の文壇のだらけた雰囲気を反映したもの】だったのでしょう。少し滑稽なことです
 
               <文学は自閉の道から脱するべき>
私はこの間、記者懇談会で「今年が韓国文学の中興期だ」などと言いましたが、韓国文学を励まそうと思ってそう言ったんです。事実そうでもあり、いや、記者という人々がたかだか2、3年を耐えられず、この数年、韓国文学は終わったの何だのと騷いでいます。韓国文学があまり売れないので翻訳小説などが売れていたので、そのような気味がまったくなくはありませんでした。
だから私は、もちろん韓国文学が危機でなかった時はありませんが、現在は決して悪くないと思います。そして私たちはまだ社会変革が進行中で分断が持続しているので、これからも語るべきことはあまりにも多いんです。文学をやっているという人々すら文学が現在「文化の最下位」だなどと言っていますが、自虐におもむかず自らを尊重すれば他人も尊重してくれます。
*ですが私は最近、気分が悪いのは、どこかに行って大声でどなれればと思います。いや、わがままな国会議員たちが自分たち同士で争っていて、相手が嘘つくと【「小説を書くな」と言います】。【すると若いネット愛好者たちも、誰かがそのようなことをいえば「小説を書いているんですね」と言います】。
外国では当代の小説、文学書籍のようなものがその社会の教養の尺度です。いや、このようにゴミのような扱いをされるなんてもってのほかです。だからもう少しプライドを持つべきです。なぜなら社会で私たちがなすべき役割がなくなったから近代文学の終りなのではなく、そのような役割を忘れれば忘れるほどゴミになって終わってしまうんです。
 
*沈真卿  柄谷行人は『近代文学の終リ』でアルンダティ・ロイ(Arundhati Roy)を例としてあげながら、今のポストモダン状況で社会的なメッセージを伝え、社会に対して批判的な発言をすることは何らの意味もない、むしろ他のメディアの方がずっと説得力もあるし、現実の矛盾を暴露して批判することができると言いました。
*黄皙暎  それは日本の状況から出た話です。ポストモダニズムを後期資本主義のイデオロギーとして使って駆使しようとする論理です。
【日本は小説だけでなくメディア自体がすべて資本や権力に食われていて、どのような進歩的・先進的な集団も天皇主義に対しては言及もできません】。
天皇主義ひとつ解決できないのに、近代以後100年が過ぎていますが、自分たちのどこがまともに争って来た知識人なのかと言いたいです。口だけ達者】で、【また大げさで、一言で言って「弱い」です】。
日本の小説がこのようになったのは、【市場でベストセラーをかかげて列に並んで、本格文学と大衆文学の壁を崩して、文学の価値が崩壊したので本格文学の作家らが自閉的になってしまいました】。【みなドアを閉めてしまいました。あきらめて暮らしているのです】。
その次にどうなるかというと、市民運動の方に所属して、そちらでたまに物書きをして、大学で講義などしながら暮らしているんです。
 
沈真卿  そのようになった決定的な契機があったんですか?
*黄皙暎  およそ20世紀初頭から西欧文学は危機論を語っていました。昨日、今日のことではありません。特に日本が1970年代の経済的特需を享受して、文学が現実から遠くなり、危機が始まったと考える人が多いと思います。柄谷の言説に限っていえば本格文学の沈滞はおよそ80年代から始まります。
*日本の出版界がいくつかのメジャー出版社に統合され、群小出版社がすべてだめになってしまいます。私たちもそのようになるのではないかと心配しますが
【買い留めをして列を作らせるところで資本の力の大きい方が生き残るだろうということです。群小出版社は死にます】。
考えても見てください。現在、1、2万部売れる若い作家たちはすべて忘れられますよ。文学すら一緒に淘汰されるんです。数人のブランド作家は名前があるから生き残れます。ですがデビューしたての新人、5千部くらい売れる、新しくて可能性のある作品が、ベストセラーの隊列の中で痕跡を残すことができるでしょうか。そのまま埋もれてしまいますよ。ならば読者との接点をどう引き出せるでしょうか。そう考えていると自暴自棄になってしまいます。だから本当に文壇の内部でキャンペーンでもしながら、このような問題を解決して、評論家や編集者は交通整理や案内をしながら、正当な価値評価を通じて作品と読者をつなげなければなりません。
沈真卿  では先生は韓国文学の未来がそう暗くはないとお考えですか。
 
黄皙暎  明るいとか暗いとの問題ではなく、それが結局は才能の問題であり、作家らがどれほど文学に全力投球できるかにかかっています。文学に自らのすべての人生を捧げなければなりません。ですが最近はその点がどこか弱いようです
沈真卿 最近、何人かの作家たちは、小説を個人ブログのようなもので見たりしています。
 
黄皙暎  それが自閉への道です。【資本主義社会において市場でなければどこで大衆との接点を探しますか?】 【市場で出会えないならば大衆を変化させることもできませんし、世の中も変わりません。
そして評論家や編集者らは絶えず本格文学の価値評価をして引き立てながら、読者たちに案内する役割を負担に考えてはならないと思います。私は近代に適応して飛び越えるという言説を憶えています。
「新しい」ものは自分自身の読者らと一緒に作り出すのであって、他から借りて来るものではないということです。