反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

<戦後・50年間の文学の展望>・小田切秀雄を整理して引用~戦後文学史のパノラマ。実例→小田実全集、評論9 「鎖国」の文学より引用。

 W。以下の小田実の論点は自己の文学観(文学ではなく、文芸と呼びたい)を披瀝したものであるが、エンタメに徹した文芸は論外として、そもそも小説類は、コレでなくちゃ、こうであらねば、などという縛り的なものは不必要だと考える。要は、小説家が小説を生み出すのも個人的営為ならば、読み手も個人的営為として、小説家の生み出した世界に共鳴し解釈するものである。そういった意味で、読者の立場に立てば、小説の批評、評論を媒介として、その作品を解釈するのではなく、自分の感性を信じて、直接、作品名を読んで評価を下したい。
 勿論、文芸評論はそれ自体として、独自の価値のあるものだし、学問としての文芸の独立性があるのは当たり前だ。
 ここの小田実の第一次戦後派作家(野間宏武田泰淳埴谷雄高、大岡昇。平第一次大戦後の作家と読み違えないように)の文芸への解釈と熱い想いは文芸評論として素晴らしいものであり、それ自身独立した高い価値がある。
しかしながら、小説の読み手として、一番肝心なことは、小田実の評価とは別次元で、野間宏の小説を読んで、どう感じるかである。仮に読者が、この小田実評論に眼を通しただけで、第一次戦後は作家の小説を直接読まずに、評価を下したら、ソレは政治的判断である(敢えてそう云う)。文芸評論の本質には、政治的判断が混入する要素が絶えずある。自分の価値観に基づいて、小説世界を評論として抽象化するときに取捨選択をしなければならず、このこの営為は政治的営為と同じ位相にあるのではなかろうか?江藤淳や若い世代の文芸評論に接するとつくづくそうおもう。

 最後に、この機会に、戦後の文学史を簡潔にまとめてみたい。
引用。  戦・後・の・五・〇・年・間・の・ 文・学・の・展・望・小・田・切・秀・雄・←一番よくまとまっている
http://homepage1.nifty.com/99/iroiro/ta-03.txt
(1) 国民的作家  明治いらいの夏目漱石森鴎外島崎藤村有島武郎志賀直哉らのような強烈な個性。
 
(2)“第一次戦後派”  野間宏武田泰淳埴谷雄高、大岡昇平その他”の手ごたえ重い作家たちは、漱石らの時代にはまだ人間が直面していなかった現実の新しい局面の深いほり下げと、その表現のための新しい文学方法の創出とを行っている。
 
(3)“第二次戦後派”  堀田善衛井上光晴島尾敏雄安部公房小島信夫三島由紀夫
第一次戦後派に続いて登場した。
*  “第一次”と“第二次”とを通じて、五〇年の文学の最初の高揚をつくりだした“戦後派文学”がめざしたものは戦争と弾圧とによる多くの犠牲者たちの姿を背後に負いつつ、そういう過酷な現実にさらされた人間性の苦渋と、自由への渇望を、意識・心理にまでに及んで仮借なくほり下げ、そういうことを通して社会・意識・性の全面から人間をとらえようとした。 
>まさに第二次大戦後の独特な文学というにふさわしいものが実現したのであった。それはその後も、かなり
の期間にわたって現代文学の背骨をなしてきたものでもあった。
 
(4)、“新戯作派” 石川淳坂口安吾伊藤整
反秩序的な孤独と独自な個性。敗戦直後の紛乱した現実への鋭い逆説的批判や、つらい美と真実の声や、秩序に対立した生命力の自覚、等を示していた。
 
(5)民主主義文学” 中野重治宮本百合子らをはじめとする“
文学運動として民主主義の擁護と推進にあたる、という意味では第一次戦後派の全員がこれに参加していた。往年のプロレタリア作家で戦後共産党員となった人びとがはじめは中心になっていて、この党こそが真に人間を開放し自由にするという信念。党としての政治的規制のおしつけがしだいにあらわになるとともに、せめぎ合いが続くことになった。
 
その活動は戦争下にもほぼゆるぐことなく続けられて、戦後にそのまま連続している。これが戦後の活動だという意味ではやはり“戦後の文学”に属し、“戦後文学五十年”のなかにふくまれる。
 
敗戦前までの戦争下の日本文学
作家の魂の深いところとはまったく無縁の空疎な軍国主義宣伝に堕して、まさに空前の文学的頽廃に達してたとき、沈黙のなかでこれに抗し、または一見無難な随筆や作家研究にかくれる、という形で文学的な抵抗がなお続けられていたことは、文学の運命というものをめぐる興味深い事実である。
広津和郎徳田秋声中野重治の『斉藤茂吉ノオト』や、福田恒存の作家論や、武田泰淳の『司馬遷』や、竹内好の『魯迅や、本多秋五トルストイ等々が戦争下に発表されてはいたのだ。
      
            戦後民主主義を巡るせめぎ合い
骨抜き空文化しようとするものと、実現された民主主義的権利をどうしても手放すまい、とする人たち
 
>新憲法とそれにもとづく民法新規定刑事新訴訟法、労働法、教育基本法によって厳格に改められることになった。
>ただし、それがはじまった時は同時にそれを骨抜きにしまたは空文化するための、保守勢力によるあらゆる活動の開始の時となったが(その後それはずいぶん効を奏しているが)、新憲法に集約されるこれらの改革はまだ基本のワク組までは失われておらず、これをめぐるさまざまな抗争がまさに戦後民主主義をめぐるたたかいとして行われている。
>はじめ推進者であった米軍が、冷戦の開始とともにそれまでの推進担当者たちを米本国に戻し、いったん追放した日本の軍国主義者を全部復帰させる、というふうに変わるが、同時に、新憲法によってはじめて実現された民主主義的権利をどうしても手放すまい、とする人たちも日本人のなかに確実にふえていて、このせめぎあいがその後の日本の歴史をつらぬくことになる。
 
(7)“第三の新人”  安岡章太郎吉行淳之介遠藤周作庄野潤三二次戦後派の次に注目。
後派の文学よりはやや狭い、それだけに着実な作品
 
(8)大江健三郎開高健石原慎太郎の世代  第三の新人”の次に登場
その登場の当初は開高が最も戦後派に近く大江はむしろ自我閉塞の苦渋を描いていたが、やがて『飼育』・『芽むしり仔撃ち』いらい江は戦後派系の新しくみずみずしい作家として現れ、いらい現在にいたるまでその系列の作家として活動してきている。
 
(9)大江・開高のあと、日本文学をめぐる事態は変わってくる。
一九六〇年代に入るころからの、日本経済の急激な“高度成長”のざわめき。
>急激な“高度成長”のざわめきのなかで、自信をもった大資本とそれに従う大衆という現実に直面させられて、そういうなかで作家たちはバラバラに孤独な抵抗をするほかなくなり、そういう文学の営み。
まとまった文学的動向とはならず、このことはそれの次の文学的世代としての“内向の世代”にも、さらにその次の“空虚の世代”にも、多かれ少なかれ共通している。
(10) エンタテインメントへの傾斜は大きな時流になりはじめてはいるが、それには従えない人たちや流れ 。
 文学上の主張の基本のところで共通するものをいだいてさまざまに活動している一群の作家たちがいる。
それは、第一次戦後派いらいの、社会的な自覚とおしひろげられた視野と、そういうなかでの人間追求の立場
で、大江・開高だけでなく高橋和巳小田実加賀乙彦らにも新しい形でうけつがれ
、さらに内向の世代”のなかから出てきた『五月巡歴』の黒井千次、また、『笹まくら』のころの丸谷才にも、その傾向があった。
 その後の文学のなかからは
高井有一中野孝次らがその流れに自在に出入りして時に生動させ、
また、現在の新人作家のなかからも
奥泉光藤原智美、労働者文学の若干の作家、等がその方向で注目される。
 
こういう流れについては、大江健三郎が『あいまいな日本の
私』(岩波新書)のなかで、次のように書いている。
(省略)
 
>この大江のことばのうち、・・「そのモラルを内包する個人と社会は、イノセントな、無傷のものではなく、アジアへの侵略者としての経験にしみをつけられていたのでした”」
というところは、敗戦までの日本人の体験の歴史をかなりのていどまでほり下げたはずだった第一次戦後派の文学が、なおかつこの側面では--自身が加害者たる日本人に属していた、ということをめぐる文学的なほり下げについては、どれほども関心を向けていなかった、ということをめぐる新たな指摘として、
それじたいがあらためて検討の対象とされねばならぬ。
もしも戦争下に、抵抗という名にあたいするほどの抵抗をしていた場合でもなお、加害国民の一人としての責任は免れぬ、ということをもふくめて(W、「文学」としての課題と政治的課題)むつかしい多くの問題がこれに関連して生じざるをえない。

   こうして、「文学」方面からの視界が、東アジア、アジアに広がったところで、
 東アジアの中の日本文化: 日中韓文化関係の諸相  著者: 王 敏を挙げておく。未読。丸ごとアップ。
W。この著作の中身は全く確認していないが、感触として、日中韓の関係を強く意識した新しい世代の「文学」評論のネタ本にされているようである。
村上春樹の小説に対する批判の定番は次のものだ。
日本戦後文学言説とアジア的視角: 歴史的想像力と資本主義的想像力 2012/01/09 15:13
特輯_東アジア地域文学は可能であるか
安天(アン・チョン) 東京大学大学院総合文化研究科博士課程。
  2014/10/25(土) 午後 4:39 反俗日記 野球記事とジャックロンドン関連を除いた村上春樹批判の部分~記事半ば過ぎ~
ジャイアンツのエースM、バムガーナー(ワイルドカード9回まで)とドジャースのエースクリスカーショウの動画。「馬に乗った水夫」ジャックロンドン伝記について→ジャックファン自認の村上春樹の手練手管の世界


  小田実全集、評論9 「鎖国」の文学より引用。~ココまでの戦後文学史の概説記事のリアルな実例である。
 
 例えれば、どうしてまた中年男の作家たちは家庭のことばかり書くのだろう。子供のことばかり書くのだろう。年をとるということばかり書くのだろう。
~中年男の作家たちも彼等の作中人物も、たいていの場合、マンションとかそれら紛いのわが世界に住んでいるからで、その住み方は、そこに単に住んでいるというのではなく、マンションとそれら紛いの<わが世界>の存在抜きにしては彼等の世界も価値観もあり得ないようすみ方だからだ。
 
 ここで唐突だが戦後派の作家たちのことを考えてみよう。
彼等が世に出たとき、マンションというようなものはどこにもなかった。~満足に壁もないような住居だったから、外界の風は容赦なく吹き行ってきて、いくら【わが世の存在を日田syら誇示してみたところで、外界世界の風は容赦なく吹き行ってきて、いくら【わが世界】の存在をひたすら誇示してみたところで、内面セカイというようなものまで風は届き、ソレを揺り動かした。
 その外界世界の風は、例えば、飯が食えない、職がないというような端的な経済の風であり、その経済の風にどのように対するかという政治の風であったに違いないが、風は空間的に吹いただけでなく時間軸に沿っても吹いた。
 
>まずソレは過去から吹いてきたのではないかと思う。
過去は今更云うまでもなく、おびただしい死者の群れがあってそこから風は激しく吹き、風にはしたがって、死臭があった。
 
 そしてその根源のところにおびただしい数の死者を持っていたが故に、死者が怒りをこめて風を吹き送っていた故に、【わが世界】を通って未来へ吹き抜けていった。
 
 それほどの強さをおびただしい死者は作り出していて、どのように、<わが世界>に拘ろうとも、そこに三つの共通項を形作っていたのではないかと思う。
 
*共通項の第一は、自分が過去のおびただしい数の使者を背負っているという認識だった。
*第二は、今は生き延びている自分自身を含みこんで未来におびただしい数の死者を見るという想像力の働きだった
*第三は、再び、そういうおびただしい数の死者を出してはならないという決意であり、その決意は内面の倫理であったばかりでなく、論理だった。
彼等の文学は論理であったといっても良い。
 
過去におびたしい死者を背負ったことが、例えば野間博さんの文学をかつての左翼文学と分かつ要の事柄であったのではないかと思う。
>野間さんはそのことを自分の文学は戦争を経過した文学であり、そこで彼が入党した日本共産党の人々が称揚し世と下文学とは違っていたのだという意味のことを述べていたことがあるが、彼にとって戦争とは、まず何よりもおびただしい死者を作り出すものであった違いない。
 
戦争とは、かれにとっては、決して、自分の勇気とか克己とかを試し、人間を<ホンモノにする天与の機会であったのではない。
>また同様に、帝国主義の概念規定で片付け去ることができる社会現象でもなかった。
>或いは<歴史的必然>の名の元に左翼の人々が往々にして先験的に決まっていたことのように論じる歴史の運命であったわけでもない。
 
>おびただしい数の死者の存在は野間さんにそうした態度で戦争を片付けることを禁じていて、それゆえにこそ、彼の眼は、未来におびただしい数の死者が見えたのだろう。
 
W、この辺の小田の野間宏をかりた告発は真に迫っている。
がしかし、強い概念規定は絶対に必要。論理的思考方法と言い換えても良い。
小田はそこがわかっていて、敢えてこのように書いているのかどうか?がとわれる。文面からは理会しがたい。
生身の人間のありようの普遍性を対置するのだろうが、そこを超えた世界も事実としてあって、世界を構成する要素でもある。
弱者が強者には向かう根源に何があるのだろうか。武士道には外に開かれているか否かが問われるのであって、同次元として人間を対置できるものでない。
死は絶対者である、コレを意識的に貫徹する思想は、小田のような論理、倫理では根源的に批判できないと考える。彼には批判はあったが、絶対者に対抗するもう一つ倫理、論理は永遠に提起できないままだった。
説明、認識の深化のなかに実行の契機が埋め込まれていない。
日本に国家意識、国民意識、はあっても、はたして国家及び国民と自己を「分離」した市民としての独立性を持った意識はあったのだろうか?存在し得るのだろうかという疑問がある。そんななものが、この日本歴史の中で、必要であるのか、という疑問がある。高度成長経済と、その時代のアジアと東アジアの外的環境が生み出した、日本的市民幻想だったのではという感もある。東アジアの彼らは時代を身をもって引く受けた。しかし日本人民はどうだっただろうか?寸鉄身に帯びていないものの思想は信用できない。
小田の倫理、論理はそうした、日本に成立し得ない市民意識の形成論だった、と看過する。だったら階層形成意識の方が、日本の現実に即している。いや市民形成意識は階層意識に敵対するもであるのかもしれない。衛生無害、そして時代のある一面の上澄みをすくって、結果的に日本支配層に従属し、人民支配のレパートリーの一翼を担う。