反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第一回。中国史理解のキーポイント。:松本 徹さん作成の「世界史研究」に対する<前振り>。次回から順を追って、取り上げる。

 世の中は広いと、つくづく思う。
つい先日まで、松本徹さん、というヒトをマッタク知らなかった。
 
 松も徹さんはグーグルによると、次のような経歴の方らしい。
 
 「1933年8月19日 - )は、日本の文芸評論家。近畿大学武蔵野大学の教授を経て、山梨県山中湖畔にある「三島由紀夫文学館」館長。
北海道札幌市生まれ。大阪市立大学文学部国語国文学科卒業は、サンケイ新聞に入り、記者時代の1973年に「三島由紀夫論」を発表。文芸評論、小説を書き、徳田秋声論を書いている。1980年に近畿大教授。1982年から『文學界』で同人雑誌評を担当、1995年から2004年まで武蔵野女子大学(現:武蔵野大学)教授。その時期は作家・漫画家の白倉由美の指導教官だった。
2006年『徳田秋声全集』(八木書店)の編纂で菊池寛賞受賞。『季刊文科』(鳥影社)、『三島由紀夫研究』編集委員。」
 
 17点の著書のうち、5点は三島由紀夫関連である。
 
 その他の著書のタイトルから察するに、この方は現在の日本で希少になっている、日本浪漫派の流れを汲むヒトのようである。あるいはそれを高く評価するヒトである。
 
 今では大衆の決して目にすることのない純文学誌「文学界」において、同人雑誌というこれまたマニアックな世界を対象にした鑑定作業に従事している、ということは、小説として上手い下手を超えた一定の文学観がなければ、続けられない。文学評論という領域の専門家として、独自の世界を持っているヒトとみる。
 
 この系統のヒトは所謂、右や左という表面的な分類で絶対に一くくりできない人たちで、日本の土着的高貴性品格せいある世界を日本人が日本人たる所以の核心に据えようと、文学的営為あるいは学術的営為で創造しようと、志すヒトたちである。あくまでの自分流の解釈だが。
 
 そのような次元の志を持てば、日本古典文学文化の源流をなす、中国の歴史に正面から向き合い理解しようとするのは、自分たちの志ある世界を構築する上で、至極当然の営為といえよう。
 
 戦後日本において、特殊日本状況を徹底的に核心的に抽象化する姿勢は偏狭、矮小世界の日本にとどまることなく、世界に広がるものなのである。
 
 世界を理解する前提においての日本の核心への接近である。
ということは生半可な世界理解は日本理解を阻むものである。貶めることである。
 
 今はやり、というか、現支配層の基本動向に従属した手先の如き風潮である東アジアに対するお手ごろ皮相な民族排外主義は自分のこころざし、創造しようとする世界の価値を自ら貶めることになる。
 
>>松本徹さんの「世界史研究」中国編は中国史理解において、絶対に押さえるべき、歴史的事件、政治経済社会構造を<究極の手短な言葉>(メモ風。突き詰めた概念、用語が実に適切に使用されているのでわかりやすい)で歴史経過の順に沿って、まとめている。
 
 この歴史の整理を基礎に、歴史のキーポイントに独自視点で切り込んでいるが、
その論点が適切で視野が広く、歴史(学)の初心者にとって目から鱗が落ちる説得力がある。
 
 松本徹さんの経歴で、もう一点、気になるところがある。
 
>>司馬 太郎(しば りょうたろう、1923年大正12年)大阪府大阪市生まれ。
 
 筆名の由来は「司馬遷(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
確かに「史記」で有名な古代中国の宮廷歴史家司馬遷(BC145年~BC86年)にまつわるエピソードは現代人の我々にも、グッと来るものがある。
2000年前の中国に皇帝権力に抗して、敢然として命をかけて、歴史家としての職の中立性、公平性、現場性を全うしたヒトが存在していた。
その成果が歴史物語のロマンと史実を併記した独創的歴史記述形式の「史記」である。
2000年前の古代中国に現代人の胸を打つ、知性、勇気、知識人としての職業意識のヒトがいた。
 
 アテネ、ローマの哲学者、歴史家となんら変わらない心境、精神のヒトが東アジアにいた歴史的事実に西欧中心史観を再構成する一つのヒントがある。後は発展コースの問題であり、そのうち修正されるのが世界史の世界である。歴史は立ち止まらない。
 
 司馬遼太郎の戦後アメリカ流民主主義に漂流することがなかった思想的根拠のひとつには、明らかに心に根付いた中国史と文化の理解がある。
 
 日本限定ワンパターン思考であれば、東アジア排外に通じ、どうしても日本支配層御用達の偏狭矮小な歴史観に陥り、戦後においては、日本支配層の米国従属性を通じて、アメリカ政治軍事迎合に必然する。
 
 >それは所詮、<<日本の支配層の支配形態の変化に応じて御用聞きのように身を処している>>に過ぎぬ。
従って、経済支配層の利害と齟齬をきたすものでなく政治的軍事的尖兵であり、出世主義者、現世後利益追求主義者である。岸信介の60年安保改訂の思惑などへの過大評価などは間違いである。
岸信介やその3代目安部普三など日本「右翼」主流がこのパターンである。
 
 日本独自の社会科学的中国研究は戦前の日本にも潮流として存在していたのである。以前の記事で取り上げた内藤湖南もその一人であり、このヒトは京都大学のヒトである。
 
1956年 産経新聞大阪本社転勤。
1960年 直木賞受賞
1961年 産経新聞退社、執筆活動に専念。
 
 1933年生まれの松本徹さんは司馬遼太郎のちょうど10歳年下で、同時期に産経新聞大阪本社に勤務していた、可能性は高く、お互い知り合いで交流があったことも想定される。
 
 以下、司馬遼太郎論のようなもになって本論からそれることになるが、松本徹さんが日本浪漫派ないしはその高評価者と断定した以上、思想政治領域に踏み込んいくことは必要である。
また、現在は三島由紀夫文学館の館長、
1973年、三島由紀夫論ー失墜を拒んだイカロスの著書がある。
回り道をして突っ込んで書かなければブログの意味が自分にはない。
まず何より、自分の必要性最優先の日記である。
 
 >>司馬遼太郎歴史小説執筆の際、徹底した資料収集をする。
 
 その上で独自解釈による物語の全体像を構築である。東大阪の記念館は膨大な資料が展示されている、らしい。
どんな資料を収集していたのか知りたいものだ。一度は訪れたいものだ。
 
 なお、村上春樹について書いている途中で、今までの自分の司馬遼太郎観は修正した。
 
 彼の歴史観は戦後日本庶民の奥底に流れるイデオロギーである。それ村上春樹の表皮的世界は対を成す。
否定しようが、しまいが、コレが事実である。村上春樹戦後民主主義世界の表皮が大きく剥がれると、司馬遼太郎的戦前戦後の継続底流は増長して、日本を閉塞させる。春樹の日本脱出は象徴的である。
 
司馬遼太郎は物語の発信者創造主なので、大量の読者層よりよっぽど、冷静で理論的論理的である。
当たり前である。売れっ子の職業作家が自分の世界に耽溺しているようでは、読者に納得するロマンを提供し続けられるはずがない。
 
 一度は膨大に収集した歴史資料に基づく、客観の網をくぐらせている。
最初から予断と偏見で歴史物語の舞台が設定されたわけではない。
 
 晩年、ノモンハン事態を小説にしようとソ連関東軍ノモンハンの攻防の膨大な資料集めしても遂に物語として、書き上げることがなかった。
 
 現代兵器の粋を結集して戦われたソ連軍VS関東軍ノモンハン攻防の中に日本陸軍最強集団、関東軍、延いては日本軍の脆弱さが先行的に露呈していた歴史的事実の前に彼は立ちすくむしかなかった。
 
 それは確かに彼の歴史観のいう、明治維新の偉大な功績を引き継ぐ日本歴史の肯定的側面を軍部の独断専行によって、ぶち壊してしまった歴史的事実の証明にはなるが、
それを描ききることは、彼の歴史小説の独自性である豊富な資料収集に裏打ちされた読者に夢をかき立てるロマンとしての歴史の世界をぶち壊す。
 
 太平洋戦争に日本敗北に直結するあまりにもあからさまな先行的歴史的事実に基づくリアリズムの小説世界を構築せざる得ないことへの日和見主義が彼にあった、と理解する。
名を遂げた作家の今まで作り上げてきた世界の脱皮には大きなエネルギーと創作意欲が要る。
 
 司馬遼太郎の小説世界にはノモンハン事態のような否定形の世界のリアリズムはなかった。
全部、成功、と勝利の予め約束された歴史ロマンを読者は彼の小説において、確認していた。
それは極端に言えば、勧善懲悪の世界に読者が安心を見出すのと変わらない。
 
 云うまでもなく、それは文学の世界としては片肺である。
文学の定義はグーグルの云うような「今日のような言葉による審美的な創作を意味するようになった」としても、
「審美的な創作」されたロマンの世界の底と幅は司馬遼太郎の描き上げる予め主人公たちの成功と勝利の予定調和の世界だけであり得るはずがない。
 
 彼がココまで至る過程の日本歴史を題材に構築してきた歴史ロマンの世界対するあまりにも無残な否定形の世界を、描かざる得ない事態に立ちすくんだまま、ジッとしてた。
 
 が、書けないところに、歴史的事実、資料を前にした彼の厳正な姿勢と、作家としての自負心を見る。
 
 ところが、日本の伝統的作法に則った政治家や軍人は、こういう境地に陥ると先の見通しのない賭けに転じて事態の脱出を試みる。採りあえず動かなくちゃ。先のことは吹く風任せ。自分勝手に信じられる共同政治幻想をでっち上げ行動を即することもお得意パターンである。対外接触の本格化し内政と外向が強固に結びついた明治維新以来から歴史の節目節目で日本政治家はそうしてきた。基本動態なのである。
 
 
 中国史をイロイロな角度から、深めたいと思って、書籍、ネットで情報収集してきた。
情報を重複させることによって、中国史の理解を自分の中で深め、確定していく。最初から、こうだとは決め付けない。又決め付けるほどの情報を持っていない。
 
 一国の民と支配層の営々たる日常の積み重ねであるその国の歴史の前に、謙虚、予断と偏見をなるべき排除したい。
 
 綺麗ごとではなく、そうしないと、歴史のダイナミズムを堪能できないとも思っている。
 
 ネットで調べていくうちに松本徹さんの「世界史研究」に行き当たった。
結論的に云えば、松本徹さんの「世界史研究」によって、古代から近世までの中国史の大きな流れが理解できた。
 
 彼が挙げる中国史の論点は歴史的事実を丹念に押さえた上での、ココが当該歴史のキーポイントとして、自分の歴史観の披露している。
論点としているように多くの歴史家が当該歴史理解のキーポイントとして問題にするところでもある。
国史理解のための唐末期から宋にかけてそれまでの中国史が大きく変わったという理解は中国史理解のキーポイントである。
その論点の切込みには初心者の自分は目から鱗が落ちた。
「中国史概論」のセンセイがたよりも鋭く幅広い見解がある。
どうしてそれが可能になったのか、回りくどく横道にそれて、自分を納得させているだけである。
他者への説明としては体をなさなくても、自分には確認と僅かな前進である。
 なお、知っている限り現状日本では日本浪漫派は苦しい立場ある。
日本主義を突き詰める上での、その筋のかたがたが面倒な創造作業を回避し、お手軽に徹しているからであるる。司馬遼太郎的世界に満足しているのである。