松本徹さんは戦前、敗戦直後の中国史の先達、内藤湖南の中国史理解の踏み込んだ視点を踏まえたヒトと理解する。用語で言えば内在的<批判>(当該国の歴史に一端踏み込んで客観的事実を押さえて、歴史評価の基準を提供する)という立場である。
>歴史に立ち向かう際の、方法は実に大切である。
特に現在の日本で言えば、、歴史のない国アメリカ合州(衆)国のような基本的に石器時代の原住民世界の豊穣な処女地に、過去と断絶したヨーロッパ諸民族の個々人、小集団の一気の加勢の襲来の悪行三昧をキリスト教的独善で、本質的な善悪を転倒させて、言いくるめることを基点に置く歴史観に過剰な影響を受け、<想い入れの歴史の創作作業>が日本のような古代中世封建の歴史的推移を経てきた国に悪影響を与えている、と認定する。
これは巧妙な現代日本風歴史偽造行為であり、これら安上がりの愛国の奉仕する先は日本本体ではなく米国支配層である。
が、底が浅い。それによってヒトの単独の生き死に迫り、左右できるものでない。
従って、その急進部分は相も変わらない集団示威行為に走り、単独の政実存を賭けた攻撃性に乏しい。
本質政治形態としては街宣右翼の今風の政治形態であり、マスコミ支配層の様々な手法で煽る現代流世界市場の争奪戦の都合によって、垂れ流される時代風潮にピッタリと相応したものである。
新風情のこやつ等には、かつてのモノ共の体を張っての決起はあり得ない。
議会圏の政治勢力の後し押し部隊?世論化するであろう。
尤もそうであるが故に沈黙の大衆化する。
同質性強固な日本国民は歴史の作為、創作を経ないでも、その時代に相応しい自分たちの歴史観を獲得する。
ココが一解ってないというか、信頼できないのが駄目なところである。従って、その情緒行為は、日本国民多数の傷口を広げる処方箋である。そして彼らは一握りの金融寡頭制に属するのでなく、多数の日本国民側に属するものたちである。
実に嗤える所作であり、大いにやってもらいたいものだ。
それがまた、近代日本の自然主義のなす特殊な技である。
日本人に付きまとうDNAの如き政治的同質性を信頼できないで過剰な作為、創作行為に現を抜かす。
その挙句のあてのミスリード。
そういう視点は本質的売族分子の歴史観、政治観、偽愛国である。
グローバル資本に日本国民多数を隷属させる歴史観である。
従って、要はそういう普遍的に存在する偏った輩に多数が巻き込まれ己の存在を結果的に毀損してしまうかどうかの問題に過ぎない。
ナチスドイツの戦前と戦後ドイツを実体験した作家がそのように回顧している。
>重度の病人を最終的に相手にするのは身内と医療関係者である。
それでも重度慢性病の患者は治癒しがたい。現状維持がやっとである。
>過去の歴史の大きな瑕疵があるからといって、近隣諸国、民族への敵対心を煽るような人たちが支配層中枢から末端まで大量集住している先進国は日本だけである。
ヨーロッパでいう極右と日本の売族右翼では政治的位相が異なっている。
先進国を一々数え上げれば政治地図の違いがはっきりする。
>この様な状態の空気が蔓延し、日本の非創造的閉塞空間を形成している。
従って、創造的人材は日本を超えて外に脱出していかざる得ない。
各分野において一流の研ぎ澄まされた精神が日本では煮詰まって、耐え切れないのだと思う。
この精神の極限を理解できず、矮小日本に翻訳曲解する。ナント自分知らずであろうか。
近隣国殻の大気汚染を云う際に、世界史に記されるであろう4期の福島原発事故を頭脳から消去できるという簡単便利な自己中性格である。イロイロな原発事故被害情報の飛び交う錯綜が自分の中の判断基準を狂わせているのである。過剰反応も間違いだが、これはという判断基準は自分たち独自で持つべきである。
今の日本は自主的な情報収集はできる状態にある。
それができない、やろうとしないのでは何のための高学歴社会か。
わかりやすい例が福島原発4号機は倒壊寸前で危ないなどという情報はいったい何を持って根拠にしたのか?
事故当初、無人飛行機による詳細な空撮写真がネットに出回っていたではないか。
4つの原発建屋でもっとも屹立して傷のないのは4号建屋であり、他とは損傷具合が大きく違っていた。
なた構造上、建屋の余震による倒壊はほぼあり得ないのである。尤も建ては吹き飛ばされ倒壊する余地がないほどである。
正面からまともに事態を独自に分析しないで不安感を醸成させるのは考え物である。
さらにそれ以上に情けないのは、忘れることである。中国の大気汚染の影響におびえるのならば、自分たちの足元に気を配るべしと。こんな当たり前にことができないのは精神年齢の低い童子だけである。
私にはサル並みに見えるが、云い過ぎか。
政府官庁発表のネット情報によれば、放射線人体被害はある、として点線でグラフに示している。
この点線部分は安全基準の改定内の部分である。彼らは正直にこそっと情報はながしているのである。
(ちなみに、TPPに関しても、菅首相の開国発言が飛び出す前に外務省、経産省情報で正直な報告をネットで流している。もちろんそっとであるが。)要は利用者が一次情報に近い情報を手間をかけておりにいかないで、自分たちの身近なオピニオンリーダーの言説に依存しているだけである。
100人ヒトがいれば100通りの意見はあってしかるべし。100%とか90%同意なんてのは信じるか信じないかの世界と自分は思っている、私は無神人間なので信じることはないし、同時に自分の決定的意見には自負心があるが最大限30%程度は他人の意見の入り込む余地を残しているつもりだ。
とすれば、究極は自分たちがその%の中にいるかどうかの問題である。
最善策は勿論、逃げる、回避する、遠ざかるであるが、諸事情を勘案して、できなければ、自分たちでやれる範囲の自己防衛をやった末に運を点に負かすしかない、実際上。
そこまで結論を持ってくる経過において、どこまで自主的な情報収集をして、それを基にした判断を下せるかどうかである。納得させるのは世間一般マスコミでなくて自分たち自身である。
>創造性に経済基盤を置かざる得ない趨勢にある、これからの日本資本制は人材の面でも下降線をたどっていくだろう。
確かに昔に比べて、理系進学教育に重点を置いているのは、自分の出身高校を見ても解る。
しかしどうかな。あの子等のうち医者など特殊職業は別にして、将来研究を仕事にできる人間がどれほど%いるのか。
ただの一般サラリーマンじゃないか。それだったらそれで相応しい人材資源の適正配分という意味での文系教育はある。
今風日本主義者は自分の感情情緒の発散の水路を見出し、身をゆだねているに過ぎない。
むかしもそうだったが、ムードとしての体制の後押しか、一応体制に反対するポーズをとrかどうかの差は日本社会の全体のバランスという意味から見て大きい。社会に均衡状態が一気に崩れ、同一方向に暴走する傾向が出てくる。自分たちで本当は意図しない方向に気がついたら流されてしまっている。後戻りは内外状況の締め付けがあってできない。
結果的にグローバル資本制における己の劣勢立場に相反して、自分で自分に唾を吐きかけているのである。
戦前もこういう輩が世界危機の時代に蔓延した、と想像する。
今は時代的条件が大きく異なっているが、民の中にある底流は日本のような対外弧絶社会では時代を超えて普遍性を持つ。
本当は国際ビジネス最前線で苦闘するの人たちの個々人の生の声が世間に風通しよく流通するようにしたいが、それも今の日本ではかなわぬことだろう。
>>が、それで良いんじゃないか。
どんどん日程をを早めてもらって。
生きている間に敗戦後の日本資本制の栄華と衰退とをこの眼で確かめる機会が与えられたことになる。
残念ながら、それ以前の体験はできなかったが、要はそれ以降の体験的事実をキチンとして事前に推認??できるかどうかだ。
そのためにブログで訓練しているようなものである。
敗戦によって、偏った行き過ぎた歴史観が蔓延したにしても、それを修正する歴史観の根底に真の意味での歴史なきアメリカの操作的無理やりの国民国家としての統合一体化の脅迫の如き国家理念の持込が今の日本で行われていると見る。
勿論戦前日本は一定の民主主義化の階層分裂に基盤を置く激烈な政治対立に対する金融寡頭制の政治選択によるファシズム支配国家でなく、外的危機への対応における、既存の国家機構のなし崩しの軍事化強権化である。
この歴史的な政治陣形は繰り返されると仮定している。