反俗日記

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【ロシア】ルーブル変動制に 基礎知識と現状・今後の予測。>原油価格下落は、サウジの賭け…イラン、ロシア締め付け目的で身を切る。第3回「収奪されたロシア経済」

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世界気候地図                                                   モスクワ内陸部で冬寒い、ペテルブルグ平均気温、降水量
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更新日: 2014年11月30日
(A)[モスクワ 10日 ロイター] - ロシア中央銀行は、通貨ルーブル許容変動幅を撤廃したと発表、変動制にするとした。
なぜ?
(B)ウクライナ情勢を巡る欧米による対ロ経済制裁に加え、主な輸出品である石油の価格が大幅に低下。ロシア経済の低迷が長期化するとの懸念から、ルーブル売りが加速していた。
原油価格下落は、サウジの賭け…イラン、ロシア締め付け目的で身を切る
「ここ数年、1バレル=100ドル前後で推移していたが、秋以降に下落が続き、今では1バレル=70ドルを下回る水準だ。6月下旬から12月初めにかけて、38%下落したことになる。
 主な要因は、米シェールオイルの増産なども影響した供給過剰・需要低迷だ(W。シェールは割高)。OPECが、原油価格維持のための減産を拒んだことが引き金となった。これは、イランとロシアの経済を窮状に導く、サウジアラビアの戦略だと報じられている。
 
 
    原油安の要因とロシア、イランの苦悩
サウジやカタールなどは、原油価格が1バレル=70ドルでも採算は取れると言われている
一方、他国の採算ベースは、ロシアが101ドル、イランは136ドルだと推定されている。
W。掘削輸送のコスト違い。シベリアの呪い。敢えて冒頭に気候地図などを載せた意図は、寒冷地帯にはそれなりの大きな制約要因がある、と言いたかったためだ。高コスト体質、輸送問題、克服は困難。
イラン国家収入の60%は石油の輸出に依存し、GDPの25%に貢献している。またシリアとイラクへの多額の出費も余儀なくさせられている( BBC ムンド)。
 ロシアは、石油と天然ガスの輸出が全輸出額の68%を占め、国家予算の50%がその輸出による収入である(W。崩壊以降、徴税能力の低さは構造的に改善できない)。原油価格の下落、石油と天然ガスの輸出減少の影響で、今年は既に900億ドルの減収につながっている。その影響もあって、通貨ルーブルは6月から35%安となっている。金融専門家の間では、現在のロシアは、1998年8月に破綻した時と同じ様相を呈しつつある、と懸念されている( BBC ムンド紙)。
>W。経済構造に問題があるので危ない。しかし、政治的動揺にまで至らず、今の政治構造からして、むしろ国民的結束が強まる。←前回の全国民の所得GDP分布数値から、プーチンの支持基盤を90%の貧困層と想定している。経済危機慣れもある。
   
 
     ◆サウジの戦略
OPEC原油価格維持のための減産をなぜ見送ったのか。W。OPECにサウジ=米国の意思が直接反映するようになっている。
サウジは、中東のライバルであるイランの勢力拡大を抑え、またイランが支援するシリアのアサド政権を背後から支援しているロシアをも同時に叩くという戦略を取っている。
W。?米EU金融帝国主義どもの両面戦略だな。米軍基地を支えとするサウジは単なる手先。
「イランとの核和平協議開始以降、欧米は強硬派を宥めるかのように、穏健派のロウハニ大統領を利用し、経済面での売り込みを展開してきた。しかしサウジから見れば、イランはロウハニ大統領の友好ぶりを前面に出してはいるが、中東を支配したい姿勢がうかがえる、というのだ。例えば、イランの革命防衛隊のイラクへの介入が無ければ、イスラム国の支配下になっていた。W。ナルホド、そんな阿呆なことに手を出していたのか

(C)ルーブルの下落に対し、為替市場の柔軟性を高めて投機的な動きを防ぐ狙い(W?どうして変動為替に移行したら投機的な動きを阻止できるのか?ロシアマネー投機市場の幅を広げて、投機筋の思惑を薄めようというのか。今目の前にあるのは一種の通貨戦争だな。)2015年1月に予定していた為替レートの自由化を前倒しし、変動相場制に移行した。
(D)ルーブル通貨安の主因は、ウクライナ危機をめぐる米欧の度重なる経済制裁と、主な外貨収入源で主力輸出商品である原油の値下がりであった。経済制裁がロシアの銀行や企業の国際市場での資金調達や借り換えを困難にし、原油安は政府歳入に打撃を与えたのである。
 
<これまでのロシア>
これまで、ロシアの中央銀行は、ドルとユーロを組み合わせてルーブル相場の変動幅を設定し、これに基づいて市場介入を行い、相場の急激な乱高下を抑えようとしてきました
W。確かに組み合わせでは市場介入はやりづらい

ソ連邦崩壊後の急激な私有化によって形成された内外にわたる歪な経済構造は、いうところの「国家資本主義」では、是正されず(前回の記事の確認点。国家の力によって歪みを是正できるのが国家資本主義。それができないのは国家資本主義ではない!唯の国家主義!)エネルギー資源の輸出好調を迎えたが、今日に至って、歪な経済構造のぜい弱性を、米国UEの金融帝国主義に突かれている。コレが大まかな現状だろう。
>EU、米国はバブル崩壊通貨危機以降、国内の高失業インフレ低成長を解決できず、その脱出口を、金融帝国主義の世界覇権に求めざる得なくなっている。
ソ連東欧、崩壊によるボーナスをもう一度、ということか。凶暴化して攻めにかかっている
アベ路線も、米国EU金融世界覇権のまっただ中で、従属覇権を狙っている。

 今更、過去を振り返って、死んだ子の年を数えるつもりはない。
ロシアの現状はソ連邦崩壊後の大失政が、今日に至ってもなお、経済構造として、ビルトインされているから問題にしている。国家資本主義とかの訳のわからないレッテルをはって、米国EU金融帝国主義と、何か大きく違ったもう一つの資本主義のタイプがあるように考えるのは妄想でしかない。
今眼前で発生している、世界金融帝国主義の相克は、欲の皮の突っ張った狼どもの、共食いである。そういった争いをどんどんやってもらおうではないか。

 過去をきちんと押さえることは現状を知る大きな手がかりである。
            
 
          「強奪されたロシア経済」 マーシャルゴールドマン著
 第5章 私有化
ロシア国民はインフレにも、うろたえたが、ガイダールが時を移さず国有企業の私有化に取りかかった点に怒りを募らせた。
これに対してガイダールと私有化計画の作成兼実行担当者、アナトリーチュバは、当時としては非常手段が必要だったのだ、と今も主張している。
~進行する経済の解体、ゴルバチョフ政権の後半広がり始めた自然発生的私有化を食い止めるとともに、依然として力を持っていた共産主義の信奉者たちが、国家管理、共産主義、計画経済、国家所有の復活を測るのを阻止する必要が当時あった。
W。私有化の過程に行きつ戻りつを想定しないのは政治的大バカ。そもそも、国民に対する説得、コンセンサスの形成過程がない。もちろん手順の大間違いが最悪の事態を招いた。米国流経済学に洗脳されている。自然発生的私有化が発生しているような状態で、国家管理、共産主義、計画経済、国家所有の復活はありえない。党と行政機構をカオス状態に陥れたことが一番の問題点。
~後に続く文章は意味不明。
>以下は政治バカの真誇張!
共産主義の復活なるものを食い止めるためには、自分らの進める改革に広く国民一般の指示をとりつけることだ。
そう考えた彼らは、ロシアの全国民に一人当たり一枚の(株券を買うことのできる)小切手<ヴァウチャー>(W。どこかで聞いたことがあると思ったら橋下徹が教育ヴァウチャー券を発行すると主張していた。フリードマンの得意手である)を配り、コレによって労働者と企業幹部だけでなく国民全体をロシア産業の株主かつ利害関係者に仕立て上げることにした。(W。無知にもほどがある!頭が沸いている。買い占める人間の出現は、普通にわかるはずなんだが。そもそも、資本主義のなんたるかも日常的に訓練されていない人間にバウチャー券を渡してどうする)
私有企業に転換した会社の極ささやかながら直接の所有者となり利益にあずかれる。
>そうなれば国民大衆は「彼らの所有物」の再国有化には抵抗するに違いない。~
W。能天気にもほどがある。
 
<私有化計画の作成兼実行担当者はシカゴ学派の未熟な信奉者>市場原理主義者と呼ぶにふさわしい
W。そこに政治的経験不足、無知が加わっているのだから、怖いもの知らず。ロシア国家とロシア大衆にとって最悪の展開だった。完全な巨大人災だ!
共産党や行政のトップ専門家が計画設計、実行役を果たした方がまだましだった。ガイダールとチュバスは基本的に素人であり、ヒエラルキーの中での経済学者でもなかった。在野の西側に単純にあこがれる「学者」。
*こういう時期に一番肝心なのは、政治の大局的判断!ゴルバチョフエリツィンは完全失格者!
スターリン主義のなれの果ては、こういうところに帰結する宿命にある。
  引用。
>ガイダールとチュバスはシカゴ大学を源流とするいわゆるシカゴ学派の、企業の所有権を公的管理から解放して私有化すれば、生産効率が上がる、私有は国有に勝る、という理論の影響を受けていた。
>国有制度に由来する身内と政治上の親分子分関係による支配の60年がもたらしたものを内側で直接見てきた彼らは、他に実行力のある方法はない、と信じた。W。彼らは、見てきた者、評論してきた者であって実務者ではなかった。
1990年代初めの東ヨーロッパの改革派エコノミストたちは概して西側のエコノミストよりもはるかに熱烈な指摘市場経済の信奉者であった。
>改革にあたって彼らは市場の信奉者ではあったが、現実の市場や私的所有については、限られた見聞しかもっていなかった
>彼らがおびただしい文献をよみ、とくに東ヨーロッパのエコノミスト相手に議論を重ねてきたものの、その市場理解は頭の中のものだった。
>そこで彼らは外国から経済顧問を招き入れた。W。以下最悪の展開。
こして様々な経済学派や似非エコノミストが雪崩を打ってロシアにやってきたのはよいが、ロシアの指導部は相反する助言の山に圧倒されることになった。
金本位制を採用せよ。いや社会主義市場経済だ。投入産出分析を土台にせよ(W。コレを元に一冊の本でロシア論を語っている日本人学者がいる「ロシア経済の成長と構造」久保庭真影、岩波書店~数値、グラフ、数式のオンパレード。資源依存のロシア病の診断。論証過程は難しいが結論は至って平凡。こけおどし!)
徹底した自由放任資本主義を打つ立てるべし。
>1991年末、ガイダールはショック療法の採用に踏み切り(W。ということは先に得げた分類の一番最後のもの近い。最悪の選択であった)
チュバスは、ハーバード大学の章総教授で企業財務と企業統治を専門にしていたエコノミスト、シュライファーを補佐役に選んだ。
シュライファーは、若いロシア人エコノミストのマクシムボイコとハーバード大学ロースクールを出たばかりのジョナサンレイを引き連れてやってきた。
W。なお、これら経済顧問には、後に米国によって経済顧問時代に収賄の容疑がかけらてている。大学は首になったはずだ。とんでもないオチである。