反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

戦争と平和。

 
 
 早朝、窓を大きく開けて外を見やりながらストレッチを始める。いつも見慣れた数十メートル先の街路樹トウカエデの大きな緑の茂みに2~3枚の赤く染まった紅葉を見つけた。早朝の緑鮮やかな茂みの中に赤く色づいた紅葉のコントラスはたった2~3枚でも映える。
そういえば、去年も同じ紅葉の始まる場所も枚数も光景みた。
それから毎朝、緑の茂みが色づいていくのを見守るように眺めていた
やがて、緑の茂み全体が色づくころ、街路樹トウカエデから関心は去った。
最初に、紅葉を見つけた当日か翌日、「8月8日は立秋の日です」と聴いた。ナルホド。
 
今朝、大きな橋の階段を上っているとここ数日と違って、焼けるような日差しが差し込んでこない。見渡す光景は薄いグレーの湿った大気に覆われている。いつも見慣れた遠くの山系は、目を凝らして薄いグレーの大気中の色違いで識別する状態だった。もう一つの都会の高層ビル群のかなたの山系を探し求めると、都会の吐きだす大気にNothing at all。スモッグ様な空を見上げると、いつもとは違う雲が広い範囲に広がっていた。
 
  引用(得意のコピペ)  豆知識PRESS 鰯(イワシ)雲 うろこ雲
立秋とは、二十四節気の一つで、太陽黄径が135度の時を言います。
太陽黄径とは、地球を中心として空を見た時、太陽の見掛け上の通り道である黄道と、地球の赤道をそのまま空まで伸ばした天の赤道の交点を基準点として、そこから15度ずつ24分割に分けた特定の度のことを指します。
立秋は、この太陽黄径が135度であるという意味です。ちなみに黄道天の赤道が交る基準点は春分点で、春分の太陽黄径は0度となっています。「閏年とその翌年が3月20日になり、その他の年は3月21日となる。」)。
立秋は秋が立つと書く通り、初めて秋の気配が感じられる時期と言われていますが、8月8日頃と言えばまだまだ夏本場、暑い盛りといった印象ですよね。
テレビのニュースでも「本日は立秋。暦の上では秋が始まるとされる時期ですが、暑さはますます厳しくなって・・」というフレーズをよく耳にします。
とは言え、空を見上げると夏の代名詞である入道雲ではなく、秋の空に多く見掛けるいわし雲やうろこ雲が多く見られるようになります。
空から少しずつ、秋は近付いているのですね。」
 
都会のヒートアイランド現象。冷房で冷やされた熱量と動力の発する熱量は大気中に拡散される。コンクリートアスファルトジャングルが生み出した熱気は上昇し冷やされて、都会の夜空を水蒸気が覆い、動かない。そして湿気を含んだ汚れた熱い朝がやってくる。

ま、あの高層ビル群をつくづく眺める機会がある度に、感慨に捕らわれる。
文明の進歩なのか、どうか?古代の巨大建造物が盛んに作られたときは、その文化の興隆期ではなかった。日本の仁徳天皇稜と称される巨大古墳。古代ギリシアアテネのパルティノン神殿。古代ローマのサーカスとパンの時代の競技場。
以上のような高尚な感慨にふけっているわけではないが、
 Barry McGuire - Eve of Destruction  W、クリスマス<イブ>のEveと同じ意味かな。
参考資料
(A)Eve of Destruction/明日なき世界
Barry McGuire/バリー・マクガイア/RCサクセション
 
(B) Masters Of War 戦争の親玉
(作詞・作曲:ボブ・ディラン│訳詞:片桐ユズル
Bob Dylan - Grammy Lifetime Achievement Award - 1991 Grammy Awards
 
(A)Eve of Destruction/明日なき世界
→The eastern world it is explodin',
 
Think of all the hate there is in Red China!  ベトナム戦争文革時代の中国
Tehn take a look around to Selma, Alabama! 血の日曜日事件 (1965年) - Wikipedia
     ↓
The eastern world it is explodin',
violence flarin', bullets loadin',
you're old enough to kill but not for votin',
you don't believe in war, what's that gun you're totin',
and even the Jordan river has bodies floatin',
but you tell me over and over and over again my friend,
ah, you don't believe we're on the eve of destruction.

Don't you understand, what I'm trying to say?
Can't you see the fear that I'm feeling today?
If the button is pushed, there's no running away,
There'll be noone to save with the world in a grave,
take a look around you, boy, it's bound to scare you, boy,
but you tell me over and over and over again my friend,
ah, you don't believe we're on the eve of destruction.

Yeah, my blood's so mad, feels like coagulatin',
I'm sittin' here, just contemplatin',
I can't twist the truth, it knows no regulation,
handful of Senators don't pass legislation,
and marches alone can't bring integration,
when human respect is disintegratin',
this whole crazy world is just too frustratin',
and you tell me over and over and over again my friend,
ah, you don't believe we're on the eve of destruction.

Think of all the hate there is in Red China!
Tehn take a look around to Selma, Alabama!
Ah, you may leave here, for four days in space,
but when your eturn, it's the same old place,
the poundin' of the drums, th pride and disgrace,
you can bury your dead, but don't leave a trace,
hate your next-door-neighbour, but don't forget to say grace,
and you tell me over and over and over and over again my friend,
ah, you don't believe we're on the eve of destruction.
1968年アメリカ合衆国の映画ピエール・ブールによるSF小説『猿の惑星』を原作とする『猿の惑星』シリーズ」 全5作の第1作。原作はフランス人作家とは知らなかった。
自由の女神像 - Wikipediaは「ニューヨークにある自由の女神像は、アメリカ合衆国の独立100周年を記念してフランスより贈呈され、1886年に完成した。」
贈呈したフランス。人類の核戦争の果てに、砂浜に没する自由の女神像をラストシーンにしたフランス人作家。映画にしたハリウッド。かつての米国には柔軟性があった
 
 そういえば、同じことが日本でも云える。
日本映画史に残る異色作長谷川和彦監督、沢田研二主演「太陽を盗んだ男」の脚本はアメリカ人。
~さえない高校教師が突然発心して、東海村から、高濃度のプルトニウムを盗み出しイエローケーキを精製し原爆製造を実行していく。犯人捜査の警察との攻防が始まる。~非日常のサスペンスが1970年代当時の白けた日常の風俗を背景に描き出されて、在りえない設定、画面がかみ合っていないところが、何かいわくありげな政治思想的発信しているように映る。緊張と緩和なのか。黒澤明の『天国と地獄』と比べると、ある意味で「太陽を盗んだ~」の方が面白い。
 
コレが猿の惑星の有名なラストシーン (動画)

不十分ではあったが、安保法制に対する意見は「日記」に記した。
   主張点は次の二つに要約される
(1)日本経済の歴史的趨勢を見通して、今の安保法制(東京五輪開催も結果的に相当な国民負担になる)は妥当なのか?
日本の戦前最下位~ソ連イタリアより下位から、現状世界第3位GDPが後退しないなんて例外は絶対にあり得ないTPPとの一挙的な推進は政経大改革同時推進は政治の邪道
『革命』~明治維新、戦後敗戦~」か『反革命』~戦前とは全く違ってi国家ーグローバル資本複合体は生き残る←国民の犠牲は似ている。国民経済衰退の趨勢を政治自らが推進!にしか落着しない日本⇔持たざる国(Have nots)
 
(2)EU圏。NATOのドイツ。(二度負けて 持てる国⇔持てる国(Haves)
他方、日本は結局は日米安保体制の世界化とTPP。(一度しか負けていない日本の負担は全部、国民に転嫁される。アベ等、国家ーグローバル資本複合体はちっとも困らない。

 参考資料 IWJ  W。全部確認できない
 
   <次のような話の持っていき方には拒絶感を感じる>
「米国陸軍の戦略研究所は、米国に戦争をしかけた日本について、次のように批判した。
 「日本が1941年に下した米国攻撃の決断はまったく合理性に欠け、ほとんど自殺行為であったと考えられる。米国は日本の10倍の工業生産力を持っていた。もちろん日本が米国本土を攻撃することができるものではない。そんな国と戦って日本は勝算があると考えたのだろうか。太平洋方面でわが国と戦えば、負けることはわかりきったことだ。日本がわが国と戦うと決めた歴史的事実を、いったいどう説明したらよいだろうか」
 「しかし考えてみてください」と孫崎氏はいう。
 「後世の人が私たちの世代を見て、何で原発再稼働をしたんだ、何で集団的自衛権をやったんだ、何でTPPに参加しようとしたのか、答えられないと思います。わかりきった、当然おかしいことを我々はしようとしている」
 では、なぜ今、集団的自衛権の行使なのか。なぜ今、原発を再稼働し、TPPを推進するのか。孫崎氏は「『法的安定性よりも安全保障の方が大事だ』みたいなことを言っていますけど、その安全保障を自分の頭で考えてない。日本の国益のために考えてない。米国に奉仕することだけ考えている」と分析。

W。
(1)第次世界大戦はソ連を巻き込んだ帝国主義戦争(基本的に第一次世界大戦の矛盾の継承爆発)であったと云う視点が欠けている
米国陸軍の戦略研究所の見解を自分の意見の代替えにするのは間違い
このような癖を払しょくしなければ。
 
孫崎にとって、米国は政策的に反対するしないにかかわらず、状況認識の基準的存在(「戦後日本史の正体」なお、岸信介評価は間違い)
歴史は長すぎるし世界は広すぎる。せめて、エマニュエルトッド的米国観を身につけよ。
A、米国側の戦前歴史観を容認している、と云われても仕方がない。日本国民がどうしてアメリカ的歴史観を根底に据える必要があるのか。
B、歴史に置いて、結果解釈は過ぎてはいけない。
 
(2)孫崎の解説だけでは多くの国民は「わかりきった、当然おかしいことを我々はしようとしている」と納得するだろうか?この辺のことも考えてみようともしないのじゃないか。必要がないから考えなくてすむ。
「で、この集団的自衛権の関連法案は、私はどうなるかはよくわかりません。~~。」
どうなるか分からなくてよく国会議員の前で講演できるなと感心する。
 
(3)「集団的自衛権は日本防衛とは関係がない。米国の戦略のために自衛隊を出す。これが集団的自衛権の根本だと思いますし~」
アベ国家ーグローバル資本複合体が「国体政治化」して行く必然性の中で、「米国の戦略のために自衛隊を出す。これが集団的自衛権の根本。」 果たしてそれだけか。
 
>この世界情勢、東アジア情勢の下で積極的に米国戦略に呼応することが、日本の国家ーグローバル資本複合体の政治目標となっている。
>そうような矮小な政治軍事経済路線を推し進めることは、多くの日本国民の利益と労働を日米支配層共同で収奪することによってしか成立しない
 
**従って「日本の国益」と云う用語は軽々に使うべきでない。
面倒、ありきたりになるが、「国民益」と云う用語がまだ妥当である。
 
「石油のルートに対して機雷が敷設」~「だけどそれは平時ではない。戦争のときに機雷があれ、なかれ、タンカーを出して石油を取りに行くということはあり得ない。」←この認識は「反俗日記」のアベ南シナ海機雷除去は集団自衛権で対応に対する批判で展開した。しかしその前の前振りの危機意識との関係がハッキリしていない。危機感を煽るアベ等の認識を否定できていない。
 
(4)
「戦争が始まったときに『私たちは平和な国である。だから石油は無事通過させてください』なんていうのは通らない。
 それよりも、より重要なことは、私は今、安倍政権が言ってきていることは、これからも言っていくのは中国の脅威、ここに集中してくると思います。
 多くの日本の人たちは、やはりなんとなく不安を持っている。確かに中国は力をつけてきた。そして、今やGDP購買力平価ベースでは、米国を抜いてしまっている。当然、軍事力は使う。軍事力をたくさんしてくる。だから不安だ、それはその通り。しかし、軍事力を強めるということと、日本を攻撃するということとは、必ずしも同じではない。」
 
>形を変えた対中脅威容認論である
マガジン9。第68回 何を守ろうとしているのか 森永卓郎戦争と平和講座
にも同じような意見が見受けれれる
経済学者の森永は専門家の孫崎ほど、政治過程と軍事過程の区別が発揮できないから、「南沙諸島を巡って米中衝突が起こった時に、日本は米軍と一緒になって中国と戦うというのを、明言はしていないものの、官邸が一つのイメージとして考えているということは、ほぼ確実だろう」などといい加減なこと云って、自分の専門分野のTPPの国民益蔑に主旨の方向転換を図っており、それは貴重な意見であるが、アベの本意がコレだとあまりにも姑息であり、国家戦略としても失格である。
 
「そもそも「我が国を守る」というのは、一体どのようなことなのだろうか。その意味も、安保関連法案の参議院での審議が進むなかで、おぼろげながら明らかになってきた。それは、安倍総理が、安保関連法案が適用されるケースについて、これまで慎重に避けてきた具体的な対象として、中国という国名や東シナ海南シナ海という地域名を口にしはじめたことだ。南沙諸島を巡って米中衝突が起こった時に、日本は米軍と一緒になって中国と戦うというのを、明言はしていないものの、官邸が一つのイメージとして考えているということは、ほぼ確実だろう。
 米軍と一緒になって、いつでも一戦交えるぞというポーズを取ることが、海洋権益を拡大しようとしている中国に対して、尖閣諸島への侵攻を許さないという強いメッセージになるというのが、「日本を守る」ということの意味なのだろう。
 もちろん領土を守ることは大切かもしれないが、私は官邸の「日本を守る」という考えから決定的に欠落していることがあると思う。それは、「国民を守る」という観点だ。」
 
W。コレは戦術的対応がいつの間にやらなし崩しで戦略的対応になってしまう典型例である
それが本当にアベ等の政治内容であるとしたら、ここに最大の問題点を発見する。
少なくとも、改定版「美しくに日本へ」アベ著の中国認識は保守派の中国認識のままであった。
急速に森永の云うような次元に立ち至っているのだろうか。
季刊「創作と批評」のアベの韓国対応も集団自衛権改憲のアイテムだと指摘されていた。
 
>いずれにしても、アベ談話である程度は明らかにされよう。アベブレーンの北岡などは誤って、新規に集団自衛権、安保体制の世界化で行くと割り切っている。

孫崎の云う「米国陸軍の戦略研究所は、米国に戦争をしかけた日本について、次のように批判した。
 日本が1941年に下した米国攻撃の決断はまったく合理性に欠け、ほとんど自殺行為であったと考えられる~云々の時代背景こそが<戦術的対応の連続の戦略への格上げ>である。
もっとも真意がどこにあっても政治用語と事あるごとに些細な構造を繰り返しているうちに、戦術レベルの繰り返しが戦略になる。丸山真男の戦前指導部批判流にいえば、政治の煉獄を潜り抜けていない甘さがあると云うことになるのか。ソレができる国(持てる国。典型的には米国)とできない国が(持たざる国日本)の歴然とした差異ある。アベは内向き従属覇権願望の一国主義にすぎない。国民を丸め込む最大のアイテムが中国脅威に昇格した。それと現実に大きな齟齬があれば、損をするのは日本国民である。
 
その先の孫崎の中国認識は視聴できないが、中国の政治軍事経済の力に大きな限界があり、支配的な人はそれを承知している。
 
中国通史は公共部門の拡大した専制国家の没落と場合によれば人民蜂起の繰り返しを示しており、現中国政権も例外ではなかった。
そのような多民族国家体制、国家主導性の強い経済体制のぜい弱性などの内在的な圧力と自ら呼び込んだ外資と外国市場への依存、残存スターリン主義体制故のぜい弱性の認識、周辺の軍事情勢などの要因は中国指導部を戦略的な防御路線を選択させ、戦略的な攻撃段階の選択はあり得ない。
でなければ、日本よりも膨大な米国債保有はありえない。EU諸国と比較すると日本も同じなのだが、中国の立ち位置が良くわかる
 
急速経済発展の中身(資本制度は欧米とは別種、国家資本主義に近く、引き続き対外市場との密着した関係と外資の貢献が必要。)に大きな疑問がある。
 
グローバリズム進行の渦中での外資導入を先行させた経済発展はあらゆる分野の格差拡大と伴って進行してきたので、経済成長が落ち着いた後にはますます政府は対処に追われていくだろう。この時排外主義が必然化する。
輸出の半分以上は外資が占めている。
軍事費の半分は国内治安対策費である。
 
少子高齢化はもうすぐ始まる。
>中国が語の真の意味で攻勢に転じるよりも、国民経済の停滞する米国や日本の方が攻撃を挑発する戦略を選択していくだろう
>そのような条件下で発生する衝突は日本国家ーグローバル資本複合体政府を日本国民の利益に沿って倒すチャンスである・
 
 
 
 
まだこの意見の方が分かり易いとする人も多いとみる。