反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

昭和文学大全集3 志賀直哉 「盲亀浮木」~クマ~(愛犬)短編を長文引用。志賀直哉のキャラ、小説技術が良く出ている。写真のクマは見栄えのする堂々たる犬。どう見てもセッターである。

  昭和文学大全集3 志賀直哉 「盲亀浮木」 
 
     クマ
「~帰ろうとすると下から二番目の娘が一匹の子犬の首に両手の間に挟んだまま、、しゃがんでなかなか立とうとしない。
『欲しいわ。この犬ほしいわ』と私の顔を見上げ、殊更、そういう表情をして承知させようとした。またその子犬もどういう気持か、尻尾を垂れ、い彩におとなしくしているのだが、そんなはずはないのだが、もらってもらえるか心配しているようにもみえるのだ。ムク犬で、如何にもゲテモノの犬だった。
~『東京まで連れて行く犬ではないから、引き揚げるとき誰かにもたってもらうんだ』 W、奈良在住13年。上京へ。
こんななことを何度も子供たちに確かめておいた。シェパード、エアデールあるいは日本犬など純粋な犬が良好している時、この雑種のだ権をいつまでも買っておく気はしなかった。それに、そういう犬の野良犬根性には梃子づッた事があり、~小品にも書いたが、駄犬には懲りていた。今はかわいいがいずれあんな犬になりそうと思われたので、予め子供たちにそういっておいた。
結局、熊の様だと云うのでクマとなずけた。
 ココで男の子が学校にだした「熊」という作文の冒頭を映してみる。
『~熊は犬の名前である。熊と名前をもらいだけあって、長い毛がもじゃもじゃしている。唐獅子にも似ているし、熊にも似ているが、やはり犬である以上は犬にも似ている。』
 確かに犬にも似ている犬である。
クマがまだ小さいころ奈良公園を連れて歩いていると、奈良に遊びに来た女が眼に角を立てて『けったいな犬やなあ』と見下ろして行ったことがある。長い、白と濃い茶の毛が分かれ分かれでなく、ごちゃごちゃに密生しているのが、如何にも汚れているようで汚く見えた。それゆえクマの容貌には極端に卑下していたが、買っているうちに性質の良いことがだんだんはっきりしてくると、自分でもいがない名ほどこの犬が可愛くなった。賢く下品なところがない犬だった。見かけによらぬとはこのことだと想った。
W、買ってきた~家鴨(アヒル)庭の方に下げてくると匂いで知れるのか、クマは異常な好奇心で耳を前向きに立て、尻尾を上げ、それを固くして振りかざしながらついてきた。
~笑死が起こればやめるに違いがないという自信から、クマのいるところで、かまわず、家鴨を袋から出しみた。同時にクマは偉い勢いで飛びかかっていった。庭じゅう大変な騒ぎだ。子供らの悲鳴、私のどなる声、家鴨の驚いた鳴き声、そしてクマだけが黙ってそれを追いかけた。クマが加えて抜けた羽がその辺に飛び散る。しかし愚鈍のようでも家鴨は案外上手に逃げまわり、遂に身体をかまれることはなかった。
~私は男の子に家鴨を捕まえさせて来させ、クマの花に刷りつけるようにして、さんざん尻をなぐってやった。クマは地面に腹をすりつけ、哀しげな目つきをしていたが、それでクマにはこの鳥を追いかけてはならぬことが良くわかった。
~家鴨は群居している習性から、一羽になると酷くさびしがり、庭の中をクマの後ばかりついて歩いき、クマが寝転ぶと、その鼻先に来て自分腹を地面につけ、羽根の間に頭を埋め、寝るというふうで、クマの方はそれに喜ぶ様子もなかったが、家鴨の方はすっかりクマになれ、終始一緒にいるようになった。
~~
そして昨年の春、私たちが出てくるとき、クマも一緒に出てきたが、賢いようでも田舎者のことで、迷子になっては困ると想い、クマは10日間鎖につないでおいた。
~運動に連れて歩き、もう大丈夫だろうと思ったので、、10日目に私はクマを鎖から放してやった。
ところがそれから2,3にちしてクマはやはり迷子になってしまったのだ。
~奈良とと違い東京では佐賀市に出てみたところが、探し当てる見込みはなかった。それでも子供たちを連れ~射的場の山の上から四方を向いて、子供と一緒に大声でクマを呼んでみたりした。ひどく寒い風の吹く夕方であった。
 近所の交番に私自身出かけて届けても、巡査はとても探すわけにはいかにと云い、2,3日して帰らなかったら、廃犬届けをする方がいい、その世話ならするという話だった。
 賢い犬にしては似合わしからぬ事に想われた。電車など一度も見たことのない犬で、電車にはね飛ばされたかもしれず、また、よく自動車を追いかけたりする開けないない犬のことで、ソレにひかれて死んだかもしれぬなどと私たちは話し合った。
 夜、犬の鳴き声がすると、クマの声に聞こえ、起きて、窓を開け、夜中、近所もはばからず大声で呼んでみたこともたびたびであった。
もしかすると、どうしても自家が分からず、奈良に変える気になったのではなかろうかという想像もした。
~『そんなこともあるまいが、とにかく、手紙を出しておく方がいいね』と私は家内に奈良へ手紙を出させた。
 このころ、東海道を西へ向かって、食うものも食わずに歩いているクマの姿を考えると、不快な気持になった。
『もう幾日になるだろう』
『4日の晩のご飯は食べているのですからーー』などと、日を数えたりした。
  
 
 ある日、私は男の子を連れ神田の本屋に子供の使う虎の巻を買に行くことにしていた。
結局出かけることにして、男の子とその下の女の子を連れて自家を出た。
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このバスが江戸川橋の十字路を通る時、私は何気なく外を見ていたが、護国寺の方へ江戸川橋を渡って小走りに駆けていく犬が、遠目にクマに似ているような気がした。
~迷いつつ子供に『あれクマじゃないか?』というと、内で一番動物好きの女の子がたちあがり、興奮して
『クマだクマだ』とおきな声を出した。
 バスはすでに十字路を超え、犬の姿は家に隠れて見えなかったが、私は子供に『次の停留所で待ってなさい』
といい、起っていくと、女車掌はとうせん坊をして
『どうぞ次の停留所でお降り願います』と云った。
『自家のはぐれ犬がいるんだ。一寸おろしてくれ』
『規則でございますから』
 私は女車掌を押しのけてバスから飛び降りたが、運転手は何も言わず、私にために、危険のないだけ速度を緩めてくれた。
~私は見境もなく
『クマーークマ』と大声で呼んだが、犬は振り向こうともしない。私は犬より速く走って間の距離を縮めるより方法はない訳だが、情けないかな、一生懸命走るつもりで、ソレがさっぱり速くないのだ。走ることは得意な方だと想っていたが、、ソレは過去の記憶であって、現在の自分は身体がまるで云うことをきかなかった。
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ここで見逃せば再びクマに出会うことはないと想うと、見境構わず『クマーー、クマーー』私はどなった。
~そして私が弱るに従ってクマとの距離はだんだん遠くなっていくのが気が気でなかった。
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『あの犬ですか』戦闘帽をかぶった職工風の若者が、すぐわきの自転車にまたがり、追いかけてくれた。~若者はその前から、犬を追いかけている私を見ていたに違いない。
~若者は間もなく追いついたが恐ろしいのかすぐ捕まえようとせず、自転車で唯、そのあとをついていくのは遠く見えた。
 空の円タクが来たので止めて乗った。
『茶色の大きな犬でしょう?』彼方からきた円タクでクマを見ていたのは好都合だった。
 護国寺の門の前でようやく捕まえることができた。自転車の若者に少しばかりの礼をしようとしたが、なk中受け取らないので無理に渡し、私はクマとともに自動車で~江戸川橋の上で待っていた子供をもせ、神田行きはやめにして~。
江戸川橋に来て、男の子と女の子がのってくると、クマは自分が救われたことを、ハッキリ意識したらしく、非常に喜んだ。そして腰かけている私の両肩に前足をかけ、いくらそれをはずし、座らそうとしても、またしても立って私の肩に両の前足をかけ、わたしの顔の前で長い舌を出し早い息使いをしていた。
 あきらめていたところだったから、自家の者の喜びは非常だった。
牛乳をやり、バターをつけたパンをやり、シュークリームまで与える子供もあった。しかしクマは始めはガツガツ食っていたが、それよりもしばらく眠らしてほしいと云う風に、前足の間に首を入れ、薄眼を開いたり閉じたりしていた。
『偶然かもしれないが、偶然ばかりじゃない気もするね』
『よっぽど縁が深いのね。可愛がってやっていいわ』
『田中に頼んでおいたエアデル、どうするかな、断ろうか』
『そうね、二匹となると、いくらか情愛が薄くなったりするとかわいそうだから、お断りになったら』
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それにしても偶然と云ってしまってもいいものかどうか、わからない気がした。
 私は2,3日、腿の肉が痛み、歩行に不自由した。クマの方もやはり2,3日はすっかり弱っていて寝てばかりいたが、ソレを過ぎるとまた元気なクマに帰った。
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 クマがいなくなって、1週間、私たちの心は何となく晴れなかったし、クマの方はおそらく必死になって私たちを探していただろう。そういう両者にとって十字路での3秒のチャンスは偶然すぎる。
 
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 松岡正剛 千夜千冊 1236夜 志賀直哉 http://1000ya.isis.ne.jp/1236.html 転載 
『邦子』発表の頃の直哉と飼い犬クマ  奈良上高畑にて (昭和2年
イメージ 1W。志賀直哉が描写している「クマ」の容貌とこの写真の「クマ」とはあまりにも違うので驚いた。イギリスのセッター種の血筋の濃い堂々たる見栄えの良い犬である。子犬のころとは云え、容貌において極端に卑下するような犬ではない。多分、物凄く特徴のある可愛い子犬だったと想う。志賀もそれを感じていたから、引き取ったが、その辺をストレートに出ず、話に広がりを持たせるのが、志賀直哉のテクニックである。
 
W。これまでのクマに纏わる想い、行動は志賀直哉らしいが、ココから先、いきなり数字の計算を持ち出して、妙な例かもしれないがと断りつつ、偶然の重なったとき、を1円玉の数に例え、中途半端な宗教的解釈に留めていくところに、志賀直哉的思考パターンの典型を見る。
私の頭の中では、その何かとは一体何だろうと想うだけで、、それ以上は考えられない。」のではなくて、その方面ついて考えることは「暗夜行路」の完結によって自己完了しているのである。
***
 
>わたしは次のように計算してみた。
一日が60万4800秒。
ソレを私たちがクマを発見に費やした3秒で割ってみると20万1600。
つまりそれは20万1600の1のチャンスだったわけである。
妙な例かもしれないが、
1円玉を20万1600個置いて、それから、その一つを選び出せ、と云われてもそれは全く不可能だろう。
ところがそういうことが実際に起こったのだ。
 私は昔禅をやっていた叔父から「盲亀浮木」という言葉について聴いたことがあるが、コレは単に盲目の亀が浮き木に巡り合ったというだけのことではなく、100年に一度しか海面に首を出さないという盲目の亀が西に東に、南に北に、太陽を漂っている浮き木を求めて、100年目に海面に首を出したら、浮き木に一つしかない穴のところから首をだしたという、あり得べからざることの実現する寓話だというのだ。
 クマの場合は現世で起こったもっともそれに近い場合だったような気がする。私が何十年か前に愛読したメーテルチンクの**謄本に書かれている運命の善意と云う考えも思い浮かんだ。そういうものかもしれない。
また仮に偶然としてもただ偶然だけではなく、それに何かの力の加わったものであることは確かだと想うのだ。
>しかし、私の頭の中では、その何かとは一体何だろうと想うだけで、、それ以上は考えられない。

心境小説 長編 「暗夜行路」はDVD化されていないと想う。ビデオで見たが、シーン進行のテンポが遅すぎるし
時任謙作=池辺良の設定を違和感があった。
一回目に見たときは途中でやめた。小説家の内面を画面に表現するのは難しい。主役の俳優の存在感の問題もある。ミスキャストとすぐ直感した。主人公が全編のシーンを引っ張る映画ではコレは厳しい。
二回目もチャレンジしたはずである。時任謙作が大山に登山していくシーンだけ覚えているが、途中経過は完全空白である。
小説「暗夜行路」も大山のシーンだけしか記憶にない。
結局、あのようなディテールを続けて、煩悶するところに無理があるのではないか。しかし、志賀直哉と当時の読者は、「暗夜行路」に納得した。志賀直哉の文章力によるところが大である。全てと云って良いほどかもしれない。
「事実は小説よりも奇なり」だが、二つの不幸を一人の人間に続けたところに無理があり、ソレで煩悶する設定には疑問がる。
 
芸映画には定評のある監督
新劇畑の演技に定評のあるの役者を揃えた豪華きわまるキャスト
個々の役者の演技ぶりを見ても、楽しめたはずはずなのに、全く記憶にない。
スタッフ
 監督:豊田四郎
 製作:滝村和男、佐藤一郎
 脚色:八住利雄
 撮影:安本淳
 音楽:芥川也寸志
 
キャスト
 時任謙作:池部良
 直子:山本富士子←このヒトの演技力にも問題が
 
お栄:淡島千景←「夫婦善哉織田作之助原作の演技は、はまり役とは思うが、あれでも森繁久弥はOKだが、淡島は如何にも過ぎて、ウソっぽい。最初から最後まで納得できなかった。
 時任信行:千秋実←黒澤の『七人の侍」など、田舎芝居的演技をなんで評価されたのか分からない。才能?
 謙作の母:文野朋子
 謙作の父:中村伸郎←手堅い演技。本物。
 本郷の婆や:荒木道子
 愛子の母:長岡輝子←うまいな。腰が据わっている。
 石本:仲谷昇←役柄限定の役者
 高井:北村和夫千秋実と似ているところがある。
 
お才:杉村春子←W。尊敬しています。  杉村春子 - Wikipedia
小島の春(1940年、監督:豊田四郎
晩春(1949年、監督:小津安二郎) - 田口マサ
麦秋(1951年、監督:小津安二郎) - 矢部たみ
めし(1951年、監督:成瀬巳喜男) - 村田まつ
東京物語(1953年、監督:小津安二郎) - 金子志げ W。あんな親戚のおばさんがいた。今でもいる。
 
晩菊(1954年、監督:成瀬巳喜男) - 倉橋きん W。脇役が手堅く圧巻の演技。当時の俳優の層は厚かった。
 
野菊の如き君なりき(1955年、監督:木下惠介) - 政夫の母 W。演技は素晴らしいが杉村先生の善人にどうしても違和感が。
 
流れる(1956年、監督:成瀬巳喜男) - 染香←W。日本映画史に残る名演技である、と評価する。この映画が日本映画史上NO1であると勝手に想う次第である。
 
秋刀魚の味(1962年、監督:小津安二郎) - 伴子←W.杉村先生が役で画面に登場すると独演会風になる。
 
赤ひげ(1965年、監督:黒澤明) - 娼家の女主人←娼家の悪徳女将役。叛乱する娼婦に大根で頭をおもっきりぶんなぐられる。確か、二部にわかれた長い映画の立ち回りシーンはここだけ?
 
濹東綺譚(1992年、監督:新藤兼人) - 荷風の母←W。未見。荷風の母???

永井老人:汐見洋

 佐伯氏:三津田健
 仙人:賀原夏子
 
お由:市原悦子←演技、言葉。末端まですっきりくっきりの存在感ある演技は素晴らしい。できないことである。
 水谷:小池朝雄
 久世:杉裕之
 要:仲代達矢←映画 「命棒に振ろう」~タイトルは違うかもしれない~は忘れられない。もちろん「用心棒」も。
 京の宿の女中:加藤治子
 寺のかみさん(お由の母):南美江
 女中:矢吹壽子
 尾道の婆さん:田代信子
 船頭:守田比呂也
 京都の医者加藤武
 駅長:若宮忠三郎
 くるわの女:岸田今日子
 看護婦:本山可久子