反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第4回。中東問題。◆激動する中東と地域研究~紛争地域では若者人口多く職がなく、武器使用のハードルは低い。当地の国家形成=憲法意識の欠如の家族形態的原因。ジェトロ論文イスラエルの労働社会主義。

 現中東情勢をどう見るかと云うことは~とどのつまりは、今の世界をどう見るかと云う基本視座が試されている~古今東西に通用する分析方法を運用することである。
そういった方向性の積み重ねを行ってきた人文科学の各専門分野の英知と方法を個々人の能力に限界はあっても利用しながら、複雑に入り組んだ中東情勢を読み解く基本視座を獲得したい。
経済学、人口論、社会論の専門知識を運用して中東問題を論じた見解がベーシックな中東認識である。
しかし、ネット上では、そういった立場の見解は、非常に少ない。

>探したところ、既に記事に取り上げているが、次の二つしかなかった。
(1)A、◆激動する中東と地域研究(13:10-14:00)  http://www.jsps.go.jp/j-needs/data/jgyouhoukoku/01.pdf
B、the middle east mhithe in Ajia Law and Economice アジアの中の中東~経済と法を中心に~
 
アジアの中の中東。W?こう云った見方は、中東の独自性を日本の利害に強引に結びつけた間違った視点である。中東地域にアジアのネットをかぶせることはできない。同じイスラム国のマレーシアの研究者でさえ、中東のイスラムとアジアのイスラムは違うと繰り返し主張している。日本人らしい甘い従属的考えで大風呂敷を広げているだけである。オリンピック出場枠をめぐるアジア予選をカタール、ドーハでやっているのとはわけが違う。 
 
*前回前々回の記事で取り上げたのは、その一部の中東各国の若者人口(15歳~25歳)の圧倒的な割合と都市に集中する人口構成である。
この情報を材料に日本の人口ピラミッドと現地のものを比較すれば、日本と中東の社会や経済の基本的な相違がいかに大きいか、実感できるだろう。時間がないのでできなかったが、そもそも現地で云う若者とは15歳~25歳の凄まじさ。
日本では若者とは18歳~35歳にいつの間にやら修正されているのではないか。
 
>このような生活環境において、イメージできるのは、それなりの教育を受けた若者にふさわしい仕事が与えられないということであり、その数は中東地域全域を総計すると分厚いな層を形成していること。
 
 
 アラブの春の契機になった2010年暮れのチュニジアの若者もそういった人たちの典型で、しかも職がないから自営しようとした個人的商いの許可申請が、腐敗した独裁政権の末端行政機構によって、棚上げにされて命を自分で絶ってしまった
このケースなど賄賂行政の典型で、その頂点にチュニジア長期独裁政権が存在していた。民衆蜂起によって、彼らは長年にわたって貯め込んだ資産を持って海外亡命した。
不条理、不正極まりない強権統治機構が長期にわたって、人々にのしかかっていたのは事実であり、コレに対する是正方法は、戦術としての民衆蜂起しかなかった。別の方法はなかった。民衆蜂起によってしか解決できない問題が現地にリアルにあった。
 
>ただし、アラブの春、諸国に支配と被支配の力関係が煮詰まって、支配者側が統治できない事態が現出していたかと云えば(「革命情勢」)、そのような情勢が濃厚な国とそうでない国があった。区別する。
アラブの春の切っ掛けとなったチュニジアは前者で、リビア、シリアは米欧(結局はイスラエルシステムの拡張に行き着く)トルコ、サウジ、カタールの財力軍事力におんぶにだっこの状態で反政府勢力に元より実力はなかった。実力はない介入勢力に依存状態だから、無政府状態になったり、内戦の長期化になるのである
 
 
 エジプト政府と軍は、アラブの軍事力の中心となって、イスラエルと戦争を主導してきた伝統があり、民衆側もムスリム同胞団の発祥の地であり、その潜在能力が安定しているので、第三のパターン
国家権力と民衆に自己統治力があり、外国勢力の介入は許さない。シリア、リビアムスリム同胞団系の民衆浸透力は弱かった。
 
 後だしじゃんけんで、今更ながら、こんな主張をしているのではなく、アラブの春進行中から、上記のような立場で、冷やかに見ており、結果も大体予測していたので、「反俗日記」でアラブの春を記事にする意欲はわかなかった。
 
>冷戦体制=戦後世界体制、以前と以後では民衆蜂起に対して質の違う見方をしなけれなならない様になっている。
>以後においては、民衆がたちあがってからと云って、手放しに礼賛できない。世界情勢は、国家ーグローバル資本複合体の優勢に展開する大枠があるので、
>民衆蜂起はショックドクトリンの実現や低強度戦争戦略実現のチャンスを提供する絶好の機会ともなるのである。
威勢の良い文言や、余計な抵抗意識に引きずられることなく、この現実を直視する。多かれ少なかれ、現実認識は様々な表現行為に置き換えなけらばならないのだが(世界を全部体験できない)、悲観的楽観的感情とは別の方法はあり、それにチャレンジしている。
 
アラブの春で、たちあがった勢力が、政権打倒の政治軍事闘争の中で最大限政治綱領である憲法=国家基本法を自らの現状に照らし合わせて、どう云う内容で、どこまで掲げて戦ってきたのかと云う視点で見ていくことが
日本の論者には大切ではなかろうか。
 
複数政党制導入とか、民主主義議会制度確立とか、資本制システムの環境整備、これらを総括できるのは結局、憲法=国家基本法の策定に総括して、考える視点を明治新以降、大戦争を経験した日本歴史は帝国憲法と現日本国憲法を通じて、獲得してきた。日本人は血を流し、二つの憲法を体験してきた。
この立場を鮮明にして、中東情勢を見ていくと支配する側にしてもしないされる側にしても、大いに不十分なところがあると云える。
エマニュエルトッドのように近代化への移行期の生みの苦しみは米欧日の過去の歴史にあった、と済ませることはできない。もちろんそれは大原則であるが、トッド自らが「帝国以後」の世界の家族形態のパターン分析で述べているように、中東イスラム原理主義が浸透している)には、こうした国家形成の思考を阻む潜在要素が濃厚にある。
 
 
 
 
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 引用  2016/1/14(木   *エマニュエルトッド P80~P81解説引用
近代性によって土地から離脱させられた農民層の家族制度は、極めて多様な価値をになってきたが
自由主義的もしくは権威主義的、平等主義的もしくは不平等主義的なソレらの価値は
>近代化期のイデオロギーによって建築材料として再利用された。
アングロサクソン自由主義 親子関係の相互独立性 兄弟関係の平等主義の不在(W。遺言が機能する)
フランスパリ盆地 親子間の相互行動の自由と兄弟間のきずなの平等主義をフランス革命と通じて、<人間の自由と平等と云う普遍的原理につくりかえた。
ロシアのムジューク  省略
ドイツ、(スウェーデン日本~緩和された亜種~)、直系家族の権威主義的で不平等な価値はナチズムの勢力伸長をもたらした。
 
>アラブ、イスラムの家族構造に照らして考えると、<過激イスラム主義>のいくつかの様相をせ詰めすることができる。
ソレは移行期の(W。近代化への)
<平等主義>と
国家主義に凝固するに至らない><共同体熱望>との 他の類を見ない組み合わせを特徴とする
 
~W。残念ながら、戦いにおいて最大限政治綱領であり、国家権力の在り方を大衆に明示する憲法に凝縮する視点が潜在的に欠如していると云わねばならない。宗派間の紛争が付きまとう原因の一つをここに見出すことができる。この問題を提出すると必ず、イスラム教義=イスラム法と世俗政治の対立の問題が燃え上がる。
原理主義的であればある程、両者の対立は深まる。
結局は宗派主義の問題に行き着くと傍目では思うのだが、当事者にとってそういう意識は反イスラムの極めと断定される。
 
この家族形態では女性の身分が非常に低いことが最も明瞭な要素をなしている。
>妻帯の息子たちと父親が結び付く共同体的形態は、ロシアモデルに近いが
*いとこ同士の内婚優先がある点で非常に異なる。
 
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W。社会でこの習慣が持続すると遺伝子の欠陥が純化される比率が多くなるのではないか。日本でもタブーになっているのはそのためだと思う。
歴史的な拡大家族が、日本で克服されたのは、江戸時代の117世紀後半の農業生産力上昇と拡大家族に包摂されていた者たちの、夫婦差し向かいの朝から晩までの過酷労働による離脱、年貢増大を目当てにした幕藩体制の政策によるものである。
日本で、直径家族が浸透したのは、この時期であった。
年貢ムラ請負制度や日本的中央集権の封建制とともに、明治指針による資本制導入に、比較的スムーズ全社会が対応できた理由はココにある。
 
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*本いとこ同士、特に兄弟の子供同士の結婚の結果として、家族においても、イデオロギーにおいても極めて特殊な権威関係が生まれる。
*父と子の関係は真に権威主義とはならない。
慣習が父親に勝り、兄弟同士のの横の結びつきが基本関係になる。
*システムは極めて平等主義的で、極めて共同体主義的だが、
*権威一般、特に国家の権威への尊敬を助長することはあまりない。
*内婚の水準は場所によって変わる。
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そもそも、21世紀の現在において、戦い以前、最中に、政治勢力内外において、最大限政治綱領である憲法的議論やその政治合意にチャレンジすることなく、暴力的政治闘争を拡大することこそ、野蛮次元の問題になると云って過言でない
コレでは一方の戦いの動機である政治理論次元の論争を通じた練磨を最初から避けているといわれても仕方がない指導者の責任であり、政治の質の問題である
生半可な政治イデオロギーでは、兵士の個人的な武力に頼った時期の戦争で、踏ん張れるわけがない。
 後でイスラエル独特の第三次中東戦争までの支配的イデオロギーであった労働社会主義パレスチナへの暴力的移民入植、労働共同体を基礎づけたイデオロギーである)の政治内容をジェトロ論文で取り上げる。
 
本人たちはそれで良しとしているのだろうが、時代錯誤であり、それによって恐るべき被害を被るのは民衆側である。
 
>次に、紛争現地のリアル状況で、ハッキリとしていることがある。
中東地域の現状において、若者は簡単に武器と資金ルートにアクセスできて、安易な、熱情で各武装勢力の戦闘員になりがちだというリアルな状況がある。このハードルに低さを、日本において想像できる人たちは余り多くない
大昔の日本の大衆実力闘争で、行使した政治暴力が、現在の中東では、高性能銃器や携帯用ミサイル、果ては重武器になりかわっているとイメージすれば納得できる。
 
 この程度の当たり前の政治感覚を欠如した御人のブログでは、シリアでのIS兵士がお気軽に携帯用ミサイルを発射している様を、IS報道本で読んで、妙に感心して、何かIS民衆兵士論のようなものを展開し、最後は米国が介入を戸惑ったから、内戦状態が長引いていると、断言している。
アバマ政権末期に米国内で強まるネオコン政治と、米国世論のオバマ批判に同調する議論であるが、この御人の安易な断定の延長線上に、自衛隊の現地派兵も想定できて、犠牲者が出ると日本の世論は一気に戦争支持に沸騰するという現実を視野に入れていない
>平和云々もあるがそれによって生活労働環境が悪くなるのが現実政治である。
 
更に、例え欧米が介入したところで、事態は悪化することはイラク戦争で明らかである。
 
欧米は戦争のコスト問題に配慮しなければならない財政経済状況であるという大前提である
反俗日記の反戦イラク帰還兵特集で明らかにしたように、米国にとって現地へ派兵の負担をシェアする唯一の方法は、流動化している現地の政治軍事勢力を操って、アサド政権を打倒することである
その場合の財政負担はサウジアラビア、トルコ、カタールなどが引き受ける。それでも、イランやロシアとの関係もあって、ままならない場合は、有志連合の実戦投入である。その時、バスに乗り遅れまいと、安保法制、2020年東京オリンピック開催、アベの自衛隊出陣もあり得る。
 
>最後に付け加えておきたいのは、ISによるフランステロである。報道ニュースを全く見ないのでリアルなことはわからないが、中東及び連動する政治的に未熟稚拙な若者にとって、あのような行為へのハードルは低くなっている現実を知っておく必要がある。
また、アルカイーダ=シリアではヌスラ戦線とか、ISのような非公然非合法ネットワーク上の組織の場合、戦闘単位が十全な政治判断をしないまま行動に走る傾向が常にある。大国のインフォーマルな情報組織の潜入を許し、ソレらが暴走する可能性を秘めている。
 最大限の可能性は、幹部自身が、大国のインフォーマルな情報組織に転向することもあり得る過去に事例は一杯ある。アルカイーダとかISの反米は単純で中身はなく、裏側にひっくりかえると、大国の利害を忖度して動くこともあり得る。
そのような意味で、次のようなカレル・ヴァン・ウォルフレン氏のISフランステロへの見解は、間違いである。
 
参考資料 IWJ動画
 
9,11ニューヨーク事態を含めて、謀略の可能性を示唆しているが、自分たちの利益になるかどうかの政治判断は、アルカイーダやISとウォルフレン氏の間に大きな差異があり、彼は自分の政治常識に捕らわれているから曖昧な言説を繰り返すのである。
>国家ーグローバル資本複合体は、その財政不振に基づき、社会保障福祉路線からとっくの昔に、国家の役割を国防や国民への保険的安全意識の醸成にシフト替えしている
>同時に対外戦略をショックドクトリンと低強度戦線状態の世界的散布に切り替えているのであるが、こう云った世界情勢をみる大枠の指摘を彼はしていない。
反対勢力が無力化されていると云うよりも、世界のフレームが大転換してきたのである。日本だけの政治現象ではない。
 
 
以上が土台である。
土台がしっかりしていなければ、その上に情報をてんこ盛りしても、最後は何が何だか分からなくなり、最後は中東情勢情勢に対する、日本の地政学的位置やエネルギー問題にこだわった卑近な情緒論に落着するしかなくなる。
ジャーナリステックな視点に終始する中東議論は、現実を分析しているように錯覚するだけで、所詮日本的平和状況を追認し、最後はアベ安保法制路線への真の対抗力を生まない。

 建国以降のイスラエルの政治状況をイデオロギー的に仕分けしてまとめたものが以下のジェトロ掲載論文である。読了して、中東地域のイスラム教と1967戦争までのイスラエルの基幹的イデオロギーであった労働社会主義に違いが良くわかった。
 
中東地域のイスラム原理主義は、高校生レベルの世界史とイスラム原理主義の解説本を読む限り、労働の動機付け~奴隷社会の古代ギリシアの商業ポリス、コリントスの神=奴隷労働の神、今でも通用する、シューシュポス的現実、アルベールカミユ「シューシュポスの神話~と物品の希少性偶像崇拝を破壊的に嫌うのは、人間復興とは真逆の、人間的芸術の始原への敵対である。~日本の仏教芸術、ヨーロッパのキリスト芸術~国家形成意識宗教思想のように直感した。
   ↓
 参考資料 
三代目古今亭志ん朝 - 宋珉の滝 
 
参考資料   ジェトロ アジア経済研究所
未読資料
第7章 イスラエル:社会経済的規範型の移行http://www.ide.go.jp/images/pdficon.gif/ 池田 明史
第1節 イスラエル社会の分断とその起源
第2節 移行準備期間としての1960年代
第3節 転機:「六日戦争」の衝撃
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W。旧来の労働社会主義労働党と大組合)リクルートが支持を得るようになった。
第4節 規範型の相対化と再編」
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W。エスタブリッシュ外の新参者急増+金満階層の思惑に沿ったイスラエルの拡張主義支持の定着化である。米国の動向は、この方向に沿うものであり、隣接しゴラン高原領土問題(国連決議はイスラエルの撤退を要請しているが居座っている)を抱え、パレスチナ問題への一貫した姿勢を変えなかったシリア政権は邪魔になる。
アサド政権打倒の環はイラン政権とウクライナ情勢への連動する。