「戦争は政治の他の手段を持ってする継続である」~クラウゼビッツ~バッシャール・アル=アサドシリア現大統領も直近のインタビューで、この言葉を引用しているようだ。インタビュー記事の内容は知らない,今更、と云った感がしないでもない。
じっくりと死んだ子の年を数えさせてもらう。それは歴史的事実を超えた歴史に対する必要な姿勢らしいから。
もっと以前に他の道の選択肢はなかったのかと。
シリアは、アラブ連合の時代、エジプトよりも豊かな国だった。内戦が起こる前、都市に人口の集中する中東では珍しい農業人口の多い国だった。国土に人口扶養力が備わっているということだ。中部に油田もあった。アレッポ方面は地中海に面しており港湾設備がある。
結局、狙われ仕組まれて、内戦に至ったのか。
2016/2/16(火) 午後 4:03
彼の時代から『どんな方法でも、中東の石油を確保できさえすれば構わない。肝心なことは石油を手に入れること。』 (W。注)
『サウジアラビアの石油が世界を動かす最も強力な梃子の役割を果たしていることを深く理解する必要がある』と語った。
NATOの元事務局長ジェセフルイス<元オランダ外相>はその経過について次のように明快に語っている。
『イスラエルは我々にとって最も安上がりな傭兵だった』
~~
外部資金による<偉大なイスラエル>への野望 P273引用
>論文の題名は『1980年代のためのイスラエルの政略計画』 「キヴェーム」14号1982年発行
「~~
レバノンが5つの地方に分割されている状況は、アラブ世界全体が経験する将来の予告である。
>その最初の段階は、両国の軍事力の破壊である。
>シリアは、民族的構成が複雑なために、分裂の危機にさらされている。
>~~このような国家成立は、長期的にみてこの地域の平和と安全を保障するものである。
>これらは我々の射程距離内の目標である。
>イラクの分裂は我々にとって、シリアのそれよりも重要である。
引用終了
******
W。注
↓
戦局の帰趨がはっきりしてきた17年11月段階のユダヤ人居住地建設支持表明まで時系列と詳しい内容である。
③1917年11月2日に、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ系貴族院議員である第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡で表明された、イギリス政府のシオニズム支持表明。」
「第一次世界大戦中の1917年11月2日に、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ系貴族院議員である第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡で表明された、イギリス政府のシオニズム支持表明。」
1915年10月に、イギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンが、アラブ人の領袖であるメッカ太守フサイン・イブン・アリーと結んだフサイン=マクマホン協定(マクマホン宣言)と矛盾しているように見えたことが問題になった。すなわち、この協定でイギリス政府は、オスマン帝国との戦争(第一次世界大戦)に協力することを条件に、オスマン帝国の配下にあったアラブ人の独立を承認すると表明していた。フサインは、このイギリス政府の支援約束を受けて、ヒジャーズ王国を建国した。
しかし、フサイン・マクマホン協定に規定されたアラブ人国家の範囲にパレスチナは含まれていないため、この二つは矛盾していない。
なおバルフォア宣言の原文では「ユダヤ国家」ではなく、あくまで「ユダヤ人居住地」として解釈の余地を残す「national home」(ナショナル・ホーム、民族郷土)と表現されており、パレスチナ先住民における権利を確保することが明記されている。
メソポタミアはイギリスの自由裁量→保護国としてのアラブ人主権国家イラク誕生 レバノンはフランスの植民地→レバノンはフサイン・マクマホン書簡で規定されたアラブ人国家の範囲外である(フサイン=マクマホン協定も参照のこと) シリアはフランスの保護下でアラブ人主権国家となる→これまたフサイン・マクマホン書簡の内容とはそれほど矛盾しない。ただしシリアの首府ダマスカス近辺については、フランス統治領なのかアラブ人地域なのか曖昧な部分が残った。 パレスチナに関しては、上記のとおり「居住地」としての解釈もあり、またフサイン・マクマホン書簡で規定されたアラブ人国家の範囲外である。あくまで居住地である以上、国際管理を規定するサイクス・ピコ協定とは矛盾しない
*****
*****
なお、米国もイスラエル/中東諸国に対して、英国と同じ二重外交をことをやっている。
W。<パレスチナ地方の帰属問題>は
①メッカの対アラブ首長とのアラブ分割協定では未処理のまま放置された。
②英仏<露追随>の①協定外のアラブの分割領植民地化秘密協定によって凍結された後、
↓*が、イギリスの動きの裏には、根深い植民地主義野望がある。すっきりさせる。ヒントは何か?
>スエズ運河 - Wikipedia 1860年。この2年後に同地区の運河は完成する。
***
>元々、運河に反対で自国の通商への脅威とみなしているイギリスもオスマン帝国スルタンに圧力をかけ、たびたび妨害した。
>イギリスはさらにオスマン帝国スルタンとイスマーイールに圧力をかけたが、フランス皇帝ルイ=ナポレオン/ナポレオン3世 - 世界史の窓が仲裁に入り、難工事と疫病の蔓延を克服して1869年に完成させた。
(ハ) <イギリスによる介入>
>この決断をした首相の①ベンジャミン・ディズレーリは、議会の承認なしに事を進め、
>②購入資金をロスチャイルド家から借り受けたことがイギリスの憲法制度に反するとウィリアム・グラッドストンに告訴された。
↑
↓W。残るは口実を設けての軍事介入による完全制覇へ
(二)1882年にウラービー革命で起こった暴動を口実に、
イギリスはエジプトに軍事介入を続け、
<ところが>
↓
W。トルコ→中東→シナイ半島南下→スエズ運河まで、陸上軍事侵攻のルートが開けていることに軍事的危機感を抱いたイギリスに、スエズ運河、半植民地化したエジプトの防衛ラインの前方に前線を設けようと云う意思が働いた。
<そこで>
中東全域覇権のために意のままに操れる、クサビであり梃子となりえるシオニズム国家建設まで展望されたのである。
部族国家の意識が先行しているので、パレスチナ地方まで領域意識は及ばなかった、とも云える。
中東の世俗政権は権威主義支配体制以外の道が選べないところに、苦しさがある。
しかしながら、そういった一般的定理を確認するだけでは、現状に対して全く不十分な認識しかできない。
「1963年にバアス党イラク地域指導部とアブドッサラーム・アーリフらがアブドルカリーム・カーシム政権を打倒したクーデターである。クーデター後、バアス党のアフマド・ハサン・アル=バクルが首相となり、アブドッサラーム・アーリフが大統領となった。」
アラブの春以降の、事態の推移をみるときに、イスラエルの旧統治国、英仏そして、新しい主導国米国の力を背景にした政治軍事力に対して、曲がりなりにも最前線に位置し、政治的分類ではアラブ民族主義派であったエジプトのナセル~サダト、シリアのアサド、イラクのフセイン、リビアのカダフィー等にとって、時々の主体的客体的条件下で、リアルな自主的な政治の幅と質は、一体どの程度、のようなものが可能であったのか、という基本視座を獲得する必要がある。
次の資料の政治関連に注目すると事情はよくわかる。3国の政治年表を作成する時間がないので省略。
地縁血縁の共同体の住民レベルとの意識、利害のかい離もあって、シリア、イラクで、世俗政党を立ち上げ、安定勢力として維持するのは、並大抵のことではなかった。
足の引っ張り合い、陰謀政治渦巻く血なまぐさい政変の連続は、世俗政権の住民レベルでの実体的基盤の希薄さ、軍と役人機構に足場を置くしかない政治構造によって、必然化したのだろう。
元々これらの国は激しい政争の中で分裂の要素を含んでいた、というべきだろう。
結果、外部勢力に隙を突かれ、国家はバラバラにされた。時間の都合上、政変の年表作成は省略。
<参考資料>
具体的にいえば、仮定として、内戦状態のバッシャール・アル=アサド、そして、フセイン、カダフィーがサウジアラビアと湾岸諸国のような、イスラエル融和、親米路線に舵を切っていたとしたら、どうだっただろうか?
実際、政権 末期の両者は、それまでの政治姿勢を事実上大幅に転換した。
その場合、「平和」と「民主主義」は、戦争の口実になった。「民主主義」と戦争は両立したのである。歴史の物語の多くは、この事実関係を実証してきたのではなかったか?
>ソレがアラブの春のシリア版を契機として今、バッシャール・アル=アサド政権の上に起こっている。
イスラエルのヨルダン川西岸地域の実質的植民地化と水源地ゴラン高原占拠の大陸側のシリアでは中部に油田を抱え、イラクのように内戦の継続の果てに、対米、イスラエル対抗力を抜かれ実質的分割され内戦状態である。イラク分割無力化の内戦の敗勢過程で押し出されたフセイン政府、とバース党人士が、米国=サウジのひも付き訓練と援助によって、シリアIS武装勢力に転化され、アルカイーダ武装勢力とともにシリア分割戦争に投入されている。
他方、イラク北部油田地帯を確保し欧米石油資本に連結したクルド人勢力が、トルコのけん制されつつ支援を受け(トルコ政府としては、クルド労働者党の獄中最高幹部の転向による非武装新指令をもっと進めたい。)、米EUの全面支援を受た民主シリア軍を自称して、シリア北部を拠点に油田地帯の割譲を画策中である。
サンクスピコ条約の国境分割によって国家形成をできないままのトルコ、シリアイラクの各国に、またがったままの状態におかれた、2000万クルド人は米EUの中東対抗勢力無力化と石油利権獲得の戦略に利用されているのである。コレは英米の中東支配の梃子であるイスラエルに追加した、新手の利用対象の出現である。
この事態は「平和」はともかくも、「民主主義」と「民族自決」と云いかえることができる。
こうして中東地域は、一端、EU、米の国家、グロ資本複合体の手に落ちるかに見えるがそうではない。
米EU、日本は中東地域のIS、アルカイーダ、原理主義宗派勢力がこれまで、中東の急激なグローバル資本化の対抗力足りえた実績から一掃できず、
更に回収、温存し、テロとの戦いの展示物化することを目論む。
組織的テロは常に謀略政治の要素を含む。
なぜなのか?テロ攻撃はますます民衆の政治力の発揮の障害物に転化してきている。そうした戦いは、民衆の戦いの派性的要素でしかあり得ないからだ。
そういった行為に政治闘争の主眼を置く政治組織は希少なものになり、少数の特定は可能であり、政治利用する可能性は膨らむ。アルカイーダは、そのような組織である。
テロとの戦いは、目の前の安心安全と通り越して、事前の保険のごとき論理で(ここまで気を回すと人間は超保守的になる)、世界の人々に危機感を煽り、国家ーグロ資本複合体の利潤率至上主義の反人間的政治路線に繋ぎとめる戦略的道具であるのだから、テロは必ず、大衆の眼前に常に提示されておかなければならないのである。
テロ実行者が根絶されると、自らの情報機関が直接、テロ行為を実行しなけらない危ない橋を渡ることになる。テロとの戦いの戦略化に利権の絡むとき、テロは根絶されてはならない。実行者は常に蠢いていなけらばならないのだ。
停戦はそうした戦争政治の通過点に過ぎない。戦局に疲弊したものは、兵站で補給され、シリア国家を分割し切り取るために、次なる段階の戦争準備をする。イラク戦争の結末を予測させるかのような役者(クルド人、宗派主義)がそろっている。
>イラン経済制裁解除の意味は大きい。
シリア分割、無力化に向けての段階的過程の意味を持った近隣からの対抗力の除去とイランの米EU政治経済への連結強化となり、イランは元々中東一の近代国家体制なので、将来的には政治的目的を失ったイラン宗教政治勢力は弱体化するだろう。
グローバル資本制の全地球一体市場化を背景とする中東情勢の激変を通じたイスラエルのパレスチナ「植民地」化、原油価格の低迷に対して、サウジ王家は過大な軍事予算による政治の軍事化し、宗派主義的対応の強化で答えることしかできない。宗派主義と対米属国の二大要素を剥ぎ取ると、かつてのイラク、フセイン政権と同じ傾向の戦略性なき典型的な中東政治で、オイルマネーを乱費し、国際軍需資本の供給力に応じている。
>そしてロシアは元々、ソ連邦解体過程で、最末期のスターリン主義官僚の政治的愚鈍化とでもいうべき欧米社会民主主義手法+米国シカゴ学派的市場原理主義経済政策導入の在りえない大失政によって、国内階層分解を一気に拡大し、同時に国家の経済政治軍事科学基盤を縮小ぜい弱化させており、対米EU対抗力を弱めている。
結局、この時期の政治軍事科学経済のマイナス傾向は、立て直しの効かないものである。
国家独占資本主義政策を実行する基礎的社会経済要素は、硬直し弱すぎて、循環性に乏しく、多くの民衆にとって負担となる。
>米EUはシリア国民の約半分が難民状態になっても意に介さない。
もはや「平和」や「民主主義」は、利潤率の傾向的に低下する国家ーグローバル資本複合体が、
全地球一体市場化によって回避し、資本蓄積強化するために、世界の国々と人々に強制する、口実、無機質な道具システムにすぎない。
言い換えると、無機質な道具システム化させた「平和」と「民主主義」(空気、制度、実体)は、国家ーグローバル資本複合体の経済権益を守る政治的上部構造でなので、様々な条件に応じて変容させても絶対に手放せない。この真相は、イスラエル国内政治と云う絶好の展示物において、一目瞭然である。
>ドイツのシリア難民大量受け入れは、
新自由主義「エリート」難民をセレクトし受け入れ(ドイツまで辿りつくためにはそれなりの物的人的パワーが必要)、国内労働力市場を流動化させる企みが隠されており(問題が発生すれば、ナチスドイツ方式の政治を現代的に再現すればよい、とタカをくくっている)ユーゴスラビア解体過程における軍事支援による、かつてのバルカン利権回廊再現の食指を更に中東域への拡大の画策と見ることもできる。
>パレスチナ西岸はイスラエル製品の独占市場化、資本関係は経済隷属化されており、実質的に植民地状態におかれている。軍と入植地撤退のガザ地区はエジプトとイスラエルの経済封鎖状態で瓦解状態の経済基盤の復興支援援助さえも、イスラエル資本を潤し、軍事暴発は経済封鎖の強化や、西岸入植地の一挙的拡大認定の口実にされるというジレンマを抱えている。
***
↓
>ここが、第二次世界大戦以降の米国主導の世界政治の特性であり、このキーポイントを通りすぎて、ラベル化した民主主義を大きな政治事態の度に持ち出して国家ーグローバル資本複合体に対峙させるところに、支配的政治と相似する民主主義のシステム化の実体をみる。
そうではない。資本制の進展とともに市民社会は物象化し、(難しい用語で理解できていないが表層化と云いかえることもできる)そこを基盤とする民主主義の原理的住民本位制は徹底形骸化、削除され、少数の支配層の多数者支配の道具に堕した。
丸山真男のいう民主主義の永続革命の必要性はこの状況に対する原理的アンチテーゼであるが、
>日本のそうした民衆の戦いが分散した根本原因は、ソレが個人の課題に設定されないで、社会や組織の問題に置き換えられてきたからだ。
社会や組織の変節は、不可避だが、個人の課題の設定は、個人の意識の在り方の問題である。
存在は意識を規定し、意識は存在を規定できないが、意識の世界の持続性はある。今から大切なのは、個々人の課題と問題意識の持続深化→その集合としての団体のルートであり、その逆ではない。情報の氾濫によって政治的人間の集団は相対化され、それによる個々人の啓蒙の時代は過ぎ去った。
>日本のアベ等日本支配層は、足元のアジアでの足場のぜい弱まま、2020年オリンピック開催によって、深化する全世界の緊張状態に国民を晒し、東アジア情勢の激化、南シナ海情勢の激化の先に、EU、米中東政治軍事路線の一端を担うことで、利権のおこぼれにあづかろうとしている。
ソレは2020年オリンピック開催の経済不合理過程の政治軍事緊張によるより高いレベルへの加速となり、日本資本主義の今、現出している問題点の一挙的に深化する結節点となる。安保法制の治安維持的側面が強化されざるえない
しかし、今、どう云う政治が必要なのか。あらゆる問題の焦点はなにか?
具体的現実的な生活労働命健康をめぐる、領域での支配的政治勢力との物的人的争奪戦を展開すること、国家ーグローバル資本複合体の市民社会は、なし崩しに崩壊しつつあり、人と人の関係がモノとモノの関係に純化しているときには、モノとモノの関係にはモノを対置し、人と人の関係には人を対置することが有効な対処法であり、モノの関係性に人の関係性を置き換えようとする人間主義が争奪戦舞台の戦いの力を弱めてきた。
収奪者は収奪されなければならない。
「それに日本の文化には平等について両義的な部分があります。
戦後、民主的な時代を経験し、だれもが中流と感じてきた一方、
人類学者として見ると、
もともと日本の家族制度には不平等と階層化を受け入れる面がある。
――簡単に解けない多くの難題が立ちはだかっているようです。何が今できるのでしょうか。
「この段階で取り組まなければならないのは、虚偽からの脱却です。
お互いにうそをつく人々、自分が何をしようとしているかについてうそをつく社会。
自分を依然として自由、平等、友愛の国という社会。知的な危機です」
「それは本当に起きていることを直視するのを妨げます」
「それは本当に起きていることを直視するのを妨げます」
W。アベ等は嘘をつくが、我らは、長い年月を経て、虚構の政治の枠内になじんだ政治的人間集団の在り方では個々のパワーを発揮できない。
「個々人の課題と問題意識の持続深化→その集合としての団体の力増強へのルートであり、その逆ではない。情報の氾濫によって政治的人間の集団は相対化され、それによる個々人の啓蒙の時代は過ぎ去った。」
引用。トッドインタビュー。
◆ 経済的合理性という「信仰」
――欧州でも中東と同じように信仰の衰退と、それにともなう社会の分断という流れが背景にあるのでしょうか。
「そうです。
>今後30年で地球に何が起きるか予測したければ、近代を切り開いてきた欧米や日本について考えなければ。
本物の危機はそこにこそあります。
歴史家、人類学者として、まず頭に浮かぶのは信仰システムの崩壊です」
「宗教的信仰だけではない。
もっと広い意味で、イデオロギー、あるいは未来への夢も含みます。
>人々がみんなで信じていて、各人の存在にも意味を与える。そんな展望が社会になくなったのです」
「そのあげく先進国で支配的になったのは経済的合理性。利益率でものを考えるような世界です」
――それが信仰の代わりに?
「信仰としては最後のものでしょう。
それ自体すでに反共同体的な信仰ですが。
>経済は手段の合理性をもたらしても、何がよい生き方かを定義しません」
――そうやって、分断される社会で何が起きるのでしょうか。
「たとえば中間層。
フランスでは、経済的失敗に責任がある中間層の能力のなさの代償として、
労働者階級が破壊され、移民系の若者を包摂する力をなくしてしまった。
>世界各地で中間層が苦しみ、解体されていますが、
フランスは違う。
>中間層の代わりに社会の底辺がじわじわと崩れています」
「そこを見ないで、悪魔は外にいることにする。
『テロを起こした連中はフランス生まれだけれども、本当のフランス人ではない』『砂漠に野蛮人がいる。脅威だ。だから空爆する』。おそるべき発想。ただそうすれば、仏社会内の危機を考えなくてすみます」
「私は『新共和国』という言葉を本で使った。中間層が支配する国という意味です。
そこでは、イスラム系に限らず、若者をその経済や社会に包摂できなくなりつつあります」
◆ 取り組むべきは虚偽からの脱却
――だとすれば日本も共通するところがあります。
>移民は少ないが、非正規労働者として他国での移民労働者のような扱いを受ける人はたくさんいます。
>いわば一部の国民が戻る祖国のない移民になりつつあるのかもしれません。
「興味深い指摘です。先進国の社会で広がっているのは、不平等、分断という力学。
>移民がいなくても、教育などの不平等が同じような状況を生み出しうる」
「それに日本の文化には平等について両義的な部分があります。
戦後、民主的な時代を経験し、だれもが中流と感じてきた一方、
人類学者として見ると、
もともと日本の家族制度には不平等と階層化を受け入れる面がある。
W。「反俗日記」で、事あるごとに使用している、<国家ーグローバル資本複合体の国体化にインクルードされる階層は、何処までなのか、と云う問題意識と視点は同じである。
しかし、日本ではトッドの指摘するフランスとは違う道を辿っていくのは、
現国家機構の構成要素、戦前戦後を通じた歴史過程、戦後経済の急速膨張と想定される必然の収縮過程はあまりにも明らかである。
フランスでは、
「中間層の代わりに社会の底辺がじわじわと崩れている」「中間層が支配する国という意味」での『新共和国』に転回し、イスラム系に限らず、若者をその経済や社会に包摂できなくなりつつあります」
日本では、
>世界各地で中間層が苦しみ、解体されている<歴史過程>が最悪なことに、政治主導によって、歩みを速めている。
W。トッドの云うフランスの中間層は、第二次世界大戦前から存在してきて、戦後、より肥大し、官僚的組織性を高め、労働者階層の上に立って、政治の実権を握り続けてきた。フランス官僚政治はこうして実現してきた。
戦前日本に層としての都市中間層は、未成立で、敢えて云えば軍部がソレを団体的に代行してきた。
したがって、日本の中間層は、戦後世界体制の安定を前提とした特殊日本的状況において、1950年代後期から始まった高度経済成長によって、戦前から潜在的流動的過剰労働人口を書抱えてきた農村の解体、都市化の人口流動化の中で、
端的にいえば、日本の中間層は冷戦構造の安定化が生み出した戦後日本の特殊な歴史過程で、労働者階層の上中層が中産階級化したものであって、その下の膨大な未組織労働層こそが、本物の労働階層であるという意味では、日本では、フランス的中間層の存立基盤は、本質的にぜい弱であり、トッドの次のような指摘は正しい。
「それに日本の文化には平等について両義的な部分があります。
戦後、民主的な時代を経験し、だれもが中流と感じてきた一方、
人類学者として見ると、
もともと日本の家族制度には不平等と階層化を受け入れる面がある。
~
>世界各地で中間層が苦しみ、解体されています」
日本では中間層と社会の底辺が同時的にじわじわと崩れてきているのである
政治浮遊の避けられない彼らは国家ーグローバル資本複合体の国体政治化に物的に実現できない救いを求め内外に憎悪の対象を作り不平不満の憂さを晴らし、足元の直視を回避したいのだ。
こうした軽信が政権維持の数の論理の突出を形成していると認識する以上、アベ等の真っ当な政治外のパフォーマンスは不可欠となり、その負荷は国民全体が背負うことになる。
政府のやることなすこと全てが、経済的合理性という最後の「信仰」さえ脇に置いて、国家ーグローバル資本複合体の国体政治化の方向に突き進んでいる。
トッドの指摘する日本の文化(狭く云えば政治)の戦後的両義性の良き側面は~戦後、民主的な時代を経験し、だれもが中流と感じてきた~は「経済的合理性という最後の「信仰」によって」最初は押しつぶされ、やがて「もともと日本の家族制度」の「不平等と階層化を受け入れる」ことが支配的イデオロギーになってきている。
日本的政治アパシーとは、政治に背を向けた私的領域への閉じこもり、と云うだけではなく、「不平等と階層化を受け入れる」従順に落着する。