反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第2回 認知症ケア~あなたならどうする~伊刈弘「之うそをつくのがつらい。嘘をつき続けてよいのかとても不安」~福祉業界慣れした対応というものがある。相手の個性を見抜けない一方的な対応を嫌う

  <前回の続き>、関連書籍から考える。
                     1、介護現場の実例 
    症例ごとにケアの判断が点数で分かる
認知症ケア~あなたならどうする~伊刈弘之 医療法人さわらび会福祉村病院
                      医療法人 さわらび会 山本孝之 理事長 | 山本左近 統括本部長 兼 副理事
 <気になる個所を引用する>
  <刊行に当たり>
認知症介護をしているご家族や看護、介護スタッフからの質問や相談は、認知症に伴う問題となる行動をどうしたらよいかというものがほとんどです。

         ↑    
W。この本に載っている症例やそれに対する間違った対応、「正しい」対応例は、
主として認知症の方の<行動、心理症状>ビヘイビアラル、フィコロジカル、シンプタム オブ ドメンティア<BPSD>への対処であって、
中核症状の枠内にとどまっている人に対する対応にストレートに反映しないものと考える。 

>介護認定でいえば要介護2以上~~前回の記事で確認した介護認定審査の基準において、要介護2から要介護3への昇級のハードルは高く、介護2の方でも周辺症状が激化したまま同級にとどまる。)、認知症自立度Ⅱb以上の認知症の方への対応である。

>ざっくり言えば家族や近親者の対応では間に合わず、施設入所が課題になっている方、あるいはすでに施設に入所している認知症の方への対応例が挙げられているものと感じる。
>施設の組織力や設備環境を前提とした対応例といえる。
(それが介護プロの対応ということになるのかな?)

>周辺症状が顕在化していない在宅の認知症の方への家族、近親者の対処として、介護者がこんな対応に終始すると、認知症の当人との大切な信頼関が希薄になり不信感を募らせるのではないか。

>実例への正しいといわれる解答を見ると家族近親者の情緒がむき出しになってしまいがちな対応の対極にある施設介護の「プロ」の対応である。

>ただし、家族近親者であっても、施設介護スタッフの対応は、十分参考になり、現場の実行力に応用すべき観点は多々ある。

 引用 
認知症という疾患は、記憶が悪くなるだけでなく、考えて判断して行動するときに自分では正しいことをしているつもりでも、客観的には問題となることを知らない間にしてしまうのです。」
             ↑
W。?「正常」といわれる人たちも、同じことをやる。
普遍的な観点から言えば、付加体列島日本の<世間の常識>と法律だけが絶対的基準ではない。付加体列島日本の<世間の常識>は姨捨山状況>であり続けたし、現状でも認知症の地域ケアに関わらない(制度の枠内に任せておけ)、である。
W。参考資料
かやの木 ギンやん ひきずり女
アネさんかぶりで ネズミっ子抱いた
塩屋のおとりさん 運がよい
山へ行く日にゃ 雪が降る
楢山まつりが 三度来りゃる
栗の種から 花が咲く
山が焼けるぞ 枯木ゃ茂る
行かざなるまい しょこしょって
~~
なんぼ寒いとって 綿入れを
山へ行くにゃ 着せられぬ

引用に戻る
認知症の方と同じ土俵に立ち←W。物理的精神的に不可能なことをできる、できている、という思い込みは施設という閉鎖空間において成立する。

>「本人の気持ちを感覚的に理解して、本人にとってストレスとならない対応をとること、本人にとって、うれしい、安心すると感じる対応をすることが上手なな対応となるのです。
すなわち認知症の方が快適に生活できる環境を整えることが認知症の介護であり、認知症の治療ということになるのです。←W。胆に銘ずべきところ。


   こんなとき12
うそをつくのがつらい。嘘をつき続けてよいのかとても不安にになる。
~24歳特別養護老人ホーム介護職員~
「小さいころから両親に「嘘は泥棒の始まり」で、絶対に嘘はついてはいけない、嘘は世の中で一番悪いことだ」と言われて育った。
>しかし認知症の介護をするようになり、、毎日のように認知症の方に嘘を言ったり、適当にごまかしたりして介護している。
>先輩からうそを言うのも仕事。本人が落ち着くならいいことよ」といわれるが、嘘を言うのがつらいし、そんな自分が我慢ならないことがある。」
***********
~54歳女性。家庭で認知症の姑を介護している。~
姑が興奮したり怒りだしたりしそうになる度に←W。認知症の方の居宅介護で周辺症状BPSD激化のケースである、本人が満足するようなうそを言ったり適当なことを言ったりして切り抜けている。久しぶり訪れた姑の妹がこういう会話を聞いて「いいかげんな嘘ばかり言ってどういうつもりなの。
姉を馬鹿にしているのか。きちんと対応しララどうだと怒ってきた。
三者から見たら、飛んでみない対応と見えるかもしれないと感じて、今後もうそをつき続けてよいものか不安になった。
    ↓                       ↓
<解説>得点は100点満点。おおよその目安。
① 10点→うそを言うことは悪いことであり、どんな場合もうそはよくない
「~経験を積んだ方は、「本人が落ち着くようなうそはいいの」というように割り切れるようになるのでしょうが、慣れるまで大変です。

実際の介護現場では、本人がほっと安心するような言動をとりながら介護しているわけです。←W。普通の人間としての習性としてそういう態度がとれるものだが、家族近親者(対応者少数、対応時間が長すぎる、情緒に流れがちになる)の居宅介護の場合、意識して上記の言動の一貫性を維持するは大変なこと。洞察力と内省の時間を作りながら一貫性ある対応を目指していく。

引用
「その言動は、時には嘘だったり、いいかげんな行動だったりすることもあります。認知症の介護では、嘘は必ずしも悪いことではない。←W。介護者にアソビの間があるかどうか。

② 15点→三者から見て、ひどいと感じるようなうそはよくない。
   W。認知症介護の赤裸々な現場実態
       
「軽度の認知症の方は
上手にとりつくろったりして、会っている時間帯だけは普通にふるまえたりするのです

しかし24時間介護している介護者は、
どのような問題が発生しているか、いかに介護が大変で精神的、身体的な苦痛があるかをよく知っています。←W。インナーは個々の要介護者の個性、個別状況を熟知できる機会が与えられているが、上記は普遍的真実である。
*********
W。参考資料
「病状の進行とともに大きく変化していく患者の心の状態を、「脳の機能」の観点から解き明かす社会脳科学によって、“患者本人の性格のせい”にされがちだった介護者泣かせの行動の背後に、脳の病変がひそんでいることが明らかになってきた。家族関係や夫婦関係、職場の人間関係を激変させる“国民病”と向き合うための、新しい認知症のとらえ方――。」
―人の気持ちを理解する
 ―人の心の痛みをわが痛みとする
 ―自分のいたらなさを反省する
認知症を患うと、このような心の大切な働きが少しずつ失われていきます。
認知症の人に生じる「心の変化」は、記憶の障害や知的能力の低下だけでは説明しきれません。他人の気持ちを理解し、周囲の人とうまく生活していく「社会的な能力の低下」としてとらえなければ、十分にその原因を究明することはできないのです。
>社会脳とは、社会生活を適切に行うために必要な脳の働き、それを中心的に担う脳の領域の名称です。
近年の画像検査を用いた研究によって社会脳の解剖学的構造が解明されつつあり、社会脳科学は一気に注目を集めるようになりました。
明らかになってきた社会脳の解剖マップを初めて見たとき、私はとても驚きました。
.>社会脳と称される脳の領域が、認知症において侵される脳の領域とほぼ重なっていたからです。
認知症とは、社会脳が壊れる病気である」―そう考えるようになりました。」
二〇一三年五月、米国精神医学会は認知症の診断基準を改訂し、「社会的認知の障害」(他人の心や気持ちを理解することを「社会的認知」と呼び、社会脳の基本的な働きの一つ)を認知症の診断根拠の一つとすることを決めました。これは、社会脳理論が認知症診断学の中に正式に取り入れられたことを示すものです。

九〇歳を超えると五割の人が、九五歳を超えると八割の人が認知症になるという調査結果も(W。.85歳で4割)出ています。長生きをすれば、誰でも認知症になりうる時代です。ぜひ多くのみなさんが認知症を正しく理解し、認知症の人の心の状態を知り、また、認知症を予防する対策を試みてほしいと願っています。」

「本書には、脳の画像としてMRI(核磁気共鳴画像法)、CT(コンピュータ断層撮影)、SPECT(単一光子放射断層撮影)の三つが登場します。MRIとCTは脳の「形」を映し出す検査であり
>SPECTは脳の「血流量」を画像化する検査です。←W。よく効く降圧剤服薬は低血圧状況を生み出し脳の血流量を低下させ、認知症を悪化させるのではないかという問題意識が常に付きまとっている。
診察室血圧が高い高齢者認知症患者の場合、降圧剤服薬が脳の血流低下を招き、認知症の進行を早めるのではないかと疑う。


『 社会脳からみた認知症
徴候を見抜き、重症化をくい止める  伊古田俊夫=著

>また、W
  ↓

、「認知症が重度であると」と判断された高齢者であって
一定の日常生活に支障をきたさない程度の認知能力が保たれている限り
表面的なあいさつや会話などに支障がみられないケースがしばしばみられて←W。上記のケースはコレ
「右脳が担う認知機能」が保持されやすい感性優位型 と呼ばれる認知症高齢者においては、
>「脳が担う認知機能」が「左脳が担う認知機能」の障害を補うために実際的な認知機能が保持される傾向がみられるので、
認知症の機能の障害が顕在化せず
介護施設の職員でも認知障害の存在に気づかないことが多いので注が必要である。

*一方、理性に偏重し感性の乏しいタイプの認知症高齢者においては、
MCI(早期認知障害)の初期から様々な大脳辺縁系症状が顕在化しやすい傾向がみられます

さらに、著者が外来診療や施設での診療の長期間にわたって経過を観察してきた「アルツハイマー型老年認知症」と診断されてきた高齢者については、
認知症の症状や認知障害
画像診断で見られる脳の萎縮がどんどん進行していく、症例はほとんど見られないというのが実感です。
    ↑
W。引用 社会脳からみた認知症』徴候を見抜き、重症化をくい止める伊古田俊
「たとえ形が正常であっても、血流が低下したときには脳の働きは低下します。
>脳SPECTを使うことで、CTやMRIではわからない変化(機能低下)を描き出すことができます。」
たとえ形が正常であっても、血流が低下したときには脳の働きは低下します。脳SPECTを使うことで、CTやMRIではわからない変化(機能低下)を描き出すことができます。」

W。.MRI、CT、SPECTの診断内容不明なので
だったら、認知症テストの採点結果が、認知症自立度を測る基準になっていると想像するが、
診察室血圧の上昇度の高いタイプの人は
テストのときの平常心が保てない場合が多く、テストの結果が悪くなるのではないか。

Wの知っている認知症のヒトは、
ADL(日常生活動作)に問題なく、IADL(手段的日常生活動作)若干の揺らぎが出ている程度で、表面的な対人関係では認知症と相手に悟られない柔軟な言動ができるが(Wより対人関係はスムーズで、外面と内面一致のタイプなので外面の取り繕いのレベルが高い)、

>インナーとして接すると
記憶障害、理解判断力の低下は否定できず、
見当識障害のうち、特定人物が複数に映ることが顕著である。
その場合、本人の意思で短期記憶を辿って、見当識障害を是正する回路ができているが、ここが壊れると、周辺症状BPSD(痴呆性の行動心理症状)に進むのではないかと思う。

軽いリロケーション障害発生の瞬間と本人自力のによる是正過程に立ち会ったものとして
認知症に対する怖れと同時に特有の苦しみときに立ち会い神々しき思い、本人の意志力への尊敬を抱いた
目の前に神がいたのだ。
その時自分は激動の人生にそういうリアルな体験を何度もしたと話すしかなすすべがなかった。

「ここはどこ、私は誰」というような感覚~~リロケーションダメージとは? | 介護の無料相談&ハウツー「安心介護」~~は激しい人生を歩んできた人は誰でも体験しているのではないか。認知症のヒトはこの場面が頻繁に訪れていると想像すると、内面の葛藤は如何ほどかと思い、介護者はそのような場面をできる限り排除したいと願う。

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ひどい言い方になるかもしれませんが、症例2の嫁はこう言いたいのではないでしょうか。
「では、あなたが介護してみてください、何日間か介護していただければ、きっとあなたも同じことをするはずです」

  <おすすめのこうする>
認知症の方も介護者も、皆が幸せになれるように介護することが、認知症介護の目標です。 ←W。金銭的報酬と職業倫理が絡まない場合、が問題。
自己実現。 個別の認知症介護を通じて人を知る、社会を知る、社会的関係を作る、という帰納法。一点「突破」全局展開の道を探る。

W。周辺症状BPSDが出ていない軽度認証の方(もとよりその方の持っている人間資質によるが)への対応は
共感、信頼関係の創出、維持が大切、浅薄なその場しのぎの対応、適当な言い繕いは見抜かれる。
認知症の方の個別状況、個性を考慮した対応をすべきだ。

>福祉業界慣れした対応というものがある。相手の個性を見抜けない、一方的な対応を嫌う認知症の方がいるが、業界人間の当人はあまり気にならないようだ。


③ 10点→嘘は認知症介護では当たり前のことであり、どんな嘘でもよい。
解説は浅薄で抽象的な極論に走っており、説得力がない。

④ 80点→本人が幸せを感じる嘘なら、積極的にうそを言ってもよい。

「医療も福祉も、病んでいる方や困っている方が少しでも居合わせになれるように努力する仕事であるはずです。
とすれば 本人が幸せになるようなうそをつくことは、大変すばらしい治療をしていることになります。
認知症の方が喜ぶような対応をすることは、認知症介護の基本的な部分であると考えます。
ですから、その認知症の方が心から幸せを感じるようなうそならば、積極的に言ってあげるべきでしょう。
W。主旨は解るが、抽象的で浅薄なことばが羅列されている。

⑤ 90点→本人が健やかになり、安心して生活できるようになる言動なら嘘でも構わない

「~正常な方は(W?正常な方ってどういうヒト?、福祉業界慣れのヒト)誰が見ても評価するであろう「現実」という中で生活していますが、認知症の方はその病気ゆえに「現実」が少しずれた状態、あるいは異なる感覚の中で「現実」という中にいます。健常者とは感覚がずれているといえるでしょう。
認知症の方にとって、安心して健やかに生活できるように介護者が言動にきおつけて介護することは、質の高い介護につながると考えます。
本人が安心して健やかになる介護の言動が、嘘であろうと本当であろうとその内容は全く問題がないことになるでしょう
             ↓
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参考資料 「必察!認知症ケア」~思いを察することはから始まる~生活(いき)ること支援~永島徹
引用
認知症ケアとは、任と小のヒトとの関わりだけではなく、その家族や周囲の人々、そして、その人たちを支援する専門職など、多くの人との抱え割で成り立つものだからです。」

「相手の思いを察していくことで、認知症のヒトとのかかわりも、その家族とのかかわりも、専門職同士のかかわりもまた、より良いものとなっていくはずです。
 
ケアという対人援助を専門の職としながら、私たちは驚くほど、相手の思いに目を向けようとしていないように思います
>入浴や食事、排せつの介助など、目に見えて解り易い行為を中心にケアを考えているのではないでしょうか~~?
>いかに安全に手早く、スムーズにそのような直接的な介護を行えるか、それがケア専門職としての腕だと考える人が少なくないのでは~~

認知症のヒトへのかかわりでも、介護抵抗などがあって、こちらのペースで介護できない人を、どうやって風呂に入れるか、食事を食べさせるか、おむつを替えるか~~
また帰宅願望が強く、徘徊がみられる人にどうやって対応するのかなど、そのマニュアル的な方法ばかりを求めてしまってはいないでしょうか?

認知症ケアの研修会で話をさせてもらう時でも、介護職の方々から
認知症の人に対して、適当なことを言ってごまかすているようで、やりがいが感じられない~~』
うそをついて相手をだましているようで嫌になることがある』
相手を子ども扱いしているようで、これでいいのかと思うことがある』
というような、日ごろの思いをうかがうことがたびたびあります。
はたまた、
『私は嘘をつけないから』
『私は口下手だから、認知症ケアには向いていないのです』
そんな言葉を聞いたことがあります。
『うそのつくのが上手な人』 『口がうまい人』が認知症ケアに向いているなんて思われてしまったら、飛んでもありません。
どれだけ相手の思いに目を向けられるか、相手の思いを察することができるのか、
認知症ケアに大切なのはそのことです。
 そんなことがあるから私はなおさら、相手の思いを察することの必要性を伝えていきたいと思います。

察することを生かした認知症ケアを実践していくことで次のようなメリットが考えられます。
 1)必然的な対応が可能になる
『どうしてそのような言葉かけをしたのか』
『なぜ、そのようにかかわったのか』
など、自分の言動の根拠が見えてきます。

このようにかかわれば、相手が安心することができるだろう』
そんな予測に基づく対応も可能になってきます
『偶然そうなった』ではなく、根拠や予測に基づく必然的な対応で、ケアの専門性を高めていくことができるでしょう。

 2)連続的なケアが可能になる
関わる人や場所が変わることで、
それまで比較的安定していた認知症のヒトの状態が不穏になったり、興奮してしまったり、様々な変化が生じてしまうことがあります。(リロケーションダメージ)
 1)の相手も思いを察した必然的な対応を共通して行えるように、引き継ぎ、連携をとっていくことで、関わる人や場所が変わっても、相手も思いに寄り添った適切な対応を、連続して行っていくことが可能になります。
 
 3)認知症の人<相手>と思いを察しあう関係性を実感できる。
察するということは一方的なものではありません。
相手の思いを察して、関わっていこうとする人の思いは、相手にも伝わります。
自分だけが認知症のヒトの思いを察しているのではなく、そんな介護者の思いを認知症の人も察しています。
>個人差はもちろんあります。