反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第5回 新しい痴呆ケアアセスメント 三好春樹~痴呆に対する差別的現実を変えているのは介護現場である~上野千鶴子 「おひとりさまの最後」~ケアの最後の秘境~終末期ケアよりハードルが高いのが認知


<介護現場の本の引用>

   新しい痴呆ケアアセスメント - Wikipediaと遊びリテーション 三好春樹 上野文規 2004年刊行
                    
   <まえがき>
 「本章ではタイトルをはじめとして、本文中に、『痴呆』『呆け』ということばをしようしている。
こうした言葉が不適切だと言い換えようとする動きのあることは承知しているが、私たちはあえて、これらの言葉を使用したいと考えている。
 
それは『介護の社会化=市民化』に抗して、市民社会の側こそが介護現場の感覚と論理に替わるべきであり、介護現場の方法論を作り出そう出そうとして本書は送り出された。」
2004年9月3日付の新聞によると、厚生労働省が『痴呆』に替わる名称を6つの中からホームページで一般の意見を求めているという。→(『認知症』 『もの忘れ症』 『認知障害』 『記憶症』 『記憶障害』 『アルツハイマー』の6つのうちどれがいいか)←W。注1
 『精神分裂症』を『統合失調症』と言い換えて差別や偏見が少なくなったか
私の考えは当時から一貫している。差別用語があるのではない。差別的現実があるのだ。その現実の中ではどんな言葉も「差別用語」になるのである
 だから、差別用語をなくすには、差別的現実を変えるよりほかにないのである。
 
痴呆老人が落ち着いて笑顔で生活する方法論を作り出し、痴呆に対する差別的現実を変えているのは介護現場である
ドストエフスキーの『白痴』(W。ハクチはネット文字にはない)という題の小説がある。
~なぜなら標準は私たち正常発達の側にあって、そこからの尺度で遅れているのだから、。
 でも『白痴』は、そうした尺度そのものを疑い、ひっくり返す力がある言葉なのだ。
かつて織田信長に対して投げつけられた『痴れ者」という言葉は、常識や秩序をひっくり返そうというものへの恐れが表明されたものだっただろう。
 『痴呆』の呆も悪い言葉ではない。
惚れるの惚とニュアンスは一緒である。
寝惚ける、惚ける、なんてよく使うし、遊び惚ける、なんていいなぁ~。←W。注2

W,注1(『認知症』 『もの忘れ症』 『認知障害』 『記憶症』 『記憶障害』 『アルツハイマー』の6つのうちどれがいいか)
    
W。注2
引用
梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 雑
あそ            うま        たはぶ        むま
 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
  あそ  こども   こゑ        わ   み        ゆる
 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ
遊ぶために生まれて来たのだろうか。戯れるために生まれて来たのだろうか。
遊んでいる子供の声を聴いていると、感動のために私の身体さえも動いてしまう
 
子どものころ遊び惚けた人ほどい老年期を迎えられる、というのは私の説である。
「痴呆」という言葉の差別性をなくすには、痴呆への現実の差別をなくすというのが基本である。
しかし差別を薄めるための方法はなくもないのだ。
 それは『痴呆』を普遍化することである。『痴呆』を言い換えて使わせないのではなく、逆にどんどん使うのだ。
 
介護職相手に、仲間内でしか通用しない医学用語を使いたがる医者やPT(W。理学療法士)は『専門職痴呆』~。

                        
W。参考資料
 上野千鶴子 「おひとりさまの最後」 朝日新聞出版                                                                    2015年刊行
                                  ケアの最後の秘境
 引用
終末期ケアと認知症ケア、この二つは介護の中でも最もハードルの高いケアといわれてきました。
最後に残るケアの「秘境」は?認知症高齢者の終末期ケア
それも独居の場合ではないでしょうか。』
 
「先日、高齢者介護現場を長年にわたって取材しているノンフィクションライターの方とお話しした時も認知症になったら『最後は施設か病院でしょうねぇ』と他の選択肢は考えられないような口ぶりでした。
在宅で終末期ケアは可能、がんともなればほぼ100%在宅死できる、独居でもOKと手ごたえが得られましたが
終末期ケアよりハードルが高いのが認知症ケアです。」

私が障碍者自立運動のリーダーとの共著で「当事者主権」(岩波新書 2003年)を書いた時、最初に受けた批判は
当事者主権といったて、自己決定能力があるうちだけ
認知症高齢者はどうする、精神障碍者はどうする?』というものでした。
 
これまでの議論はすべて本人に自己決定能力があることが条件、この条件が崩れたらすべてはチャラ、という、足元が崩されるような不安がありました.。
 
多様な在宅ケアの対象者の中でも、「痴呆老人へのかかわりはとりわけ難しい」という。
その人らしく自宅で死を迎えられるようにしていくこと。
少しでも豊かな在宅死の実現の中で、
どうしてもうまく対応できないのが「痴呆老人への支援だったのです。」
 
 ちなみに2005年に『認知症』と呼び名が変わった『痴呆』をなぜか私の尊敬する現場の実践者たちはそのまま『痴呆』とか『ぼけ』とか呼びなで呼んでいます
 

*長尾和宏オフィシャルサイhttp://www.drnagao.com/ 

>『ぼけ』の使用については確信犯です。
ぼけ』は加齢に伴う自然現象、何も病名をつけなくてもいいじゃないか、という立場からです。
>ただしここでいう「認知症」には「レビー小体型」や「ピック病」という原因のはっきりした認知症は含めません

幻視や記憶障害が見られたら要注意。レビー小体型認知症の症状とその特徴|認知症のコラム|老人ホーム検索【探しっくす】

行動性の高い認知症高齢者に対する対応は今のところ、ほとんどが行動抑制です。(施錠による物理的抑制。向精神薬系の薬剤投与による生理的抑制のいずれか)
 
ベストセラーになったという東田勉さんの~~ 東田勉著『認知症の「真実」』講談社現代新書より刊行 | 認知症ねっと 『認知症の真実』著者・東田勉氏インタビュー - HONZ ~~『認知症患者の真実』を読んで、過剰な投薬が認知症を作っているとあって震え上がりました。
 精神科の医者と製薬会社、それを認可する国とが結託して「認知症という市場を作っているのだと。
そういえば、病床数と入院数を抑制する方向へ向かっている精神科医療改革が、新しく拡大するマーケットを認知症患者にみいだしています
ヒロズミさんの場合も投薬量を減らしたら健やかになったとあります。
~~~~~
そしてこのぎりぎりまで:は認知症者にとって同じでしょうか。ましてや独居の認知症者によっては?
 
その日の愛子さんを囲んだ4人の女性はバツイチを含めて奇しくも全員おひとりさまでした
私のその一人でしす。
自分自身の老後をを重ねて愛子さんの暮らしに関心を寄せています
愛子さんは次第に運動性が低くなり、寝たきりになっても、このまま在宅で穏やかに暮らしていかれるでしょう。寝たきりになったらかえって介護がしやすい、はケアの常識ですから。
W、共同介護を支える高橋医師は、
かつて徘徊」する患者さんに「薬を多めに投与して足腰を弱らせて少し動けなくしてから」家族に引き取ってください」とお願いしたことがあると述べています。
「それ(投薬による行動抑制)が当時では最善の医療だと思われていたんですね。本当に申し訳ないことをした」と反省しておられます。
~高橋医師
「周囲を困らせる周辺行動BPSDが起きるのは、それぞれ理由があります。
本人の自尊心が傷つけられたり、相手から否定されたりしたときに怒りや反発から暴言、暴力、妄想が起きます
その点で家族は認知症者にとってすることなすこと叱責したり非難したりする存在ですから、家にいることがくつろぎになりません。
専門職も診断したり判定したり
励ますと見えて本人の現状を否定したりすることも同じこと。
ご本人が叱られていると受け止めるのは無理もありません
 
>独居の認知症者は、同居家族のいる認知症者よりも、どちらかといえば穏やかに過ごして居るケースが多いそうだ、と言います
一人暮らしの高齢者は~~家族のいる場合と異なり、≪からくり≫≪からくり≫とはとは周辺症状を認知症者が起こす因果サイクルを指す高橋医師独自の用語)からいえば、日々指摘を受け(叱られ)続けるストレスは極めて少ないということになります。
 
ですから、一人暮らしの認知症者のヒトは、家族と暮らす人よりBPSDが起こりにくいだけでなく、程度も軽い可能性があります。
>実際に日々の臨床感覚としては、一人暮らしの認知症のヒトのBPSDは軽い印象があります。興奮や暴力は明らかに少ないですし、介護拒否やカエル妄想、人物誤認妄想、モノとられ妄想や嫉妬妄想などは多くありません」
 独居の認知症高齢者が少ない現状では、同居家族のあるなしによるBPSDの出現状況について比較研究など難しいでしょうが、~それがわかれば、おひとりさまは心からホッとできるでしょう。
 
 これまで家族がいることが認知症ケアの条件だったのに
家族がいない方が認知症ケアはやりやすい、ということになるかもしれません。
 
 もしかしたらケアとは『家族に向かない仕事』なのかもしれません
三者だからこそ、目の前にいる老人をありのまま受け入れることができるのかも
後藤さんもこう言っています。
『家族は、認知症で変わり果てた父親や母親に傷ついてしまう。
他人ならば病気だから仕方がない、と調子を合わせられるのだが、家族はそうはいかない。怒ったり叱ったり、悪循環になることが多い。
病気を受け入れて、今までの関係を替えるのは、そう簡単ではないし
上手に励ましたり、おだてて行動させたり、時には嘘も方便で演技する、などということは家族だからこそ抵抗があるものだ
 

  ~~W。デメンティア痴呆症 のこと。(=ディメンツ)(dementia) 。シンプトムsymptomの意味 - 英和辞典 Weblio辞書  symptom of dementia。
認知症の人に生じる「心の変化」は、記憶の障害や知的能力の低下だけでは説明しきれません。他人の気持ちを理解し、周囲の人とうまく生活していく「社会的な能力の低下」としてとらえなければ、十分にその原因を究明することはできないのです。
―人の気持ちを理解する
―人の心の痛みをわが痛みとする
―自分のいたらなさを反省する
認知症を患うと、このような心の大切な働きが少しずつ失われていきます。まわりの人たちの気持ちを理解する力が衰え、~
社会脳とは、社会生活を適切に行うために必要な脳の働き、それを中心的に担う脳の領域の名称です。
.>社会脳と称される脳の領域が、認知症において侵される脳の領域とほぼ重なっていたからです。
認知症とは、社会脳が壊れる病気である」―そう考えるようになりました。
>SPECTは脳の「血流量」を画像化する検査です。
たとえ形が正常であっても(W。MRI、CTによって判明)、血流が低下したときには脳の働きは低下します。
脳SPECTを使うことで、CTやMRIではわからない変化(機能低下)を描き出すことができます。」
たとえ形が正常であっても、血流が低下したときには脳の働きは低下します
脳SPECTを使うことで、CTやMRIではわからない変化(機能低下)を描き出すことができます。」
W。よく効く降圧剤服薬は低血圧状況を生み出し脳の血流量を低下させ、認知症を悪化させるのではないかという問題意識が常に付きまとっている。
診察室血圧が高い高齢者認知症患者の場合、降圧剤服薬が脳の血流低下を招き、認知症の進行を早めるのではないかと疑う。
 
 さらに一見上記の事実と反するようだが、下記の実例を知っている。
はっきりしていることは
アルツハイマー認知症は脳の一部の機能に障害が生まれる病気ではなく、脳全体の機能障害である。
 
認知症が重度であると」と判断された高齢者であって
一定の日常生活に支障をきたさない程度の認知能力が保たれている限り
表面的なあいさつや会話などに支障がみられないケースがしばしばみられて
「右脳が担う認知機能」が保持されやすい感性優位型 と呼ばれる認知症高齢者においては、
脳が担う認知機能」が「左脳が担う認知機能」の障害を補うために実際的な認知機能が保持される傾向がみられるので
認知症の機能の障害が顕在化せず
介護施設の職員でも認知障害の存在に気づかないことが多いので注が必要である。
 
一方、理性に偏重し感性の乏しいタイプの認知症高齢者においては、
MCI(早期認知障害)の初期から様々な大脳辺縁系症状が顕在化しやすい傾向がみられます
 
さらに、著者が外来診療や施設での診療の長期間にわたって経過を観察してきたアルツハイマー型老年認知症と診断されてきた高齢者については、
認知症の症状や認知障害
画像診断で見られる脳の萎縮がどんどん進行していく、症例はほとんど見られないというのが実感です。

W。参考資料
                 なぜ認知症患者は短期記憶が飛ぶのか

 
>W.重要→「厚生労働省では、関心のあるものを一時的に捕らえる器官である
 海馬を「イソギンチャク」、
重要な情報を頭の中に長期に保存する機能
「記憶の壺」にたとえ、認知症による記憶障害を以下のように説明しています。

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 人間には、目や耳が捕らえたたくさんの情報の中から、関心のあるものを一時的に捕らえておく器官(海馬、仮にイソギンチャクと呼ぶ)と、重要な情報を頭の中に長期に保存する「記憶の壺」が脳の中にあると考えてください。
 
>。重要いったん「記憶の壺」に入れば、普段は思い出さなくても、必要なときに必要な情報を取りだすことができます。(中略)

>W。重要→認知症になると、イソギンチャクの足が病的に衰えてしまうため「壺」に納めることができなくなります
新しいことを記憶できずに、さきほど聞いたことさえ思い出せないのです。
さらに、病気が進行すれば、「壺」が溶け始め、覚えていたはずの記憶も失われていきます。
 
W。MCI(軽度認知障害)段階では
海馬(イソギンチャク)🔁記憶の壺の連関機能がある程度働くが
W。→症状が悪化(認知症)すればイソギンチャク器官がぜい弱化し、記憶障害、見当障害が多発する

W。超重要新しく接する人物の誤認は是正できないが、
古い付き合いの人物は誤認しない。
>もっと認知症が進行すると古い記憶も失われる
 
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記憶の種類
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   短期(即時)記憶障害

短期記憶とは、記憶を貯蔵する時間が数十秒から1分程度と短い期間のみ残る記憶のこと
認知症の方は、新しいことを覚えにくく 具体的には、今日の日付が分からない、どこに物を置いたか忘れる(いつも探し物をしている)、何度も同じことを聞くなどの症状が見られるようになりますこれを短期記憶障害といいます。
認知症初期には比較的直近の記憶から失われていき、ついさっきの出来事が思い出せなくなり、次第に思い出せない事が増えていきます。

   長期(近時・遠隔)記憶障害

長期記憶には、記憶を貯蔵する時間が数分から数日間残る場合(近時記憶)と、
数日以降発病する以前に学習した記憶が残る場合(遠隔記憶)とがあります。
一般的に知られている「祝日の名前」や「自分が通った学校の名前」「子供の消息」「自分の職業」についてなどの出来事についても、認知症が進行すると忘れてしまい、最終的には家族の名前や顔も忘れていくなどの症状がみられますこれを長期記憶障害といいます。

   エピソード(出来事)記憶の障害

学歴や職業など、自分が生活してきたことや体験したこと(エピソード)そのものを忘れてしまう障害です。本人は体験自体が抜け落ちているので、周囲と話がかみ合わなくなります。

   意味記憶の障害

ものや言葉の意味を忘れてしまう障害です。「あれ」とか「それ」などの表現が多くなり、意思疎通が難しくなってきます

   手続き記憶の障害

手続き記憶とは、本人が繰り返し学習や練習によって身につけた技術や、無意識のうちに記憶していることです。例えば、自転車に乗る、泳ぐ、スキーを滑る、ピアノを弾くなどです。
認知症になっても、比較的体得した記憶は残りやすいと言われています。
 
記憶障害の進行
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    記憶障害が出たときの周囲の対応
   本人に安心してもらう
本人の言動を訂正することは、本人からしてみれば、自分の言動を否定されたり、抑制されている感覚になります
 
W.。コレ介護技術と経験がいる。情緒に流れる家族的環境では難しすぎる
>複数介護の体験をすれば、個別環境が客観視できるかもしれない。
     ↓
周囲の人は、本人の言動を訂正しがちになりますが、
それをすればするほど、本人の不安は高まり
逆効果となるでしょう
周囲の人が本人に合わせる必要性があるというのは、こういう理由です
 まずは、本人の言動を笑顔でいったん受け止めて、安心していただくことが対応の第一歩となります。
 
                        環境を整える
 規則正しい生活を送るためにも、1日のスケジュールを組みましょう。←W。実行中。ホワイトボードに日付、曜日、その日のスケジュールを毎日書き込んでいる。
 
また、そのスケジュールを時計の隣に貼るなど、目につきやすいところに貼ると効果的です。←W。日付、曜日がはっきりわかるデジタル時計設置。
 
また、カレンダーを活用し、予定を書き込みましょう。←W。デジタル時計、用事書き込みカレンダー、一日のスケジュール書き込みホワイトボード、日付入り薬分包でワンセットになるように手配しているが、それでも機能しないことが多くなっている。
 
予定の時間を知らせるために、スマートフォンのカレンダー機能を利用し、時間になったら鳴るようにすることも効果的です.。
 
通院曜日や時間はなるべく変えないようにしましょう。
 
また、①日々使用する物品は置く場所を固定し、
②使用後はすぐに定位置に戻しましょう。←W。元気で几帳面な人は些細な動機で重要な物品の置き場所を変える。いちいち注意するとモグラたたきになり、精神的に追い詰めるようなので諦めアバウト対応に切り替えた。症状の進行具合が底流にあるので自然とそうせざる得なかった。いい加減も場合によったら絶対に必要。
 
部屋の模様替えなどは混乱する要因になりかねませんので、注意が必要です。
W。見当識障害が背景にあるので模様替えをすると落ち着かなくなる、最悪は自分の部屋ではないと錯覚する。現状維持が基本なのだが慎重対応は有効な介護措置を遅らせることが多い。 
 
       新しいことを覚えるときには繰り返す
新しいことを覚える際のポイントとして、一つずつ覚えること、繰り返し反復練習することが重要です。
言葉だけでなく絵を使う、言葉と身体を使う、メモを貼るなど、覚えやすい方法を本人と相談しながら方法を見つけましょう。←W。その時解ったことが時の経過で削除されている。もう一度もう一度の繰り返しになるが、双方がそんなルーティンワークに耐えられるかな?
 
かかりつけ医に相談して適切な処方を
また周囲の人や環境が、本人の不安を高めるような状態も、認知症の進行を促進させてしまう可能性があるので、対応にも配慮することが重要です。
 
****************
行動した事を全て忘れる事が認知症の症状です。 記憶力が健全だった頃の昔の事ほどよく覚えています(遠隔記憶)。
>間違いを指摘したり、非難することをせず、その時々の認識にあわせることが大切です
     
 短期的な記憶がなくなるのは認知症の特徴的な症状
認知症の進んだ高齢者は一人の人物(例えば妻)に対し、ある時は娘と思ったり、別の時にはヘルパーさんと間違えたりする人がいます。

このような症状は二重見当識」と呼ばれていますが、
 対応法としては
その時々の高齢者の認識にあわせる事です。
逆らったり、間違いを指摘したりしないほうがよいでしょう
 
時計の時間は読めても、それが何を意味するのか、
理解できない人がいます
頭頂葉と関係する、見たり聞いたりした内容が理解できない症状ですので、そのことを理解して接していきます。
 
 認知症の高齢者には預金通帳や印鑑等をしまい込んで忘れる事がよくあります
しまった場所を忘れる程度から、しまい込んだ事自体「忘れる」というよりも「記憶に残っていない」場合が殆どです←そのために「盗られた」といわれます。
それが 認知症の病気からくる症状(記憶障害)です。
預金通帳は大事なものだからこそ そのありかを知っているのは一番親しい家族やスタッフであると思われ疑いの目を向けがちです。
預金通帳や財布ををしまった事を忘れまい(記憶障害) 現実に無いのだから「盗んだ」と騒ぎます。
その場合は勝手に探すのではなく、一緒に探します


          新しい痴呆ケアアセスメント - Wikipedia
        第1部 痴呆老人のアセスメント
     第1章
 痴呆老人の個性を知るためのアセスメント
主任生活指導員が買い物で見せる不思議な行動
見事なのは本人に気づかれないということです。
「100から7引いたらいくら?」と突然聞かれて、こたえなきゃいけない義務ないからだいたい老人は黙っていますよ。検査を受けようという気になっているくらいだったら、大したボケじゃないんです。←Wの実体験と合致。
だけど生活の中でさりげなく計算をお願いしたり、昔話をしたりしながら、お年寄りの本当の状態がわかるわけでしょう。見事なものでした。
 
 彼女は長谷川式地方スケールの結果を数量化して法おこくしなかった。
このヒトは難点だから痴呆だとか順痴呆だとかそういう報告はしませんでした。
お年寄りは個性的にボケるんです。
老いも個性が煮詰まっていきますが、痴呆も個性的になんです
個性を見るとはどういうことか
彼女はどの項目ができてどの項目ができていないということを報告していました。
 
長谷川式痴呆スケールを思い出してください。
項目がいっぱいありますが4つか5つに組み分けされています。
まず、100から7を引いたらいくら?
とくるからちょっと緊張するね。それにこたえても、また7を引いたらいくら?と結構しつこいんです。
>これは計算力を見ています。
 
名前や住所を聞くのは見当識ですね。
 
あとは記憶力の項目があります。
買い物を注文して少し間をおいて再度、聞きに行って思い出させる。←これは記銘力です。
昔のことは覚えているけれど、最近のことは忘れるというのが老人の特徴です
それはなぜかというと記銘されていないからです。
 
記憶は、記銘、保持、再生という構造なのですが、年を取ると、その中の記銘力が衰えるんです
最近のことを覚えているかどうかは「短期記憶」という言い方をするようになりました。
 
 このように長谷川式痴呆スケールの中身は
見当識」 「計算力」 「常識」 「記憶力(長期記憶) 「記銘力(短期記憶)」
の5つに分けられているのです。
このうちどれができてどれができなかったという報告を彼女はするんです。
 
 検査が大事ななじゃない。
そこからどんなケアをするかを導き出すのが大事なんだ
「常識」「見当識」「記憶力」「記銘力」はほとんどできません。
でも昔商売をやっていたせいかね、「計算力だけはできるのよ。
さてこういう報告を受けたとき、私たち介護職がどんなケアをするべきか箇条書きにしてください。
 
今日生き生きさせられなかったら、明日はもっと難しくなる
老人は今が一番いい時なんですよ。今日できることを引っ張り出して生き生きさせなきゃいかんのです
そのために作るのがケアプランでしょう。
それを、今の状態より良くなれれば正しい生活がある、痩せてから本当の生活が始まる。しゃべれるようになってから生活があるんだというのは嘘です。今ここから始めるのが介護です。
>だって今日の老人を生き生きさせられなければ、明日はさらに難しいし、明後日はさらに難しいでしょう。
~~そのためには
「いいこと」できること」に注目して、それを生活の中に引き出すことが必要です。
問題点ばかり見てきた医療系のヒトには難しいでしょうが、介護の時代に求められているのはそれなんです。
 
  集団的なことをやめたら個別的になると思っているのは
何もわかっていない証拠
一人で孤立してしていては個別性も個性もありません。
集団の中にこそ自分というものを確認できるんです。
デイサービスデイケアという人間関係の場に出てもらいましょう。
>痴呆老人の個性を知ろう。
個性を知ったらいいところを引き出して、できないところは見て見ないふりです
それをやりましょうというのがアセスメントで一番大事なことだと思います。
 
~ぼけている人とぼけていない人が、親分と子分みたいになって、満足している関係が施設の中にはあるでしょう。
閉鎖的ユニットを人為的に作ることで大人数のケアの良さをなくさないでほしいですね。
 
   問題行動の原因を知るためのアセスメント
 
 問題行動の原因を脳のせいにしたら
そこで思考停止することになる